53話 魔力ゼロ
「や、めろ……ッ!」
「まだ始めたばかりじゃない。男なら情けない声あげず、頑張りなさい」
「あ、あ……」
ティルエルの細く冷たい手が、俺の頬を撫でるたびにゾクッとして、体に力が入らなくなる。
今この部屋には俺とティルエルだけ。
逃げるなら今がチャンスだ。人に向けて使うのは気が引けるけど……やるしかない。
「……【反抗】ォ!!」
この詠唱で鎖が千切れ、ティルエルを吹き飛ばせる――はずだった。
「なんでッ……発動しない?!」
ベッドの傍に立つティルエルが、不敵な笑みを浮かべていた。さも俺がそうすると分かっていたようだ。
「……私が魔法対策をしないわけがないでしょう? その鎖には魔力を封じる加護をつけているわ」
わざとらしくそう告げた彼女は、ゆっくりとした動作で俺の頬、首、胸元へと手を滑らせる。
彼女の手から逃れようと身を捩るが、手足に繋がれた鎖がうるさく音を立てるだけだった。
その時、廊下へと続く部屋の扉がノックされた。
「……いいところなのに。誰?」
「――し、失礼しますッ! ティルエル様に急ぎご報告が……ッ!」
扉越しに話す衛兵と思わしき人物は、とても慌てた声色だった。
「正面入り口より、二名の冒険者が侵入! ティルエル様を探して暴れ回っております!」
「……まったく。ソフィは何をしているのかしらね。仕置きが必要かしら」
ティルエルが深くため息をつくと、俺の体から彼女の手が離れた。
『二人の冒険者』……おそらくはリオンたちの誰かだろう。
入国した時は三人の筈だが……あとの一人はどうしたのか。考えたくもないことが脳裏をよぎる。
「さっさと追い出しなさい。近衛兵ともあろう者がそんなことでは、安心して夜も寝れないわ」
「も、申し訳ありませんッ! すぐに排除致します!」
扉の向こうでバタバタと足音が遠ざかっていった。
「……待たせたわね。さ、続きをしましょう」
また、ティルエルの手が俺の眼前に迫ってくる。
彼女の手が頬に触れると、細い指先を筆のようにして俺の体をなぞっていく。
喉、鎖骨、胸、腹。順を追って撫でられた箇所から徐々に力が抜けていく。
「俺の、魔力が……」
「ああ……なんて膨大な魔力なの。吸っても吸ってもキリがないなんて……この小さな体に、どうしてこれほど大きな力が入っているのかしら……?」
どういうわけか彼女が俺の体に触れると、力が抜けて、体から魔力が無くなっていくのが分かった。
彼女の魔法か何かだろうが、分かったところでどうすることもできなかった。
既に俺の指先は痺れ始めていた。
「ふふふ。この吸われる感覚が癖になる子もいるのよ。絶頂を感じるのに似てるらしいわ。あ、お子様には理解できないかしら?」
まるで貧血でも起こしたように、視界が揺れ始めた。
だめだ……全然、力が入らない……。
ティルエルの笑い声が耳奥で残響する。
酷い睡魔に襲われたように視界が霞んでいく。そしてある時を境に、俺の視界はぐるんと暗転した。
* * *
「んんんんんん……」
「お腹から力が湧き上がるイメージよ。頑張って!」
「んんーーっ……ぷはぁ!」
ずっとお腹に力を込めていたら、いつの間にか息をすることを忘れていた。苦しくなって大きく深呼吸をする私を見て、母は小さく笑った。
私が五歳になった日から、毎日こうして母と練習をしている。なんのって? もちろん魔法の練習だ。
「いい? よく見ているのよ?」
母はそう言うと、手のひらを上に向けて広げてみせた。
「お腹から、胸を通って腕に……そして、手のひらに力が集まってくるのを感じて……ほっ!」
掛け声と共にボウッと手のひらに火が立った。
揺れる火がまるで宝石のように輝いていて、いくらでも見続けていられそうなほど、綺麗だった。
「わぁ……きれい……」
「ティルエルにもすぐ出来る様になるわ。それまでお母さんと練習ね」
「うん!」
「やぁ二人とも。練習は順調かい?」
部屋の外、廊下から顔を覗かせたのは父だった。
「お父さん!」
普段は忙しく仕事に出ていて、顔を見るのはじつに一週間ぶりだった。
思わず嬉しくなって駆け寄った私を、父は軽々と抱き上げてくれた。
「おしごとはおわったの?」
「いや、この後すぐに出かけるんだ」
「えー……」
やっと会えたというのに、またいなくなる父を不満に思って、私は膨れて見せた。
困ったように笑う父は、心なしか前に会った時より少し痩せたような気がした。
「次はどちらに?」
「……お義父さんのところだよ」
「そう……」
二人の顔に影ができた。
お義父さん……つまりは、私にとってのおじいさんだ。
おじいさんは隣町の長で、父はおじいさんに頭が上がらないらしい。なんでだろう?
「ごめんなさい。まだ魔法を使えないみたいで……」
「そうか……君が謝ることじゃないよ。今度、診療所で魔力適正を受けてみよう」
「そうね、もう他の子は使えるものね……」
母は遅くとも六歳までには魔力が作られるようになると言っていた。
そして、それが女に生まれた者の常識で、この世界の理なんだ、と父は頭を撫でてくれた。
私も早く、お母さんみたいに綺麗な魔法を使いたいな。
次の日、私は母に連れられて町の診療所へと向かうった。
そこで言われた一言が、私の人生を大きく変えることになったのだ。
* * *
「い、いま何と仰いましたか……?」
母の声は震えていた。
治癒術師のお婆さん眼鏡を外して私を見つめ直すと、さきほどと同じ言葉を口にする。
「この子は――魔力を持っていない」
「――え?」
お婆さんが机の上に置かれた水晶玉を手に取ると、私に持つように差し出した。
リンゴより少し小さいほどの水晶玉は、透き通っていて、手のひらが大きくなって映っている。
「魔力が少しでもあれば、この水晶には色が付く。だけれど、この子が持っても“無色”なんだよ。これは男が持つのと同じだ」
「そ、そんな……『女なのに魔法が使えない』……?」
「……信じられないと思うが水晶は嘘をつかない。この子に魔法は使えないよ。なにせ――魔力がゼロなんだからね」
パリンと何かが砕ける音がした。
足元を見ると持っていた水晶玉が手から滑り落ちて、粉々になっていた。
『何か方法がないのッ?! この子が魔法を使える方法は?!』
『魔力を分け与えることはできる。だが、それでは魔法が使えるとはいえない。残念だけれど――』
母とお婆さんの声が、まるで遠くにいるみたいにボヤけて聞こえる。
私は母との練習の日々を思い出していた。
今までの練習はなんだったの?
あの綺麗な魔法は、私にはできない?
お母さんはいつか使えるようになるって言ってたのに。
お父さんも、使えるのが常識って……。
「うっ……うぅ……」
どうしてだろう。涙が溢れて止まらない。
拭っても拭っても涙は流れ続けて、床にポタポタと水滴を散らしていく。
「ティルエル……」
母はそっと私を抱きしめてくれた。でもそれは逆効果だった。涙は止まるどころかさらに溢れ、今度は声も溢れた。
「うっ……うわぁぁあああああッ……!!」
世界の理から私一人、弾き出された気分だった。
女王ティルエルの過去