第25話
どんどん小さくなっていく明りとは裏腹に濃くなっていく闇。
落下する感覚はそれほど長くは続かなかった。
それはまるで洗濯機で洗われる衣服のよう。
身体を引きちぎられるような急流
押し潰れるような水圧
あっと言う間に意識なんて吹っ飛んだ。
はっきり言って生き延びたのは運の一言と言えよう。
見上げれば、空には星が瞬いていた。
こんな時でなければ思わず見とれて言葉を失うような美しい夜空。
それを、川辺に打ち上げられた状態で見上げる。
星が瞬き、流れ星が一つ。
願い事は当然決まっていた。
でも、二回しか唱えられなかった。
そんな事を考えながら身体を起こす。
自分の命が助かっただけでももうけものだと考えるべきかもしれない。
けれど、まさかあの穴が外へと繋がっていたなんて……。
果竪は、川の中央をゆっくりと流れていく流木に気付いた。
その流木に覆い被さるようにしてひっかかっているのは――
「蓮璋っ!」
果竪は再び川へと飛び込んだ。
集落が炎に包まれる。
殺されていく村人達。大切な者達を手にかけていく黒ずくめの男達。
そして――
『明燐はワシのものじゃ――』
老師の手の中に居る明燐に手を伸ばし叫ぶ。
やめろ、明燐を返せ――
「蓮璋っ!」
聞こえてきた声にハッと我に返る。
すると、老師達の姿は消え、目の前には果竪の顔があった。
「良かった……気がついたんだね」
「……果……竪……」
「本当に良かった……」
そう言うと、自分に抱きつく果竪に蓮璋は目を丸くした。
が、その頬に触れようと手を伸ばした瞬間、体中に痛みが走った。
「動いちゃ駄目!まだ傷が治ってないんだからっ」
「傷……」
「体中傷だらけなの。それに骨の方も……たぶん、急流に飲まれた時に負ったものだと思う」
「急流……」
「本当に……危なかったんだよ?でも……良かった……気付いて」
嬉しそうに顔をくしゃくしゃに歪める果竪に、蓮璋はぼんやりとした眼差しを向けた。
「・・・此処は」
すぐ横でパチパチという音が聞こえ、重たい頭を横に向ければそこにはたき火が燃えていた。
「洞窟の中だよ」
そう言って笑う果竪に、蓮璋はぼんやりとした頭のまま質問を口にした。
「確かオレは穴に落ちたと思うんですが・・」
穴の奥底に横穴でもあったのだろうか?
「う〜んと、簡単に説明するとあの穴の下は地下水脈になってて、そこに落ちた蓮璋と私はそのまま流されたみたいなの」
「地下水脈……」
「そう。で、運良くその地下水脈は地上の結構大きめの川に繋がってたらしくて、そこに流れ出ちゃったっていうか……あ、因みにここは地下道でも何でもなく、地上――外だよ」
「外…………」
「でも本当に良かったよ。下手に地下道にでも出られたら大変だったわ――って言っても、此処がどこなのか?集落からどのぐらい離れた場所にいるのか、自分達の居場所が全然分からないんだけどね」
「確かに……その通りです」
「本当に……運が良かったね、私達………蓮璋?」
様子のおかしい蓮璋に果竪が声を掛ける。
「蓮璋?どうしたの?」
「いえ……」
「何か心配事?私で分かる範囲でなら答えるよ」
「……ありがとうございます……でも、大丈夫。唯の自己嫌悪なんですから」
「自己……嫌悪?」
「ええ……村人達を助けられなかったって言うね……」
「村人達なら助かったよ」
「え?」
「だから、全員助かったの。蓮璋の術のおかげでね」
その言葉に、蓮璋は知らず涙をこぼしていた。
頬を流れる熱いものに目頭を押えた。
「そう……ですか……」
「蓮璋のおかげだよ。蓮璋がみんなを助けたの」
「良かった………って、ちょっと待って下さい」
「ん?」
「村人達が助かったのは分かりました。でも、どうして果竪が此処にいるんです?術は果竪にまでは届かなかったんですか?」
蓮璋の質問ももっともだ。
果竪はしばし考えた後、正直に白状した。
「あ〜〜……私は蓮璋の後を追いかけたの」
「……へ?」
「だ〜か〜ら〜、一度安全な場所まで逃げたんだけど、蓮璋が落ちたって聞いて慌てて穴に飛び込んだの」
「と、飛び込んだぁ〜?!」
