24話 二人旅(2)
深夜、俺は音を立てないよう、そっとベッドを抜け出した。
このまま寝ることはできない。何故ならば達成しなければいけないミッションがあるからだ。
そう、『屋外風呂』である。
初めて見るものは試さずにはいられない。しかし、ミッション達成には難関があった。
(ちゃんと寝てるよな?)
同じベッドの片側、外を向いて眠るリーフィリアは静かな寝息を立てている。
同じ室内、身を隠すものは無い。この状況で服を脱ぎリーフィリアに見られないよう、屋外風呂に入らなければいけない。
風呂に入ってしまえば沸き立つ湯気で窓が曇っているので、すぐに見られることはないだろう。
ゆっくりと音を立てないよう、それでいて迅速に服を脱ぐ。
タオルで腰回りを隠して……よし大丈夫だ。
はやる気持ちを抑えて、俺は慎重に屋外風呂へと繋がる扉を開けた。
「おお……」
岩に囲まれた湯船から湧き立つ湯気。月明かりが揺れる水面に反射して、とても幻想的な雰囲気を出している。
思わず感嘆の声をあげたが、流石に四月の終わりでも夜は冷える。風邪を引く前に入ってしまおう。
つま先からゆっくりと湯船に入ると、最初は熱く感じたお湯もじわじわと体に馴染んで、肩まで浸かる頃には、全身心地の良い感覚に包まれていた。
「はぁぁ……」
目を閉じると聞こえるのは、水の音と風の吹く音だけ。首のあたりを吹き抜ける風がとても気持ちいい。
たまに体が火照ったら湯船の縁に腰掛け、寒くなったらまた浸かる。この感覚はやみつきになる。ずっと入っていられそうだ。
何度か出たり入ったりを繰り返していた時、視界の端で動くものが見えた。
湯気で曇ったガラス窓の向こう側。人影が立ち上がり衣服を脱ぐ動作をしている。
(――えっ? まさか、起きたのか?!)
慌てて湯船に首元まで浸かると、同時に屋外風呂へと通じる扉が開いた。
まてまてまて、今入ってこられたら……。
色んな意味で俺の胸は高鳴り、鼓動を早めた。
「おお……月が出ているとは風情があるな……ん?」
タオルを片手に下げ、白い肌を晒すリーフィリアの体は、湯気で少しボヤけて見えた。
湯船にいる俺の存在に気づいた彼女は、氷魔法でもかかったのかと思うぐらい凍結する。
沈黙。聞こえるのは水の音と風の吹く音だけ。それは心地の良いものではなくなっていた。
火照っていたはずの体は急に冷たさを感じる。
「よ……よお」
捻り出した言葉は、止まっていた時を再び動かした。
「き、きさ……ま。なん……」
首から上が徐々に赤く染まっていく。リーフィリアの象徴たる深緑の髪が、ざわざわとうねりを上げ、宙に拡がり始めた。
もうこの時点で、嫌な予感しかしなかった。
「るな……」
ルナ? ああ、月が綺麗に出ていますね。とてもロマンチックな事をいうなぁリーフィリアは。
月明かりが彼女の肢体に反射して、その白さを際立たせている。宝石のような輝きを放っている彼女に『綺麗』という感想が浮かんだ。
そう、これは現実逃避だ。このあと俺の身に起こることは想像に難しく無い。だからせめて、この光景を目に焼き付けておこう。
綺麗な彼女は目に涙を浮かべて、耳まで真っ赤にすると吠え、叫んだ。
「み……見るなァァアアッ!!」
広がった深緑の髪が、ギュッと渦を巻いて収束し拳の形になると、特大の握り拳が眼前に飛んできた。
ゴッという鈍い音と共に、俺の視界は暗転した。
* * *
「ん……あ、れ」
目が覚めるとベッドに寝かされていた。
リーフィリアに風呂で殴られた後の記憶が無いが、ちゃんと服も着ている。生きていることにまずはホッとした。
隣に視線を移すと、食い殺すような目つきで俺を睨むリーフィリアがいた。
「――んのわっ!?」
「……やってくれたな貴様」
毛布に身を包み、顔だけだしてミノムシ状態の彼女は、まだ怒り心頭のようだった。
「ごめん! てっきり寝てると思ったんだ! どうしても屋外風呂に入ってみたくて!」
「……見たか?」
「え? な、なにをでしょう」
一応誤魔化すつもりで言ったのだが、毛布の隙間から深緑の髪の毛がざわめき立っている。
「『見たか』と聞いているんだ!! 想像したら殺す! それ以上聞いても殺す!」
「み、みてません」
想像したら、は無理があった。しっかりと脳裏に焼きついた彼女の肢体は、それほどまでに綺麗だったから。
睨む彼女の視線から逃れる為、俺は無理やり話題を変えた。
「あ、あのさ。リーフィリアはなんで旅についてきてくれたんだ?」
「……なんだ? 私がいると不満なのか」
「いや! むしろありがたいし、嬉しいんだけどさ! なんでかなーって思って……」
ざわついていた髪がゆっくりと降りていく。
また殴られるのだけは回避できたか?
