第36話
息が苦しい。
喉が痛い。
口から心臓が飛び出しそうだ。
あれからどれだけ走っただろうか?
恐怖に震えながら蛍花はひたすら走り続けていた。
しかし、疲れた足は次第にもつれ始め、終には転んでしまう。
勢いがついていたせいか、かなり大きな音が響いた。
「はぁ……はぁ……」
痛い――恐い――
ボロボロとこぼれた涙が視界を歪ませる。
もはや、それは痛みのせいか恐怖のせいか分からなかった。
逃げなければと思う
しかし体の痛みがそれを邪魔する。
体のあちこちがズキズキと痛み、蛍花を苦しめる。
今までこれほどの痛みを受けた事はない。
そう考えると、この非日常的状況を嫌が応にも思い知らされてしまう。
「お父さん……お母さん……」
もう自分には誰もいないのに、両親や兄妹の名前を呼んだ。
誰もいない
誰も助けてくれない
そんな事分かりきっているのにそれでも蛍花は、もはや心の中でしか生きていない家族へと助けを求める。
「恐いよ……誰か助けて……」
嗚咽をもらし、蛍花は泣き続けた。
暗闇も、人気の無さも化け物も全てが恐い。
あんなに大切だった友人も死霊と化して自分を殺そうとしてくる。
何故自分がこんな目にあわなければならないのだろう?
どうして?
どうして?!
「何で……私達だったのよぉ!」
床を叩付け、蛍花は叫んだ。
どうして自分達だったのか?
何故こんな目にあうのが自分達でなければならなかったのか?!
一体自分達が何をしたのか?
こんな目にあわされるほどの何をしたのか?!
税金だってきちんと納めていたし、領主がどんな無茶を言ってもひたすら耐えていた
それがいけなかったのか?
けど、領主から娘達を守ろうとして村の人達は殺されてしまった
では一体どうすれば良かったのか?
逃げたとしても、すぐに捕まる
そうすれば結局皆は殺され娘達だけ捕まっただろう
結局は同じ事なのだ
どの道を選んでも、最終的にはこの未来へと繋がってしまう
「酷い……酷い……なんで私達が」
下層の者達ばかりが酷い目にあう。
そう、馬鹿を見るのも酷い目にあうのも全部下の者達だけなのだ。
「いっそのこと夢だったら良かったのに……全てが……夢なら――っ?!」
かすかに遠くから化け物の咆哮が聞こえたような気がした。
一気に、蛍花の中を緊張と恐怖が走り抜ける。
そうだ――こんな事してられない。早く逃げなければ化け物達が。
蛍花は体を起こし立ち上がろうとして足に激痛を感じた。
余りの痛みにそのまま床へと座り込む。
完全に足を捻ってしまったらしい。
「痛い――」
足首を庇うように手で触れれば、ドクンドクンと拍動が伝わってくる。
その拍動も痛みも全て生きている証
いっそのこと、そんなもの全て感じられなくなってしまえばいいのに
全て感じなくなってしまえば
こんなに苦しまなくて済むのに
蛍花の心に闇が忍び寄る
そう、私もあの子と同じように
なってしまえば――
『絶対に此処から出ようね』
突如、優しい声が脳裏に蘇る。
続いて、恐怖に怯える自分を優しく宥めてくれた少女の姿が蘇った。
泣き続ける自分を抱き締め、泣き止むまでずっと側に居てくれた。
一緒に帰ろうと言ってくれた。
そこで、蛍花はようやく思い当たる。
――果竪はどこ?
そして気付く。
「……たし……わたし………なんて事を……」
蛍花はそこでようやく、自分が果竪を置き去りにして逃げた事に気付いた。
今までと同じく、仲間を見捨てて逃げた時と同じように。
「わたし………わたし……っ!」
激しい後悔と自己嫌悪が蛍花を襲った。
なんて事を
自分はなんて事をしてしまったのだろうか
自分を助けてくれた恩人を一人見捨てて逃げてしまった
仲間を見捨てて逃げた時、あれほど後悔したのに自分は再び同じ事をしてしまった
これでは何も変わってない
前と同じ卑怯者だ
が、同時に自分の中の悪魔が囁く
あんな状況では逃げて当然だと
逃げなければ自分が殺されていたと
更に悪魔は囁く
もし自分が逃げなかったとして、それでどうなったか
逆に果竪が一人で逃げ出していたら?
