第34話
憎い
憎い
憎い
何故自分達がこんな目に遭うのか?
何故全てを奪われなければならないのか?
憎い
痛い
苦シイ
許サナイ
ゼッタイニユルサナイ
ミンナコロシテヤルッッッ
泣きじゃくる蛍花の背をなで続けてからどれだけ経っただろうか?
次第に嗚咽がおさまり、泣き声が小さくなってきた。
荒ぶっていた感情が静まってきたのだろう。
しかし――これで全てがおさまったわけではない。
泣きじゃくるのをやめたとしても、心の傷が癒えたわけではない。
どれほど言葉をつくしても、蛍花が受け入れてくれなければそれらは全て無意味となる。
そして、蛍花が自分を本当に許すまでにはまだ時間がかかるだろう。
いや、もしかしたら一生許す事はないかもしれない。
それでも、何時の日か自分を許せる日がくればいいと思う。
身勝手すぎる私利私欲の為に、全てを狂わされた蛍花の幸せを心から願う。
「……っく……ごめんなさい、服……ぬらしちゃった」
涙と鼻水で果竪の胸の部分が濡れてしまっていた。
「あ~~、いいのいいの。どうせボロボロだし」
「ボロボロって……」
そういえば暗くて分からなかったが、こうして触れていると何だか凄くヨレヨレであちこち穴も空いているような気が……。
そんな風に蛍花が戸惑うのとは別に、果竪は自分の服の裾をクイクイと引っ張りながら溜息をついた。
影時達との戦いで既に泥だらけ、穴だらけとなった衣服。
集落に戻った後も当然着換える余裕などなかったし、着換え用の衣服をもってくる事も出来なかった。
一応、川に落ちた際にある程度の泥は落ちたが、きちんと洗濯したわけではないので服に泥が染みこんだまま乾いてしまい、妙なまだら模様がいくつも出来ていた。
こんな姿、明燐が見たら卒倒するだろうな~~
とはいえ、明燐は今頃王宮だからこの状態で再会する恐れはないだろうが。
「さてと……泣き止んだみたいだね」
「あ……あの、ありがとう」
「辛い時は泣いた方がいいよ。我慢してると体に悪いからね。それに本当ならもう少し泣かしてあげたいんだけど……それは、ここから無事に出た時にって事で」
「……その、果竪はどうして此処に来たの?」
「私?」
「うん。一体何の目的で此処に来たのか不思議なの。領主に連れてこられたわけじゃなくて自分から来たって聞いたけど……」
「う~ん、ある物を手に入れる為だよ」
「ある物?」
「そう。それがあれば、大切な人達を助けられるの。そして、領主を逮捕出来る」
「領主様を?」
「そう。私の大切な人達を散々苦しめて、その上、蛍花や蛍花の大切な人達を傷つけた。絶対に捕まえるわ」
その為にも、自分が手に入れようとしているものは必要不可欠だと告げる。
その真摯な眼差しはどこまでも深かった。
「という事で、それを実行する為にも今の状況を何とかしないとね」
そう言うと、どうすればいいかをぶつぶつと呟く果竪に、蛍花は胸が締め付けられた。
果竪は本当に強い。こんな状況になっても前向きに頑張っている。
どうしてこんなにも彼女は強いのだろう?
どうして………
「はぁ……今頃蓮璋が心配してるだろうなぁ」
申し訳なさそうな呟き
ああ、そうか………果竪がこんなにも頑張る理由は
待っている人がいるからだ――
表情が曇ったのが分かったのか、果竪が慌てて説明し出す。
「あ、蓮璋っていうのは私と一緒にこの舘に来た人で、私の友人なの」
蓮璋が聞けばとんでもないと恐縮するような台詞だが、果竪にとっては既に友達でしかない。
それか、友人の未来の旦那様だ。
此処から出られたら蛍花にも紹介するね、と告げる果竪に蛍花はあやふやな笑みを浮かべた。
待っていてくれる人
果竪の帰りを心配して、今もきっとその帰りを待ち続けている人
羨ましかった
だって
もう、自分には誰もいない
誰も自分を待つ者はいないのだ
此処で万が一死んでしまっても、誰一人としてそれで悲しんでくれる者は
蛍花は胸の前でぎゅっと手を握りしめた。
そして、しっかりと果竪の目を見て自分の決意を告げた。
「絶対に……此処から脱出しましょう」
ゆっくりと、噛み締めるように告げた言葉に、果竪は少し驚いたように目を瞬いた。
しかし、すぐに笑顔を浮かべて頷いた。
「うん、絶対に此処から出ようね」
