36話 魔女の生まれた日(2)
おい、なんだあれ……。
なッ……おい! すぐ、人呼んでこい!
こいつはひでぇ……嬢ちゃん怪我は……ひっ!
お前ッ! こっちへこい!!
さっきから俺の周りがやけにうるさかった。慌ただしく走り回る音と小さな悲鳴が聞こえる。
誰かが力強く俺の腕を引っ張って、どこかへと引きずっていく。
掴まれた腕に痛みがあっても、全身に力が入らず抵抗する気も起きなかった。
次第に遠くなっていくマーヤから、俺は目を離せないでいた。
* * *
「……ここは……」
気付いた時には冷たく硬い洞穴に居た。
奥行きは大人が寝そべるには少々狭いぐらいの広さで、岩を削った縦穴だ。
外の景色が見える方には、木材を格子状に組み込まれた壁になっている。洞穴に作られた牢屋なのだと遅れて気付いた。
なんで牢屋に……?
格子の隙間からは村が見える。ここは村から少し離れた所にあるようだ。
出入り口の近くには、槍を地面に突き立てた男が、背を向けて立っていた。
背後から覗き見た男の表情は険しく、村の方向を見据えている。
「あの……」
俺の声に気づいた男が肩越しに俺を一瞥すると、何も言わずスタスタとどこかへ行ってしまった。
ズキン――
急に酷い頭痛がして顔を抑える。手が触れた頬が、湿っているのが分かった。
俺、泣いてる……?
ほんの少し前のことが、記憶に霧が掛かったように曖昧だ。
たしかマーヤに連れられて花畑に行って、そこで野犬に出会して……そうだ、マーヤは……死――。
「やっと言葉を話せるようになったか」
突然聞こえたしゃがれ声に思考を遮られた。驚いて顔を上げると、先程離れていった男と杖をついた老人が、俺を見下ろしていた。
老いにより窪んだ目の奥、小さな瞳と目が合うと、鋭く俺を睨んでいた。
「あなたは……?」
「――マーヤを殺したのはお前じゃな」
「……え?」
俺の質問には答えず、老人は静かにそう言った。
このお爺さんは何を言っているんだ……? 俺がマーヤを……? 何を馬鹿なことを言っているんだ。
「……花畑を見てきた。あれは邪悪な儀式の痕跡じゃ」
「邪悪なって……何を言ってるのか全然――」
老人がくわっと目を見開き、叫ぶ。
「――お前は、野犬とマーヤの命を使い、恐ろしい災厄を呼び起こす、儀式を行っていたんじゃろうッ!!」
老人の言いぶりは、耄碌しているとしか思えなかった。
凄まじい剣幕で怒鳴られて何も言えずにいると、さらに老人は言葉を続けた。
「子供一人が、野犬三匹を相手に焼き殺すなど不可能だッ!! 清く若い娘の命を奪って何を企んでおるッ!!」
「ふ、ふざけるなッ!! 俺はそんな事はしていな――」
「黙れ魔女ッッ!!」
老人は格子の隙間から腕を伸ばし、俺の胸元を掴んで引き寄せた。
「半年ほど前から隣町では、原因不明の流行病が出ておるッ!! お前ら家族がこの村に来たのも同じ頃だったッ!! お前がその邪悪な儀式を行う魔女じゃろう!!」
く、苦しい……息が……できない……。
骨張った腕に触れて、離れようとするが思うように力は入らず、その肌に爪を立てるぐらいしかできなかった。
徐々に視界が霞んでいき、老人の姿が揺れていく。怒鳴り声もだんだんと聞こえなくなっていった。
「お前ごと……もろとも……に……」
老人の言葉を聞き終わる前に、俺は意識を失っていた。
* * *
「……ゲホッ! ゴホッ! うぇ……」
突然、顔面に冷たさと息苦しさを感じて、目が覚めた。
前髪が顔に張り付いて気持ちが悪い。滴り落ちる水滴を見て、水を掛けられたのだと思った。
濡れた顔を拭おうとするが腕が動かない。見ると両腕を後ろに回され、縄か何かで縛られていた。
縄は胴体にもキツく巻かれており、息をすると腹苦しさがある。
視線は普段よりも随分と高い。大人の男たちが俺を見上げて、怪訝な表情を浮かべている。
足は宙に浮き、自分の背後には大きな木の柱があった。
「――レイラッ!! レイラッ!」
おそらく俺を呼んでいるのだろう。今はレイラという少女なことを自覚していた俺は、声のする方へ顔を向ける。
俺の左隣には、同じように腕と体を縛られて、木の柱に括られた二人の男女がいた。
『おかあさん……おとうさん……』
頭の中に少女の声が聞こえた。この人たちはレイラという女の子の両親なのか?
