39話 魔術師
敵意を露わにするワインズらを前にしても、ユノウは悠然とした態度を変えなかった。
ユノウの実力は分からないが、リンはお世辞にも強いとは言えない。
それに対してタクトの仲間たちは歴とした冒険者だ。この私を打ち負かしたこともある三人に、実質一対三の状況は、かなり不利だといえる。
「ユノウさんッ……ここは私が――」
立ち上がろうと地面についた手は、震えていて力が入らない。そんな私の様子を肩越しに見て、ユノウは「大丈夫」と微笑む。
「魔女に与する者共がッ! 貴様ら全員、断罪を受けるべきだッ!! 頼んだぞ冒険者!!」
ワインズの一言でリオンは剣を抜き、ユルナは槍を、カナタは杖を構えて前に出る。
聖女であるユノウに、何の躊躇もなく切先を向けた。
「悪く思わないで下さいね」
リオンが言うと同時に三人が地面を蹴る。
距離を詰めてくる三人に怯むことなく、リンが詠唱をしていた。
「【光の精霊よ 闇を掻き消し 輝きたまえ】」
両手を組み合わせて祈りを捧げる格好をすると、彼女の両手に黄色い光が纏う。
「【目眩し】!!」
前方に広げた両手の平から、強烈な光が拡散した。
眩しすぎる光は迫る三人を真っ白に染めて、姿が見えなくなるほど光り輝く。
「【光の精霊よ 慈愛の心で彼らを守りたまえ】」
続けて詠唱をしたのはユノウだ。リンと同じく祈りを捧げると、杖の先端をワインズらに向ける。
目眩しによって足を止めていた三人と、後方で顔を覆っていたワインズの周囲に光の粉が舞っていた。
「【恩寵の御手】」
粉はやがて巨大な手を形作り、そっと彼女たちを両手で包み隠す。
半透明な光の手は、中にいる三人の様子を窺うことが出来た。
「クソ! なんだこれは……出しやがれ!!」
中ではユルナが槍を振り回していたが、槍が光の手を破ることはなく、外に出れないようだった。
「本当は身を守る為の魔法なんですけどね。相手を包んでしまえば、このように捕縛することも出来るんですよ」
とても穏やかな笑みを浮かべているユノウだが、何故か少しだけスッキリした顔をしている。
これまで檻に入れられ、散々な目に合わされたユノウなりの仕返しなのだろうか。
「リンさん。貴女の魔力をお借りしても宜しいでしょうか?」
「は、はい!!」
ユノウが差し出した手をリンが握り返す。二人は手を取り合って目を瞑り、さらなる祈りを捧げる。
「【光の精霊よ 人の心に巣食う闇を祓いたまえ】」
二人の足元に詠唱紋が浮かび上がると、その周囲を取り巻くように光の粉が舞い始める。
次第に濃さを増し今度は遥か上空、街全体を見下ろすかのような超巨大な詠唱紋が浮かんでいた。
かつて、これほどまで大きな詠唱紋は見たことがない。
神秘的で、ある種の恐怖すら覚える光景だった。
「これが……光魔法……」
「【我ら神に仕える者 世界の平穏を願う者 神に祈りを捧げます】」
それは、タクトがユノウに懇願していた魔法。人々にかかった敵視魔法を取り払う魔法だ。
ついに、聖女の口から最後の詠唱が紡がれる。
【浄化】
ユノウの一言で、アークフィラン全体に強烈な光が降り注いだ。
ものの数秒で目の前が真っ白に染め上げられ、街は純白の光に飲み込まれたのだった。
* * *
心地の良い風が前髪を撫でた。
揺れるようなまどろみから目を覚まし、瞼を開けると、よく見た天井が広がっている。
「ここは……」
顔を横に向けると多くの本が並んだ書棚がある。掛けられた毛布からは嗅ぎ慣れた自分の香りがして、ここがレンタルハウスの自室だと気づいた。
ゴーレムを倒して街を追い出されたあの日から、実に一ヶ月以上もこのベッドで寝ていないことに、どこか懐かしさすら感じる。
しかし、俺の頭にはすぐに疑問が浮かんだ。
俺はどうなったんだ?
