55話 ティルエルの記憶(2)
治癒術師のお婆さんが言うには、母は『魔力の枯渇』を起こして気を失っているらしい。
「お嬢ちゃん。ちょっとこの水晶玉を持ってみなさい」
「う、うん」
今度は落とさないように慎重に水晶玉を受け取った。両の手が水晶に触れた瞬間、そこには水に落とした絵の具の様に、ぶわっと赤い色が広がった。
透明だった水晶玉が、瞬く間に赤色に染まったのだ。
「――え? この前は何も変わらなかったのに……」
「やはり……どういうわけだか、お嬢ちゃんの中に魔力が現れているようだね。しかし……」
子供にしては色が濃く出過ぎていると、呟きながらお婆さんは水晶玉に手を伸ばした。
返そうとしたその時、私の手がお婆さんの手に触れた。
突如として、赤一色だった水晶玉に今度は黄色が湧き上がった。
「こ、これは――ッ?」
黄色は徐々に赤色と混ざり合い、水晶玉は橙色へと変わった。
私には何が起きたのかさっぱりと分からなかったが、お婆さんは目を見開き、驚愕している。
「私の色が……お嬢ちゃん、アンタはもしかすると……」
この時、ようやく私は自分の持つ力を知った。
私の手には“人の魔力を奪い、吸い取る力”があるのだと。
魔力を分け与えることは誰にでもできる。しかし、強制的に誰かから魔力を奪うことは、誰にも出来ないことだとお婆さんは言った。
それは相手の尊厳を、生命を奪うことにも繋がる力。
魔法を使えば、その分だけ魔力を消費する。私には魔力を奪うことは出来ても、生み出すことが出来ない。私にとって魔力とは有限な物だった。
だから――誰かから魔力を吸い続ける事で、私は女である価値を取り戻せた。
私に魔力を全て吸い尽くされた母は、脳に後遺症が残り、目を覚ますことは無かった。
父を殺し、母も失くした私は、町の人たちからは“呪われた子”だの、“魔女”だのと呼ばれて、蔑まされた。
「魔法が使えても、なんにも良いことなんてないじゃない……」
私は生まれ育った町を見下ろす。
山から見る町はとても小さくて、こんな物のために……虚しさだけが胸に募った。
後になってようやく、自分の父と母は政略結婚だったのだと知った。
この町を守る為に、生まれる子供……つまりは私を『新しい町長』にする事が条件だったのだと。
魔力の無い者に町長たる資格はない。だから父にとって、私は『価値がなかった』のだと。
私の脳裏には、私の首を絞めていた時の、父の悲観と狂気に満ちた表情が焼き付けられていた。
それは私に“男は醜悪な者”という、トラウマを植え付けた。
この世に魔法があるから、母のように利用される人が生まれてしまう。
男のいない、女だけの世界ならば、そんな魔法に振り回されずに済む。
「お母さん……私、男のいない場所を作るよ。安心して暮らせる、誰も利用されることのない、楽園を」
十歳になった頃、寝たきりとなった母を残して、私は町を出た。
安心できる場所があれば、きっと母は目覚めてくれる。そんな気がしたから。
* * *
「さあ……もっと、もっとよ。その魔力が無くなるまで吸い尽くしてあげるわ」
「……はな、せ……!!」
これは本当にまずい。もう手足の感覚がほとんど無い。
ズキンと脈打つ頭痛は、まるで『魔力枯渇』の危険信号を発しているようだった。
「男が、魔法を使うなんて、許されるべきではないのよッ!!」
「がっ……あぁ」
魔力を全て吸い尽くされれば、考えられることは一つ。
このままじゃ、本当に死――。
視界は徐々に狭まっていき、もうほとんど掠れて見えなくなった時だった。
突然、部屋の扉が弾け飛んだ。
俺に馬乗りになっていたティルエルが俺から手を離し、吹き飛んだ扉の方を睨みつけた。
「――ッ、あと少しだというのに……」
なんとか頭だけを動かして扉のほうを見ると、煙幕が上がる入り口に人影が見えた。
「……あなたが、女王ティルエルですか」
煙幕を切って部屋に入ってきたのは二人いた。
オレンジ色の髪を揺らし、片手に剣を携えたリオン。目尻を吊り上げ怒っているのが窺える。
隣には水色の髪を靡かせた槍使いユルナが、険しい表情で口を開いた。
「……可愛い男の子と遊ぶにしては、ちょっと過激すぎるんじゃないか?」
俺は二人の名を呼ぼうとしたが、喉が掠れて声にならなかった。そんな俺の様子を見て、より一層リオンの瞳に力が入ったように見えた。
「タクトを返して」
「それは出来ないわ」
ティルエルの無愛想な返答に合わせて、リオンが飛び上がった。
振りかぶった剣がオレンジ色に煌めくと、剣身を炎が包み込んだ。
「はぁぁッ!!」
一切の躊躇なく振り下ろされた剣にティルエルは怯む様子もなく、右手を前に突き出した。
剣身がティルエルの手に触れようかというところで、リオンの動きが止まる。
二人の間からギリギリといった金属音が鳴り響いた。
ティルエルの張った魔法障壁によって、リオンの剣撃が完全に受け止められていたのだ。
「服を着る時間くらい、くれてもいいんじゃない?」
「ふざけないで……ッ!!」
目を細めてニヤリと笑ったティルエルは、一度腕を引いて、勢いよく前に突き出す。
魔法障壁によって押し返されたリオンは、空中で体勢を立て直し元いた位置へと着地した。
「……なぜ、そこまでこの男に執着するのかしら。この男は危険因子よ。生かしておけば、この世界の均衡が崩れかねない存在なのよ」
「タクトが危険なわけない! 危険なのは、こんなことをしでかす女王のほうよ!!」
ティルエルは部屋の端まで移動すると、壁にかけられたローブを肌着も着けずに袖を通した。
「……分かっていないのね。男は醜悪な生き物よ。それが魔法を使えるようになったら、いったいどれだけの女性が不幸になるか……」
ティルエルは両の手のひらを、リオンとユルナそれぞれに向け、詠唱を口にした。
「【火の精霊よ 燃え盛る矢となりて 敵を射て】」
ゴウッと音をたてて右手に火が上がると、炎は矢を象り、リオンへと狙いを定める。そして――。
「【雷の精霊よ 蛇となり その者の喉を噛み切りたまえ】」
今度は左腕に巻きつくように稲光が走った。光が蛇の頭を象ると、ユルナに向けて牙を剥く。
「――ッ火と雷の同時詠唱!?」
ユルナが驚くのも無理はなかった。
体内で作られた魔力を火や水に変えるのに、違う属性が入ると魔力が乱れてしまう。
『一度の詠唱で唱えられる属性は一つ』。魔法の指南書にも書かれた常識を、ティルエルはいとも簡単に覆したのだ。
ティルエルは平然とした顔で詠唱を唱える。
「【炎の一矢】!!」
「【雷蛇の牙】!!」
両手から解き放たれた異なる魔法が、二人に向けて同時に襲いかかった。