3話 人に言えない秘密
「帰りはまた夜になると思います」
靴紐を結び立ち上がると俺は二人に出かける事を告げた。
カウンター席に座ってコーヒーを飲んでいたおじさんが振り返る。
「おう、ところでいつも休みのたびにどこ行ってんだ?」
「あー……山に登って景色を眺めて、とかそんな感じです」
「ふーん。ま、気ぃつけてな」
山に行くのは本当だけど、そこですることは濁した。
店の扉を開くと上部に付けられた金具が揺れて、チリンチリンと軽快な音が鳴った。
「行ってきますおじさん、おばさん!」
「いってらっしゃい。夜ご飯までには帰っておいで」
外へ出ると冬の風が吹き荒んでいた。もし野宿でもしてたら、朝には凍え死んでしまいそうな寒さだ。
改めて、帰る家のない俺を住み込みで雇ってくれた二人には、感謝してもしたりない。
村を追放されたあの夏の日、俺は一ヶ月かけて森を抜け、さらに山を越えてこの町にたどり着いた。
あんまりその時の事を覚えていないが、おじさんいわく、道の真ん中で倒れていたらしい。ほとんど飲まず食わずだったからなぁ……むしろよく持ったほうだと思う。
そこを助けてくれたのがおじさんとおばさんだ。
二人は俺に温かい食事と服をくれた。さらに、帰るところがないと言ったら、「ここに住め」とまで言ってくれたのだ。
そんなこんながあって昼はカフェ、夜は居酒屋を経営しているこの店で働かせてもらっている。
二人は「無理に働かなくていい」と言ってくれたけど、ここまで親切にされて何もしないわけにはいかないよ。
――それに、一ヶ月の放浪旅も案外無駄ではなかったと思う。
旅とも言えない死と隣り合わせの毎日は、魔女から与えられた力を理解するのにちょうどよかった。
日夜出会うモンスターとの戦いで分かったのは、俺が使える魔法は二つしかないということだ。
【敵視魔法】はその名の通り、敵の視線を俺に集中させるもの。
あ、命名は俺。そんな魔法聞いた事ないからそう呼ぶことにした。対象を定めて使えば、狙った人やモンスターの注意を自分に向けさせることができるみたいだ。
もう一つは【反抗魔法】。これも命名、俺。
自分に向けられた敵視によって、発動できるカウンター的な魔法だ。
威力と効果は敵視の数と憎しみ度合いによって変わるみたい。まだ分からない部分もあるので要検証中。
「さてと……今日はどんなモンスターがいるかな……」
そんなわけで、俺は暇な時間が出来ては山に登り、魔法の練習をしている。ここなら人が滅多に来ないし、モンスター相手なら気兼ねなく魔法を使えるからね。
それに、『男が魔法を使っている』と騒がれては面倒だし、魔法の効果でまた追放されるのも御免だ。
「ん? あれは……」
ゴツゴツした岩肌が露出する斜面に、ゆっくりと動く黒い物体が目に止まった。
人よりも大きな体で四本の足で歩く、熊型モンスターだった。
「なんで二月に熊? まだ冬眠している時期じゃ……」
熊型モンスターが歩く進行方向に目を向けると、もう一つ動く影があった。
「――なっ?!」
格好から剣士……冒険者だろうか。必死に剣を振り回して、近寄るモンスターを追い払おうとしている。
(なんで逃げないんだあの人! 熊型に正面からやり合うのは自殺行為だぞ!)
熊型とは森を彷徨っている時に一度戦った事がある。性格は獰猛で、その巨体からは想像出来ないほど素早く動く。不意を突いて一発で仕留めなければ、一対一ではまず歯が立たない相手だ。
そんな俺の考えはその人の足元を見て変わった。逃げないのではなく、逃げれないようだ。
剣士の右足は、岩の隙間に挟まっているようで身動きが取れないでいた。きっと足でも滑らせたのだろう。
「――う、嘘でしょ……来ないで……誰か……」
熊型モンスターは振り回された剣を見て、逃げるどころか怒っていた。
鼻息を荒くし雄叫びを上げると、人の胴ほどもある巨腕から爪を剥き出す。
(クソ……やるしかないか?!)
人の前で魔法を使う事に俺は躊躇した。もししくじったら……でも、助けなきゃあの人は……。
俺が迷っている間に、熊と剣士の距離は二メートルもなかった。熊は後ろ足で立ち上がると右腕を大きく振り上げ、剣士に向かって襲いかかる。
「グァアウッ!!」
「い、いやぁあああ!!」
「――ッ【敵視】!!」
振り下ろされた爪は剣士の眼前で止まった。
……なんとか成功したようだ。
熊型モンスターの巨体を紫色の光が覆っていた。この光は敵視魔法がかかった事を意味している。
突然動きを止めた熊型モンスターに、剣士は身構えたまま目を丸くして驚いていた。
「……っ? え? え?」
熊型モンスターはゆっくりと体の向きを変えると、よだれを垂れ流し、俺に向かって走り出した。
「グォオオオン!!」
敵視はしっかり俺に向いている。あとは練習通りやるだけ……大丈夫、大丈夫だ……。
迫りくる熊に向けて、俺は右手を広げて構える。手のひらに意識を集中すると、宙空に詠唱紋が浮かび上がった。
俺が使えるもう一つの魔法。それは俺のイメージによって、その効果が変わるってことを何度かの練習で知った。
俺が思い浮かべるのは火の初級魔法――。
「【反抗】!!」
詠唱紋から五つの火球が同時に飛び出した。一度外側に膨らんだ球はモンスターに向かって収束していく。
――ドドドドドッ!!
