第12話
計画実行前日
準備は調い、後は一同最終確認を行なうのみ。
それも終ると、後は休むだけとばかりに集落の者達が帰途に就く。
時刻はまだ日が完全に沈み月が出たばかり。
だが、中には徹夜を重ねてきた者達もおり、そんな彼らにとっては寝るには早すぎる時刻だろうと関係なかった。
もともと、精神的にかなりの極限状態におかれてきた者達である。
神族という事でその体力も力も人間とは比べものにならないとはいえ、やはり疲れは否めない。
それに、明日はとうとう計画実行の日。
その時になって疲れて動けませんでは話にならないだろう。
中には、緊張しすぎて眠れないからと集落の会議場に残ろうとする者も居たが、
そういった者達は全て蓮璋によって帰された。
休むことも大切だという彼の説得によって。
そうして続々と男達が自分達の家へと戻っていく中、果竪は一人集落の広場へと足を運んだ。
夜という事もあって風が冷たさを増すが、それが心地よさを増す。
途中、果竪を見かけた村人達が何処に行くのかと尋ねる事もあった。
「王妃様、何処に行かれるのです?」
「散歩で〜す」
何時ものように底抜けの明るさを見せながら言う果竪に村人達がクスクスと笑う。
不思議な事だが、果竪は居るだけでパッとその場の空気を明るくしてしまえる。
それは、この恐怖で凝り固まった集落の空気さえ寛解させてしまうほどに。
「そうですか。でももう遅いですから気をつけて下さいね」
「大丈夫ですよ。この集落の中で危害を加えようとするような危ない人はいませんから」
果竪の言葉に含まれる絶対的な信頼。
それを感じ取り、村人達は嬉しさを覚える。
王妃に、いや、果竪に信頼されているという事がとても誇らしく思えてならないのだ。
因みに、こうして自由に出歩いている果竪だが、集落での立場は一応国王との交渉の取引材料。つまり、本来ならば監視付きのもと監禁に近い形に置かれている身である。しかし、果竪が自分達を信頼してくれている事、また集落の統治者とも言える蓮璋の口添え、そして何よりも監禁するには集落の者達が余りにもお人好しで善良過ぎる性分な為か、早々に果竪に対する監視及び監禁という処遇はなくなった。
寧ろ自由万歳。好きに寛いで下さいというものである。
おかげで、果竪は気兼ねなしに集落の至る所をうろつきまくっていた。
集落から出なければ何処をうろつこうが構わない。
それは屋敷にいた時よりも、更には王宮にいた時よりも自由を感じる。
(屋敷にいた時は近くの村に行けはしたけど毎回の事じゃなかったし、逆に村人が屋敷に来ることが多かったもんね〜)
とはいえ、王宮時代に比べればそれでもましだっただろう。
王宮で王妃をしていた頃は窮屈の一言だったのだから。
何処に行くにも侍女達が付きまとい、常に周囲の目があった。
夜だって跡継ぎを早くという言葉から一人で眠る事も満足に出来ず、月の障りの時でも夫の部屋に投げ込まれた。
(・・・もしかして私ってとっても不幸?)