そう、絶対に―――戻るのだ。
蛍花は果竪の笑顔を見ながら決意を強めた。
「さてと、決意表明した所で、まずは現在位置を知る事からだけど……まずここは意識を失う前に居た場所と明らかに違うよね」
意識を失う前に居た舘内と造りは似ているが、雰囲気や様子は全く違う。
ドアに鎖なんてかかってなかったし、ましてや大量の錆びや血もなかった。
人気の無さは同じだか、不気味さもこちらの方が格段に上だ。
どうひいき目に見ても、ここは意識を失う前のあの場所とは絶対に違う。
「蛍花はどう思う?」
「果竪の考えてる通りだと思います。ここは、私達が普段暮らしている世界とは違う、友達が創り出した世界です」
蛍花は言った。
普段自分達が暮らしている世界が表の世界だとすれば、ここは裏の世界。
表裏一体で瓜二つ。しかし、現実世界とはあまりにも違い過ぎる世界。
蛍花の友人の能力が暴走した結果創り出された狂った世界。
そこに、果竪と蛍花は引き込まれてしまったという事だ。
「ってか、引き込まれたのって、あの時だよね」
蛍花を追いかけた際の大揺れとあの現象の後目覚めれば世界が変わっていた。
血と錆びに支配された狂った世界へと。
「そうですね……」
蛍花が頷く。
あの時、最初に狂った世界に引き込まれた時と同じ感覚を蛍花は受けた。
それ故に恐怖した。あの狂った世界に引き戻されると――。
「けど、蛍花は私が来る前にもう狂った世界に引き込まれてたんでしょう?なのにどうして出会えたのかしら?」
「それは私も不思議なんです」
二人が出会ったのは元の世界でだ。
しかし、果竪が来る前に蛍花が狂った世界に引き込まれていたのならば出会える筈がない。
いや――
「もしかして、空間が重なった?」
別々の空間ではあったが、空間が重なれば出会える事もある。
「そこまでは分かりませんが……」
「それか、いつのまにか時空の割れ目みたいなものから、蛍花が元の世界に転がり出ちゃってたとか」
あり得ないことじゃないよねと呟く果竪に蛍花も頷く。
「という事は、まずはどうやって外に出るかだけど……」
空間転移は出来ないだろうか?
果竪は脳裏に空間転移に関する知識を引っ張り出した。
空間転移――その名の通り、別の場所に移動する術だ。
それは、同じ空間内で行われる事もあるし、別世界へと転移する場合もある。
特に別世界への転移には、非常に多くの力を要する。
そもそも空間転移自体が高位の術であり、それには膨大な力を消費する。
それこそ、単独でこれを行う術者はごく一部――正に限られた者達しか居ない。
普通の術者、いや高位の術者では命と引き替えにするほどの消耗量だ。
その為、普段は空間転移する際にその手助けとなる道具があるのだが――此処にはそれらしいものはない。
となると、果竪が単独で術を使用しなければならないが、普通の者の力が松明の炎だとすれば、消えかけたマッチの炎程度しか容量のない果竪にはどうあがいたって使用不可能だった。
そう――
果竪一人であれば――
果竪は蛍花に視線を向ける。
能力の使い方は分からないが、その身には強大な力が宿っている。
それこそ、空間転移が可能なほどに。
蛍花の手助けがあればここから空間転移で元の世界に戻る事が出来る。
しかし――
果竪はぐるりと辺りを見回した。
「………空間転移は無理そうだね」
血と錆びに覆われた世界。
誰も逃がさぬよう創り出されたその世界には、強力な結界が張られている。
それが空間を幾重にも歪ませており、空間転移を不可能としている。
このままでは空間転移は使用出来ない。
「ここは王道の道をとるしかないかな」
「王道?」
「そう。ここの空間を作り出している人をどうにかして外に出るの」
「どうにかって……」
「説得でも力尽くでも、とにかく空間を作り出している当人をどうにかしなきゃならないわ」
「……………………」
「心配?」
その質問に戸惑う蛍花だったが、次の果竪の言葉に、思わず言葉を詰まらせる。
「大切な友達だったらしいからね」
「果竪……」
「出来るなら説得がいいよね……凄く難しいけど」
説得なんて簡単に言ってるけど、それはきっととても難しいと思う。
どれだけ恐かっただろう?
どれだけ苦しくて辛かっただろう?