「そ!飛び込んじゃったvv」
「じゃったvvじゃないですっ!一体何考えてるんですかっ」
そこまで叫んで飛び起きた蓮璋だったが、身体に走った痛みに思わず呻き声をあげる。
「だから無理しないでって!仕方ないじゃん!蓮璋を助けたかったんだからっ」
「仕方ないって……下手したら死んででもおかしくなかったんですよっ!」
あの時、不覚ながらも確実に死んだと思った。
幾ら神族とはいえ、普通は死んでいる筈の深さだった。
神は不老不死。
かつて人間界で言われていた言い伝え。
しかし、本当の意味での不死ではない。確かに馬鹿みたいに頑丈で中々死なないが、死ぬだけに必要なダメージを受ければ死が訪れる。
ただ、それだけのダメージを人が与えられないだけ。
だから、不老不死と伝えられてきた。
けれど限りなく真実に近く言えば、神は不老であっても不死ではない。
だからこそ、自分は間違いなく死んだと思ったのだ。
「それは私も同じ!でも、助かったわ。運が凄く良かったってことね」
「そんな暢気な……イタタタタ……」
「ほらほら、もう少し寝てなきゃ駄目だよ」
果竪は蓮璋を強引に横たわらせた。
「かなり重傷だったんだからね」
流木から助け上げて岸まで引っ張って行った後、果竪は蓮璋の状態に思わず呻き声をあげた。体中傷だらけ。骨まで負傷しており、それこそよく死ななかったと褒めちぎりたいほどだった。
蓮璋は自分が助け上げられた時の状態を聞いてポツリと呟いた。
「……それで、よく助かりましたね」
「ふふ、それはこれのおかげよvv」
果竪が胸を反らして自慢げに取り出したのは
大根
何処からどう見ても大根だった。
思わず目を丸くする蓮璋に果竪は大根に頬ずりしながらウットリと言った。
「実はこの大根は見た目も中身も大根だけど、普通の大根とは少し成分が違う代物なの」
「成分が・・・違う?」
「ええvv聞いて驚いて!この大根の成分は、かの有名な薬草――『海癒草』と同じな上、食べればその人の治癒力を増幅してくれるのよっ!」
しかも、怪我をしていない時にもその効果は無駄にならず、余分な栄養分を脂肪としてため込むように、その治癒力を増幅する力を体に溜めておけるという。そして一度怪我をすれば、眠っていた増幅の力が体の治癒力を増幅して怪我の回復、また喪った血液を造り出してくれると言う。
「すごいでしょう〜〜!」
凄い。確かに凄い。
というか、一株数百万で売買される『海癒草』と同じ成分の大根を作り出せるなんて果竪ぐらいだろう。っていうか、同じ成分の大根を作るぐらいなら、『海癒草』を作った方がいいような気もするが。
「ああ、それともう一つ」
果竪は居住まいを正してきちんと正座をする。
「明燐も無事だよ」
「…………………本当……ですか?」
「うんvv危ない所だったけど、無事に老師から奪取しましたvv」
「……良かった」
「で、今は知り合いに預けてるから安全の保証はバッチリだからvv」
茨戯が守ってくれるのならばきっと無事に王宮に送り届けられるだろう。
「安心した?」
「ええ……本当に良かった……」
「蓮璋も凄く頑張ったね……お疲れ様です」
「果竪もお疲れ様」
そうして、どちらからともなく笑い出す。
そうしてひとしきり笑った後、ふと思い出したように蓮璋は果竪に質問した。
「それで、明燐を預けた知り合いとはどなたですか?」
「え?あ〜〜……んと、その、ね」
果竪はしばし考え込んだが、どうせ隠していても仕方がない。
それどころか、向こうから与えられた条件や村人達の命の保証を考えれば、蓮璋に全てをぶちまけた方がいい。
果竪は、蓮璋と離れ明燐を助けに向かった後の事を話したのだった。
「…………そんな事が……」
「そうなんです……」
王宮からの刺客として茨戯がやって来た事。
茨戯が老師を倒し、明燐を助け出した事。
そして王宮からの命令で王妃を浚った不届き者として集落の者達を処罰しなければならない事。
それを回避するには、証拠を期日までに持って行かなければならない事。
但し、果竪は自分に関する事だけは秘密にしておいた。