女性の方は赤い髪に細身の体型で、鏡に映った自分の姿に似ている気がする。
「レイラッ! 待っていろすぐに助けてやるからなッ!! ぬぅォオオ……ッ!!」
女性のさらに隣にいる男性――おそらくレイラの父親であろう人が、腕に力を込めて縄を千切ろうとしている。
こめかみに血管が浮き出るほど力んでいたが、縄は軋むだけで千切れはしなかった。
「――家族の最後の団欒は済んだか?」
「くっ……!! 村長、これは一体どういうことです!!」
杖をつきながらゆっくりとした動作で歩み寄ってきたのは、先程牢屋で会った老人。彼がこの村の村長だったらしい。
と、言う事はここは俺の故郷ではない、どこか別の村ということになる。
「どういうも何も、お前たち魔女の一族を根絶やしにするだけじゃよ」
「私たち魔女なんかじゃありません!! そんなのは迷信ですッ!」
「黙らんかッ!! そうやって他の村や町を転々とし、災厄を振り撒いて来たのだろう?! ワシらは騙されんぞ!!」
村長は杖で地面を叩き、怒りを露わにする。周囲にいる村人からも同様に、俺たちへ向けられるのは憎しみと恐怖の眼差しだった。
「さぁ! 今こそ業火によって、この悪しき者たちに制裁をッ!!」
村長の掛け声に合わせて、二人の男が松明に火を灯す。俺たち三人には、桶に入った液体が投げ掛けられた。
「ぶぁっ!! ゲホッ!!」
なんだこれ? ただの水じゃない?
その液体は妙に甘くべったりとした粘性があり、独特な香りを放っている。
「樹液じゃ。しっかりと燃えるように、な」
煌々と燃える松明の火が、レイラの父と母に近づけられる。
「いや、やめて……お願いします……」
「クソッ!! クソッ!!……クソッタレがァアッ!!」
『母は目を見開き怯え、父は怒り吠える』
「……やめろ……」
燃ゆる火が『私の眼前で、二人に掛けられた』。
とても人から出る声とは思えない絶叫が村に響き渡る。
心音と呼吸は徐々に早まり、口内はカラカラに乾いていく。
「やめろぉおおッ!!」
誰かの声と重なった時、俺の意識はプツンと途絶えた。
* * *
再び目が覚めたとき、目の前は火の海になっていた。
村の建物は燃え崩れ、地面は抉られている。そして、そこら中に倒れる人々はピクリとも動かない。
この狭い村の中で、立っているのは自分だけだった。
「一体なにが……これは……?」
パチパチと火の音が四方から聞こえる。崩れた家の音で一瞬、身が竦んだ。
そうだ……レイラのお父さんとお母さんは……?
ぐるりと周囲を見回すと、背後に地面から突き出した三本の柱があった。
それは先ほどまで俺が括られていた柱。隣には両親がいたはずだ。
「『お父さんッ! お母さ……ん……』」
柱に括られた二人は、首を傾けて微動だにしない。
衣服は焼け焦げて、体は赤黒く染まっていた。
もはや誰かも判別出来ないほど、変わり果てた姿の二人に、言葉は出てこなかった。
「ぅ……ぅう……」
声の代わりに出たのは、腹の底から込み上げるような嗚咽。そして――
「あぁああああああああああぁあぁあああああッッ!!!!」
――まるで獣のような叫び声だった。




