45話 再出発《リスタート》
季節は夏。ますます日差しも強くなって、外を歩いているとジリジリと肌が焼けるような暑さ。
蝉の鳴き声がそこら中からしている街を、俺は手を取られて歩いている。
「リオン、もう少しゆっくり……!」
魔力暴走から一ヶ月が経ち、反動でボロボロになった体がやっと動くようになった。
治癒魔法といっても何でも治せるわけじゃないと、治癒術師のお姉さんは言っていた。
本人の気力と体力を増強させて、本来の自然治癒力を高速化するものらしい。
自分の魔力で身を焼き(例えでは無い)、全身に酷い怪我を負った俺は、少しずつしか回復出来なかったのだ。
もう、あれだけ大勢に敵視魔法を使うのはやめよう。そう、心に誓った。
空を見上げると痛いぐらいの日差しが照らしている。寝たきり&引きこもりだった俺には、今日の天気は少々厳しい。
「ほらほら! 早くいくよー!」
オレンジ色の髪を揺らし、俺の手を引くのはリオンだ。太陽の日が当たると、その髪が透き通った飴菓子のようにも見える。
「治ったんなら、さっそくタクトの故郷に行かないとね! 善は急げだよ!」
「それはそうだけどさ……」
リオンは今まで以上に、俺の世話を焼くようになった。
本人は言わないが、カナタの読心術によると『無意識とはいえ、タクトを攻撃してしまった』という罪悪感を感じているようだ。
そんなこと、気にする必要ないのに。
もつれそうになる足を必死に動かしていると、急に立ち止まったリオンの背にぶつかってしまった。
「どうしたんだリオン――?」
不思議に思い顔を上げると、リオンの前には背の高い女性が立っていて、俺たちを見下ろしていた。
女性にしては高い身長、さらに高めのヒールも履いて一八〇センチはありそうだ。
艶のある桃色の髪を後ろで一纏めにし、頭の高い位置から尻尾のように垂れ下がっている。
「元気なのはいいけど、ちゃんと前を見て歩かないと危ないよ?」
「ご、ごめんなさい」
短い言葉なのに妙に色っぽく、不思議な魅力がある声。胸元は大きく開いて、かなり露出が多い服装だった。
ぶつかりそうになったことをリオンが謝っているが、俺はこの女性から目が離せなくなっていた。
「ん? もしかして君……タクトくん?」
急に名前を呼ばれてはっとする。女性はどうやら俺を知っているようだ。
どこかで会ったか? と思案するが思い浮かばない。もし知り合いにこれほど綺麗な女性がいれば、忘れるはずがないだろう。
「あの、どこかでお会いしましたっけ?」
「ああ! ごめんなさい。こちらが一方的に知っているだけよ」
そういって女性は小さな肩掛けカバンから、丸められた一枚の紙を取り出した。
紙はどうやら新聞のようで、こちらに向けると見出しには『号外』と題打たれている。
「今やあなたのことを知らない人はいないんじゃないかしら? 魔術師さん」
「『号外 男の魔術師現る』……ってこれ写真まで?!」
そこにはゴーレムに魔法を放つ瞬間や、宮殿前でリオン達と戦う俺の姿が写っていた。
一体いつの間に、写真を撮られたんだ……。これだけハッキリと顔まで載ってたら、そりゃあ人も集まってくるよな。
「色々な人から声を掛けられて大変だと思うけど、頑張ってね」
こうして話している今も、道を行き交う人たちから視線を向けられている。それに気づいて言ってくれているのだろう。
「ははは……そうですね。ありがとうございます」
最近は、好奇の目を向けられる事にも慣れてきてしまった。
この人は他の人と違って、がっついて聞いてくる感じはないな。
そう思ったら少しだけ肩の力が抜けた。
「それじゃあね」と言ってお姉さんが去ろうとするとき、すれ違いざまに、頬と頬が当たりそうなぐらい顔を近づけてきた。
「……また会えたら、魔法見せてね」
「ふぇ?! は、はい……」
クスッと小さく笑って、お姉さんは街に消えていく。
……綺麗な人だったなぁ。なんかちょっといい匂いもしたし……。
「――いででででッ?!」
突然、握られていた左手に痛みが走った。
見ると、リオンが何故か不機嫌さMAXで、俺の手を握り潰そうとしている。
「な、なにするんだよ!!」
「なんでもありませーん。ちょっと手が滑っただけですー」
手が滑って握り潰そうとするか? 言葉の使い方を間違っている気がするぞ。
リオンは唇を尖らせて、俺からプイッと顔を背けると足早に歩き始めた。
何か怒るようなことしたっけ?
