9.宿での騒動
夕方になり、徐々に日が沈んでくる頃。フユキは1軒の建物に入っていった。
その形は傭兵組合の建物とは違い、長方形の窓がいくつも付いていて中の様子をしっかりと確認できる。傭兵組合の方は表から見た時に少し怪しい建物だと感じるのに対して、現在フユキの入った建物はカフェやレストランの様な作りに近い。
その建物の扉横に掛けてある看板には『安らぎのなる木』という文字が書いてある。
その実態は1階部分で飲食店兼飲み屋を経営しており、2階部分で泊まれる部屋を提供している、俗に言う宿屋である。
そう。フユキが、商人であるグリエから勧められていた宿だ。
内装はとても綺麗で家具1つをとっても美しい物ばかり。掃除の手も行き届いており棚の上を指で擦ってもホコリは付かない。
フユキは1階のレストラン部分に入った後、周りを少し見回して店の雰囲気を掴んだ後に受付に行く。
「泊まりたいのですが部屋は空いてますか?」
「はい、大丈夫ですよ。お1人ですか?」
「ええ、1人です」
「ええ!? その…… 保護者の方とかは……?」
フユキが宿屋の受付嬢に泊まりたいという旨を伝えると、受付嬢はフユキが1人で泊まる気であるという事に驚いた。
最初に1人かどうかを聞いたものの、それは形式上のものであり、まさか本当に1人で来たと言うとは思わなかったのだ。
受付嬢からみてフユキの年齢は15歳程度に見えている。この国の成人年齢は18歳である為、本来であれば1人で宿に泊まりに来ることは無いはずなのだ。なぜなら、この国の一般階級の市民は成人するまで村や街の外に出る事を禁じられている事が多いからである。
だが、そういった未成年で宿暮らしをしている人がゼロであるという訳でもない。
何か事情があるのだろうと察し、受付嬢は気を使いながら話を進める。
「……わかりました。ではこちらが部屋の鍵です。鍵に付いている番号と同じ番号が書かれている扉を探してください」
「ありがとうございます。食事とかは取れますか?」
「この時間であればちょうど取れますよ! 朝食は6時から8時まで、夕食は17時から20時までです」
「ではそっちの方もお願いします」
フユキは受付嬢から何か気を使われたという事を感じ取ったが、それについては触れないまま食事の話に移行する。
フユキはその身体の性質上、食事をしなくても動けなくなったり体調を崩したりということは無い。普段であれば食事をとっても味すら感じず、栄養として吸収されることもない。だが、意識して身体の機能を有効状態にすることで味覚を感じることもできる。
その場合には味を感じることで幸福感を得ることも可能だ。
それは痛覚や触覚という点に至っても同様だった。フユキは普段、痛覚も触覚も殆ど無効状態になっているため、殴られても切られても痛いという感覚は殆どない。何かが触れたな……程度感覚にしかならないのだ。それに付いても各感覚を有効状態に切り替える事で人並みにそれらの感覚を感じることができるようになる。
便利な身体だな…… フユキはそう感じながら、少し早めではあったが味覚を有効にした。
「では、宿泊料金に朝食と夕食の代金も入っていますので、ここでトレイを受け取った後に奥のキッチン前のカウンターに行って夕飯を受け取ってください」
「わかりました」
どうやら宿屋のレストラン部分は日毎に決まった食事を用意しているらしく、トレイを受け取ってからはすべてセルフサービスとなっていた。
フユキは宿泊料金を支払った後、トレイを受け取って言われた通りの場所へ向かい、夕飯を受け取る。
どうやら宿泊人数に加えて少し過剰くらいの量を事前に作っておいているらしく、夕飯は直ぐに出された。
内容としては、なんの変哲も無いパンにコンソメ風味が効いたスープにおかずの肉類。そこまで酷いものでもなく、むしろ現代人の舌であっても美味しく頂ける様な物だった。
フユキは1人で空いている机に付き、1人で食事を始める。
「ふむふむ。これは悪くないな……」
(まさか主様が1人でお食事をする時が来るとは思ってもいませんでしたよ)
フユキの独り言に対して、申し訳無さそうな口調で思念を飛ばす蛇。
ゲーム時代のフユキの食事といえば、それはバフを受けるためのイベントに過ぎなかった。別に満腹度なるものがあるわけでもないし、食事をしないからといって悪いことが起きるわけでもない。だが、食事はすることによってバフが付いていたのだ。
