第22話
今回はとっても長いのでご注意下さい。
夜明けの空に立ち上るのは真っ赤な炎。
本来なら静まりかえっている筈の時刻に響く人々の悲鳴と嘲弄。
集落は火の海となっていた。
そんな凄惨な光景を、麗璃は集落を囲む谷の中腹――外への抜け道から見下ろしていた。
「……このままだと、完璧に全滅ね」
ようやく闇月の夜が明け、光を取り戻してほどなくの頃だった。
叫び声と共に外に出て見れば、何本もの火矢が飛んできた。
続いて、刀を持った武装集団が次々と現れ、集落の者達を襲いだした。
勿論、集落の者達も日々警戒していたせいか、応戦に出たが、向こうは戦闘を生業としているものらしく、あっと言う間に形勢不利となった。
あれから1時間余り。
果たして、どれだけの者達が生き延びてるのやら。
「って、言っても私には関係の無いことね」
視線に冷気が帯びる。
それが美しすぎる美貌とあいまり、壮絶なまでの冷酷さを漂わせていた。
その時だ。背後で何かが動く気配を感じ、麗璃はゆっくりと振り返った。
すぐ後ろの平らな岩の上に寝かされているのは、麗璃に負けず劣らずの美しい少女。
「もう少し眠っていなさい」
麗璃は少女の頬に優しく触れた。
処女雪のような白い肌は、まるで極上の絹の如き滑らかさ、そして朝露に濡れた白桃の如き瑞々しさを持つ。
「ふふ……本当に綺麗ね」
艶やかな髪に縁取られた輪郭は華奢で繊細。
整った鼻梁に薔薇の花弁の如き唇。
今は閉じられている瞼が開けば、よりいっそうその美しさに華を添えるに違いない。
そして、華奢な肢体は同性さえ嫉妬するような女性美に満ち溢れている。
だが、この少女が素晴らしいのは何も外見だけではない。
美貌、教養、気品、才能、立ち振る舞いどれをとっても右に出る者は居ない完璧さを誇る。
宰相ご自慢の妹姫。
凪国王妃よりもよっぽど王妃として相応しい
そう誰もが褒め称える凪国一番の美姫
そして美に煩い自分ですらも認める存在の一人でもある
「本当に……あんたが王妃だったらね」
麗璃は未だ眠り続ける少女――明燐の髪を一房とると優雅に口づけた。
そうしてうっとりとしながら呟いた麗璃だったが、ふと視界に入った白いものに思わず手が伸びた。
それは、明燐の首にかかっていた首飾りだった。
しかも、細い銀の鎖に繋がっているのは
翡翠で作られた大根
しかも、葉っぱはきちんと緑色で、実は純白
一目見て芸術品としての価値は凄まじいだろう。
これほど感銘を与える作品を作るのは一体どんな作者だろうか?
しかし、麗璃は一瞬にして悟った。
『大根大根大根キャホ―――――っ!!』
大喜びで大根片手に踊りまくっている某少女が思い浮かんだ。
「……………そうだったわね」
あんまり芸術関係に――いや、芸術関係にも造詣の深くないあの少女が唯一これだけは他に負けないというもの。
どんなものでも大根が関わればあっと言う間に「貴方は神です!!」という域まで達するおかしな思考回路と技術を持つ少女。
麗璃でさえ、その思考回路を完全解明するのは不可能だった。
何故だろう?
何故なんだ?
どうして大根に関してだけはあんなにも優れた人物になる?
そういえば、前に静物画で大根を描かせたっけ、寝るのも惜しんで描き続けた結果、1ヶ月後に行われた炎水家主催の美術展で大賞を取ってたな――他の大作
を押しのけて。
しかも、そのおかげでうちの国の観光業が更に発展したという……。
「力の注ぎどころが違うでしょうがっ!」
思わず突っ込みを入れた麗璃に、周囲に溶け込むようにして控えていた彼らは思わずコケてしまい、そのまま姿を現してしまった。
「あら、何してるのよあんた方」
「い、いえ……」
寧ろ問いたいのは此方です。
そう言いたかった青年だが、彼を始め彼らは心の中にその言葉を収めた。
無駄口は叩かない。それが鉄則である。
「それで、どうなの?」
「はっ!準備は万全にございます」
「そう……ならば、とっととやりましょうか」
その言葉に、御意と青年達が応じる。
「じゃあ、そこのあんたは明燐の側に居て頂戴」
「御意。目を覚まされた場合は?」
「好きにさせていいわ。まだ此方側に気付かれるのは面倒だし」
「此処まで保護されてきたのにもかかわらず、ですか?」
集落が襲撃されるや否や、自分達の主は宰相の妹姫を連れてこの場へと逃げてきた。
なのに、わざわざ危険な目にあわせるつもりなのか?
