56話 VSピンキー、ソフラン
「ソフランちゃん、あの二人を追って!!」
ピンキーの指示に従うのは癪に障るが、今はティルエル様のことも心配だ。ここは一旦、私だけでも退いて――。
「【木の精霊よ 我らを囲いて 道を閉ざせ】」
『深緑の魔女』がそう呟くと、地面が波打つ様に蠢いた。
なんだ? 地面の中で何かが……。
揺れはどんどんと大きくなり、ついには地面が割れた。そうして割れ目から姿を現したのは――巨大な木の根だった。
次々と地面を突き破って出てきた根は、私の退路を塞ぐようにぐるりと周囲を囲って壁になった。
……これではティルエル様の元へ行けない。
「――貴様らの相手は私たちだ」
「二人の元へは行かせませんよ」
深緑の魔女と読心術使いの魔術師が、静かに私たちを見据えていた。
* * *
「はあぁッ!!」
ピンキーが大きく宙へ跳ねると、私の頭上から真っ逆さまに長物が振り下ろされた。
三枚の刃が連なった武器。それ自体の重量も相まって、まともに受けたら腕が折れるだろう。だが――。
鈍い金属音が鳴り響いた。
鉄のように硬くなった私の髪は、どれだけ重たい一撃だろうが折れず、裂けることもない。
「――くッ!!」
「そんな大振りじゃあ、私には届かないぞ」
私が右腕を振り払うように動かせば、蔓状の髪も同じ動きをしてピンキーを振り払った。
そうして宙に弾かれたピンキーへ、私はすぐさま追い討ちをかけた。
「【二つの炎槍】!!」
渦を巻いた髪が絡み合い、やがて二本の槍へと変わる。槍は蒼い火の粉を撒き散らし、突き放たれた。
宙に浮いた状態でこれを避けるのは無理だろう。
「――ッフ!!」
ピンキーは短く息を吐き、器用にも浮いた体勢から体を捻るとわずかに槍の中心からそれた。だがその程度ならば問題なく貫ける――はずだった。
槍の先端がその身に触れる間際、槍の軌道がさらにズレた。薄皮一枚。ギリギリのところで躱された。
(またか……)
そのまま体勢を立て直し地面に降り立ったピンキーが不敵な笑みを見せた。
「そんな攻撃では、私には届かないわよ?」
彼女の体には目を凝らしてやっと分かるぐらいの、薄い膜が張られていた。
これまで何度かの攻撃をして分かったが、あれは――魔法障壁だ。膜状の障壁によって攻撃をいなされてしまう。
それを張っているのは恐らく、あの金髪女――ソフランとかいう奴だろう。
普通ならば体の前方に、文字通り壁のように展開する、一時的な防御魔法のはずだ。
緻密な魔力コントロール……それを自身だけでなく、ピンキーにも常時纏わせ続けているのは、ソフランの魔力量が桁違いに多いのだと思わざるを得ない。
そこでふと気付いた――ソフランの姿が何処にもない。
まさか、また見えないところからッ!
「【凍てつく手】!!」
突然、カナタが詠唱を叫んだ。
杖から解き放たれた魔法は地面を凍らせ、氷柱を地面から生やしながら突き進む。
杖の先は、私に向けられていた。
「なッ……カナタッ!?」
「動かないでくださいッ!!」
私に向けて放たれた魔法は、その軌道を私の背後へと変えて突き進む。
「――ッ」
直後、背後から小さく舌打ちが聞こえた。
氷柱は手の形になって見えない何かを掴むような仕草をする。
「……逃しましたか」
なるほど。カナタには姿を消したソフランが分かるのか。
「私が見ている限り、その不意打ちは成功しないです」
「……本当に邪魔ね、あなた」
私の後方で姿を現したソフランが、憎らしげにカナタを睨みつけていた。
「その『姿を消す魔法』……魔法障壁の魔力濃度を変えて周囲の景色を映し出し、自身の音や匂いも遮断。そうしてあたかも消えたように見せる……違いますか?」
ソフランはカナタの問いに答えない。
反論しないあたり、カナタの言ったとおりなんだろう。
「あらあら、バレちゃったみたいよ? やるならそっちの子供からかしらね?」
「それを私がさせると思うか?」
ピンキーの標的がカナタに移るのを阻止する。
見たところ、こと戦闘においてはソフランよりもピンキーのほうが長けていそうだ。
身のこなし方や反撃を恐れないメンタル、武器の扱い。その全てが並の冒険者よりも格段に上手だ。カナタでは荷が重いだろう。
こいつの相手は私がしたほうがいいな。