夢でレイラと会って、魔法を使って――そこからの記憶がスッパリと抜け落ちている。
軋むベッドから足を下ろすと全身に痛みが走った。
ひどい筋肉痛のような痛みだ。視線を体へと移すと、寝間着を着ている事に気が付いた。誰かが看病してくれていたのか?
リビングへと通じる扉の向こうから、微かに話し声が聞こえる。
痛む体を引きずって扉を開けると、話し声が止んだ。カーテンが掛けられた自室と違って、リビングには陽の光が差し込んでいる。
逆光に目を細めながら視線を動かすと、ぼんやりとした視界で四人の影が見えた。
「……タクト」
聞き覚えのある声だ。影の一人が立ち上がり、俺に近づいてくる。
無言のまま俺の前に立った人物は、突然俺を抱きしめてきた。
「なん……えっ?」
柔らかな感触に包まれ、オレンジ色の髪が鼻先に触れる。痛む体を忘れるほど、良い香りがした。
それは女子特有の甘ったるく、それでいて嫌な気持ちにはならない不思議な香り。俺の肩に顔を埋める人物からすすり泣く声が聞こえた。
「うっ……ぐす……」
この声と髪色には覚えがある。いつも元気に振る舞うが、誰よりも泣き虫で心優しい女の子だ。
「……リオン?」
顔を上げたリオンは、溢れる涙を拭うこともせず頬と鼻先を赤くしている。
潤んだ瞳はまっすぐに俺を見つめて、嬉しそうに微笑んだ。
「おはよう、タクト」
「――ッ」
その顔には敵意なんて無い。ただただ優しく微笑むリオンを見て、俺は目頭が熱くなるのを感じる。
俺が取り戻したかったいつものリオンが今、目の前にいる。
足に力が入らなくなって床に膝を着くと、二人の影も駆け寄ってきた。
「タクトッ!!」
左側から俺とリオンを抱きしめるユルナ。右側からも同じくカナタが、俺を支えるように身を寄せていた。
「ユルナ……カナタ……?」
「なんだか、久しぶりな感じがするな……」
「ええ、本当に……そうですね……」
二人の頬にも涙がとめどなく伝っていた。
リオンの背後からもう一人、長い髪を揺らして近づいてくる人物がいる。
光に照らされた深緑の髪は、まるで宝石のエメラルドのような美しさを放っていた。
「――ったく、いつまで寝てんだ。心配させやがって」
「リーフィリア……? これって」
前髪を掻き分け、悪戯っぽく笑うリーフィリア。彼女もまた、泣くのを堪えているようだった。
「街にかかった敵視魔法は解けたよ。コイツらにかかった魔法ももちろん消えた」
俺の期待を裏切らない言葉を聞いて、涙が溢れて止まらなくなった。
魔法が解けたら皆に謝ろうと思っていたのに、息が苦しくて声が出ない。
嗚咽を漏らす俺を、三人は強く抱きしめてくれた。それがまた胸を苦しくする。でもこの苦しさは嫌では無い。
「ぐぅ……うっ……ぅぅ……ッ!!」
その時、リビングの扉が開けられた。入ってきたのは聖女ユノウとギルド長のワインズだ。
二人は俺たちの様子をみて顔を明るくする。
「タクトさん! お目覚めになられたのですね!」
ワインズも、今は穏やかで優しい目をしている。彼を見て本当に魔法が解けたんだと実感できた。
唐突に彼は腰を直角に折り、俺に向かって深々と頭を下げる。
「タクト君……本当に申し訳ないッ!!」
「――??」
「ゴーレムを倒しアークフィランを救ってくれた君を、魔法に掛かっていたとはいえ、酷いことをした事、許して欲しいッ」
「そんな……アレは俺の魔法が原因で……」
「それでもだッ! 冒険者ギルドを預かる身ながら、この様な事態を想定出来なかった。自分の思慮が浅かった。謝っても謝りきれないが……本当に、すまなかったッ!!」
本気で謝罪をするワインズに何も言えなくなってしまう。こんな時どうしたら……。
「――ときにタクトさんも、ワインズさんに謝らなければならない事があるのではないですか?」
「え?」
ユノウがピッと取り出したのは一枚のカード。それは俺の冒険者登録証だった。
「こちらに記載されているのは『研究者』となっています。冒険者登録において虚偽の申告はルール違反となります」
「そ、それは……」
