第3話
時は暫く戻る。
何処からか狙撃されて倒れた果竪はかなり危険な状態だった。
そんな彼女に出来る限り応急処置し命を取り留めさせたのは、最初に馬車を襲った男達だった。医学を囓った者が数名おり、何とか果竪の出血は止まった。
しかしすぐにきちんとした手当をしなければ危ない。
果竪の容体が安定すると、男達はすぐに明燐も一緒に連れて馬車から離れた。
半日歩き続けて険しい山道を越えた後、二つほど洞窟を通り抜けた。
その後、隠されるようにして存在する天井低い洞窟を通り抜けた明燐達
の前に、深い渓谷が現れた。
しかし最も驚くのはその地形を利用して作られた集落の存在だった。
そして此処こそが、王妃の馬車を襲った賊達の根城である。
「老師っ!怪我人だっ」
集落の一つの建物に入ると、男の一人が叫びながら奥へと向かう。
ほどなくバタバタと周囲が騒がしくなった。
「さあ、王妃を」
これまでずっと果竪の側から離れようとしなかった明燐は彼らの申し出に大きく首を横に振って抵抗した。しかし、とうとう周囲の手によって引き離される。
「大丈夫ですから」
賊の頭領とも言うべき男が明燐の体を抱くようにして引き離す。
それに抵抗しながらも果竪は別室へと運び込まれ、後から数人の女性と初老の男性が部屋へと入っていった。
「果竪・・」
「大丈夫、老師の腕は確かだから」
そう言って励ましてくれる男は到底馬車を襲った相手とは思えない。
考えてみれば奇妙な光景だ。
自分達を襲った相手にこうして抱き締められているなんて。
そして、果竪の怪我の手当をしてもらうなんて・・・普通では考えられない。
「・・助かりますよね・・」
「きっと助けてくれる筈だよ。それに、あの王妃様がそんなに簡単に死ぬはずがないしね」
「もし・・果竪が死んだら・・私、生きてられない」
「そんな事言わないで」
嗚咽を漏し始める明燐の背を男が優しく撫でていく。
しかし、明燐の嗚咽は止まらなかった。
それどころか、どんどん悪い方ばかりに考えが進んでいく。
「私も・・・果竪が死んだら私も一緒に・・」
一緒に私も――そう言おうとした時、突然強い力で男が明燐を自分と向き合うような体勢にさせた。そして厳しい顔で言う。
「馬鹿な事を言わないで下さい!」
男がそんな事は考えるなと続け、向き合わされた時と同じぐらい強い力で抱き締めてくる。
その扱いの乱暴さに思わず涙が引っ込んだ。けれど、すぐに背中をさする大きな掌に再び涙が込み上げてくる。気づけばボロボロと涙が零れ落ちていた。
「・・大丈夫です、きっと助かりますよ。って、襲ったオレが言う台詞ではないですが」
男の言葉にその通りだと思いつつも、自分を気遣う思いを感じ取り、静かに頷いた。
男がホゥと安心したように息を吐く。
「そういえば、貴方の名前はまだ聞いていませんでしたね。オレの名は蓮璋と言います」
「私は・・明燐です」
「明燐・・・とても良い名です」
「御世辞は結構です」
「御世辞なんてとんでもない。本当にそう思ったから言っただけですよ」
明燐は疑わしげに男を見上げた。
今まで自分に言い寄ってきた男達とは違う感じだが、それでもその言葉に含まれるものにひっかかりを覚える。
というか
「その、いつまで人のことを抱き締めているつもりですか」
何でこんなに密着してるのだろう。
腕をつっぱつって離れようとするが、逆に抱き締められてしまう。
「ちょっ!」
「聞かせて欲しいことがあります」
「何をですか!って離して下さいっ」
しかし腕の力は緩まない。
そうこうしているうちに、男が耳元で囁いた。
ってかやめて息が耳に掛かるっ!!