それにピンキーには人を操る催眠魔法がある。複数人を相手にするならなおさら、私の方が適任だ。
「お得意の催眠魔法はどうした? 数で寄ってたかって来てもいいんだぞ?」
「使わなくたって、今にその自慢の髪を切り落としてあげるわ」
「――いいえ使わないんじゃなく、使えないんですよね」
カナタの言った言葉で、ピンキーの眉がわずかに動いた。
「あなたの催眠魔法は男にしか効果が無い。ヴィーナスガーデン男は居ませんから、使えませんよね?」
「……勝手に人の心を読むのは、かなり性格悪いわよ。もっと世間の渡り方を知った方がいいんじゃない? お嬢ちゃん」
「これでも色んなことを見て見ぬふりしてきたので、忠告は結構です。おばさん」
あの温厚なカナタが煽り返すとは、ここまで怒っているのは珍しい。
しかし、今の言葉はピンキーの逆鱗に触れたらしい。ピンキーの余裕ぶっていた笑顔は引き攣り、本気の目に変わるのを見た。
そこからは時が止まったかのように誰も身動き一つしなかった。
ピンと張り詰める空気の中、動いていたのは揺らめく炎と炎にあてられた氷柱。
徐々に溶けていく氷柱だけが時を刻んでいた。
パキっという氷が砕けた音で、止まっていた時が動き出した。
離れていたピンキーとソフランが、カナタを挟み撃ちするように走り出す。
「させるかってんだよッ!!」
それぞれに向けて伸ばした蔓は、簡単に避けられてしまった。でもそれは予想どおりだ。
私はカナタの詠唱する時間を稼げればいいのだから。
「【風の精霊よ 大地を駆け、天を舞う風よ 今、その全てを飲み込み吹き荒れろ】」
カナタの得意魔法は風だ。そして、私の得意魔法は火。この二つの属性は相性が良いんだ。
カナタに合わせて私も詠唱を口ずさむ。
「【火の精霊よ 風を食らいて 舞い上がれ “我、深緑の魔女がその業火を赦そう”】」
なんだ? いま、口が勝手に――。
「お願いします! リーフィリアさんッ!」
……いや、考えるのは後だ。今はコイツらを倒す事だけ考えるんだ。
カナタと声を揃えて詠唱を叫ぶ。
それはかつて、私がカナタにやられた魔法。その威力は実体験済みだ。
「「【火炎竜巻】ォオ!!」」
カナタを中心に巻き上がる風が、私の炎を飲み込んでより激しさを増していく。竜巻は蒼く輝き、巨大な火柱となって夜空を照らした。
私が想像していたよりも規模が大きい。カナタの魔力が上がっているのか、それとも――。
「なッ!?」
「くッ……」
風に巻き上げられた二人が火柱を空高く登っていく。魔法障壁で炎や風は防げても、あの高さから落ちればひとたまりもないだろう。
「“私たちの邪魔をしない”と約束するなら、蔓を伸ばしてやってもいいが?」
「ふざけないでッ……誰がそんなことッ」
「ああそうかよ。じゃあ頑張って空を飛ぶ魔法でも覚えるんだな。落ちるまでの間に」
二人がこの国のどの建物よりも高く飛んだ時、火柱が弾け消えた。遠い空からふたつの影が落ちてくるのが見える。
手足をバタつかせてはいるが、周りに掴めるようなものなどない。
「ひっ……た、たすけッ!!」
「い、いやぁあああああああああああ!!」
泣き叫び、恐怖に怯えた二人の表情からはもう戦う意志は感じられなかった。
頭から真っ逆さまに落ちてきた二人は、地面との距離をほんの数センチだけ残して、ぴたりと止まった。
「ナイスキャッチだ。カナタ」
「……ま、仕返しはこのへんでいいですかね」
カナタの風魔法で宙に浮いた二人は、完全に気を失っていた。ふわりと地面に寝かせられると、二人の腰のあたりから水溜りが広がっていく。
「心から『死にたく無い』と言われては、流石にほっとけないですね。まぁ、大人の女性が泣いて失禁する姿も見れたので良しとしましょう」
優しいような、優しくないような……。
しかし目の前で死なれてはこっちの寝覚めも悪いし、結果的にはこれで良かったのかもしれない。
……ただ、カナタの前では素直でいよう。そう心に誓った。
「さあ、リオンたちを追いかけましょう」
「あ、ああ……」
城砦へ向けて歩みを進める中、一つだけ気がかりなことがあった。
さっきの詠唱……私が唱えようとしたものとは少し違っていた。アレは一体なんだったのだろうか。