「ふふ、だって仕方ないでしょう?この子はあまりにも多くの者を魅了し過ぎてるし」
餌としては格好の相手なのよ――
そう告げる麗璃はどこまでも美しく残酷だった
「でも、怪我はさせないし、ちゃあんと無事に連れて帰るわ」
それに――と、麗璃は小さく呟いた。
ここで、明燐を餌にしてでも相手を仕留めとかなければ、結局後々面倒なことになる。
相手はかなり粘着質のようだから、かなりの確率で纏わり付かれるだろう。
となれば、禍根はさっさと断ち切るだけだ。
麗璃はゆっくりと白い指を胸元の高さまで持って行く。
青年達の顔から表情が消える。
指が鳴らされた瞬間、青年達の姿が消えた。
計画の実行開始である。
「う……ん……」
ゆっくりと、明燐の瞼が開かれる。
最初に映ったのは、空の薄藍色。しかし、しばしそれが空の色だと明燐は気付かなかった。
「…………ここ……は?」
何故自分はこんな所にいるのだろう?
未だ重たい身体をゆっくりと起こしながら、明燐は岩の上に立った。
いったい何が起きたのか全く分からなかった。
確か自分は部屋で眠っていた筈。
その時、明燐の瞳にそれは映った。
「っ!集落がっ」
眼下に広がる集落は今や火の手が上がっていた。
微かに聞こえる悲鳴と刀を交える音に、明燐はその場に座り込んだ。
「な、何故……何が起きてるの?!」
一つの考えが脳裏に浮かぶ。
まさか、集落の者達を抹殺しようと狙っていた領主の手の者達が乗り込んできたのでは。
「た、大変だわ……っ」
すぐに助けに向かわなければ。
と、そこでふと明燐は側に居る筈の少女が居ない事に気付いた。
「………果竪は?」
どこを見回しても見あたらない。
まさか、あの集落の何処かに――
明燐は躊躇うことなく集落へと舞戻った。
「おいっ!いたぞっ!捕まえろっ」
「いいか?!無傷で捕まえろよっ!」
集落に戻ってすぐの事だった。
襲われていた親子を助けに入った自分を目に止めた黒ずくめの男の一人が喜々とした声をあげ捕まえろと叫んだ。
そうして襲いかかる黒ずくめの男達。
どうやら自分は狙われている事が分かった。
でも何故?
明燐は自分を捕らえようとする男達と戦いながら必死に考えた。
「何が目的なの?」
しかし答えを見つける余裕はない。
何故自分が狙われるのか?
しかも相手側はどうやら無傷で捕まえるように命令させているようだ。
とすると、命が目的ではなく、明燐自身が狙いという事。
「って、そんな事よりも今は果竪ですわっ」
果竪にもしのもの事があれば自分は……。
いや、果竪に限ってそんな事がある筈がない。
そう信じながら、明燐は果竪の姿を探す。
その時、向こうから女性の悲鳴があがった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!誰か、誰か私の子を助けてっ!」
その場に駆けつけると、女性が集落の者達に押さえつけられていた。
目の前には燃えさかる家がある。
泣き叫びながら子供の名を呼ぶ女性に、中に子供が取り残されている事を知る。
だが、もはや手遅れだ。
「ああ……御願い行かせて!私の子が、私の子がっ!」
「やめろっ!こんな火の勢いの中飛び込んだらいくら神族でも死ぬぞっ」
「そうだっ!この火は人間界の火とは違うっ!」
人間界の炎、いや、人間界の物であれば神族である自分達を殺す事は不可能だ。
しかし、神族がつくり出す物であればそれは成り立たない。
「あ、明燐様だっ」
「ご無事だったんですか?!」
母親を止めていた者達の一人が自分に気付き、声をかける。
ホッとした安堵の息が漏れ、無事を祝う声が次々とかけられる。
しかし、明燐にはそれらは届かなかった。
彼女が見つめるのは、目の前の炎。
微かに子供の泣き声が聞こえてくる。
「あ、ちょっと!」
炎に向かって走り出す。
制止の声がかけられたが、明燐は立ち止まらなかった。
炎を潜り抜け、子供の元へと駆け抜ける。
子供は奥の部屋に居た。
ゴホゴホと激しく咳き込みながら、それでも母親を思って泣く子供にホッとしながらすぐにその身体を抱き抱えた。
「しっかり掴まって!」
そうしてついさっき突破してきた炎の壁を潜り抜ける。
そして――
「お母さんっ!」
子供が最後の炎の壁の向こうにいる母親に気づき声を上げた。