王宮側から……夫から見捨てられたも同然だという事だけは。
今大事なのは、集落の者達の事だけである。
「それで……あの、ごめんね」
「え?」
「明燐……たぶん今頃は王宮へと連れ帰られてると思うの。その……その前に、一度蓮璋と会わせたかったんだけど」
「果竪……ありがとう、でも大丈夫ですよ」
「でも……」
「全てが終れば自分から会いに行きます」
「蓮璋……」
感動に胸が打ち震える。
が、同時に果竪は蓮璋の身を心配した。
明燐には妹を非常に大切にするあのシスコン兄貴がいる。
昔から異常なまでに明燐を溺愛し、明燐に近づく男達は影で抹殺してきたあの兄。一度腹に据えかねて拳で語り合ったところ少しはマシになったが、それでも目を離せばすぐにシスコン度は上昇する困ったちゃんだった。
でも――
(もし、あいつが蓮璋に酷いことするようだったら全力で阻止しよう)
グッと拳を握りしめ心に誓う果竪。
そうして、蓮璋はとっても頼りになる味方を知らず知らず手に入れたのだった。
何故なら、果竪と宰相の関係を知る者達は口を揃えてこう語るからだ。
あのシスコン兄貴を止められるのは、王を除いては果竪ぐらいであると。
「私、蓮璋と明燐の仲を応援するからね!」
「はははは……果竪に応援されたら百人力ですよ」
嬉しそうに笑う果竪に蓮璋も笑顔を浮かべる。
しかし、すぐにその笑顔は消えた。
「明燐の事はひとまず置かせて下さい。それより、今は証拠の事です」
「そうね……」
明燐が王宮へと保護されたのならばもう大丈夫だ。
ならば、彼女に一刻も早く会うためにさっさと動かなければ。
集落の者達の命を救うためにも。
「期限は3日でしたね」
「うん。でも、今日はもう遅いし……それに、蓮璋も今のままじゃ動けないから実際に行動するのは明日からになると思う」
「と言う事は、2日しかないって事ですね」
「そう……なるね」
「2日……2日か……」
蓮璋は考えた。
後2日。それで証拠を得るにしても……。
「やはり、日にちが足りません。此処がどこだか分からない今、少しでも行動を起こさなければ」
その声に、焦りが見え隠れする。
果竪が制止する前に蓮璋は身体を起こす。
しかし、すぐにその場に崩れ落ちた。
「蓮璋!」
「行かなければ……早く……でないと」
「無理だよ!その身体で何が出来るって言うの?」
「ですが……」
「今は無理。今はゆっくりと休まなきゃ」
「そんな暇は」
「下手に動けば余計に動けなくなっちゃうんだよ?御願いだから、今は耐えて」
「果竪……」
「御願い……」
「……分かりました」
蓮璋の言葉に、果竪はホッと息をついた。
が、そこで場違いすぎる音が大音量でなった。
「………………………」
「………………………」
「…………その、最後に食事を取ってから、だいぶ、時間……経ってますからね…」
「ごめんね……こんなのが王妃で」
とりあえず、人並みの恥じらいは持っている果竪だった。
「全く……よりにもよって王妃様を置いてきてしまうとは」
そう嫌みったらしく呟くのは、凪国宰相。
何時も笑顔で穏やかな印象を持つが、その実とんでもなく腹黒い男。
今もにこやかな笑みを浮かべてはいるが、腹の中では何を考えているのかさっぱりの相手に、茨戯は心底嫌そうな顔をした。
「うっさいわね。仕方ないでしょう?」
「まあ、明燐だけでもきちんと連れ帰ってくれて良かったよ」
そう言うと、茨戯の腕から明燐を奪うように抱き取る。
妹に向ける笑みはどこまでも優しかった。
「にしても、あんたも暇ね?宰相自ら直々に出迎えなんて」
王宮に戻って一番にあったのは警備の者でも女官達でもない、目の前に立つ宰相だ。
「大切な妹が帰ってくるのに仕事なんてしてられませんから」
「それでよく、二十年も離れて暮らしてられたわね」
「断腸の思いでした」
「ならなんだって果竪と一緒に行くのを止めなかったのよ」
「王妃様だからです」
「……………………」
「本当に……果竪が男だったらと思いますよ」
そしたら明燐をお嫁にあげても良かったと微笑む宰相に茨戯は溜息をついた。