凪国で最も高貴な女性として決して考えられないだろう事実が過ぎってしまった自分。いや、もしかしなくても実はとっても不幸だったに違いない。
「私の人生って・・」
何だか一気に脱力してしまった。
その時、ふと向こうに見覚えのある者達が見えた。
「あれは」
そこに居たのは二人の女性。
女性達を纏め上げる集落の中で最も年配の女性と、この集落一美しく聡明なる女性だった。
向こうが此方に気付く。
「あら、これは王妃様」
年配の女性がふわりと微笑む。
すると、集落一美しい女性も花のように微笑んだ。
「このような時間にどうしました?」
「うん、ちょっと散歩」
「まあ、お一人で?」
「うん。明燐は今お休み中」
二日前に体調を崩したとはいえ、今はもう回復している。
しかし、何が起るか分らない今。休める時に休んでおけと強引に休ませていた。
「もし暇でしたら明燐の側についていてあげて下さいな」
「喜んで」
「王妃様はどうしますの?」
「私はもう少し歩いてきます」
「あら、では私達だけで明燐様の側に?」
「ええ、御願いします」
「それでは、何かお持ちしましょうか――ああ、華籠の実がありましたね」
華籠の実――それは、食料生産自給率低下中にも関わらず、凪国では結構流通している国産の果物である。
桃によく似た触感でほどよい甘さを持つそれは、民達はおろか貴族達にも人気があった。
しかし、独特の匂いを持つ為か、苦手とする者達も実は多い。
「先日取れたばかりの華籠の実があります。丁度食べ頃ですから持って行きましょう」
喜々として言う年配の女性に果竪は微笑んだ。
「ええ、御願いします」
「分りました、麗璃、行きましょう」
「あ、は、はい張おば様」
突然声を掛けられて驚いたのか、少し戸惑った様に返事をした集落一美しい女性――麗璃。
そんな彼女は年配の女性に引き摺られるようにしてその場を後にしたのだった。
そして一人残された果竪は再び歩き出した。
漆黒の空に浮かぶ星々を眺めながら、集落の象徴とも言うべき大樹の前に辿り着く。
星々の光、そして空に浮かぶ青白く輝く月の光を浴びた大樹はとても美しかった。
「此処に居らしたんですか」
後ろからかかった声に果竪はふっと微笑んだ。
「最終確認はいいの?」
「あらかた済みましたから」
ゆっくりと振り返れば、同じく月光に照らされた蓮璋が立っていた。
月の淡く優しい青銀の光が蓮璋の美貌をより引き立て、幻想的な美しさを醸し出す。
近づいてくる蓮璋の顔をみながら果竪は思った。
(こうして見ると、やっぱり蓮璋って綺麗なんだよね〜)
夫を始め、数々の美形を見てきた果竪だが、改めてそう思った。
繊細で優美な夫とは違う精悍だが麗しい美貌は凪国、いや、炎水家直下の国々の中でも類い希なるものだろう。
その鍛えられた長身の肉体から醸し出される妖艶な男の色香に惹き付けられない女性はいるまい。
(明燐も早く素直になればいいのに)
「今宵は月が綺麗ですね」
自分の隣に立った蓮璋に果竪は視線を大樹へと戻した。
「そうね・・」
「明燐が心配してましたよ。いきなり居なくなったって」
「何時もの事よ。屋敷に居た時は何時も勝手に畑に行ってたし」
自分の心の聖域。愛する大根達がいる畑に時間を見つけてはよく行っていた。
屋敷を離れて今日で二週間と二日目。まだ一ヶ月も経っていないが、それでも懐かしさが込み上げてくる。
ああ、大根達は今頃どうしているだろうか?
