1.プロローグ
2050年。
街は極度の情報化とネットワークの発達によって、大規模なスマートシティ化が実現していた。
信号機や街灯は、人々の行動を常に監視し、その通行人数や通行時間を国へと送ることにより、人通りの少ない箇所での無駄な電力消費を軽減している。
改札や自動販売機では、ほぼすべての場所で電子マネーを読み取ることのできる装置が実装されており、人々は埋め込まれたチップによってその支払を済ませることが可能だ。
そして、進化はインフラやモバイル機器に収まらない。
子供用玩具開発企業は、おもちゃにマイクロコンピュータをしかけ、所有者の状況を逐一企業へと送信する。
携帯電話には常に盗聴されている可能性が存在しており、中に入っているデータは当然のように抜き取られていく。
極度に情報化してしまった街において、自身の情報の秘匿というのはほぼ意味をなさなくなっている。
そんな2050年現代、この時代で一世を風靡しているのが"ゲーム"である。
これまでのゲームは、画面をみてコントローラーで操作をするというのが一般的であった。だが、時代の変化に伴い、それらの常識は覆された。
現代のゲームの基礎はすべてVR技術によってできており、市場に出回るゲームはほぼ全てがVR専用ゲームだ。
その中で画面を見てコントローラーで操作をするようなゲームは3割にも満たない。
そして、そのような環境で最も人気を誇っているゲームのジャンルが”VRMMORPG”である。
これまでのRPGゲームというのは人によって好き嫌いが大きく分かれるジャンルであった。
単純な作業になるようなゲームが多かったり、淡々と画面を相手ににらめっこするような作業ゲーが多かったからだ。
しかし、VR技術が台頭してからは、そのゲーム性そのものが変わった。
悲しいことに、現代のVRMMORPGにおいて単純にRPGゲームが好きだからという理由でプレイしている人はごく少数だ。
RPGゲームを根底から覆す新たなジャンル、それがVRMMORPGなのだ。
例えば、専業主婦や女学生などは、新たなコミュニティーを築く場としてVR空間が使用される。
はたまた、不良学生などはその場所を”仲間と集まる集会場”として使用している。
更に、サラリーマンや小中学生もゲーム内には紛れているし、定年後の楽しみとしてプレイしている年寄りも多い。
まさに老若男女に大反響の画期的なゲームであるわけだ。
それ故に、楽しみ方も無限と存在している。
VRMMORPG内のVR空間を、ただ人とコミュニケーションを取るための空間として使っているものもいれば、第二の人生を歩むようにリアルな行動をとっている人もいる。ある程度の冒険をしてしっかりとゲームを楽しんでいるものもいれば、逆に熱中しすぎてゲームを中心に生活をしているガチ勢ももちろん存在する。
”ゲームは悪いもの”という考え方は、すでに一昔前の考え方に過ぎない。
◇ ◇ ◇
オフライン専用VRRPGゲーム”Blessed Gems”
この名前を聞いて反応するものは、一昔前からずっとRPGゲームを愛してきた人々か、現在進行系でRPGゲームを愛して様々なゲームを漁っている人々か、のどちらかである。
このゲームはVR技術がまだ完全に溶け切っていない時代に開発され、画面を見ながらキーボードとマウスで操作するという昔なつかしの操作方法でプレイされていた物である。
マイナーな企業が出しているゲームではあったのだが、その圧倒的なまでの作り込みに多くのマニアが感動し、プレイした。
そして、VR技術が溶け込んできた頃、”Blessed Gems(VR)”としてリマスターされて再販売されたのだ。
しかし、時代が悪かったのか再販された”Blessed Gems(VR)”はそれほど売れ行きが良くなかった。
なぜならこの時代、RPGゲームが好きでこういった種類のゲームを買うという人々が少なくなってきているからである。
人々がVRゲームに求めている要素は様々あれど、その内訳は大体がオンラインでのコミュニケーションである。
そういった時代背景からか、オフライン専用という足枷はとても重い物となっていた。
しかし、それでもマニアからは長らく支持されているのには理由があった。
まず1つ目は、作り込まれた世界だ。
世界の大きさはこれまでのゲームと比べると比べ物にならないほどに大きい。具体的には5つの国がある大陸が舞台なのだが、それぞれの国を横断するだけでもリアルで1日はかかるだろう。大陸を横切ろうとするならば、馬を使ったとしても1週間はかかる。