あんな恐ろしい死霊と対峙してしまったのだ。自分を置いて一人逃げる可能性だって無くはない
寧ろ、一人で逃げてもおかしくはない
そうすれば、一人残されたのは自分の方だった
自分はそうなる前に逃げただけ
それにこんな状況だ。さっさと逃げない方が悪いのだ。
生きるためには誰を犠牲にしても逃げなければ
自分が今生きていられるのは他の仲間を犠牲にしてきたからだろう?
そう、貴方は何も悪くない
自分は悪くない
逃げ遅れた方が悪いのだ――
「違う」
蛍花は言った。
それは酷く弱かったが、その中には確固たる意思があった。
「それなら……私はどうして苦しんだの?」
仲間達が捕まり殺されていく事を
助けられた筈なのに見捨ててしまった自分の行いを憎んだのか
「自分が間違ってるって分かってたからよ……助けられた筈なのに、助けに行かなかった」
助けられた人達まで自分は見殺しにしたのだ
いつしかそれに慣れてしまった
仕方がない、しょうがない
そう自分に言い訳して
あの時、果竪の腕を引っ張って逃げる事ぐらい出来た
もしかしたら失敗したかもしれない
上手く行かなかったかも知れない
しかし自分はそれをせずに逃げたのだ
何もかもやる前に逃げたのだ
死霊に追われ転んだ仲間に振り向く事なく逃げた時と同じで
「そうだ………振り返れば良かった」
手を差伸べれば良かった
恐くて動けなければ引っ張ってでも一緒に走れば良かったのだ
一緒に捕まったかも知れない
けれど、それでも一人ではなかった
こんな風に一人で孤独に震える事はなかった
せめて、一緒に死ぬことぐらいは出来た
何もしなかった自分
殺されていった仲間達
そして置き去りにした果竪
蛍花は立ち上がった。
心の中の悪魔は囁く
もう手遅れだと
けれど、蛍花は走り出していた。
足首が酷く痛み、何度も転倒しかけるが、それでも今来た道を走り抜ける。
今度こそ、その手を差し出すために――
果竪と離れた場所に戻ってきた時には、既に満身創痍となっていた。
運良く化け物達にはあわなかったが、痛めた足首は酷く痛み、そのせいで何度も転び体を打ち付けた。
最後は足を引きずるようにしてようやく辿り着けば、そこには誰もいなかった。
もしや、果竪もどこかに逃げたのではないだろうか?
その時、蛍花の視界の端にそれが映り込んだ。
床の血痕。
それは、引き摺っていった事を示すように奥へと続いていっていた。
「これは……まさか」
さっきまではこんなものはなかった。
恐ろしい考えが蛍花の中に過ぎる。
もしや、果竪は連れ浚われたのではないだろうか?
死霊と化した友人によって――
ふと、蛍花は思い出す。
そういえば、まだ自分が仲間を救おうとしていた時のことだ。
悲鳴を聞きつけてかけつければ、そこには誰もいなかった。
死体すらなかった。
あの時も、もしかしたら死霊によって何処かに連れ浚われていたのではないだろうか?
蛍花は震える体を強引に押さえつけて床を見る。
その血痕跡はまるで蛍花にこれから進むべき道を示しているかのようだった。
蛍花は唇を噛み締めると、血痕を踏まないようにして奥へと進んでいく。
その先に、果竪が居る事を願って。
え~~、パチパチと打っていたらいつのまにか次の話が打ち上がってました――。
と言う事で、蛍花後悔編です。
果竪を一人置いて逃げてしまった蛍花。戻った時には既に遅く、果竪は何処かに連れ去られてしまいました。
さて、蛍花は間に合うのか?!
次話もよろしくお願いします(礼)