58話 二人の魔女
「タクトを解放しろ。女王といえど、これ以上やるなら容赦はしない。今の私は機嫌が悪いんでな」
そう言った彼女の瞳は怒りに満ちて、ギンと鋭い目つきで私を睨んだ。
……まったく、ソフィもピンキーも何をしているのだろうか。言いつけの一つも守れないなんて。
それに聞いていた情報と違う点もある。あの深緑の髪……まさか深緑の魔女までここに来てしまうとは。
「貴女の噂は知っていますよ。なんでも他に類を見ないほどの魔術師だとか――」
「御託はいい。泣いて謝るか、まだ足掻くか選べ」
ピシャリと私の言葉を切った深緑の魔女は、その象徴たる髪をぶわっと逆立てる。
ほかの三人も武器を構えて、ジリジリと距離を詰めてきていた。
こいつらの目的はこの男……ならば――。
「【火の精霊よ 雄々しく燃え上がり 彼の者と隔てる壁となれ】」
「【炎の障壁】!!」
部屋の中央、彼女たちと私の間に炎が立ち昇る。
「……足掻くほうを選んだな。覚悟しろよ女王ティルエル」
「みんな離れてッ! 【水の聖霊よ……」
オレンジ髪の女が、詠唱を唱える声が聞こえる。
だが、時間稼ぎができれば十分。私は背後で横わたる彼に向き直した。
彼の首元に手を触れると、指先から力が湧きあがってくる。
貴方がいけないのよ。男のくせに魔法を持つから……。世界に魔法は必要ないのよ。
「や、め……ろ」
もがき苦しむ彼の言葉を無視して私は魔力を吸い続けた。
男でも魔法が使える手段があるのなら、世界はより不平等になってしまう。
この世のすべての魔力を吸い尽くし、人々を均等にならす。私にならそれができる。
見せかけの価値は人を不幸にする。私のような不幸な人が生まれないように……これ以上苦しまないように、世界を変えるのだ。
「――さようなら、魔術師さん」
「あ……がッ……」
彼の手が力なくベッドに落ちたとき、背後の炎が揺らいだ。
「【水障波】!!」
爆風と共に部屋中に水蒸気が立ち込める。
真っ白になった視界に四人の人影が見えた。ゆらゆらと揺れる影は、徐々にこちらへと近づいていた。
「――貴様に逃げ場はない。観念して……ッ!!」
怒りに満ちていたリーフィリアの目が、驚愕に変わった。並ぶ他の三人も似たような顔をしている。
「どうしましたか? そんなに驚いた顔をして」
「き、貴様……」
彼女たちの視線は私ではなく、隣に横たわる少年へと注がれている。
鎖につながれ、ついさきほどまで苦悶の表情を浮かべていた少年は目を閉じ、眠ったように動かない。
「タクト……? ねぇ、タクトォ……!!」
いくら叫んでも、呼びかけても無駄だ。なぜなら彼の魔力はもう、完全に尽きたのだから。
魔力を持つ者にとってそれは血液と同じようなものだ。その魔力が完全に枯渇したとき、脳には多大な負荷がかかる。
魔力は体内で徐々に作られていくが、枯渇状態が長く続けば続くほど、後遺症の可能性が高くなる。
言語障害から、手足の神経障害……酷くなれば意識を取り戻すことさえできなくなってしまう。
私の……母のように。
これで、この世から男の魔術師は消えた。もはや抜け殻となった彼に用はない。
「お望み通り返してあげるわ」
彼の手足についた鎖を外し襟首を掴んで放りなげると、水色髪の女が受け止めた。
「おい……タクト? 起きろよ……おいってばッ!!」
「目を開けてください! タクト!!」
三人が、横たわるタクトに集まり声をかけ続けている。次第にその声にすすり泣く音が混じった。
一人、俯いたまま私と対峙する深緑の魔女は、自慢の髪を下に垂らしピクリとも動かず、その場に立ち尽くしていた。
「貴女も彼に寄り添わなくていいの?」
「……」
そう声をかけた直後、彼女の象徴たる深緑の髪が、再び宙を舞った。
足元からは赤い炎が沸き立ち、揺らめく髪に絡んでいく。髪の末端まで炎が行き渡ると炎の色が青色へと変わっていった。
拳を握りしめ、ゆっくりと顔を持ち上げたリーフィリアを見て、彼女がなぜ魔女と呼ばれているのか理解した。
怒りと憎しみ、その感情を剥き出しにした表情から、私は“恐怖”を感じたのだ。
人に対して恐怖を抱いたのはあの時以来だ。父に首を絞められ、私という存在を憎まれた――幼い頃の記憶が脳裏をよぎる。
「貴様は……殺す。絶対に許さない」
言葉でも私に怒りをぶつけてくる深緑の魔女に、私の体は無意識に震えた。怖い。殺される。そう思えてしまったのだ。
……しかし幼かった時とは違う。私には今、魔力がある。それも数多くの者から吸い取った魔力に、あの少年の膨大な魔力もある。何も臆することはない。……そう自分に言い聞かせていた時だった。
『……ふざけるんじゃないよ、まったく』
どこからか……いや、私の頭に直接響くように声が聞こえた。
『私が認めたのはタクトだけだ。お前のような卑しい奴に使われてたまるかってんだ』
なんだ、なにが起きている? 誰なんだこの声は?