此方に気付いた母親が歓喜の声を上げる。
その時だ。
脆くなっていた柱が崩れ、明燐達の行く手を阻む。
それだけじゃない。落下物で入り口が塞がっていく。
「くっ!」
このままでは閉じ込められる。明燐は落下が収まった隙に、瞬時に状況を確認するべく視線を巡らせた。
そして、ようやく子供一人が通れそうな隙間を見つける。
「此処から出て下さいなっ」
抱えていた子供を降ろし、その隙間へと押し込む。
子供が完全に外へと出た瞬間、再び上から物が落下し、終には完全に塞がれてしまう。
危機一髪だった。
「間に合いましたね……」
しかし、自分は閉じ込められてしまった。
早く別の逃げ道を探さなくては。
だが、煙と炎が酷くなかなか身動きが取れない。
そんな中、大人一人がようやく通れる穴を見つけた。
「くっ!」
すかさずそこに滑り込むようにして潜り抜ける。
潜り抜けた瞬間、冷たい風が明燐を襲った。
「外……に出られたの?」
そこは、自分が入った家の入り口とは逆方向の場所だった。
そこまではまだ火が及んでいないらしい。
だが、ふと横を見れば三軒先の家が炎に包まれていた。
あまり此処に長居はしてられない。
「早く、果竪を探さなきゃ」
明燐は当初の目的を果たすべく駆け出そうとした。
が、後ろから聞こえてきた声に思わず足を止めた。
「ろ、老師?」
「こんな所に居られましたか……探しましたぞ」
そうして髭を撫でながら微笑む。
しかし、明燐の身体はこわばった。あの笑顔に酷く恐ろしさを感じる。
そこしれない何かが秘められているような……。
「ど、どうして此処に?」
「いやいや、この家の外を通りかかれば他の者達が明燐殿火の中に飛び込んだと泣きわめいていましてね。これはいかんと慌てておいかけてきた次第でしてのう」
「そ、そうですか……」
「にしても、お優しい方だ。子供を逃がし代わりに自分が火の中に取り残されるとは」
感心したような物言いだが、その口調の奥に含まれた粘着くものを感じる。
ふと、老師の瞳が妖しく光ったように感じた。
「さて、何時までもここに居てはなりません。早く脱出しなければ」
さあ、と老師が手を伸ばす。
「手をお貸し下さい。早くこの場から離れましょう」
しかし、明燐は手を取らなかった。
何故だろう?手を取らなければならないのに、早く此処から脱出しなければならないのに
自分の中の何かが激しく警告する
その手を取っては駄目だと
「どうしましたか?」
悪巧みとは無縁の優しい笑みを浮かべる老師。
何故だろう?どうしてこんなにも老師が恐いのか?
自分をしっかりと見つめる眼差しから今すぐ逃げ出したい。
でも、どうやって?
明燐はカラカラに乾ききった唇を動かした。
「……その、果竪を探さなくては」
そうだ。
自分は果竪を探してたのだ。
だから……
「そうだ、老師。果竪を知りませんか?」
「王妃様ですか?」
「ええ……果竪が居なければ私も逃げませんわ」
自分は陛下から果竪を託されている身。一人安全な場所に逃げるなど出来ない。
「王妃様でしたら、既に安全な場所に居られます」
「え?」
「早々に他の者が手引きをして既に集落の外にお逃げになられました」
「…………そうですか」
「ですから、早く我らと」
「では、なおさら一緒に行くわけには参りませんわ」
明燐の凛とした声音に、老師が眉を顰める。
「何ですと?」
「老師、貴方は果竪の事を何も分かっていませんのね?」
「それは一体どういう事ですかのう?」
心底分からないという様子の老師に明燐は鋭く告げた。
「果竪は、他の方が危険な目にあっている時にのうのうと一人先に逃げるような子ではありませんのよっ!」
そう、たとえ誰がどう説得しようと、力尽くで連れて行こうと果竪は絶対に危機に瀕している人達を置いていくことはしない。
最後の最後まで立ち向かい、全員が逃げ延びたのを確認した後、更に3回は見回ってから逃げるような子だ。
見事にこの老師はひっかかった。
と同時に怒りも覚える。
「数日とはいえ、一緒に居られたというのに……貴方は果竪の事をこれっぽっちも理解されていなかったのですね」
つまり所詮その程度という事だ。
「せっかくですが、申し出は断らせて頂きますわ」
「くっ!あはははははははっ!これは一本取られたわい」