「貴様が……寂しそうだったから」
そう言って彼女は顔を背けた。
意外だった。リーフィリアがそんなふうに思ってくれていたなんて。
「貴様らが言ったのではないか! 相手を信頼して胸の内を明かせ、と! 私なりに今までの自分を顧みて……優しく接してみようと改めただけだ!」
思いのほかリーフィリアは、ユルナに言われた言葉をしっかりと考えていたようだ。
そうして考え出された答えが、俺の手助けをするということに、なんだか嬉しくなる。
「ありがとうリーフィリア」
「――ッ!? な、にゃにを言っている?! 私は私の為にそうしているだけだ! 礼を言われることにゃどッ!」
焦って呂律が回っていない彼女を見て、つい笑ってしまう。そこで気付いたのだ。
彼女がいてくれたおかげで、仲間と離れて寂しかった気持ちが薄れている、と。
仲間から敵視され、アークフィランを追い出されたあの日、リーフィリアに会っていなければ、きっと今も一人ぼっちだ。
ならば、お礼を言うのは間違っていないと思う。
「リーフィリアのこと、もう仲間みたいに思ってるよ。だから、ありがとう」
「〜〜〜〜〜〜ッッ!!」
何か言いたげな顔をしていたが、小さな悲鳴のような声を発して毛布を頭まで被ってしまった。
そうして毛布の中で呟いた彼女の言葉は、くぐもっていてよく聞き取れなかった。
「……がとう」
「え? 何か言った?」
「うるさい! もう寝ろ!! おやすみッ」
「はいはい、おやすみ」
* * *
「よし、これで食料も大丈夫っと……リーフィリア! もう出れるぞ」
出発の準備を終えて振り返ると、宿屋の前に立つ彼女はずっと上の空でぼーっとしている。
「リーフィリア?」
「……はっ! な、なんだ?」
「もう出発できるぞ。さっきからどうしたんだ?」
「これが……『朝チュン』というやつか……」
「チュン? 朝の鳥がどうかしたのか?」
よく分からない事を言っているが、あんまり寝れていないのかな? また長旅になるし、馬車で寝れればいいけど。
「ご利用ありがとうございました。またお越しの際はちゃんと別室を用意しますので……」
「……いや、悪くないものだな。相部屋というのも」
「はい?」
「なんでもない。こちらの話だ」
宿屋のおじさんと何か話していたリーフィリアは、先ほどまでぼーっとしていたかと思えば、今度はいつものキリっとした顔に戻った。
どこか上機嫌な様子で馬車に乗り込んだリーフィリアが手を差し出してくる。
「何してる? 早くしろタクト」
「はいは……今、名前――ッを?!」
言いかけた俺の手を取り、荷台へ引っ張り上げると
馭者へ合図をする。
「いいぞ、出してくれ」
リーフィリアの言葉でゆっくりと馬車が動き出す。手を取られたままな事に気づいて、慌てて離そうとすると逆に強く握り返された。
「昨日言った言葉、忘れるなよ?」
「昨日……?」
「な・か・ま!」
手が潰れるかと思うぐらいギリギリと力が込められる。
「いだだだだ――ッ!? わ、分かった! 忘れないッ! 忘れないからッ!」
「言ったな? ふふふ……」
手を離した彼女は、とても嬉しそうに笑っていたが俺は自分の手が潰れていないかが心配だった。
よかった、ちゃんと動く。
「さっさと杖を見つけてアークフィランに帰らないとな」
「そ、そうだな」
いつもより上機嫌なリーフィリアの横顔は、朝日に照らされたせいか、少し朱色に染まって見えた。
馬車は進んでいく。俺の故郷へ向けて。
頼もしい仲間と共に。