『お前に私の憎しみが耐えられるか、試してやろう』
謎の声がそう言った瞬間、私の体を光が包み込んだ。
紫色を放つ光は徐々にその輝きを増して、私の肌へと形の無い光がまるで触手のように纏わりついていく。
「がッ?!……あぁアッ……!!」
体が熱い……全身を火で炙られているみたいだ……それに、なんだこれは? 少女が食われて……村が……。
腕が痛い……腕だけじゃない、首も足も頭も万力で絞められているように、ギリギリと痛みが増していく。
「ぐッ……!! がぁああああああああああああッ!!!!」
私があまりの激痛に叫び声をあげた時、そこで意識がぷっつりと途絶えた。
* * *
「まさか……な」
ティルエルの体が紫色の光に包まれたかと思うと、叫び声と同時に光が弾けた。
そこにティルエルの姿は無く、代わりにいつか見た人物が宙に浮いて立っている。
床から数センチ浮いたその人物は、肌に張り付いたワンピースのような衣装を着て、その上から黒いローブを纏っている。
切れ長の目、整った顔立ち。燃えるように真っ赤な長い髪を靡かせている人物は、紛れもない奴だった。
アークフィランでの戦いでは、圧倒的な力に押されて成す術もなく、私は奴に敗北した。
「なぜ……貴様がここに……」
私の投げかけた言葉に、驚いた事にその人は反応を示した。
真っ赤な瞳で私を見据え、そして小さく口を動かすと――。
「……リーフィリア」
「なっ?!」
以前戦った時、こいつからは感情をまるで感じなかった。ただただ魔法を振りかざし、殺戮を行う人形のような存在だった。
それが今は――。
「お前とこうして話すのは初めてだな」
「なぜ、私の名を知っている……?」
「リーフィリア、お前のことはずっと見ていた。彼の中から」
彼? タクトの事を言っているのか?
「お前には、私の魔力がほかの者より多く受け継がれている」
「……何を言っている? 一体なんの話だッ?!」
彼女が視線を横に逸らした先、そこには横たわるタクトがいる。
得体の知れない彼女に身構えたが、その表情は悲しげで、何かを憂いているように見えた。
「……彼を救いたい。彼は……タクトはまだ救える」
「救え……え?」
予想外の言葉に戸惑っていると、視線を私に戻した彼女が真剣な目をして語りかけてきた。
「私は、憎しみの魔女レイラ。彼に力を与えたのは私だ。再び彼に、私を呼び戻してほしい」
こいつが、憎しみの魔女? でもタクトの話じゃ魔女は消えたんじゃ……。訳の分からないことが続き頭が混乱してくる。
一体何がどうなってる? こいつの言うことを信用していいのか? くそ……私はどうしたらいい……?
「時間がない。こうしている間にも、彼は苦しみ続けている」
「――ッ」
眠ったように横たわるタクト。彼を取り囲んで涙を流す仲間たち。
今、彼を救える方法があるのなら……それに縋るしかなかった。
仲間に迎え入れられた時、私は誓ったじゃないか。絶対に仲間は守ると。
私はこいつらに教えてもらったんだ、それが“仲間”ってものなんだと。
「……教えてくれ。タクトを救う方法を」




