34話 憎しみの魔女 レイラ
土煙の中、突如として現れた謎の女が、私を見て呟いた。
「あなたは……だれ?」
自らを『憎しみの魔女レイラ』と言った彼女は、首を傾げて私を見つめている。
宝石のような綺麗な赤い瞳は、その奥に光を灯していなかった。
「タクト……タクトはどこに……」
彼女の問いには答えず、私は狼狽えていた。
辺りを見回し少年の姿を探すがどこにもいない。理解が追いつかない状況に、気が動転していたのだと思う。
知った顔に安心を求めて、目の前の事象から意識を外そうとする。
「――タクト」
レイラが彼の名を口にした。
恐る恐るレイラに視線を戻すと、彼女は手を胸に当ておかしな事を言う。
「――彼は、私の中で眠ってる」
その言葉には愛しいものを愛でるかのような、愛情に満ちた声だった。
しかし、何とも言えない不気味さも孕んでいる。
ふと、レイラの右腕に目が留まった。そこには見覚えのある魔導具が着けられている。
黒い革製のベルトで腕時計のような、水晶玉をはめ込んだ魔導具。
あれは、彼が着けていたものではなかったか?
「あなた……その魔導具は」
「これは……邪魔ね」
そう言って腕から魔導具を取り外すと、その場に落とし捨てた。
レイラが魔導具を外してすぐ、これまで感じていた冷たい魔力がその鋭さを増した。
あの魔導具が抑え付けていたのだろうか? 未だかつて、感じた事が無いほどの膨大な魔力に恐れを抱く。
「な、なにが起こったッ? 魔女は?! 奴はどこに消えた?」
私と同じように吹き飛ばされていたワインズが、私とレイラを交互に見やる。
ワインズの言葉に反応を示したのはレイラだった。
「……魔女は私。あなたは、だれ?」
私にも聞いた言葉をワインズにも投げかける。
レイラと目が合ったワインズは眉を八の字にして恐怖に顔を歪ませた。
「なんと……禍々しい魔力……ついに正体を現したな魔女がッ!!」
ワインズがギルド衛兵を呼ぶと、鎧に身を包んだ数十人が駆けつけた。
衛兵たちは処刑台の周囲をぐるりと包囲する。
レイラはそんな衛兵たちを意に介さず、問いかけに答えられなかった事が悲しいのか、憂いた表情をしている。
「今こそ、憎しみの元凶を滅ぼすのだ!」
――応ッ とワインズに応える衛兵は、各々が詠唱を始める。
炎が燃え盛り水は渦巻く。上空には雨雲が発生し稲光が轟いた。
様々な魔法が唱えられ、その全ての標的になったレイラへと向けて、一斉に降り注がれる。
大きな地鳴りと爆炎が巻き起こった。
とても一人の人間に向けて使う魔法では無い。まるでドラゴンか巨大モンスターでも相手にしているのか、と言うほどの威力だった。しかし――
「――どうして……?」
私が疑問に思ったのは放たれた魔法に対してではない。
これだけの攻撃を受けて地面が抉れているにも関わらず、平気な顔で佇むレイラに向けてだった。
レイラの立つ場所を除いて、隕石でも落ちたのかと思うほど周囲は陥没している。
魔法を唱えた衛兵たちですら、言葉を失い驚愕していた。
「……どうして、私を憎むの……?」
レイラの髪がフワリと浮かび上がる。
彼女の周囲に紫色の光が飛び回り、光はいくつかの玉になった。宙を流れるように輪になると、だんだんと回転の速度が速くなる。
速さを増すたびに、光の玉は輝きも増していった。
両手を左右に伸ばし、手の平が衛兵たちに向けられるとポツリと詠唱を溢す。
「【叛逆】」
その瞬間、宙に円を描いていた光の玉が全方位に向けて放たれた。
彼女を中心にまるで竜巻の中にいるかのような暴風が吹き荒れる。
取り囲んでいた衛兵たちを薙ぎ飛ばし、私の元へ衛兵の何人かが吹き飛んできた。
吹き荒れる風が、悲鳴も呻き声も掻き消して、宮殿の壁や柱に亀裂を入れる。
あまりにもめちゃくちゃな事象に、これは私の知る魔法なのかと目を疑うほどだった。
* * *
俺は――今度こそ死んだのか?
