49話 女王
「はぁ、はぁ……これで全員……?」
「そのようだな……」
倒した町民たちを見て、思わず疲れのため息がでた。
襲ってきた町民たちを水魔法で捕縛したのち、ユルナの雷魔法で痺れさせたのだが、相手はただの町民。モンスターを倒すみたいに、力いっぱい魔法を放つことが出来なかったので、かなり手間取ってしまった。
びしょ濡れになって倒れる数十人の男たちを見て、『ごめんなさい』と心の中で謝っておく。
「早くタクトを追いかけなきゃッ!」
「ああそうだな。だが……おい、カナタ」
「はぁ……はぁ……んっ……」
見ると男たちと同じく、びしょ濡れになって地面に倒れたカナタが、息を荒げ身悶えていた。
「あぁ……こんな、か弱い女子の私に屈強な男たちが、我先にと手を伸ばしてきて……私も抵抗はしますが、やはりその筋肉質で力強い腕に屈服させられてしまうでしょう……そうなれば衣服も乱暴に破り捨てられて……はぁはぁ」
ああ……またか。
ゴンッとユルナの鉄拳が振り下ろされた。
「こんな時に持病発症すんなバカ!!」
「い、痛いのです……うら若き乙女の貞操の危機だったのですよ?! これが妄想……もとい想像せずにいられますか?!」
「頬赤くしながら何が危機だ! 妄想はいいから、さっさとタクトを追いかけるぞ!」
二人のやりとりでまた別のため息が出る。
……でも、おかげで焦っていた気持ちが少し落ち着いた。
冷静になったところで、ある疑問がふと浮かぶ。
なぜ、あの女は私たちに直接、催眠魔法をかけなかったんだろう、と。
わざわざこれだけの人数に魔法をかけるのは、相当な魔力を消費するはず。それに、私たちを操ってしまえば、これ以上追う事もできなくなるのに、なぜそうしなかった?
横たわる男たちの中で、すでに何人かが目を覚ましていた。
「いてて……あれ? 俺は一体何を……」
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。君は? これは何事だい?」
男の様子から、さきほど私たちに襲いかかって来た記憶が無いように思えた。
「ここにくる前に何をしていたか覚えていますか?」
「え? うーん……確か、買い出しに出ていて……そうだ、帰り道に綺麗な女の人に話しかけられたんだ。そうしたら急に眠くなって……」
「……その人が言っていることは本当のようです。どうやらそれからの記憶が無いみたいですね」
立ち上がったカナタがワンピースの裾を絞り、水を滴らせながら言った。
タクトも豹変して操られたことを考えると、何かしら魔法に種がありそうだ。
倒した町民たちに大きな怪我がない事を確認してから、私たちは馬車へと急いだ。
――しかし、止めていた馬車を目の前にして愕然とする。
「アイツめ……しっかり足を潰してきたか……」
馬車は、無惨にもその姿を木片へと変えていた。十中八九あの女の仕業だろう。これでは修理するのに時間がかかりそうだ。
「宿屋で新しい馬車を手配しよう!」
「すんなりあればいいけどな……」
ユルナの予想通りか、宿屋を聞いて回ったが、今日貸し出せる馬車は出払ってしまっているらしい。
なんでも宿屋の店主は口を揃えて、『金髪の女の人が来て全て借りていった』という。
タイミング的に、敵の仕業だろう。
「明日の朝の便なら一つ空きがあります。一泊して待っていただければ……」
店主は申し訳なさそうに代替案を出してくれた。他の手を考えても、タクトに追いつけそうなものは思い浮かばなかった。
「まだ“リーフィリアの糸”は反応しています。居場所さえ分かっていれば、助け出せるチャンスはきっとあるはずです」
「そう、だね」
自分の手に視線を落とした。あの時、彼の手が離れていった感覚が……まだ残っている。
大切な何かが抜け落ちたような感覚が、私をより一層不安にさせた。
「タクト……」
* * *
あれから何日経ったのだろう。
リオンに握られた手の感触を思い出そうとするが、手は空を掴むばかりだ。
