1話 冒険に出たい!
「親父! 俺も“冒険"にでたい!」
「は?」
蒸し暑い昼下がり。食器を洗う親父に向けてぶつけた思いの丈は、短い返答と蝉の鳴き声で締めくくられた。
「無理だろ。常識的に考えて」
そう、親父の言った事はあまりにも常識だった。そんなことぐらい十五年も生きていれば分かる事だ。
親父は話は済んだといった顔で食器洗いを続行する。
「なんで言い切れるんだよ! やってみなきゃわかんねーだろっ!」
「はぁ……ガキじゃねえんだから夢見んなよ。外にはモンスターがわんさかいて、殺されて終わりだ。俺たち男はな」
そう、男に生まれたから俺は冒険に出れない。平たく固い胸板と股の間に付いた男たる象徴を、俺は恨めしく思った。
「ただいまー……って何してんの?」
帰宅した母さんが俺を見て呆れている。
右手に胸板を左手に股間を当てて悔しそうな顔をする我が息子。どれだけ情けない格好に映っただろうか。
「お帰り。タクトが冒険者になりたいんだと」
「はぁ? それは無理よ常識的に考えて」
「母さんまで一字一句同じこというんじゃねぇ!」
またもあっさりと否定された。俺は二人に対する不満と居心地の悪さから、逃げるように家を飛び出した。
「あ、外行くんならついでに薪を集めてきてね!」
せめて引き留めるぐらいして欲しかったよ、母さん。
* * *
「親父も母さんも、なんで分かってくれないんだよ……」
自分たちの可愛い一人息子が、勇気を振り絞って夢を打ち明けたんだぞ? もう少し応援してくれてもいいじゃないか。
二人に否定されたことが悔しくて悲しくて、ちょっとだけ涙が出た。
ベンチに座りぼうっと村を眺めていると、視界の端に嫌でも目につく人達がいた。
腰に剣を携え甲冑に身を包む女剣士。
鍔の広い三角帽子を被り、ローブを纏った女魔術師。
弓を背負い短剣を太腿に付けた女狩人。
たまに見かける複数人で行動するグループ。彼女たちは冒険者だ。そして――
――冒険者になれるのは魔法を使える女だけの特権。
いいなぁ……俺も冒険者になりてぇなぁ……。
なんて羨望の眼差しを向けていると、魔術師の人と目が合った。
俺の視線に気付いた女魔術師が、仲間を引き連れて近寄ってくる。
やば……ジロジロ見すぎた……?
そりゃ見ず知らずの人に見られてたら、いい気はしないよな。どうしよう。怒られるかもしれない。
そんな事を考えているうちに、俺は三人に囲まれてしまった。
「さっきから視線を感じると思ったら……何か私達に用かな?」
「あ……いや、その」
「んー?」
魔術師の人は怒るどころか、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。きっと俺が泣いていたからだろう。
あ、そうだ……。
冒険者で魔法に詳しい魔術師なら、俺が求める答えを返してくれるかもしれない。
母さん以外の冒険者と話す機会なんてそうそう無いしな。聞くだけ聞いてみよう。
「あの! どうやったら魔法が使えるようになりますか!?」
「「「は?」」」
冒険者三人は目を丸くして、綺麗にハモった。
互いに顔を見合わせた三人は、再び俺へ視線を向ける。そして――。
「……ぷっ」
「あっはっは! マジで言ってる? ウケるんですけど」
「こら、笑ったら可哀想だよ……ぷくく」
女剣士は口元に手を当て肩を震わせる。
女魔術師はこれでもかと腹を抱えて笑う。
女狩人は堪えきれず小さく笑いを溢す。
そこに、さきほどまでの俺を心配する気配はない。
女剣士は一度大きく息を吸って、乱れた呼吸を整える。そうして笑いを堪えながら、俺に現実を突きつけた。
「無知みたいだから教えてあげるよ。男はぜーったいに、魔法は使えません!!」
再び湧き上がる嘲笑のハーモニー。
少しでも期待した自分を殴ってやりたい。
「……くそっ!!」
馬鹿にされ、思いを踏みにじられ、止まっていた涙がまたこぼれ落ちた。
泣き顔を見られないように、俺は村の外へ逃げ出したのだ。
* * *
「クソ!! 男だからって馬鹿にしやがって!!」
拾った木の枝を怒りに任せて振り回す。長く伸びた雑草はしなり、また元に戻る。
そういえばと枝を見て思う。幼い時は剣士の真似事で枝を振り回していた。
もし俺に剣士の素質があれば、親は冒険に出てもいいと言ってくれるだろうか?