心底楽しそうに笑う老師に、明燐は警戒の眼差しを向けた。
「くくく……部下からも貴方の手強さを聞いていたがいやはや……これでは部下達が捕らえるのに手こずったのも頷ける」
その言葉に、自分を狙っていた男達が老師からの命令によって動いていた事を悟る。
「老師、貴方は何者なのですかっ?!」
明燐の鋭い誰何に、老師は伸ばした手をゆっくりと降ろした。
次の瞬間、口の端を上げ浮かべた笑みの醜さに明燐は小さく悲鳴をあげた。
「やはり、私が見込んだ通りの方だ。流石は我が后に相応しい」
老師のしゃがれた声が若々しさを取り戻す。
張りのある美声に驚いた明燐だが、その後に起こった光景に完全に言葉を失った。
老師の小さな体を禍々しい黒い光が包んだかと思うと、次の瞬間老師は若々しい青年の姿になっていた。
蓮璋に負けず劣らずの美貌に逞しい体。
いったい何が起きたのかと混乱する明燐は知らず知らず後ろに後ずさる。
そんな自分を射抜く瞳だけが老いていた時の姿と変わらない。
その瞳に宿る邪な色は、今まで自分を厭らしい目で見てきた他の男達と同じそれ。
「あ・・なたは・・」
「この姿でお会いするのは初めてですな」
「これは・・・どういう、だって貴方は」
「こっちが元々の本当の姿でしてね。老人の姿は所謂この集落での仮の姿という所でしょうか」
「っ?!」
「ふっ・・そんな驚いた顔もそそられますな」
「なっ!」
「おやおや、怒った顔も素晴らしく美しい――いやはや、やはり私の目に狂いはなかった。貴方こそ、私の后に相応しい方」
「后?」
「ええ、初めて見た時から――貴方がこの集落に連れて来られた時から私は貴方を恋したって居たんですよ」
「なんですって?」
「ずっとずっと手に入れたかった。なのに、あの忌々しい小僧が図々しくも貴方にちょっかいをかけた」
「小僧って・・まさか蓮璋っ」
「そうですよ。元々忌まわしい奴でしたが、それでも手駒としては中々利用価値がありました。けれど、貴方に手を出したとなれば別です」
なぜなら、貴方は私のものですから――
そう告げる老師に、明燐は叫んだ。
「ふざけないで下さいっ!私は誰のものでもありませんわっ」
「そう言っていられるのも今の内だけです。貴方だって王妃の命は惜しいでしょう?」
「え?」
今、この男は何て・・
「貴方、今何て言いましたか?」
「ですから、王妃の命は惜しいでしょうと言ったんです。そう、あの王妃の命は今や私の手の中です」
「そ、それはどういう事ですかっ!」
「どうもこうもありませんよ。王妃を助けたいのならばどうぞこの手をお取りなさい」
「教えなさい!果竪に、あの子に何をしたのです!」
返答次第では唯では済まないと叫ぶ明燐に、老師と呼ばれた男はやれやれと溜息をついた。
「ちょっと細工をさせて貰っただけですよ。ほら、狙撃された王妃様の手術をしましたよね?その時に、取り出した弾の代わりに種を埋めさせて貰いました」
「なっ?!」
「私の最高作品の一つでしてね、とっても可愛い寄生動物なんですよ」
呆然とする明燐に老師は歪んだ笑みを浮かべた。
「しかも、どうやら卵が孵ったらしくて」
「―――――っ」
「ああ、大丈夫ですよ。まだ幼虫のうちはそんなに色々出来ませんから。
そうですね・・・私の命令を聞いて宿主の中で暴れるぐらいですか」
既に、一度暴れさせたと告げる老師に明燐は口を手で覆った。
そうしなければ絶叫してしまっていた。
「な、何てことを・・」
「用心深い性格でしてね。それに、利用出来るものは利用しないと気が済まないんです。その点でいえば、王妃が狙撃されて私が手術する事になったのは幸
運でした。王妃という駒を手に入れられましたしね」
睨付ける明燐に老師は笑った。
「駒は誰かが使ってやらなければならない。それこそ、王妃という有力な駒がそこら辺に野放しにされているならば当然のこと。ああ、ご安心を。貴方には
何もしてませんよ。私の未来の后となる方にそんな酷いことは出来ませんからね」
「一体……何故そんな事を………まさかこの集落への襲撃も貴方の手によるものなのですか?」
「お察しの通り、この私の命令ですよ」
「何故………そんな事をっ!集落を襲わせるなんてどうしてっ!」
貴方にとっても此処は大切な場所ではないのか?