爆発音と熱風が周囲に広がった。
少しして煙が風に流されると、再び姿を見せたモンスターはその場に横たわり、動かなくなっていた。
本当に初級魔法か? と疑いたくなるほどの火力に自分でビックリしてしまった。きっとそれだけ熊型モンスターの敵視を買っていたのだろう。
反抗魔法……火や水、雷など俺のイメージどおりの魔法がだせるけど、発動条件が難しいな。相手に憎まれないといけないのが最大のネックだな。
「ふぅ……あ、そうだ」
俺は斜面を下り、身動きができない剣士の元へと歩み寄った。
ふむふむ、見たところ怪我は無さそうだけど……さっきから俯いたままだし、どこか痛いのだろうか。
「あの? 大丈夫ですか?」
「……た」
「??」
「――た、助かりましたぁああ!! ありがとう! ありがとうぅうううう!」
顔を上げた剣士は、俺とさほど歳が違わなそうな女の子だった。
涙と鼻水を撒き散らしながら抱きつこうとしてくるので、俺は少し彼女から距離を取った。
足が岩にハマったままで良かった。服が鼻水でベトベトになるところだった。
「とりあえず、そのハマった足なんとかしよう? あとこれ、よかったら使って」
彼女にハンカチを手渡すと、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を拭きはじめる。
この子……鼻水はおいといて、よく見ると結構可愛い。
オレンジ色の長い髪に一束だけ薄黄色が混ざっている。目は大きく美少女という言葉がピッタリだった。
彼女が落ち着くのを待って、岩から足を外す手伝いをする。
「俺の肩に掴まってて。倒れたらこの辺危ないから」
「……ぐすっ……はいぃ……」
まずはブーツを脱がせて足を抜く。そのあとでブーツを抜き取れば……っと。よし、取れた取れた。
再度ブーツを履かせようとしていると、女の子は急に素っ頓狂な声を上げた。
「――はっ!? ちょ、ちょちょっと待って!」
「え? どうしたんですか?」
「さっきのって魔法ですよね? 男なのに魔法が使えるんですか?!」
……しまった。そうだった。助ける為とはいえ、ガッツリと見せてしまった。
「あー……うん、まあそうなんだけど……」
「すごいじゃないですか! 人類初?! もしかしてあなたは大賢者とかですか?」
やばい。めちゃくちゃ興奮してる。
やっぱり人に見せるとこうなるのか。変な噂が立つと俺の人生計画が崩れる。
「いや、大賢者とかそんな大した者では無く……すみません! この事は誰にも言わないでもらえますか?」
頭を下げてお願いしてみたが、彼女は鼻息を荒くして興奮冷めやらぬ様子だ。
「なぜですか!? 男も魔法が使えるとなれば世紀の大発見なんですよ? きっと王族や貴族から声もかかるし、冒険者ギルドでも一躍有名人になれますよ!」
それがマズいのだ。
自分の力も全部分かっていないのに有名になるのは、俺が求める夢とは違う。そんなのはただの成金貴族みたいで嫌だ。
それに王族に声を掛けられたら、念願だった冒険が出来なくなる。俺は城内で偉そうに踏ん反り返って一生を過ごすのは御免だ。もっと自由に生きたい。
「……人に言えない訳があるんですか?」
乗り気じゃ無い俺を見て、彼女は不思議そうに首を傾げる。
三百年前の魔女に会って力を貰いました!
……なんて言えるわけもない。頭がおかしくなったと思われて終わりだよ。
なんとも言えずに俺は黙って頷くしかなかった。
「……わかりました。命の恩人に押し付けがましかったですね。私の方こそごめんなさい」
「いや、あなたが謝ることじゃ……」
彼女は下げていた頭を上げると、可愛らしくニコッと笑って見せる。
その笑顔にちょっとだけドキッとした。そういえば故郷には歳の近い女の子はいなかったな、なんてことを思い出す。
「挨拶がまだでしたね。私はリオン。冒険者で剣士をしているの。あなたは?」
「俺はタクト。そこの町で住み込みで働いてるただの一般人」
「えー? あんなに凄いのになによその肩書き?」
リオンは吹き出して笑っていた。
でも他に言うことが無いのだからしょうがない。
事実、俺はまだ魔術師と呼べるような実力を持っていないのだから。
お互い緊張が解れたところで、傍らに横たわるモンスターに目をやる。
体毛は完全に焦げてしまって、辺りに苦い香りを放っている。
「このままには……しておけないよなぁ……」
「そうね……なら冒険者ギルドに買い取ってもらいましょ! きっと良い値で買い取ってくれると思うし」
「冒険者ギルド?」
リオン曰く、幾つかの町には冒険者ギルドという集会所があり、冒険者たちに任務の依頼や装備の調達、
モンスターの肉や素材、金品の買取も行なっているらしい。
そういえば母さんも任務がどうとか言っていたなぁ。こうやって稼いでいたのか。
「じゃあ俺も運ぶの手伝うよ」
「これはタクトの手柄だよ? むしろ私に手伝わせてちょうだい!」
「い、いいの?」
「もちろん!」
リオンの提案で予定よりだいぶ早く、俺は町へと戻ることにした。
魔法を使って自分の筋力を上げたリオンが、軽々と熊を持ち上げている事に驚く。こんな事もできるなんて、魔法ってやっぱり便利だなあ。
しかし、笑顔で自分の何倍も大きい熊を担いで運ぶ姿は、なんというかとてもシュールだった。