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46話 魅惑 誘惑 幻惑

「タクト……こっちへきて……」


 誰かが俺を呼んでいる。

 ここは……辺り一面真っ白なところだ。まるで雲の中にでもいるように、ふわふわとした感覚がある。


「タクト……こっちよ」


 声がするほうへ顔を向けると、女の人が呼び寄せるように手招きをしていた。霧がかかったようにボヤけて見えにくいが、桃色の髪をした裸の女の人だ。

 その表情は笑っているようにも見える。


「あなたは……?」

「さぁ、おいで」


 女の人が両手を広げると、俺の意思とは関係なく体が引き寄せられる。

 誰かも知らない人に抱きしめられると、豊かな膨らみが顔に当たり、全身が柔らかな肌に包まれる。


 どうしてだろう。すごく、安心する……。


 抵抗する気も起きず、ただただずっと、こうしていたい。

 目を閉じると頭を優しく撫でられ、夢なのにまた眠くなってきた……。


『……人の家に勝手に上がり込んで、何してるんだい』

「――え?」


 突然聞こえた声でハッとした。

 直後、真っ白だった空間に黒い雲が現れて、空間を染めていく。

 黒い雲はすぐに空間を埋め尽くして、辺りは真っ暗闇になった。


 なんだ? いったい何が……。


「――うぉっ?!」


 ぐんっと何かに体を引っ張られ、女の人から引き剥がされた。


 女の人が見えなくなるぐらい遠くなった時、トンと背中に何かが触れた。

 振り返ろうとすると体が急に重たくなり、床とも地面とも言えない場所に尻から落ちた。


「痛ッ……くない?」


 ドスンという衝撃はあったのに、まったく痛みがない。不思議な感覚だ。


「――まったく……あんなもんに心許すんじゃないよ」


 このしゃがれ声、もしかして――。


 振り返った先、俺の真後ろに憎しみの魔女が、杖をついて立っていた。

 俺を見下ろす婆さんは、「はぁ」と短くため息をつく。


「婆さん!?」

「面倒なことになる前に、さっさと目を覚ましな」

「え? どういうこと?」


 なんで婆さんがいるんだ? これは夢じゃ無いのか?

 面倒なことって……もしかして、また魔力暴走してるとか?!

 慌てていると、コツンと頭に杖が振り下ろされた。やはり痛みは感じない。


「起きたら分かるさね」


 そう言って、今度は俺の目の前に杖を突きつける。

 杖がほんのりと光ったかと思うと、次の瞬間には視界を埋め尽くすほど強く光り輝いた。


「またこの光かよ!! 少しは説明してくれよ婆さんッ!!」


 俺の言葉に返事はなかった。

 

* * *


「――ん……?」


 風が髪の間を通る感覚と、少しの肌寒さを感じる。

 部屋の窓は閉めていたような気がするが、このままでは風邪を引いてしまいそうだ。


 窓の確認をして寝直そう。重たい(まぶた)擦り目を開けると、視界に広がるのは部屋の天井――ではなかった。


 あ、あれ?


 左右には灯りの消えた店が立ち並び、綺麗に整えられた石造りの道が真っ直ぐに続いている。

 寝た時の格好のまま、俺はアークフィランの街中に立っていたのだ。


 え? なんで外に? 部屋で寝てたはず….…だよな。


 靴も履いてないし……もしかしてこれが夢遊病ってやつか?