家族も全てを奪われた挙句、生きながら喰われた恐怖と苦痛はきっと果竪には想像すら出来ないほどのものだっただろう
蛍花の友人の怒りはもっともだ
巻き込まれた身だが、こんな状況を作り出しても仕方がないと思う
だって、それだけ苦しかったのだ
辛くて、痛くて、恐くて、憎くて
自分だってそんな目にあったら同じ事をしているに違いない
自分では想像すら出来ないほどの苦痛と恐怖を味わい殺された人達
その無念さは絶対に経験した人達しか分からない
そしてそんな経験をさせた領主に激しい憎悪を抱く
なんて事をしてくれたのだ
なんて事をしたのだ
腸が煮えくりかえり、今にも暴れ出したいほどの怒りが渦巻く
もし此処に領主がいれば速攻でその首を捻り切ってやりたい
民を統べる身でありながらその義務を放棄した
放棄しただけならまだいい。代わりをたてればいいのだから。
しかし、領主は守るべき民を私利私欲の為に利用し、傷つけ、その命を奪った
出来る事ならこの手で葬ってやりたかった
いや、もし可能であれば領主がそんな馬鹿な事をすれ前にかけつけて、ボコボコノギッタンギッタンにしてやりたかった
そうすれば――生け贄となった人達も、焼き払われた村の人達も、そして蓮璋達もこんなに苦しい目に遭わずに済んだのに
全てはもしもでしかないけれど
それでもそう願わずにいられなかった
それと同時に思う
欲を言えばその怒りをぶつける相手が領主達だけであれば良かった
共に連れて来られた人達に向けては欲しくなかった
もう何も分からないほどに憎悪に蝕まれていたとしても
それだけが――ひどく悲しかった
「蛍花はその友人が今どこにいるか分かる?」
「え……その、すいません……」
「あ、いいのいいの。もし分かればって事だから。それに……蛍花は辛いよね」
大切な友人が死霊として蘇ってしまったなんて。
「…………………出来るなら、見たくなかったです」
本当に大切な友人だった。
小さい頃から一番仲の良かった友人。
自分とは違い、美人で可愛くて頭も良い。それでいて本当に優しい自慢の友達だったのだ。
「本当に……どうして……」
「蛍花……もし、もしどうしても辛かったら」
辛かったら、会わなくてもいいんだよ
そう告げる果竪に蛍花は首を横に振った。
「いえ、会います。会わなきゃ……逃げるなんて出来ない」
「そっか……でも、何かあったら私が守るから安心してね」
「果竪……ありがとう――」
視界が大きく揺れ、急激な眠気と共に体がふらつく。
「あ、あれ?」
「ふふ、安心したら疲れが出てきちゃったみたいだね」
少し休もうかと告げる果竪に蛍花は首を横に振った。
「いえ、すぐに」
「駄目」
「だ、駄目って」
「休まなきゃ駄目。どれだけ寝てないの?」
果竪の質問に、蛍花は眠たい頭で考え込む。
「えっと……一週間ぐらいは」
此処に連れて来られてから満足に寝てない。
それどころか、友人が死霊と化した後はずっと逃げ回っていた。
軍人でも武人でもなく、ただの一般の少女である蛍花にとつてはいくら神族とはいえ限界が来ていてもおかしくはない。
むしろ、限界に近いが為に体が睡眠を欲したのだろう。
「という事で寝ましょう」
「でも……」
「動く事も大切だけど、でも休める時には休まないと」
「うぅ……」
「眠るのが嫌なの?」
「……暗いのが」
恐いの――
そう告げる蛍花は微かに震えていた。
狂った世界は闇に包まれており、その中を化け物に怯えながら逃げ続けていた。
眠る事なんて当然出来なかったし、ただ闇の中にいるだけでも恐くてたまらなかった。
「こんな暗い所で……寝るのは」
その時、蛍花の顔を光が照らす。
「え?!」
驚いて光りが放たれる方を見れば、それは果竪の手の中にあった。
「洋燈……」
「向こうにあったの」
蛍花の話を聞きながら、ちゃっかりと光源を見つけていた果竪。
しかも、一緒にマッチまで見つけ、さっさと火を付けて明りを灯していた。
ぼんやりとした弱い光だが、久しぶりの明りに対する安心感は限りなく大きい。
「……綺麗……」
「これで眠れるね?」
果竪の笑顔。
見事なまでに話を戻した果竪に蛍花は白旗を振った。
「はい……」
そうしてあれよあれようと言う内に寝台の上に寝かされ、更には子守歌まで歌われた。
その歌声は疲れた体と傷ついた心に染みいった。
優しい、穏やかで美しい音色はほどなく蛍花を眠りの世界へと誘う。
やすらかな寝息が聞こえてくる。
あどけない寝顔。
穢れとは無縁の邪気のない安らかな顔に、果竪はほぅと小さく息を吐いた。
他の者達が皆殺されていく中で、一人狂った世界を逃げ続けていた。
いつ、蛍花が元の世界に戻って来たのかは分からない。