そのため宮崎冬雪としての記憶の中には、ゲームキャラであるフユキの従者を全員集めて、拠点である『サンクチュアリ』にある大きなテーブルで全員で食事をしていたという認識があった。そして、それは現在のフユキにとっても共通認識であり、食事といえば従者を集めて全員でするという認識があった。
「他の者達はどこへ行ったのやら……」
(最後に主様に付いていた私だけが一緒というのも気になります…… 皆無事だと良いのですが……)
フユキの従者達は異型揃い。人間社会に放り出されれば一目散に討伐対象となる事だろう。だが、その従者達の多くは既にフユキよりもレベルが高い為、蛇と同等に知能を得ているのだとしたら殺されているということは考えにくい。
よってフユキは、この地に来ていたとしても隠れてじっとしている事だろうと結論づける。
食事を終えたフユキは食器類をキッチン横のカウンターに返却し、部屋に向かおうとして2階への階段へ向かって歩く。
しかし、そこで邪魔が入った。
「痛っ! …………おいおい、お前! 今のは結構響いたぜ? 俺は今日の依頼で足を痛めてたんだよ。お前のせいで治るのが長引いたらどうするつもりだぁ!?」
フユキに対してわざとらしくぶつかった後に言いがかりをつける男。その男は少し長い金髪を横に流しており、赤い軽鎧をつけていた。
見るからに傭兵といった格好だが、この宿の中では珍しかった。なぜならこの宿には商人や学者といった地味な見た目でおとなしい性格の客が多いからである。
周りの客達は、その金髪男からあからさまに距離をとっており、関わりたくないのだろうという事が言われなくとも見て取れた。また、客達の目つきや会話からこの男は普段からこの宿で威張り散らしていたということも分かる。
だが、フユキも大人だ。
外見はどう見ても子どもにしか見えないが、精神年齢は大人なのだ。こういった場合においても冷静で荒立てない対応が求められる。
「私の不注意です。申し訳ありません」
「ふんっ! わかっているならいいんだ!」
フユキは素直に謝罪する。
そして、このやり取りで場が収まったと考えて階段へと振り返り、再度歩き始める。
だが、それで終わってはいなかった。
「待て! 口で謝るだけじゃあ足りないってことくらいわかってるよなぁ? なんせ俺は傭兵だ。足には生活がかかってる訳だからな! それを痛めつけられたとあってはそれなりの賠償が必要になるだろ?」
「そうでしたか…… では具体的には何を?」
フユキはめんどくさそうに何を要求されているのか聞き出す。
しかし、ここでフユキは大きな勘違いをしていた。てっきり信じられない程の大金や、何か身に付けている物でも要求されると思っていたのだ。
だがその予想は外れた。
「なぁに簡単な話だ。少し俺の部屋に来てもらってな、お手伝いをしてくれるだけでいいんだよ」
フユキは疑問には思ったが、フユキ程の実力者ともなればこの金髪男程度の賊では警戒するにも値しないと感じていた為、部屋まで同行する事にする。静かな宿内で争い事をするのは嫌だったのだ。
そして男の部屋に辿り着く。フユキを先に入れてから男もそれに続いて入り、部屋の扉をしっかりと施錠した後にフユキの方へと振り返る。
「ああいいねぇ。物分りの良い女は嫌いじゃない」
そう言いながら男は、手をワキワキと動かしながらフユキに接触しようと試みる。
そこでフユキはようやく理解した。
この男の言うお手伝いというのは、所謂「身体で払え」という事である。という事を。
――――今の状態になってから性欲という物がまるで無いから完全に忘れていた……
顔に手を乗せて「失念していた」といったポーズをとる。
現在のフユキには、おおよそ人間らしい欲求というものは無い。三大欲求も無いし、金銭欲や承認欲も無い。なぜなら必要ないからである。
飲まず食わず休まず眠らずで活動できるフユキにとって、そういった欲求はほぼ無いのだ。
だが、まったくないという訳ではない。人間だったという宮崎冬雪の記憶も持ち合わせている為、多少は欲求というものが存在している。それが先程の夕食を取るという行為だったのだ。
そして考える。
――――まさかこの僕が純粋キャラになってしまっていたなんてね……