此処がなくなる事でどんな事になるのか分からないのか?
そう叫ぶ明燐に老師は言った。
「別にどうなろうと構いませんよ。こんな死に損ないの村」
「っ?!」
「当然でしょう?私は領主側ですし」
その瞬間、時が止まった。
目をこれ以上ないぐらい大きく見開き、呆然ととんでもない事を言い放った相手を見る。
喉が張り付いて上手く声が出ない。しかしそれでも、何とか声を絞り出す。
「何ですって?」
今、この男は何と言ったのだろう?
この男は
「だから、私は領主側なんですよ」
リョウシユガワ
領主側?!
「そ、そん……い、いつから」
「勿論、最初からですよ」
最初から
「最初……」
「ええ、最初っから私は領主側でした。一度も、この集落の人間だった事はない」
「それ……他の人は」
「勿論知りませんよ。私の手の者以外は。ああ、蓮璋――あの小僧も知りませんね」
「そんな……どうして……」
「どうして?そんなの決まってる。この集落を潰す為ですよ。私はその為に此処に送り込まれ、ずっと機会を狙ってきたのだから」
老師は語った。
「あの鉱石を全て取り尽くした後、領主は口封じの為に鉱石に関わった全ての者達を鉱山に閉じ込めた。そう、後は一緒に
閉じ込めた魔物達が村人達を喰らい尽くしてくれる。それを待てばよかった。なのに、色々と予想外の事が生じたんですよ」
「果竪……」
「ええ、あの王妃です。そう、あの王妃のせいで全ての計画が崩れた」
村人達は鉱山から逃げ延び、この谷まで逃げ延びた。
領主でさえ下手に手出しが出来ない場所に。
まさかその邪魔者が、当時は王妃だとは知らなかった。ただの小娘だと思っていた。
しかし此処に運ばれて来て王妃だと分かった瞬間、過去に邪魔された事実も含めて利用することを思いついた。
寄生生物を埋め込んだのは邪魔された事に対する恨みを返すため。
もし邪魔さえしていなければ、もう少し穏便な方法を取ったのだが。
いや、寄生虫を埋めてさえもあの王妃は油断鳴らない。それこそ暴発必死な銃を懐に閉まっているようなもの。
最初に運ばれて来たときも瞬時にこの小娘は自分にとって邪魔になる、自分の野望を邪魔する存在だと感じた。
もし王妃などでなければ自ら息の根を止めていたかも知れない。
影時には出来れば生かして連れて来いと告げたが、もし死んだとしても別に構わない。
自分が本当に欲しいのは、この明燐だけだ。
そんな彼女は怯えたように後ずさりする。
その姿は酷く庇護欲をそそった。
「流石は果竪ですわ」
「ええ、酷い手間をとらされましたよ」
「いい気味ですわね」
「くく……だから機会を待ちました。最初は総攻撃をしかけようかとも思いましたけど、それだとアシがつく。
それに下手に大きな騒ぎを起こせば国軍が動きかねない。だから、待ったんですよ」
集落の者達を一気に始末出来る時を。
「私はその時に一番速やかに集落を潰せる人材として此処に送り込まれました」
そう、領主の憂いを全て取り払うべく送り込まれた道化師。
全てを欺き、ひたすらその機会を待ち続けた。
醜い老人に身をやつし、下等な者達に囲まれ、その者達が夢見る自由を、決して得ることの出来ない自由と未来を影で嘲笑いながら。
全て、最初から領主の掌で踊らされている事に全く気付いていなかった。
あの、蓮璋でさえも。それが酷くおかしくて、愉快で。
良い暇つぶしだと思えた。
彼らの必死に藻掻くのを高見から見る事はどんな喜劇よりも愉快でしかなかった。
「そうして待ち続けた結果、今回の好機がやってきた」
あの忌々しい蓮璋が居なくなり、更にはこの谷を守る結界に幾つもの歪みが出来た。
今こそ、集落を根絶やしにする絶好の機会。
「そして……他の領主の手の者も引き入れたのですか」
「そうですよ。但し、現在集落を襲っているのは何も領主の手の者だけではありませんよ」
「え?」
「この集落の者達にも手伝ってもらってます」
「な……どういう………まさかっ!」
「ええ、金銀宝石、女、地位などを餌にしたら寝返ってくれる方達が多くて」
「なんて事を……」
「所詮、結束などその程度という事ですよ」
「貴方は……貴方達には心というものがないのですか?!」
何故それほど酷いことが出来るのか?!