けれどそのおかげで自分は蛍花と出会えた。
「絶対に……一緒に帰ろうね」
そう呟くと、果竪は寝台から下りた。
自分も少し眠ろうと、隣の寝台へと向かおうとした時だった。
暗い中、きらりと何かが光った。
それは、等身大の大きな姿見だった。
そこに果竪の姿が映り込む。
洋燈の明りで、ぼんやりとだが今の自分の姿が見えた。
思わず笑い出したくなるほどのボロボロさ加減だった。
服はボロボロ、体もあちこち擦り傷や打ち身であざだらけ。
極めつけは短くなった髪だ。
勢いに任せて切ってしまった髪は当然整える暇などなかった。
肩にようやく着くかという長さはあるものの、全体的には見事なまでにバラバラの長さとなっている。
「………凄い頭」
ってか、本当に凄い姿だ。
明燐レベルの美女ならばこういう姿も絵になるだろうが、自分程度の容姿では滑稽としかいいようがない。
濡れ鼠ならぬ泥ネズミというのがお似合いだろう。
どうひいき目にみたって王妃には見えない。
ましてや、美貌の王と名高い王の后には絶対に見えないだろう
「……………もっと……綺麗だったら良かったのに」
気付けばそんな事を呟いていた。
それは、果竪の紛れもない本音。
平凡な容姿の自分はあの煌びやかな王宮の中では異質の存在だった。
類い希な美しさを持つ王を始め、それぞれに美しい美貌を持つ側近達。
それこそ、男女問わずに美形が揃っていた王宮。
容姿だけではない。
その頭脳も才能も全てを兼ね揃え、彼らは凪国を統治していた。
そんな中に、何もかもが平凡だった自分は居た。
容姿も、能力も平凡。いや、能力なんて微々たるもので殆ど役に立たなかった。
落ちこぼれの王妃
役立たずの王妃
何故あんな少女が王の隣にいるのかと誰もが首を傾げていた
何をやっても満足にいったためしがない
けれど
せめて、容姿だけでも美しければ
そうすれば――
「って、今更そんな事言っても仕方ないよね」
果竪はフッと自嘲するように笑った。
そう――今更そんな事を言っても仕方ない。
何故なら
「私は王妃を辞めるんだもん。平凡すぎようが、王宮で異質すぎようが、そんな事は関係ない」
どんなに王や周囲が美しく聡明だろうと、能力が高く才に溢れていようと関係なくなるのだ
王妃でなくなれば全て関係なくなる
果竪は短刀を取り出した。
それを、バラバラの長さとなった髪にあてる――
パラパラと短い髪が床へと落ちる。
鏡を見ながら果竪はバラバラの長さの髪を整えていく。
そうして、更に短くなった髪は完全なショートカットとなった。
ああ、もう完全に王妃には見えない。
けど、もうそんな事は関係ない――
「――今度結婚する時は自分にあった人を選ぼう」
地位や身分は高くなくてもいい。
ただ、毎日一生懸命働いてくれて、一緒に温かい家庭を築いてくれる優しい人と結婚したい。
そう――愛情一杯大根を育ててくれる人と
王妃退任後の大根農家への転職は、既に果竪の中で決定事項だった
探せど探せど探し人はいない。
果竪と離れてからもう二時間も経過している。
一体どこに行ってしまったのだろうか?
まさか、化け物に――
蓮璋は頭を激しく横に振りその考えを打ち消す。
きっと果竪の事だ。無事で居るはずだ。
それよりも、まず目の前の事に専念しなければ――
「この奥に……鉱石が」
蓮璋は目の前にある大きな両開きの扉を見た。
一見すれば何の変哲もない扉。
しかし、その扉には幾重にも鍵がかけられていた。
いったい何が奥にあるのかと思わずにはいられない厳重さ。
だが、それも当然だろう。
何故ならその奥には、蓮璋達を苦しめる原因となった鉱石があるのだから。
領主の隠し部屋で日記を読んだ後、再び周囲を捜索した蓮璋はそこで鉱石の在処を記したメモを見つけた。
自分用に領主が書き記したものだろう。
そこに書かれた手順通りに行ってみれば、新たな隠し扉を発見した。
そうして、その扉から再び階段を下り長い廊下を進んだ先にその扉はあった。
その先にあるのは希望か絶望か
扉を戒める鍵を一つずつ外していく。
鍵は既に隠し部屋にて手に入れていた。
「よし、これで残りは一つ――」
蓮璋は懐から一枚のカードキーを取り出した。
淳飛が託してくれた最後の鍵――
「………今使わせて貰いますよ」
蓮璋は機械にカードキーを滑らせていく
認証音と共に鍵の外れる音がした――
え~~、果竪、蓮璋、それぞれで色々と進んでいる今回でした。
さて、果竪と蛍花は無事に外に出られるでしょうか?
蓮璋は果たして鉱石を手に入れられるのか?!
という事で、次回も頑張ります♪
あ、感想どうもありがとうございます!
返信は、(帰郷編)終了後に纏めて返させて頂きたいと思いますのでご了承下さいませ(礼)