こんな時でもまず最初に思い出し心配するのは大根の事だった。
「まさか、蓮璋が自ら行くなんて」
「オレが行かなくて誰が行くんです」
そう言って笑う蓮璋に果竪は首を傾げた。
「集落の結界があるじゃない」
そもそも、この集落の結界は蓮璋を中心として成り立っている。
その為、蓮璋が離れれば結界の維持が難しくなる。
「身代わりを置いていきますから」
それはもしもの時の為に用意していたものだ。
「使えるのはただ一度だけ。本当の最終手段の時だけに使えるものですが」
だからこそ、今まで使わなかった。
蓮璋の代わりに結界の維持をしてくれる宝珠を見せられ、果竪はそれをまじまじと見た。
「一度だけしか使えないか・・そりゃあ確かに貴重ね」
「ええ。ここぞという時ではないと。だからこそ、次期を見誤ることは出来ない」
「で、今回は使うと」
「はい。たぶん、今回がオレ達の命運を決める最大の、そして最後の機会ですから」
これを逃せばもはや自分達に残されている道は二つしかない。
「このまま此処で死人として生き続けるか、それとも実際に死ぬか」
「でも、結界に綻びが出来てきている以上、後者の確率が高いと」
「ええ。そうですね」
決して目を背けてはならない――けれど背けたい事実をずばり指摘されたが、蓮璋の心に怒りは生まれなかった。
「とうとう明日か・・」
「はい」
頷いた蓮璋に果竪はそうか・・と目を閉じる。
そしてゆっくりと目を見開き言った。
「私も行くからね」
「それは」
果竪が同行したがっていた事は知ってはいたが、蓮璋に同意できる筈もない。
六日前の時は何も言わなかったが、計画実行を明日に控えた今、何とかして思い留まらせなくてはならない。口を開こうとする蓮璋を遮るように果竪は言った。
「危険な事ぐらい承知してる。それでも行きたいの」
「ですが」
「分ってる。自分の身分ぐらい。そして、貴方達にとっては王妃という存在が無くてはならない事を。大丈夫よ、これ幸いと逃げたりしないから」
「そんな事を言ってるんじゃありませんっ!」
果竪の言いたい事が分かり、蓮璋は声をあら上げた。
しかし、果竪の言うことももっともだった。
果竪はこの集落には一応人質のような形で連れて来られた。
つまり、本来ならばこの集落でジッとしている事が望ましいのであって外に連れ出すなどとんでもない事である。
それこそ、普通ならこれは逃げるための行動と取られても可笑しくはない。
だが、例え果竪が明日の計画に参加すると言っても誰も逃げだそうとしての行動などとは想わないだろう。
それだけの信頼を既に果竪は得ている。
例え、計画に参加しても必ずや戻って来る。
そう想わせるほどの信頼が果竪に向けられているのだ。
「貴方が逃げるなんて・・誰も思っていません」
「そう?なら、きっとこの集落の人達が皆いい人達なのね」
「果竪・・」
「王宮から追放される原因となった事件では誰も私の事なんて信用してくれなかったもの」
最初から犯人扱い。
同情はしても信頼はしていない。
「オレ達はそんな奴らとは違います」
「そうね。だから私も手伝いたいと想ったの。危険だろうと何だろうと、下手したら逃げる気かと罵られようとも・・行きたいと思ったの」
散々民衆を苦しめてきた領主。
その領地の隣にいながら、自分も二十年前その鉱山に行きながらその事実を見過ごしてきた。
「それは仕方のない事です。そもそも、普通はそんな事があるなんて思わないですから」
「蓮璋の言うとおり。でも、知ってしまったからにはそのままにはしておけない」
「王妃様、あなた様は充分にオレ達の力になって下さっている。オレ達の身勝手な思いで連れ去ったにも関わらず、貴方様は本当に良くしてくれた」
そう良いながら、蓮璋は連れ去った日のことを思い出す。
今でも後悔している。どうしてもっと穏便な方法を採れなかったのかと。
ちらりと蓮璋は果竪を見た。そしてその肩を見る。
服で隠れているが、その肩にはまだ傷口がうっすらと見えることを蓮璋は知っていた。
あの時、自分達が襲撃しなければ果竪は狙撃される事はなかった。
そしてその件はまだ解決していない。
今も、集落の者達に警戒はさせているが、それが完璧ではない事を知っている。
もし、狙撃をされた後すぐに王宮に運ばれていれば、きっと完璧な警備のもと果竪は守られたかも知れない。