このシスコン男を唯一実力行使で黙らせた経験を持つ存在――それが果竪だ。
昔はもっとシスコン度が酷く、妹に近づく相手は誰であろうと抹殺対象だった。
当然、明燐が懐いていた果竪もその対象だったが、それに忍耐の限界が来た果竪は周囲が止めるのも聞かずに宰相と拳で語り合った。
暗黒大戦当時、宰相は軍の軍師でもあり、王に次ぐ実力の持ち主だった。
にも関わらず、三日三晩拳で語り続け、なんと宰相に勝利してしまったのだ。
とはいえ、優勢だったのは勿論宰相。
しかし、何度地面に叩付けられても絶対に諦めず、宰相に戦いを挑む果竪は誰よりもカッコ良かった。
「あんた、容赦なしに攻撃したわよね」
「ええ。そして後で萩波に報復されましたけど」
騒ぎを聞きつけ遠地から慌てて王が戻った時には、ちょうど戦いも終盤に入っていた。
が、その頃には既に宰相も果竪を認め、果竪の言い分にも理解を示していたが――
『人の……妻を………』
絶対零度の声音を紡ぐのは、氷よりも冷たい怜悧な美貌を持つ王。
自分の妻をボコボコにされた王は、普段宰相のシスコンを容認する懐の広さなどどこに行ったのやら。
自らの手で宰相をボコボコにした。
宰相の武術や術関係の腕前は凄まじいものがあったが、一撃も反撃出来ずに徹底的にのされたのだった。
「あの時、王にだけは逆らわないようにしようと心に決めました」
そして、絶対に果竪を傷つけてはならないという不文律が、当時王に付き従っていた者達の中で絶対項目となった。
果竪に手を出せば王自らの手で制裁が来る。
見事なまでに宰相がボコボコにされた姿を見た者達は決して王に逆らうものかと堅く心に誓ったぐらいだ。
「果竪も……よくあんたみたいな化け物と戦ったわ」
「化け物とは酷いな……でも、はぁ……果竪だったら義弟として認めるのに」
「王に殺されるっつうの」
「ははは、冗談ですよ――でも、妹に近づく男が居るのなら、果竪ぐらいの相手でなければね」
そう言って微笑む宰相だったが、目が完全に笑っていなかった。
はっきりいって、自分が認めない相手であればこいつは瞬殺ぐらい簡単にする。
「で、王は?」
「相変わらず愛妾の所ですよ」
「ふぅ〜〜ん……」
「王妃様を連れて帰らなくて良かった――とか思ってません?」
「別に〜〜」
「そうですよね、そんな事、思う筈がないですよね」
「……………それより、調べはついたの?」
「勿論、色々と調べはつきました」
資料庫を燃やされた理由もね――
「……それで、次の仕事は何かしら?」
「しばらく待機です」
「そう」
「ゆっくりしてて下さい。それに、どうせもう一度集落に行くのでしょう?」
「………まあ、ね」
「お待ちしてますよ。大切な大切な王妃様を連れ帰るのを」
「連れ帰れとは言われてないけど」
王は何も言わなかった。
果竪に関しては、何一つ。
唯一、明燐だけは無事に連れ帰れと彼は言ったが。
「でも、今は彼女が王妃なんですよ。不慮の事故でもあって愛妾に王妃の地位が譲位されない限りは」
「……………そう、ね」
「さてと、行きますか。王も明燐の帰りを待ち望んでいますからね。ああ、茨戯も来なさい。王への挨拶があるでしょうから」
そう言うと優雅に踵を返して歩き出す宰相に、茨戯はしばし無言でその後ろ姿を見つめたが、溜息を一つつくと後を追うようにして歩き出したのだった。
まずは、沢山の感想どうもありがとうございます!
おかげさまで、筆が止まることもなくこうして更新が出来ましたvv本当に、感想を頂く度に狂喜乱舞しております!!
そして一つ謝罪を……30話で終らせると言いましたが……もしかしたら、いえ、たぶん30話は超えてしまうと思います。でも、なんとか35話以内に収まるかと――!
そして、今回は久しぶりに宰相が出てきました♪
果竪と拳で語り合った過去を持つ彼。昔はとても荒んでいて、相手が女性であろうと妹に近づく相手はボコボコにしましたが、果竪との戦い以来、少しは大人しくなりました。
さて、次は王も少し出て来る予定です。
王と明燐の再会は一体何をもたらすのか――。
次の更新も出来るだけ早く行いたいと思います♪