その規模のマップを、ロードなしでシームレスに移動することができるのだ。
更に、プレイヤーの周辺環境はもちろん、草や木は時間によって成長し、切り倒すこともできる。生きている生物たちは時間によって個体数や生体が変化し、過酷な弱肉強食を眺めることも可能。
世界中に散らばっている本の数々には、しっかりと内容が書き込まれており、神話、寓話、逸話、説明、魔導書、などなどその種類も多岐にわたる。その上、それらには作者が設定されており、その作者も世界のどこかでNPCとして生活しているため、本の作者を探す冒険をするのもまた一興だろう。
2つ目は、今までとは一線を画するゲーム性。
従来のRPGゲームはお使いクエストをひたすらこなすだけの作業ゲーになることが多かった。だが、このゲームでは もうお使いをする必要はない。そもそもメインクエストというものが存在せず、サブクエストの塊でできているがこのゲームなのだ。
ではクリア条件は何なのか。
明確には定められていないが、ゲーム中で祝福された宝石というアイテムを7個集め、それを使ってボスドラゴンを討伐することで『ゲームクリア』という実績が解除される。
それまでの道のりは定められていない上に、マップが広いため自由度もある。
英雄や勇者になれば世界中のひとに讃えられるし、魔王になれば全世界が敵になる。悪人になりたければ街の裏ギルドに話を通せばいい。
プレイヤーは、この作り込まれた広大な世界で優雅に自由に暮らすだけでも楽しさを感じられるのだ。
3つ目は、これまでの常識を覆す戦闘のバリエーション。
プレイヤーは最初、職を決めるように強いられることもなく、武器を渡してくれる親切な人物がいるわけでもない。広大な世界のランダムな地点で始まり、最初に持っているものといえばボロボロの服程度だ。
そこからの戦闘スタイルは自分で決めていかなければならない。
石を投げつけて倒すもよし、剣で切り落とすもよし、弓で射抜くのもよし、魔法を放つのもよし。しかし、それらのどのスタイルをとったとしても最初は苦労することになる。
武器や防具は買うこともできるが、最終的には自分で素材を集めて、生活スキルを上げて自作しなければ、通用しなくなっていく。
魔法に至っては、後半は研究して得た知識を使って既存の様々な効果を組み合わせて、1から自分の魔法を作っていかなければならない。とても面倒のかかる作業だ。
武器を使うにしても、このゲームに登場する武器の種類は大きく分けて50種類以上。
大剣、刀、双剣、杖、短杖、弓、ハンマー、槍。
などといった王道的な武器。
双刃剣、月輪刀、大鎌、銃、ブーメラン、ナイフ、弓剣。
などといった一般的には見ないような物まである。
一重に武器で戦うと言ってもその中で無限の戦術があることだろう。
といったように、一概に戦闘といっても、プレイスタイル、プレイスキル、武器、防具、魔法、それらの要素が複雑化した、よりハードコアな戦闘となっているのだ。
4つ目は、Modの存在。
このゲームでは、プレイヤーの作るModを導入することが公認されており、公式から出されているModもいくつか存在している。
これまでの公式がModを公認したケースは少なくない。
それだけではなく、プレイ人口もそれなりに多いため、数時間に一度というペースで新しいModが開発されている。
Modの中には公式が手を出しづらいような物も多くある。
例えば、アニメや別ゲーのパクリであったりだとか、規制がかけられているグロ表現やエロ表現の追加であったりとか、ゲーム自体をハイエンドPC向けの物に変えてしまうようなグラフィックにしたりだとか……
そして、このModによってプレイヤーには無限の楽しみ方が存在しているのだ。
主人公を最強にして、勇者や魔王のように圧倒的な力で薙ぎ払うロールプレイをしている人がいる。
逆に主人公を最弱にして、ヒットアンドアウェイのハクスラをシビアに楽しんでいる人がいる。
アダルトModを導入して、完全に抜きゲーのようなゲームにしてしまった人もいる。
グロModを導入して、攻撃が一撃当たるだけで体の部位がもげる仕様にしてしまう人もいる。
まさに、楽しみ方は無限大というわけだ。
◇ ◇ ◇
そして”Blessed Gems”をデスクトップ版からプレイしているガチ勢「宮崎冬雪」もまた、MODによってゲームバランスを崩壊させた環境でプレイしていた。