「貴方は王妃様にとってどういう方ですか?」
「はぁ?」
「一緒の馬車に乗っていたという事は侍女か何かですか?」
「――ええ。王宮では侍女長をしておりました。って離して下さいっ」
「侍女長ですか・・・こんなに美しく、しかも侍女長に就任しているとなれば言い寄る男は数多ですね。ああ、もしかして既に特別の人はいますか」
何処か嘲笑う様な言い方に明燐は怒りを覚えた。
「あいにくと、特別な人などいません!それどころか今まで恋人が居た事など一度もありませんわっ」
「え?」
「縁談を求めて行列を為したことはありますが、その中の一人と付き会うという事は一度もありません。産まれてから今までずっとフリーですわ!!何か問題でも?!」
「貴方が?今までフリー?」
驚く蓮璋に明燐は悪かったわねと心の中で怒鳴った。
元々、要所の頃から高嶺の花として憧れはするけれど直接来る者はいなかったし、来たら来たで兄が全て裏で潰していた。成長し年頃になった頃には果竪付きの侍女としての仕事でそれ所ではなかったし、それ以前に果竪と一緒に居る方が楽しくて自分に降るように来る縁談は全て無視していた。
中には実力行使をかけてくるのも居たが、そういうのは自分が手を下す前に果竪が手を下してくれた。
おかげで、今まで一人も男性と付き会った事がないという結果となってしまった。
でもそれが何だというのだ。
自分はまだ十七歳。
これから見つけてもなんら遅くはない筈。
貴族の姫君などは十歳で結婚する者も居るし婚約はもっと早いらしいが、幸いなことに自分は貴族の出ではない。
二十歳を超えてから結婚したって全く問題はないのだ。
これ以上何か言ったら本気で殴ってやろうかと身構えれば、突然男が笑い出した。
それも、何だか楽しそうな、嬉しそうな笑い声。
余りに思いも寄らない反応に明燐が呆然としていると、男が明燐の体を抱き締めた。
「きゃっ!何するのっ!!」
「いえ、これは嬉しい予想外だったので。そうですか、付き会った人は誰もいないんですね」
「悪い?!」
「悪くありません。オレと結婚して下さい」
「は?」
自分を痛いほど抱き締めながらこの男は何を言い出すのだろう?
余りの事に、完全に明燐は冷静さを失った。
「な、な、な、なななななっ」
「結婚して下さい」
「突然何をっ!!」
「一目惚れなんです。馬車の扉を開けて一目貴方を見た瞬間から」
果竪に蹴り倒されたひげ面の男を除けば、一番最初に馬車の中に入り込んできたのが蓮璋だ。
自分を王妃と間違え押さえつけてきた。
って、あの状況で一目惚れって。
「最初はすぐに諦めたんですよ。だって、貴方の事を王妃だと思ってたから」
扉を開け放ち座る少女の美しさに蓮璋は息を呑んだ。
これほど美しい女性が居たのかと。外見だけではない。
内面から溢れ出る清らかさと凛とした美しさに今すぐ自分の物にしたいと思った。
しかし、彼女は王妃
明燐は人妻で、しかも王の后
それが深く自分達の間に横たわる最大の障害だった
自分はあいつのような非道ではない
彼女を欲しながらも、人の妻だとして諦めようとした
しかし運命は彼を見捨てなかった
明燐を押さえつけ目的は貴方だと告げた瞬間現れた少女
果竪と呼ばれた彼女こそが王妃だった
つまり、明燐は王妃ではないということ
それがどれだけ自分にとって救いだったか
後は、明燐に他に特別な人がいないかを探るだけ
もし居ても、まだ婚儀を上げていないのなら自分が付け入る隙は充分ある
そうして今カマをかけるようにして聞いてみれば明燐は自ら特別な相手は誰もいなかったという
となれば、何が何でもこの少女を手に入れたいと思った
現在果竪と呼ばれる少女が生死の境を彷徨っている時に不謹慎だが、蓮璋はこのチャンスを逃すつもりはなかった
「貴方が王妃ではなく、また特別な相手がいないと知って勇気がわきました。是非妻になって下さい」
「こんな時に何言ってるんですかっ!!ってか人を、私達を襲った賊の頭領の妻だなんて私が承知するとでも」
「では、賊でなければいいんですか?」
「え?」
「確かにオレ達は貴方方を襲いました。けれど、決して傷つけようとしたのではない。ただ、オレ達の話を聞いて貰いたかったんです――王に」
直接国王と話したかった
そう告げる蓮璋に明燐は眉をひそめた。
「直接って・・・話す機会は何度もありましたでしょう」
民達の声を聞くべく意見箱を設置したり、実際に話し会う場は儲けられている。
よって、話したいならその場に出てくればいい。
しかし、蓮璋は首を横に振った。
「無理です」
「何故?!」
「あいつに必ず妨害されるからです」
「あいつ?」
「ええ。権力欲が強くて、自分の欲望を叶える為にはどんな事だってする。そして自分の財を増やす為には、国に新たな鉱石の存在を隠し、散々酷使した民達を葬ることさえ厭わない」
「え?」
「此処は死人の村です」
蓮璋の言葉に明燐は言葉を失った。
死人の村?
「それって」
「正確には、世間から死んだことになっている者達が作り上げた村なんですよ。オレも、オレと一緒に馬車を襲った仲間達も、此処に住まう皆も全員が世間からその存在を抹消された――いえ、違いますね」
そう言うと、蓮璋は苦々しげに笑った。
「生きているのに死んでいる。死んだ事にしなければ生きられなかった哀れな存在――それがオレ達です」
それは二十年前に遡った。
次は、20年前に蓮璋達に降りかかった災難の話になります。