引っ張られながらその理由を考えたが、思い当たる事はない。
目的地に着いてもリオンは不機嫌なままで、理由を聞いても「知らない」と言って答えてくれなかった。
うーん……これが親父の言っていた「察して攻撃」なんだろうか。
今ならなんとなく親父の気持ちが分かる……女の子って難しい。
* * *
カランとコップの中で氷が揺れた。
燦々と太陽の熱が降り注ぐ屋外を、冷房の効いた室内からアイスコーヒーを片手に眺める。
道ゆく人は皆、太陽に肌を焼かれ汗を拭っては、茹だる暑さに苦悶の表情を浮かべている。
こんな天気の良い日に出歩くなんて、馬鹿みたい。
カランと、今度は店の入り口に付けられたベルが鳴った。
店内に入ってきた人物の、コツコツという足音が私に近づいてくる。
「お待たせ」
そう言って向かい側に座る人は私の仕事仲間だ。
桃色の髪をなびかせ、大人の色気を出し惜しむ事なく撒き散らす女。この人とはあまり馬が合わないが、仕事の為だと割り切っている。
「……その様子、上手くやれたと思っていいのかしら」
「まぁねぇ。あ、お兄さんカフェモカひとつ頂ける?」
私の質問を片手間のように受け流し、店員に注文をする。
店員はしばし見惚れたあと、慌てて厨房に戻っていった。その恵まれた容姿と露出の多い服装から、すぐに男の視線を集めてしまう。
彼女の良いところであり、私の嫌いなところだ。
「……相変わらず下品ね」
「なぁにぃ? 嫉妬?」
腕を組んで胸を強調する仕草は、私へのあてつけか?
あの方も、何故こんな女を特別扱いしているのか、まったく理解できない。
「男の注目を集めても、ただ気持ち悪いだけよ。考えただけで虫唾が走るわ」
「その意見には同感だけど、色々便利なこともあるのよ?」
店員が頬を赤らめてカフェモカを持ってきた。終始その視線は彼女の胸元に注がれている。
コップがテーブルに置かれるタイミングで私は席を立つ。これ以上側にいても気分が害されるだけだ。
「あら、もう行っちゃうの?」
「用事は済んだわ。さっそく今夜、頼んだわよピンキー」
「……まったく連れないんだから」
ピンキーはまだ話し足りないといった顔をしていたが、仕事以外まで付き合うつもりはない。
自分の飲み物代だけをぴったり揃えて置いて、その場を去ろうとすると、呼び止める声がした。
「ああそうだ、どうやら面倒な奴が仲間にいるみたいよ」
「……面倒?」
振り返ると、彼女はピラピラと一枚の紙を振っている。どうやら新聞の切り抜き写真のようだ。
写真には魔法を放つ少年と、一人の女性が写されていた。
「冒険者ランクAの通称『深緑の魔女』。やたらとタクトくんにご執心みたいよ」
「……分かった。こちらでどうにかするわ」
「気をつけてねぇ、ソフィちゃん」
「――ッ! その名前で呼んでいいのはあの方だけよ。次に言ったらいくら貴女でも――」
「ふふ、ごめんなさい。もう言わないわ」
上辺だけの謝罪に、文句を言うのも馬鹿馬鹿しくなった。
やっぱり私は彼女が嫌いだ。さっさと出よう。
店の外は多くの声と足音、セミの鳴き声で溢れかえっていた。
この世界は、うるさすぎる。
これ以上、気分が悪くならない内に全ての感覚を閉ざそう。
あの方の声以外は、全て雑音だ。
魔法障壁を体から一センチの範囲で全身に纏うと、その瞬間から暑さも音も匂いも、全てが消えた。
自分の息づかいさえも聞こえない、完全な無の世界。
世界から私という存在が、切り離され隔離されたような世界。
私は、無だ。
* * *
「明日はいよいよ出発だね!」
昼の不機嫌さはどこへやら、目を輝かせたリオンが楽しそうに荷造りをしている。
ユノウとも話し合った結果、俺たちは明日の朝、俺の故郷に行く事になったのだ。
これでやっと、村にかかった敵視魔法を解くことができる。
魔術師になった今の俺を見て、親父や母さんは何て言うんだろうか。ちょっと反応が楽しみだ。
「タクトの故郷か……ご両親にしっかり挨拶をしないと……」
「『息子さんを私に下さい』なんてベタベタなセリフはやめてくださいね」
「あ、こら! 人の心を読むな!」
「今のは読んでません。読まなくても分かります」
まるで遠足前夜の子供みたいに、皆はしゃいでいる。
こいつらのやりとりを見てると、やっと日常が帰ってきたって気がして、なんだか落ち着く。
ふと時計を見ると、針は夜の十時を差していた。
寝るには少し早いけど、明日は五時起きだ。たまには早く寝て明日に備えるのもいいだろう。
……それに、遠足でワクワクドキドキするのはお子様がすることだ。俺は魔術師――そう、もう立派な冒険者なのだ。
つまりは、大人の仲間入りをしたと言っても間違いではない。
ここは一つ、余裕のあるセリフでも言っておこう。
「じゃあ、俺は先に寝るよ。みんなもほどほどに」
「寝坊しちゃダメだよ?」
「寝坊するなよ」
「寝坊したら置いていきますからね」
こ、こいつら……子供扱いしやがって!
「誰よりも早く起きてやるからなッ!!」
自室のベッドに横たわると、すぐに眠気がやってきた。
ふふん。ワクワクして眠れない、なんてことはもうないのだ。絶対に早起きして見返してやる。
あ、そうだ……旅の途中でおじさんとおばさんにも会いたいな。きっと新聞を見てびっくりしてるだろうし。
腕に着けてた魔導具も無くなっちゃったから……また買わないと……フラワーケニーズにも顔を出そう……。
考えがだんだんと纏まらなくなってきて、目を開けていられなくなる。
やがて、俺の意識は深い微睡みの中へと落ちていった。
物語が動き出す