俺は一本の木に向かって枝を構える。
剣士ならどんな得物でも……それこそ木の枝で木を斬り、岩をも斬れる……はず。
「……うぉおおおお!!」
力の限りフルスイングした木の枝は、幹に当たった瞬間パキッと簡単な音で弾け飛んだ。
枝先は弧を描いて茂みに飛んでいく。
分かってはいたが。俺に剣士の才能はなかったようだ……。
「――キャン!」
「……ん?」
枝が飛んでいった茂みから声がした。ガサガサと草を掻き分けて出てきたのは、黒い体毛で覆われた四足歩行の獣。
俺を睨む目は血走り、鼻息を荒くしている。
「も、モンスター!!」
「ガルルルゥ……」
この時。幼い頃に親父から聞かされた言葉を、走馬灯のように思い出していた。
『もしモンスターに出くわしたら、戦おうとするな。逃げるんだ』
『どうして?』
『モンスターに俺たちの攻撃は一切効かない。唯一効くのは――』
(魔法のみ……!!)
体の向きを反転させ、地面を蹴る。全力で逃げるしか俺に生きる道は無い。追いつかれたら最後、俺に待つ未来は――死だっ!!
(やばいやばいやばいやばい!!)
「グァウッ!!」
振り返ると獣型モンスターが、牙を剥き出しにして追ってきている。
俺を見据える小さな瞳が「獲物がいた」と語っているようだった。
「ひっ……!!」
怖い。脚が震える。動かしているはずなのに、全然その感覚がない。体だけが前に行こうとするばかりで、脚がついてこない。
空回りした脚が何かに引っかかり、体が前のめりになる。
(や、ばッ――)
バランスを崩した俺は肩から着地した。地面との熱い頬擦りをして滑っていくと、ジンジンとした痛みだけが返ってくる。
慌てて後ろを振り返ると、獣の牙はすぐそこまで迫っていた。震えた脚は地面を滑り、もう立ち上がる事も叶わなかった。
獣が大きく飛び上がり、その牙が俺に届きそうな時だった。
大きな地鳴りと共に地面がバックリと裂けた。
「――えっ!?」
裂け目の奥は暗く、底がどこにあるのかすら分からない。
「う、ぁあああああああッ?!」
宙に浮いた俺とモンスターは、重力に従い裂け目に飲み込まれていった。
* * *
俺は……死んだのか?
ぼんやりとそんな事を考えていた。
裂け目に飲み込まれてから、数秒か数分か分からないが、体感ではとても長かったように思う。ただ底に着いたという記憶はない。
身体中の骨が軋んで痛い。痛い……? ということは、まだ俺は生きている?
恐る恐る目を開けると、ぼんやりとした火が見えた。暗闇に二つの松明が灯りを振りまいている。
「……痛っ!」
起きあがろうとした体は痛みでビビっていた。
「なんだ生きてたのかい」
「――え?」
人……? 声の人物を探して視線だけを動かすと、一つの松明が上下に揺れて近づいて来ていた。
「よくまあ死ななかったもんだ。少しお待ち」
「だ……れ……?」
「【この者に癒しを。痛みを振り払え】」
これは回復魔法の詠唱だ……俺が怪我をした時に母さんがよくしてくれたのを覚えている。
緑色の光が全身を覆うと、先程までの痛みが嘘のようにスーっと引いていった。
「もう動けるだろう」
「ありがとう……ございます。あなたは……?」
黒いローブを纏い、魔術師が使う大きな杖を持った人。魔法が使えるということは女だろう。女は顔にかかったローブをほんの少しめくって顔を出した。
鷲の嘴みたいな鼻。腰が曲がり痩せ細った体。頬の肌が垂れて老いを感じさせる。
「“魔女”……人は私をそう呼んでいるわね」
「――嘘だろ……魔女なんておとぎ話だ……」
「おとぎ話か……私ら魔女にとって十年、百年なんて昨日のようなもんさ」
老婆の風貌。地下深くの洞窟。自分を魔女だという言葉に、半分は疑い半分は――信じてしまった。
こんなところに普通の人がいるわけがない。もし、いたとするならその人は本当に……。
「人と話すのは久しぶりだねぇ。怪我を治してやったんだ、ちょっと話し相手になってもらおうか」