なのに、現在は守られるどころか逆に自分達を守ろうとしてくれている。
果竪を知れば知るほど、どうして・・という思いが増えていく。
そして自分達の不甲斐なさが腹立たしくなる。
もっと、他に何かあったのではないか。
果竪を巻き込まずとも、何とか出来る方法が・・。
「蓮璋達は出来るだけの事をしたよ」
「っ」
「でもね、出来る事って限りがあるのよ」
「王妃様・・」
「どんなに優れていても、完璧な超人でない限り出来る事には限りがあるの。そしてそれぞれに得意分野だってあるの」
こっちにとても優れていても、他ではそんなにでもない。
これがこんなに出来ても、別のものになればそれほどでもない。
そして凄く好きでも、一から百まで全て出来るわけでもない。
「だからこそ、他の人がいるのよ」
一人で出来なければ皆でやればいい。
一人では大きな岩が動かせなくても、百人も集まれば動かせられるかもしれない。
それで駄目ならもっと沢山の人を呼べばいい。
そしてそんなに集まれば、人海戦術ではなく、一人ぐらい、いや皆が各々意見を出し合い簡単な方法で岩を動かせるかも知れない。
出来ない事があってもいいのだ。
「ってかさ、神だからって全てが出来るわけじゃないしね」
そもそも、全てが出来るならば今のようにそれぞれが司るものが違う事はなかっただろう。
皆が違うから。それぞれ得意分野があり、個性や相性があるからこうして水を司るもの、炎を司る物という感じでそれぞれ司る者達が違うのだろう。
水を、炎を、風を、大地を、光を、闇を、その他沢山のこの世に存在する全てのものにそれぞれ司る者達がいる
それを育み愛する者達が
「ですが・・」
「まあ、確かに私は王妃としてはそんなに力はないわ」
「そんなことっ」
「いいのよ。本当のことなんだから。私よりも、貴族の姫君達の方がよっぽど能力が高いわ」
王妃になって以来ずっと突きつけられてきた事実だ。
「どんなに努力しても、頑張っても決して乗り越えられなかった壁なの」
努力すれば願いは叶う。
よくそう言われるが、そんなことはなかった。
努力したって壁は乗り越えられなかった。
「でも、だからっていったって諦めたくないのよね」
乗り越えられなければ壊せばいい。
潜在能力で勝てなければ、ほかのもので勝てばいいのだ。
そう思えるようになったのは何時の頃だろうか。
「そう――大根への愛は誰にも負けないわ!!」
そこで大根に話が行くのが果竪らしい。
思わず笑ってしまった蓮璋に果竪も笑った。
「まあ、ぶっちゃけて言うと、私は役に立たないかもしれないけど、でも何があるか分らない中ではもしかしたら何か役に立つ可能性だってあるわ。だから着いてくの」
「王妃様・・」
「それに、王妃という身分がもしかしたら役に立つかもしれないし」
王は既に愛妾の虜となっているが、それでも今は自分が王妃なのだ。
蓮璋達を害せても、王妃という身分を持つ自分を害する事は出来ない。
まあ、これは一種の賭けだが。自分を殺して証拠隠滅を図られればどうしようもない。
とはいえ、少なからず動揺させる事は出来るだろうし、もし証言をするにしても第三者の存在である自分の、それも王妃という身分を持つ者の証言は大きいだろう。
悲しい事だが、一般市民に比べて王妃の証言が重視されるという身分差は未だに存在する。
しかし、それで蓮璋達に有利に事が進むならば、自分はあえてその身分差を利用しよう。
何時かその身分差がなくなる時が来るその時まで、自分に使える全てを利用し尽くすのだ。
それが、今まで民衆の税金で生活させて貰ってきた恩返しである。
「全く、王妃様には叶いませんね」
「果竪」
「え?」
「私の名前は果竪よ。王妃なんて名前じゃないの」
「ですが・・」
「ですがも何もないの!私が果竪って呼べって言ったらそう呼ぶの!!明燐にはきちんと名前で呼んでるじゃない」
「いえ、それは」
「それとも何?好きな人以外の女の名前なんて呼べない?」
「そ、そんなことはないですっ!」
ぶんぶんと首を横に振る蓮璋に果竪は腰に手を当てて鼻息荒く言った。
「ならきちんと呼んで。王妃なんて呼ばないで」
「・・・果竪――様」
「果竪だってば!!」
「す、すいませんっ!ってか仕方ないでしょう?!貴方が王妃様であることは事実なんですからっ!反対にオレは幾らこの領地では名門貴族出身とはいえ、国の王妃である貴方とは地位も身分も懸け離れているんですっ」