そう訴える明燐を老師は嘲笑った。
「心?!そんなものが何になるっ!」
「貴方は……」
「弱いから負ける、弱いから搾り取られる!それだけだ。強い者はその弱い者をいかにして上手く使ってやるか、
それが大切な事だ。弱い者は強い者の糧として生きるしかない」
「強ければ何をしても良いと言うのですか?!」
「弱き者は強き者の為に生かされているにすぎないっ!」
老師は嘲弄の声を上げた。
「そう、弱いからこうして利用されて殺されるんだ」
それが集落の者達を指していることは言うまでもない。
明燐の中に堪えようのない怒りが燃えたぎる。
「最低ですわ……集落の人達を騙して、利用して」
「騙すとは耳が痛い。そもそも最初から仲間だった覚えもないですから」
「……貴方も金銭に釣られましたの?」
「私ですか?そうですね〜〜さあどうでしょう?」
当たりとも外れとも言えない。
しかし、報酬に金銭が支払われるのは確か。
いや、金銭だけではなく、地位も身分も。
但し、それも十年前までの事だが。
領主から支払われる金銭など、微々たるものでしかない。
そう、自分が世界の王になる為に必要な一部でしかないのだ。
「酷い……集落の人達を何だと思ってるのですか?!」
「そうですね……働き蟻、まはた働き蜂ですか。女王の為にせっせと死ぬまで働いてくれる」
「酷い言い草ですわねっ!」
「別に酷くも何ともありませんよ。それに、この集落の者達だけが不幸なわけではない」
「え?」
「貴方は本当に鉱石を全て取り尽くしたと思ってるんですか?」
老師の言葉に、明燐は困惑した。
突然何を言い出すのだろうか?
「鉱石を……なんですって?」
「ふふ、ですから、鉱石を掘った後に始末されるのは何もこの集落の者だけではない」
「それは……どういう……」
その時、明燐の脳裏にある予測がひらめく。
「……まさか……まだ、あるのですか?」
鉱石が……集落の者達を苦しめる原因ともなった鉱石が埋まっている鉱山が。
「ええ、十年前に見つかったんですよ。この谷のすぐ近くで――」
この谷の近く…………
『そっか〜・・だから、こんな感じで発育が悪かったのか』
「っ?!」
脳裏に、あの時の会話が蘇る。
そうだ……あの、果竪が畑の改良に向かった時の会話が。
彼らは何て言ってた?
畑では何が起きていた?
『原因は亜鉛過剰ね』
『鉱山で働いていた俺達が言うのもなんだが、鉱山があるのも善し悪しだな。きちんとした対処をしなければあっと言う間に作物の実りに影響する』
『いつだっけ?そういうのが取れなくなってこんな感じのしか出来なくなったのは』
『う〜ん・・十年ぐらい前か?』
「………十年前から集落の作物が駄目になり始めましたわ」
「丁度その頃ですな。鉱山が開かれたのは」
その時から、鉱石を再び採取し始めた。
もう取り尽くした、もう埋まっている鉱山はないと思っていた時だったからより領主の喜びようは凄まじかった。
「……つまり、そこの鉱山を掘らせてるのは」
「先にここの集落の者達が逝ってるのですから、寂しくはないですねぇ?」
そろそろ、鉱石も尽きかける頃ですしね?