ユノウがワインズに俺の登録証を渡すと、彼は躊躇せず登録証を破り捨てた。
「――なっ?!」
細切れになって地面に落ちていく紙は、俺の冒険者としての道が絶たれた事を意味した。
ワインズは俺の目を見据えて話を続ける。
「すまないが、ルールを破ったり偽った場合は、冒険者登録を抹消する決まりなのだ。タクト君、私は君の言葉で真実を聞きたい。話してくれないか?」
彼の言う『真実』。それは俺が魔法を使えるのを黙っていた事を言っているのだろう。
その事を明かして、大事にしたくなかった。たったそれだけの理由で偽ってしまった。
ゴーレムが憎しみの魔女の力に反応している。俺は魔法が使えると教えていれば、もっと他にやりようはあったかもしれない。
「……ごめんなさい。どうしても冒険者になりたかったんです。俺は……魔法が使えます。知られたら騒ぎになると思って黙っていました……」
項垂れた俺の前に、ワインズさんは一つの封筒を差し出してきた。
「開けてごらん」と言われて恐る恐る中の物を取り出すと、中から出てきた小さいカードを見て心臓が高鳴った。
それは、俺の新しい冒険者登録証だった。
「研究者では無く、君は魔術師なんだろう?」
「あ……あ……」
そこには名前と性別、顔写真の記載があり。職業の欄には『研究者』ではない文字が書かれていた。
「君は今日から『魔術師』として冒険者になりなさい。ギルドは全力で君のバックアップをするよ」
「タクトさんはゴーレムからこの街を救った、立派な魔術師です。私とここにいる者はみんな、そう思っていますよ。その力をもっと誇りに思って下さい」
「ユノウさん……ワインズさん……」
微笑む二人を見て、また涙が溢れた。
堪える事が出来なかった俺は、赤ん坊のように声を上げて泣いた。
みっともないと思うかも知れないが、今だけはどうか許して欲しい。もう、抑えが効かないのだ。
魔術師タクトの産声が部屋中に響き渡った。
この日、世界で初めて『男の魔術師』が冒険者に登録され、世間は一時俺の話題で持ちきりになった。
予想していたとおりと言うべきか。男でも魔法を使えることが広まって、まぁ後々面倒な事になったのだが……この時の俺は『認められた』という事実が嬉しすぎて、そんな単純な事まで頭が回らなかったのだ。
憎まれる力を持った、魔術師タクトの物語が幕を開けた。
* * *
「……男の魔術師?」
「はい。アークフィランに居るようです」
「ふぅーん……」
彼女は豪奢なベッドの上で足を組み直す。細く白い生足は女の私でも生唾を飲むほどの艶めかしさがある。
真っ白な薄手の布だけを掛けた彼女の両隣には、美女と呼べる容姿を持った裸の女が寄り添っている。
膝に乗せた猫を撫でる貴族の様に、女の髪を撫でて、撫でられた人は恍惚の笑みを浮かべる。
女の中でも魔法の才に秀でたこの人は、使用人から気に入った女をとっかえひっかえしては、夜を共にする。かつての私も使用人の一人だった。
「……気に入らないわね。男のくせに」
そう言った彼女の瞳には、男に対する嫌悪が滲み出ている。大の男嫌いでも有名な彼女からすれば、男が注目を浴びているという事だけでも腹立たしいのだろう。
「では、捕らえますか?」
「そうね……どういう理由があって魔法が使えるのか興味があるわ。それに、そんなことが広まったらかなり面倒ね」
アメジストのような深い紫色を放つ彼女の瞳が、私を見据えて言った。
「捕まえて、解剖しちゃいましょう」
「かしこまりました。ティルエル様」
私は寝室から出て手元にある紙を見つめる。号外と叫ばれて街中に配られていた紙には、こう書かれている。
「男の魔術師誕生……魔術師、タクト……」
紙を握りしめて私は、彼が居るというアークフィランへ向けて、馬車に乗りこんだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
一章完結となります。
次回、二章も宜しくお願いします!
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