 レイラ婆さんは『起きたら分かる』って言ってたけど、どういう状況なんだ、これは。


 辺りを見回すと、どうやらアークフィランの外へと通じる門の前。真っ暗で人気(ひとけ)のないことから、まだ深夜なのだろうということは分かる。


「あらら、なんで起きちゃったのかしら」


 声がしたのは前方に見える門の方向。

 月明かりが門に影を落とし、より深く、暗くなっている。


 暗闇からはコツコツという足音が徐々に近づいて聞こえていた。

 そうしてゆっくりと月明かりに照らされて現れたのは、一人の女の人だった。この人には見覚えがある。


「また、会えたわね。タクトくん」

「昼間の……お姉さん?」


 これだけ綺麗な人を見違えるはずはない。

 桃色の髪を揺らし……なんというか、露出が多い格好をしたお姉さん。

 口元に手を当てて、色っぽく微笑む姿に少しドキッとする。


「自己紹介がまだだったわね。私はピンキー。仲良くしましょ?」


 彼女に見惚れていたせいで気づくのが遅れた。

 ピンキーの足元、淡い桃色の光を放つ詠唱紋が浮き上がっている。


「――魔法ッ?!」

「【花の精霊よ 誘いの(こう) (まど)いて彼を虜にしなさい】」


 紡がれた詠唱によって、周辺を漂う光の粒子が花弁(はなびら)へと変わっていく。

 風も吹いていないのに花弁は空中で渦を巻いて、俺を取り囲むように飛び回り始めた。


 乱れ飛ぶ花弁の隙間から、ピンキーのにやりと笑う顔が見えてゾッとする。この人は、何かおかしい。


 まずい……ッ俺も詠唱を――。


「【花の誘惑(スリーピングフラワー)】」


 ピンキーが最後の詠唱を唱えると、甘い香りが鼻をついた。


「ぁ……ぁ……」


 俺が唱えようとした詠唱は声にならず、口だけがぱくぱくと動く。


 あれ、声が……それに、なんだか眠……く……。


 全身が重たくなり、足に力が入らない。

 倒れそうになるのを必死に堪えたが、どんどんと力が抜けていく。


 これはまじで、やば……い……。


「【二つの炎槍ツヴァイフレイムスピア】!」


 ブワッという熱と風が俺の横を通り過ぎた。

 周囲を舞っていた花弁(はなびら)に火が点くと、パラパラと燃え落ちていく。

 花弁が消えたおかげか、先程までの眠気は無くなって、手足にも力が入るようになっていた。


 横を見ると二本の槍が背後から突き出されていた。

 深緑の色をした槍は、しなやかな動きをして後ろに引っ込んでいく。


 この魔法を使える人物は、一人しかいない。

 振り返った先、道の中心を歩くその人は、真っ赤な炎に照らされていた。


「……こんな時間に何をしている。タクト」

「リーフィリアッ!」


 燃え広がる炎と一緒に、空へ向けて髪を大きく揺らすその姿から、彼女がかなり怒っているのだと分かった。

 俺の隣に立ったリーフィリアは、鋭い目つきでピンキーをガンと睨みつける。


「エロい女に惑わされると、ロクな事にならないぞ」

「ふふ。それは褒め言葉かしら?」

「黙れクソビッチ。貴様、タクトに何をしようとした?」


 既にリーフィリアは臨戦態勢だ。

 怒気を含んだ言葉に、自分が言われているわけではないのに緊張して口が乾く。

 しかし、そんなリーフィリアの言葉を受けても、ピンキーは涼しげな顔をしていた。

 

「あらあら……酷い言い方ね。私はタクトくんに用があるだけ。深緑の魔女さんには関係のないことよ」


 その言葉ではっきりと分かった。

 この人は――敵だ。ただ、俺を狙う理由が分からない。

 街にかかった敵視(ヘイト)魔法は解いているし、この人に会ったのは今日が初めてだ。狙われる理由があるとすれば、あとは――。


「――俺の魔法が狙い、か?」

「さぁてね……それはどうかしら」

「タクトは下がっていろ。こんな怪しい奴、縛り上げて……ッ!?」


 突然、苦しそうな声を上げたリーフィリアが、地面に手を付いた。


「リーフィリア?」

「なん……だ、これは……?」


 彼女が手を動かした先、リーフィリアの背中に突起物があった。

 それは果物などを切る小さめのナイフ。その刃先が腰のやや上あたりに深く突き刺さっている。

 羽織っていたローブがじんわりと赤色で(にじ)んでいくと、ぽたぽたと滴り落ちた。


「ぐあッ!!」


 一際大きく叫んだリーフィリアが、足を押さえて倒れ込んだ。

 見ると彼女の左足、太ももにも小さなナイフが突き刺さっている。


 どういうことだ?! 何もないところからナイフが――。


 ピンキーへ目を向けるも、彼女は先程から動いた様子はない。ただ、その口角をわずかに上げて嘲笑(あざわら)うかのように俺たちを見ている。


「ぐッ?!」


 突然、首を押さえつけられる感覚がした。

 体が持ち上げられて地面から足が浮く。

 息苦しさに喉元へ手を伸ばすと、指先が何かに触れる。

 これは、人の腕?


「……動かず、大人しくなさい。さもないと、()()()()()()


 耳元でささやく声。と見えない腕。これは、魔法なのか?

 敵は一人じゃないのかッ

 

「さすがねソフラン。できれば乱入される前に止めて欲しかったけど」

「ふん。いいから、さっさと催眠をかけなさい」


 ピンキーは誰かと会話をしている。やっぱり、()()()()()()がここにいるんだ。


 振り解こうと、見えない腕を掴んで力を入れるが、ぐっとさらに首を絞められた。


「『動くな』といったのよ。それともこの女を殺したいの?」


 横を見るとリーフィリアが苦悶の表情を浮かべている。


「た、タクト……」

「冒険者ランクAが聞いて呆れるわね。黙ってそこで倒れてなさい」


 再び俺の周囲を花弁(はなびら)が舞い始める。甘い香りを嗅ぐと、徐々に全身から力が抜けていった。

 目の前には淡い桃色の霧がかかり、瞼もだんだん重たくなってくる。


 くそ……リーフィリアを……助け……ない……と。


 そこで瞼の重さが限界になり、俺はそのまま意識を失った。


* * *


「くそ……くそ……クソがぁ……!」


 自分の不甲斐無さに腹が立つ。

 目の前で守るべき仲間が連れ去られていくのを、私はなす術もなく地面に付して見ていた。


 意識を失ったタクトは、宙に浮いて桃色髪の女と共に街を出ていった。門から遠ざかり、姿が見えなくなる最後の瞬間、一瞬だけもう一人の女がタクトを抱えていたのを見た。


 恐らくは姿を消す魔法か何かで、私に近寄りナイフを刺したのだろう。しかし、足音も気配も感じなかった。


「タクトォ……待っていろよ……すぐ、に……」


 体に力が入らない。手足は痺れ、目の前が霞んで意識が朦朧(もうろう)としてくる。


 立ち上がることも出来ない自分が悔しくて、情けない。


 意識を失う寸前。脳裏を過ったのは仲間の三人の顔だった。

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