ニタリと笑った老師の醜さに明燐の中で何かが切れた。
「外道っ!そこまでして鉱石が欲しいの?!」
「鉱石を欲しているのは領主ですよ。鉱石を掘り終わった後の処置も全て領主の命令です。私も雇われの身ですから断れないんですよ」
「それは唯の言い逃れよっ!寧ろ止めようとしない貴方こそ外道だわっ」
「ふっ……貴方から言われる言葉は何であろうと心地よいもの。さてどうしますか?」
「え?」
「貴方の協力があれば、王妃だけは助けられますよ?」
私のものになればね
そう告げる老師に明燐の腸は煮えくりかえった。
もともと権力で人をどうこうしようとする者は嫌いだが、その中でもこの男は更に腹が立つ。
いや、今までで一番ムカつく相手だ。
「さあ、私の手をお取りなさい」
「ふざけないで下さいませっ!」
「おや?王妃を見捨てるのですか?」
「くっ!」
「さあさあ、はやく私のものにならなければ間違って王妃様の中の幼虫が暴れ出してしまいますよ」
いや、もしかしたらもうとっくに暴れ出しているかもしれないが。
クツクツと笑う老師に、明燐は悔しげに唇をかんだ。
「明燐」
名を呼ばれ顔を上げれば、先程よりも間近に居る老師。
逃げる暇もなく腕掴まれ引き寄せられた。
そのまま、顎を捕らえられ深い口づけをされる。
強引に、まるで奪うように入り込んだ舌が逃げようとする自分の舌を絡め取られていく。
息苦しさに唇を離そうとするが、自分を捕らえる力はそれを許さない。
そうしている内に力が抜け、意識が遠のいていく。
ようやく、唇が離れた時にはもう息も絶え絶えであった。
クスクスと笑う老師に、悔し涙がこぼれる。
こんな男に良いようにされるなんて・・・・。
「観念して、私のものになれ」
嫌だ
しかしそれが声になる事はなかった。
元々熱を出して弱っていた体からは今や急速に力が抜けていき、意識が遠のいていく。
最後に見たのは、憎らしい老師の笑顔だった。
意識を失った明燐の体を抱き留める。
「くく・・可愛らしい事だ」
最後まで自分を拒んだ少女
自分の望んだ言葉は聞けなかったけど、もはやそれも関係ない
この女は自分のもの
幾ら拒んでも無駄だ
最早その身はこの手の中にある
今は固く閉じているその心もそのうち諦めて明け渡すだろう
それに何時かは感謝する筈だ
世界の王となる自分の后になれる事に
「果たしてそうかしら?」
「え?」
聞こえてきた声にハッと顔を上げた老師の視界を黒いそれが覆う。
ゴスっと何かめり込む音と衝撃。
そのどちらが先だったのかは分らない。
しかし、息も出来ない圧迫が顔を覆い、老師は後ろに吹っ飛んだ。
明燐の体だけがその場に崩れ落ちる。
「くっ・・い、一体何が・・」
痛む顔を押え、何とか起き上がろうとするが受けた衝撃の強さに体がふらつき上手く行かない。
まるでひっくり返った亀のように起き上がるのに四苦八苦していると、頭上から笑い声が振ってきた。
「くくく!よ〜やく尻尾を出したわね、この色ボケ男が」
鈴が転がるような声には明かな侮蔑と嘲りが含まれている。
それを瞬時に悟った老師は怒りに声を上げた。
「誰だ貴様はっ!」
「あら、お言葉ね」
そう言って更に笑う声に、老師はようやく起き上がって自分の前に立つ存在を睨付けた。
「お前は・・・誰だ?!」
「あら、やだわ老師ってば!集落に共に住う民の名前を忘れるだなんて」
「共に住うだと?私は貴様のような女は知らんっ」
「まあ!酷いわ!集落一の美女と名高いこの麗璃を忘れるなんて!!」
「麗・・璃・・だと?」
「ふふ、そうよ。麗璃――但し、貴方にだけは気安く呼ばれたくないわ」
「小娘がっ!」
そう罵る老師に、麗璃はくすりと笑った。
どうやら根性だけはあるらしい。但し、腐りきった根性だが。
ちらりと後ろに視線をやると、意識を失った明燐が見えた。
しかし、その着衣が少し乱れているのがいただけない。
って、これがばれたらたぶんあいつにぶち殺されるかもしれない。
その時、明燐の影が微妙にゆらぐのが見え、麗璃はちらりと視線を向けた。
それに呼応するように、ゆらいだ影は再び動かなくなる。
自分を慕ってくれるのは嬉しいが、こんな馬鹿相手など自分一人で充分過ぎる。
寧ろ、可愛い部下に手を下させるまでもない。
ふと風を感じ、頭をずらす。
すると、それまで頭のあった場所を老師の繰り出した拳が通過した。
「あらあら」
「どけっ!」
「嫌よ」
「死にたいのかっ!」
「出来るのかしら?」
嘲笑う麗璃に老師は憎悪の眼差しを向けた。
「くそっ!この私を誰だと思っているっ」