天帝が直属の部下にしてこの天界でも第二位の地位と権力、身分を誇る炎水家。
その直下の大国の中でも凪国は一、二を争う大国である。
果竪はその国の王妃。現王の唯一の妻。
貴族とはいえ、辺境の地の一貴族にしか過ぎない自分とは身分を始め全てが違い過ぎる。
「本来なら、こうして直接言葉を交わすことすら恐れ多いというのに」
「何でよ」
「な、何でって」
「話したいのなら話せばいいじゃない。ってか、私ってそんなに人の話を聞かないように見える?」
「そ、そんなことないですっ!」
寧ろ、自分達の話を親身に聞いてくれた。
「なら、話せばいいのよ。王妃が何よ、身分が何よ。確かに公式の場では仕方がないとしても、普段なら全く構わないわ。寧ろ、話すべきなのよ」
「王妃様・・」
「果竪だってばもう!!あ――とにかく言いたいのはね、王妃だからって全てが全て偉くて尊いわけじゃないのよ。そんなの、天帝陛下や天后陛下、それか十二王家の方達ぐらいだわ」
あの方達だけは別である。
「特に、私なんてたまたま王妃になったぐらいなんだから全然偉くないの」
「た、たまたまって・・」
「蓮璋だって知ってるじゃない。ううん、この国の皆全てが知ってる事よ。私が王妃になったのは、現王である夫が国王になったからだって。その時にたまたま私が妻だったから王妃に据えられただけのこと」
「そ、それは・・」
「当時夫が王になると決まった時、国王の后にと沢山の姫君達が差し向けられたわ。当然よね?王と縁続きになり世継ぎを産めれば一族は安泰だもの」
特に、夫は主君である炎水家当主夫妻に目をかけられていた。
それこそ、夫との繋がりはひいては一族の繁栄と栄華を意味する。
それに拍車をかけたのが夫自身の持つ魅力である。
容姿端麗、文武両道、強大な潜在能力と巧みな政治手腕を持ち合わせた夫は正しく格好の婿候補だった。
そんな夫の后の座を巡り、多くの女性達が争いを繰り広げた事は言うまでもない。
勿論、その時既に果竪という妻が居たが、そんな事は関係ない。
所詮は庶民の女。貴族の姫君に敵うはずがないし、良くて側室、悪くても最下位の妾になるぐらいだろうと娘を持つ貴族達はたかをくくった。
自分の娘こそ王の后に相応しい。
そうして正妃に、また正妃になれずとも側室にと娘を次々と差し出したのだ。
「でも、結局は果竪が王妃ですよね?」
「まあね」
高い教養と知性
美しい美貌と豊満な肢体
男の心を惑わす甘い声
関心を誘う色香溢れる媚態
美しくたおやかな姫君達を花とするならば、自分は泥まみれの根っこだろう。
なのに、夫は自分を王妃にと指名した。
甘い菓子ではなく、苦い薬を選んだ物好きな人――
でも、それだけなら果竪が王妃になる事は無理だったに違いない。
当時、貴族達の猛反対に太刀打ち出来るほどの力はまだ夫にはなかったからだ。
混乱した国をいかに可及的速やかに安定させるか。それには強い力を持つ貴族達の力が必要だったからだ。
しかし――そんな夫に味方する者達が居た。
それは、大戦時に夫に付き従った者達だ。
王とともにそれぞれ重職についた彼らは巧みに貴族達の中でも変わり者達を取り込んでいった。
変わり者――それは、娘を后にと望まなかった者達だ。
貴族達といっても全員が娘を后にと望んだわけではない。
中には、王となる青年には既に妻が居るのだからそのまま王妃に据えてもいいのではないかという考えを持っていた。
そんな者達を手始めに、彼らはあっと言う間に過半数を超え全貴族の七割を掌握してしまったのである。
そうして果竪を王妃にするという言質を取り、見事果竪は王妃へと据えられた。
「・・よく上手くいきましたね」
「まあ王に心酔してた貴族達も居たからね。割合としては、心酔貴族が二割、私を王妃にしてもいいんじゃない的な貴族が一割、別に誰が王妃になろうが構わん貴族が五分」
「その統計で行くと、三割五分ですね。残りはどうしたんです?」
「残り三割五分は色々とお家騒動や醜聞、後ろ暗い所がある、横暴好色当主などなどで問題がある貴族達」
「はい?」
「そんな貴族達に夫は人の良いふりして近づきとっとと当主の首をすげ替えて恩を売りつけたのよ」
「く、首ですか?」
一体どうやって?