何日も馬車に揺られ食事を取った記憶はないのに、寝て起きたら腹は満たされている。意識が無くなる時は決まって甘い香りがした。
催眠をかけて食事を取らせるのは、万が一にも俺が逃げ出すことが出来ないように、ということだろう。
腕にキツく巻かれた縄を外そうと、反抗魔法を一度試してみたが、手に集まった魔力が溶けて消えていくような感覚がして、魔法は発動しなかった。
体を縛る縄に何か細工でもしているんだと気づいて、それ以上は抵抗することを諦めた。
真っ暗な視界の中、仲間たちの顔が浮かんでは消えていく。
ユルナ、カナタ、リーフィリア……リオン。
ゴトンと一度大きく馬車が揺れると、動きが止まった。目隠し越しで僅かに光が差し込むのが分かる。
「着いたわ。さあ行きましょう」
無理やり体を起こされ、足の縄だけが外されると、
後ろ手に縛られたまま体を押されて歩かされた。
ペタペタと冷たく均一な床の感触からすると、屋外ではなさそうだ。
行き先も、ここが何処なのかも分からないまま、歩かされていると急に立ち止まった。
背後からバタンと扉の閉まる音がした。
いよいよやばい雰囲気になってきたな……。どうにか逃げ出さないと……。
「ただいま戻りました」
俺の隣から、ソフランと名乗った女の声がする。微かに声が響いた感じからして、室内か?
「その子が、例の?」
「はい。魔術師タクトです」
一瞬、ざわめき立つ声が聞こえた。この場に複数人いるのか。ますます、逃げ出すことは難しそうに思える。
「目隠しを取って、その顔を見せて頂戴」
「かしこまりました」
グイッと頭を引っ張られ布が外された。明るさに目が怯んで全体がボヤけて見える。徐々に視点が定まってくると、そこは貴族が住まうような豪奢な部屋だった。
目の前、部屋の中央に設置された天蓋付きのベッドは、大人が五人は寝そべれそうな大きさをしている。
薄いベールが垂れ下がるベッドに、何人かの人影が見えた。
ベール越しで分かるのは、その人たちがおそらく衣服を身に着けていないということ。
ボヤけて見える肌色と女性特有の凹凸のある身体の線に、艶かしさを感じる。
俺の両隣にはピンキーと、初めて素顔を見せたソフランが立っていた。
短い金色の髪。眼鏡の奥には金色の目を光らせている。リーフィリアとそう歳は変わらないように思える。
「ちゃんと依頼をこなしたソフランとピンキーには、後で報酬をあげましょう」
「――ッ有難うございます」
両隣で俺を抑える二人が、深々と頭を下げた。
ソフランは頬を緩ませて喜びに満ちた顔をしている。
二人の謙った様子から、この人が時折二人の会話に出てきていた『あの人』なのは間違いないだろう。
視線をベッドに戻すと、ベールの隙間から覗かせる紫色の瞳と目が合った。
「……さて、魔術師タクトと言いましたか」
「一体俺を拐って何しようってんだよ! なんなんだお前たちは!」
俺が吠えた瞬間、隣にいたソフランの手が俺の口元を覆った。
ギリギリと手に力が込められ、俺の顔を握りつぶそうとしてくる。
ベールの奥にいる人物が、ふっと呆れたように笑ったのが聞こえた。
「……子供とはいえ、やはり男は礼儀の欠片も無い野蛮な生き物ですね」
「ぐっ……いきなり連れてきて……な、にが礼儀……だッ」
「ああ、それもそうですね。ソフィ離してあげなさい」
乱暴に突き放された両頬には、ジンジンとした痛みが残っていて、少し血の味がした。
ベッドから立ち上がり、一枚の布を身に纏ったその人は、ゆっくりとベールを分けて出てくる。
雪のように白い肌。まるで宝石のアメジストのように深い紫色の瞳。ウェーブがかった長い髪を後ろに払って、その人はまっすぐ俺を見つめた。
「私はこの国の女王をしています。ティルエルです」
「じょ、女王……?」
俺の力を狙って拉致までするような奴は、盗賊や荒くれ者だろうと勝手に考えていた。
それがまさか、女王ともあろう人が拉致を……?
『男なのに魔法が使える』という事実が、俺の想像を遥かに超えて世界に影響を与えるものなのだと、この時理解したのだ。