「馬鹿だと思ってるわ。そして身の程知らずにも明燐に手を出した馬鹿」
「黙れっ!その女は元々私のものだっ!」
言うに事欠いて元から自分のもの発言。
これには、麗璃は本気で呆れるしかなかった。
「やっぱり馬鹿は馬鹿ね」
まるでその言葉を合図にしたかのように、叫びとともに老師が術を放つ。
しかし、麗璃はそれを瞬時に展開した結界にて阻んだ。
決して弱くはない、寧ろ術者としては超一流と謳われた自分の術が阻まれた事に老師は目を見開く。
「い、一体貴様は誰だっ!」
「貴様呼ばわりしないで下さる?貴方みたいな程度の低い屑に呼ばれたくないわ」
「くっ!このっ!」
続けて放たれる第二波。
一度目は防がれたとしても、二度目、三度目を続けて防ぐのはきついはず。
数撃てば当たる戦法で攻撃を仕掛ける老師に麗璃は溜息をついた。
色ボケ男――いや、この色ボケ馬鹿は骨の髄まで馬鹿だ。
此方が手加減してやった事に全く気付いていない。
放たれる術の全てを防ぎ、麗璃は懐から取り出した小刀を老師に投げつけた。
「こんなものっ!」
術の隙間を塗って飛んでくる銀の煌めきに意識が向いた時だった。
重い衝撃が腹部にめり込み、口から大量の吐瀉物が吹き出る。
麗璃に蹴られたのだと気付いた時には、既に地面に叩付けられていた。
「馬鹿はやっぱり馬鹿なのね」
嘲りを含む声に睨付ければ、嘲笑と侮蔑を含む眼差しとかち合う。
その美しい美貌も、妖艶な笑みも全てが憎らしかった。
「ぐっ・・・く、くそぉ・・」
「あ〜〜、もう飽きちゃったわ私」
そうして興味を無くしたかのように踵を返し、地面に倒れている明燐を抱き起こす。
「全く、美しさは罪よね〜〜」
滑らかな白い頬、ふっくらとした赤い唇をなで上げ麗璃はくすくすと笑った。美女美少女揃いの侍女達の中でも一際目をひく明燐の美貌。
それは、会わなかった二十年の間に更に美しく輝くばかりとなっている。
「それに触るなっ!」
老師の叫びに、麗璃はゆっくりと振り返る。
「煩いわね、私が明燐に触れようが勝手でしょう」
「黙れ!その女は私のものだ!私の花嫁となる女だっ」
「何トチ狂った事言ってるのよ。そんな事したらとんでもない事になるわよ」
「煩い、黙れ黙れっ!」
この私にそんな口をきくなとわめき立てる老師に、麗璃は溜息をついた。
見た目は若返っても腐りきった根性は変わらないという事か。
「貴様など消えてしまえっ!」
老師の叫びと共に、一気に膨れあがる邪気。
あっと言う間に限界まで膨らんだそれは、老師が息も絶え絶えにくみ上げる術と連動し、その効果をあげようとする。
確かに、あれをまともに喰らえば命の一つや二つは簡単に消えてしまう
「なっ?!」
苦痛にのたうち回る老師に、麗璃は笑った。
生きながら溶かされていく苦痛は想像を絶するだろう。
でもそれも仕方がないことだ。
果竪の警告を無視し、明燐に手を出そうとした報いを受けただけ。
「身の程知らずな事をするからよ」
「ぐぁぁぁぁっ!」
「さてと、これで終わりね」
「く、くそっ!此処で掴まってたまるかっ!」
老師が絶叫し印をくむ。
しかし、麗璃の方が速かった。
「さようなら、老師」
愚かで馬鹿な男――
次の瞬間、老師の首が宙を飛んだ
「やっぱり、あんただったのね」
背後から聞こえてきた声に、麗璃は自分が飛び上がるのを必死に押えた。
まさか、幾ら何でも速すぎる。
慌てて取り繕うとするが、目の前の光景を見て諦めた。
最早言い逃れは出来まい。
それに――
「そう言うって事はやっぱり気付いてたのね?私に」
「ええ。もうバッチリ」
だからこそ、明燐を託したのよ
そう告げる果竪に、振り返った麗璃は笑った。
その艶やかな笑みは何処か妖しく、そしてゾクリとするほど色っぽかった。
「ふふ、相変わらず面白い子」
「お褒めにあずかり光栄です――と言った方がいいのかしら?麗璃」
そう言うと、果竪は違ったわねと呟き、しっかりと麗璃の目を見据えて言った。
「凪国国王お抱えの影『海影』の長――茨戯」
今回、本当は2話に分けて掲載しようと思いましたが、そうすると変な所で切る事になり1話で投稿しました。
あれだけ果竪達を苦しめていたにも関わらず、あっさりと麗璃に始末されてしまった老師。そして危機を救われた明燐。
そして、そこに戻って来た果竪。ようやく、王宮側と接触です♪さて、次は麗璃こと茨戯と果竪との化かし合い――ではなく、対話編です。
さてさて、果竪はこのまま無事に王宮に帰れるのか……次回の更新もなるべく早めに行いたいと思います♪