「まあ、横暴好色当主の場合はその息子が出来が良いのを確認するや否や手を貸して父親を引退させ、お家騒動、例えば息子や娘が身分低い相手と恋に落ちていた場合は、その相手の素性や人柄を調べ問題なしと分れば力を貸して結婚を纏める、逆に騙されていれば目を覚まさせて親の方に恩を売る、醜聞、後ろ暗い所がある場合は――まあ色々とやって恩を売ってたわね」
「・・・・・・・・」
「でも大抵は当主の首をすげ替え、ダメダメな親戚を一掃し一番出来が良くてしっかりしてて民思いなのに当主を任せる形で行ってたっけ」
「・・・そ、そうですか」
「んで恩を売りまくり、人の良い新しい当主はまるで救世主を崇め奉るかのように夫を崇めまくって私の王妃就任にオーケーを出させたのよ」
人はそれを詐欺という。
結果的に、横暴な貴族達は減って民達にはとてもプラスだったし、一族の中で虐げられていた良識ある者達が当主になり最悪なまでに人気が下がっていた貴族達の名誉が復活出来たが、夫はその人の良さにつけこんで自分の良いようにしてしまったのだ。
「ま、中にはとんでもない狸達もいて手が出せなかった貴族達も居たんだけどね」
それは残り三割の貴族達。
彼らは今でも果竪を王妃の座から引きずり下ろし自分の娘を王妃に据えることを諦めていない。そしてその目的の為には他国の貴族と手を組み後ろ暗い事をしているという噂だ。
本当に余計な事ばかりしてくれる者達である。
文句があるなら本人に言えばいいのに。
まあ、自分は王妃を辞めるつもりなのだから彼らにとっては喜び以外の何物でもないだろうが。
「・・・何というか、王の愛の深さに脱帽です」
「何処が。おかげでこっちは大迷惑を被ったわ」
世間ではそんな王の愛に感動に打ち震える王妃と知られているが、実際は違う。
『諦めて下さい果竪。この世が滅亡する事があろうと貴方が王妃です。ええ王妃決定です』
そう言ってにっこり笑いつつ、自分を王妃として紹介した時の事は今でも覚えている。
後ずさりして逃げだそうとした果竪の腕を掴んだ萩波はそのまま披露の場へと引き摺り、終るやいなや今度は寝所へと引き摺っていった。
助けを求めれば侍女達から早く跡継ぎが出来ればいいですねなんて微笑まれた。
他人に助けを求めても無駄。
そこで果竪はしっかりと学習した。
所詮自分の身を守れるのは自分しかいない。
「そう――所詮は自分を守れるのは自分しかいないのよ」
「悟ってますね」
あれだけされれば誰だって悟るっつぅの。
「そうよ・・・いつも引き摺られたわ。宴も謁見もその他公式の行事も建国祭すらもっ!」
貴族達の視線が恐くて
欠席しようとしても何時も夫に引きずり出されてきた日々
心底悪夢だった
「――建国祭・・ですか」
「そう、建国祭も酷かった!!」
「いえ、そうではなくて」
何?と訝しげに見る果竪に蓮璋は言った。
「すっかり忘れていましたが、建国祭が迫ってますよね?確か4日後ですか」