ワインズが処刑台の縄にナイフを入れた時から、記憶があやふやだ。
真っ暗な闇の中を、漂っているのか沈んでいるのか分からない。自分の体を認識できない。
手を動かそうとしても何も無い。
深い、深い闇の中で自分が液体になったような感覚。そんな状態でしばらく漂っていると、一粒だけ光が見えた。
星? いや違うな、火? それも違う。
光は一定の輝きを放ち徐々に大きくなっていく。
光の中に何かが映っている。これは……宮殿?
俺が最後に見ていた光景とは少しだけ違うな。
辺りには数十人の鎧を着た人が倒れているし、その中にはユノウの姿もあった。
枷が外れてる? 誰かが助けてくれたのだろうか。もしそうだとしたらリンかリーフィリアが来てくれたのか?
それにしても、この光に映る光景はなんなんだろう。もしかして俺はゴーストにでもなってしまったのか。
死んでモンスターに転生なんて洒落にならない。
まあでも……憎まれ続けるよりはいいか……
俺は考えることをやめた。考えても死んでいるのなら無駄なのだから。
夢を語ってはバカにされ、力を持ったら憎まれ。
やっと魔術師を目指せると思ったら処刑されて終わり。
つまらない人生だったな……もっと冒険したかったな……。
その思考を最後に、俺は眠りについた。
* * *
「どうなってる……なんだこれは……」
「リーフィリアさん! あそこ!」
宮殿に近付くごとに、外から感じていた膨大な魔力も圧を増していた。
先程、とてつもない衝撃と轟音が二回響き渡りある程度予想はしていたが……宮殿内部は凄惨な様相をしていた。
リンが指差すのは処刑場の端。そこにユノウが座り込んで呆然としている。そのユノウが見つめる視線の先には、一人の女が立っていた。
「魔術師か? あいつがコレをやったのか……?」
宮殿内はその荘厳な内装を滅茶苦茶にされていた。
床にはギルド衛兵と思われる人が数十人倒れている。処刑台をぐるりと囲む観衆の席には、重なり合って倒れる人で埋め尽くされていた。
処刑台があったとされる中央に佇む女。ただその一人を除いて皆、地に伏していたのだ。
「あの女から、嫌な魔力を感じる……」
「ちょ! リーフィリアさんッ!」
リンの腕を除けて、私は観衆席から飛び降りる。
処刑場に降り立った私をチラリと横目で認識したようだ。
「お前がやったのか?」
「あなたは――だれ?」
感情のない顔で私を見つめる女。まるで人形のように整った顔立ちに、私は不気味さを覚えた。
「私はリーフィリア。『深緑の魔女』と言ったほうが分かるか?」
「――魔女? リーフィリア……ッうぐぅ!!」
「?! おい、どうした――」
突然苦しみ出した女は、頭を抱えて蹲る。
思わず駆け寄ろうとした私を制止する声が聞こえた。
「――リーフィリアさんッ!!」
横を見るとユノウが目を見開き、恐怖に顔を引き攣らせていた。一体なにがあったというんだ。
「ぐっ……リーフィリア……タクト……」
「――ッ!」
女の口から出たタクトの名前でハッとした。
どこを見てもタクトの姿が無い。それにこの女はタクトを知っている?
「貴様ッ!! タクトはどこだ!!」
「う、が……ぁ……」
タクトの名前を聞くたびに彼女の悶絶する声は大きくなっていった。
* * *
『……タクトはどこだ!!』
突然、誰かが俺を呼んだ気がした。
何もない空間に響く声が木霊する。
俺は……誰だ……?
考えが纏まらない。今日何をしていたのか思い出せない。
あれ、今日ってなんだ……? 俺は……なんだ?
感覚が無くなって、俺も俺で無くなって。
全てが消えていく。