「婆さん……本当に“魔女”なのか……?」
婆さんはゆっくりとした足取りでもう一つの松明が灯る所まで歩くと、腰を下ろした。暗がりでよく見えないが椅子でもあるのだろう。
婆さんが手に持った杖で地面を叩く。コツンと音が響くと、瞬く間に洞窟内が光で照らされた。
「――うわっ?!」
洞窟は綺麗に整地され、居住空間が出来上がっていた。ベッド、テーブル、椅子が置かれ、絨毯も敷かれている。
壁際にはずらりと本棚が立ち並んでいた。
まさか、本当にこんなところに住んでいるのか。
「さて、本当に"魔女"か疑っているようだから、老いぼれらしく昔話でもしようか」
婆さんが左手に持った松明に息を吹きかけると、一瞬にしてティーカップに変わった。
湯気が立ち込める液体からは、香ばしい匂いがする。
「三百年以上前だ。小さな町に生まれた私はある日、他の人とは違うことに気づいた」
さも当然のように言われた三百年は一つの歴史に相当する。
信じられないような言葉も信じてしまうのは、婆さんの年季がそうさせているのか。
怪しさ満点の老婆だったが、俺は老婆の話に付き合う事にした。
「違うこと……?」
「魔法だよ。そしてこの力は人々から恐れられ、憎まれた」
「なんで憎まれるんだよ? むしろ尊敬されるような力だろ?」
「"なんでもできる"魔法は便利で頼もしいが……"何をされるか分からない"恐怖もある」
婆さんのつぶらな瞳がまっすぐ俺を見据えた時、ゾクッと背筋が凍るような感覚がした。
婆さんが視線を逸らすと、強張った肩の力が抜ける。
「……町を流行病が襲った時、町民達は私が魔法で何かしたと思ったらしい。お前さんも聞いたことぐらいはあるだろう? "魔女狩り"が始まった」
「怪しい奴を死ぬまで牢屋に入れとくってやつ?」
「そうだ。私はもちろん、その家族や友人も怪しまれてね。もれなく牢屋行きだ」
「死ぬのが分かっててなんで逃げなかったんだよ!」
「……逃げたり反抗したら、その場で殺されるからだよ」
どうやっても死ぬのなら、せめて牢屋でも生きたいと思うのはおかしくはないか……。俺が同じ立場でもそうするかもしれない。
「いわれの無い罪に問われ、私はこの力を恨んだ。自分だけが力を持っているから疑われると考えた私は、罪を分散することにした」
「分散って……?」
「世界中の女に魔法を与えた。さすがに制御できなくて、一部の動物にも魔法がかかってしまったがね」
魔法を使えるのが一人だけじゃないとなれば、魔女狩りは意味が無くなる。
しかし、それよりも俺は婆さんの一言が引っかかっていた。
「なんで"女"だけなんだよ!」
「……もともと胎児を宿せる女のほうが、魔力も宿しやすいんだよ」
作り変えられた"魔女にとっての平等な世界"は
"魔法が使えない者にとっての不平等な世界"になった。
その原因を作り出した張本人に、俺は怒りを抑えられなかった。
「……婆さんのせいでっ! 俺の人生は台無しだ! 夢も見れない語れない! 男にも魔法を使えるようにしろよッ!!」
「残念だけど、それは無理だ。私に残された魔力はそう多くない」
『無理だろ。常識的に考えて』
『男はぜーったいに、魔法は使えません!!』
婆さんの言葉が、俺を否定する人たちの声と重なって聞こえた。
今日だけで何度現実を突きつけられただろう。俺の目からは涙が溢れていた。
「――お前さん、なぜそんなに魔法を使いたい?」
「……俺は」
幼い頃から見ていた夢だ。
世界中を飛び回り、困っている人を助ける。
数々の魔法を自由自在に使いこなす大魔術師。
そしていつの日かその名を歴史に残すために。
「俺は――最強の魔術師になって、今まで馬鹿にしてきた奴らを見返してやるんだ」
お読み頂き有難う御座います!
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