「・・あ〜〜」
そういえば、もうすぐだった筈。
「忘れてたわ」
「ってか、果竪は建国祭に出るために王宮に戻る筈だったんですよね?」
まあ建前はそうだ。
王宮の使者からも建国祭に出るために戻れと言われたし。
でも本当は王妃を辞めるためである。
「明日証拠を探して・・すんなり行っても・・間に合いませんね」
建国祭は三日間行なわれる。
頑張れば最終日には間に合うかもしれないが、初日はまず無理だろう。
「すいません」
「別にいいわよ」
「でも」
「私が居なくても何とかなるわ」
「何とかって・・ですが王妃がいなければ」
「毎年の事と思うでしょう」
「でも今年は王妃様が建国祭に出席する事になってるんじゃ」
その為に、王宮から使者も来たはずである。
「まあ、それはそうね。でも、たぶん国民は私が戻ってくる事は知らないから」
「え?」
「たぶん私の帰国は故意に秘密にされていた筈。安全を守るためにね」
「あ――」
「特に、私は追放される形で王宮から出た身だからね」
果竪はゆっくりと月を見上げた。
「そういう情報統制にかけてはピカ一なのよ、向こうは。まあ、だからそっちの方面でも気付いたんだけど」
「何を?」
「内通者」
「あ――」
「あの人達は生半可な事なんてしない。それこそ安全の為に秘密にすると決めれば完璧にやり遂げる。その中で私の帰還を知るとなれば、故意にそれを漏す相手がいるという事」
「果竪・・それではどんなに此方が作戦をねっても無理でしたね」
「ふふ、まあね。私の帰還までに例えある程度の時間的余裕があったとしても、蓮璋達が情報を聞きつけて襲ってきた時点で分っちゃうわね。決して漏れるはずのない情報が誰かによって漏されたって」
「・・・ですね」
「まあ、建国祭の事は心配いらないから」
果竪はひらひらと手を振った。
「私の帰国は秘密裏にされているからね。もし間に合わなくても、何時ものように王妃様は屋敷から戻られずに欠席しているという扱いになる筈だからね」
もしもの時の事も考えての秘密。
どちらに転んだとしても、民達に混乱を与えるような事はしないだろう。
「ねえ、蓮璋」
「はい?」
「貴方は明燐が好きよね?」
「はい」
「なら、明燐の為に死んでと頼んだら死んでくれる?」
「・・・・・・はい?」
今、なんて言った?
呆然とする蓮璋に、果竪はクスクスと笑った。
「ふふ、冗談よ。冗談!本気にしないでいいから」
「果竪・・」
「さてと、もう遅くなってきたわね」
気付けばいつの間にか月が真上へと近づいてきた。
「明日も早いし、今日はもう帰って寝た方が良いわね」
「そうですね――」
「じゃあね、蓮璋」
「あ、送ります」
「いいのよ。この後も確認作業があるんでしょう?大丈夫、この集落で危険な事なんてないんだからね」
そう言うと、果竪は素早く踵を返し走り出した。
途中顔だけを後ろへと向けて手を振ると、もう振り返らなかった。
明燐の為に貴方は死ねる?