彼のゲームスタイルを説明するのであれば、それは「華麗な動きで敵を翻弄する反魔法銃士」である。
もともとこのゲームに反魔法銃士という職業は存在しない。というより、職業という概念自体が存在していない。
では、反魔法銃士というのはどのようなプレイヤーなのか。
大まかに説明するのであれば「魔法を無効化したり反射したりしつつ銃で戦う戦闘方法」である。
その特性上、反魔法銃士というスタイルでプレイすると、接近戦にはめっぽう弱くなってしまうというのが弱点ではあるのだが、魔法を無効化できるというのは、限定的な状況下ではその弱点を補ってなお、余りある優位性であるのだ。
しかし、その他の戦闘ではその力をまるで発揮できないため、人気としてはとても低い。
冬雪が反魔法銃士という不遇なプレイスタイルでゲームをしているのも、MODを導入して様々な強化を施しているからに過ぎない。本来の反魔法銃士スタイルであれば、いくら冬雪でも手を出すことを躊躇っただろう。
相手が魔法師であれば99%は勝てる。
そう言っても過言ではない程の利便性と優位性を、実際に持っているのだ。
更に、冬雪の場合は接近戦でも抜かりはない。
通常プレイでは、レベルの上限は100で打ち切りになってしまうのだが、ある程度の基本MODを導入することでレベル上限は200までは上がる。一般的なプレイヤー達にレベル上限を聞けば、ほとんどの場合は200と返ってくるだろう。
だが、冬雪はそのレベル上限を更に300にまで引き上げ、様々な武器やスキルを併せ持つことによって、遠距離でも近距離でも対応できるよう戦術の幅を広げたのだ。
とは言え、チートじみたMODを入れているわけではないので、それなりの努力は必要であったのだが……
Blessed Gemsにおいて、使う武器はそれぞれ対応する武器の熟練度によって、攻撃力やスキルに大きな影響が出る。各魔法や能力も同じだ。
熟練度レベルはキャラクターレベルと対応しており、一つの熟練度レベルを最大値の50まで上げるには、キャラクターのレベルもまた50必要になるということだ。
感のいい人はこれだけでも適当に熟練度を上げていては器用貧乏になってしまうと気づいたことだろう。実際、あれこれ手を付けてしまい、後半火力が足りなくなる人は少なくない。
現在冬雪のプレイヤーレベルは280である。
よって、熟練度を50まで上げている能力は5つ。
『拳銃』『長銃』『双刃剣』『格闘』『反魔法』
加えて、冬雪の自作MODのキャラクター種族である「鬼姫」の能力もある。
これだけの手段があれば、どのような相手にでも即席で対応できる程度の手数はある。
とは言え、冬雪のゲーム内での敵の平均レベルは330程であるため、一撃が体力の半分を削っていくことだって茶飯事であり、油断はできない。
そして、事件は冬雪が極限まで集中してボス戦を行っている瞬間に起きた。
(よし、もうちょっと。あと3センチくらい。なんでこんなに減らない!!)
敵の体力バーが残り僅かであるにも関わらず、一向に終わる気がしないボス戦。鬼畜ゲーではよくあることだが、現在冬雪がボス戦に突入してから既に30分は経とうとしている。
人間の集中力は10分が限界とはよく言ったものだ。
冬雪はもう既に集中力など切れており、ゲーマーとしての本能で操作しているに過ぎなかった。
カタカタカタカタ、とキーボードを鳴らしながら激しくマウスを動かす冬雪。
そしてついにその時が訪れた。
(ああ…… またやられた。今までで1番接戦だったのに)
結果は冬雪の敗北であった。
これまでに累計30回は挑戦しているであろうボス。従来のゲームとは異なり、敵のAIは単調な動きを繰り返すだけではなく、こちらの行動を学習して毎回毎回動きを変えてくる。難易度として桁が違う。
――それにしても、なんか手に違和感があるな…… 疲れてるのかな?
手に痺れを感じる冬雪。
実際、今回の戦闘で負けた要因の内に、手が軽く痺れ始めたからという理由もあっただろう。
しかし、冬雪は「まあいいか」とさほど気にかけることもなく、もう一度ボス戦を開始しようと試みる。
だが、その判断は過ちであった。
――あれ、なんか足も痺れてきた…… それに少し眠気も……
ボロくて狭いアパートの中、昼にも関わらずカーテンの隙間からの薄い差し日に照らされた彼の体は、ゆっくりと椅子から転げ落ちた。