自分が、今の会話の流れで何も察することが出来ない程ピュアになってしまっていた事が残念で仕方なかったのだ。
宮崎冬雪として生きていた頃にはかなり遊び歩いていた。社会人になってからはご無沙汰であったものの、大学時代には『皆のアイドルのあの子』や『サークルクラッシャーのあの子』更には『滅多に喋らない地味なあの子』などなど。王道からマイナーまでの多くを経験してきた。
身体を目的とする接し方など自分が今までやってきたはずなのだ。にも関わらず気が付かなかった。
しかしそれも仕方のない話だった。
普段フユキの表に出ている感情や行動は、ゲームキャラであった『フユキ』から出ているものであり、以前の自分である『宮崎冬雪』としての記憶は意識しなければ出てこないのだから。
「まったく…… 自分が嫌になるね」
そのセリフに金髪男は疑問を感じるが、既に自身を制御することは叶わずフユキに向かって進んでいく。そして、もう少しで手の届く範囲に入る。
そう思った瞬間。
フユキから軽いパンチが炸裂した。
「ブボハァっ!!」
金髪男は盛大に上空に打ち上げられてから床に倒れる。
パンチによって口の中を切ったのか舌を噛んだのか、口から少し出血している。
フユキとしては少し痛い目見て貰えればいいかな、という程度で攻撃したつもりだったのだが、結果的には意識を刈り取ってしまった。
「おかしいな…… 傭兵組合でドMのやつにやったのと同じくらいだったんだけども……」
傭兵組合での出来事を思い出しながら、胸元で手を閉じたり開いたりして力の入れ加減を確かめるフユキ。
そのパンチは、確かに傭兵組合にてフローに対して放ったパンチと同じ物だった。
だが、強靭な肉体を持つフローと一般的な傭兵である金髪男では、素の身体の強度や受け身のとり方がまるで違ったのだ。そのため同じ力加減だったのにも関わらず、一歩間違えば死に追いやっていた程の威力となってしまった。
「君の気持ちも少しは分かるつもりだったから手加減はしたつもりだったんだどねぇ~…… まあいいか。迷惑料としてこれは貰っておくよ」
宮崎冬雪としての記憶を持ち合わせるフユキにとって、この金髪男の行動原理は共感しても良いくらいに理解のできるものであった。唯一過ちがあったとすれば、それは行動に移してしまったことだ。脳内で色々と致して満足していたならばフユキとしても何も言うことはなかっただろう。
そんな事を考えながら、金髪男の横に落ちている小さな麻袋を拾ってそのままインベントリへと収納する。
中身はもちろんシルバーである。総額にして500シルバー程は入っている。500シルバーと言うとこの地においては結構な金額であり、金髪男が傭兵としてしっかりと働いていたという事が分かる。
だが、そんな努力も虚しくフユキは迷惑料としてそれを奪っていった。
自分に割り当てられた部屋に到着したフユキ。
金髪男の部屋とは右と左で逆方向であり、少し距離が空いている。しかし部屋の大きさや家具の配置は殆ど一緒であった。
「眠る必要も無いが…… 一応布団に入ってみるか。蛇、警戒よろしく」
(お任せください)
フユキは部屋にあった部屋着を一度インベントリへと収納する。
そして、次の瞬間には制服風の服装から部屋着へと入れ替わっていた。
これは装備を変更する様な感覚で出来る事であり、何かの能力でもなんでも無い。いちいち脱いだり着たりという手間が省ける為かなり便利な技能だと言える。
部屋着というのも、現代のような綺麗なズボンとシャツなどではない。新品ではあるものの質感はあまり良くない大きめのネグリジェである。
中世時代では男も女もネグリジェ1枚で眠っていたと言う。この宿では男女兼用の物が1枚あったことから、中世に近いのだと感じる。町並みが近代風であるが故に、フユキは少し違和感を感じた。
「でかい……」
恐らく男性でもピチピチにならない様に少し大きめに作られているのだろうと考えるフユキだが、自身が着ていると足元を引きずる程に長いという事に気づく。
かなり大きめではあるが、勝手に脱げる程の大きさではないため、仕方なくそのままベッドに入る。
現在の身体で眠ることはできるのか、心配していたフユキ。
だが数分後、フユキはしっかりと眠ることが出来ていた。
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