「貴方は一体どう答えるのかしら?」
端から見れば突拍子もない馬鹿な事。
それか、心ときめく解答を期待してと取られるかも知れない。
しかし――
「明燐を本当に欲しがるならばそれじゃ駄目なのよ」
蓮璋は自分から見てもとても良い人だと想う。
でも、それだけでは駄目。
明燐を丸ごと受け入れるならば、それだけでは駄目だ。
でも願わくば
「蓮璋が明燐の特別な人になってくれればいいのに」
そう思わずには居られない。
照明のない夜道を一人走り抜け、ようやく現在の滞在場所に戻ってくると、建物にはまだ明かりがついていた。
中に入ると、一人の女性――集落一美しいと名高い麗璃が待っていた。
「お帰りなさい」
「ただいま〜。まだ居てくれたんですか?」
「はい。張おば様も居ます」
広場に行く前に、明燐の様子を見てくれるように頼んだ二人はどうやら果竪が帰るまではと明燐を心配して残ってくれていたらしい。
「ありがとうね〜」
「いえいえ、それよりも散歩は楽しかったですか?」
「ええ」
「そうですか、それは良かった」
「明燐の側についててくれてありがとうね〜」
「お礼を言われる程ではありません。私もとても楽しかったですから」
「そう言ってくれるとありがたいです」
「それより、お腹は空いていませんか?」
「え?」
「張おば様が簡単な夜食を作ってますから、もし良ければ」
「ありがとう、明燐の様子を見た後で頂くわ」
「それでは、盛りつけしておきますね」
そう言って動きだそうとする麗璃に果竪は声を掛けた。
「ねぇ、計画が始まった時には貴方は何をしてるの?」
その言葉に、麗璃がキョトンとした。
「何をって・・此処にいますが」
「そう。じゃあ、明燐のお世話を頼むわね」
「はい?」
「ようやく本調子に戻ってきたけど、やっぱり心配だからね。信頼の置ける人が側に居てくれるととても安心するのよ」
「はぁ・・」
「御願いね?もし明燐に何かあったらあいつが煩いもん」
「そ、そうですか?」
乾いた笑みを浮かべる麗璃に果竪は大袈裟に溜息をついた。
「九割九分九厘はね。だから明燐を優先して守ってほしいのよ。でないと本気で殺されるかもしれにないから。ああ、因みに明燐を守る時には私の事は全力放置でいいから」
「そんなっ」
それは流石にと言わんばかりの麗璃に果竪はくすくすと笑った。
「いいのよ。此処だから言うけど既に夫には別の女性が側に居るの。だから私の価値なんて全くないんだよね」
「王妃様っ」
「ふふふvvでも明燐は違う。あの子はあの人の大切な妹。だから守らなければならない」
「王妃様、それは違います!!確かに明燐様は宰相閣下の妹君。ですが貴方様も正当なる王妃ですっ」
「それは違うわ。私は・・・・そう、流されたに過ぎない」
麗璃の言葉に、果竪はくすりと笑った。
「だから、御願いね」
「王妃様・・・」
「さてと、ちょっと明燐の様子でも見てこようかな」
そう言うと、果竪は麗璃を置いて明燐の居る部屋へと向かった。
「これは王妃様」
「夜遅くまで有り難うございます」
出迎えた張おばさんに果竪は微笑む。
そして変わった事はなかったかとの質問に、特に何も無かったと答えると、女性はゆっくりと寝台隣の椅子から立ち上がった。
「外に出ていますね」
「すいません」
静かに閉まる扉。
「果竪?」
「明燐、具合は?」
「とっくに大丈夫ですわ。でも、皆さんとても心配してらして・・あ、そうそう。張おばさんが果物を持ってきて下さりましたのよ」
「へぇ〜〜」
その言葉に近くの机を見れば、籠に詰まった沢山の美味しそうな果物。
「珠水樹の実ですって」
「珠水樹――」
「本当は華籠の実を持ってきてくれようとしたらしいのだけど、私が嫌いなことを知って別のを持ってきて下さったの」
「それは張おばさんが言ったの?」
「ええ、果竪が教えたのでしょう?」
でなければ知るはずがないものね。
そう告げる明燐に、果竪はにっこりと笑った。
「そうね、明燐に華籠の実なんてあげたら大変な事になるもんね」
その言葉に、明燐はそこまで酷くないですよと頬を膨らませるのだった。
少しずつ周囲も動き出してきました。
次回は、とうとう証拠集めに果竪達が奔走します♪