1話
思うところは多々あるとは思いますが、私の自己満足な妄想にお付き合い頂ければと思います
「遅刻! 遅刻!」
少女は着慣れた制服に身を包むと、慌てるようにテーブルに置かれた食パンを手に取った。その目線は既に玄関へと向いており、手に取ったパンを咥えながら靴に足を滑り込ませる
「ちょっと! 食べながら行くつもり!?」
キッチンの奥からそれを見ていた母親が咎めるように言う
「だって遅刻しちゃうんだもん!」
「ちゃんと起きないのが悪いんでしょ!」
「起こしてっていったじゃん!」
「起こしたわよ!」
「ああ! もう! 急いでるの!」
毎日六時半に時計のアラームをセットしている。それでも不安な少女は母親にモーニングコールを依頼しているのだ
今日もいつものように、けたたましく鳴り響く時計を布団の中から器用に探り当てて止めたのは覚えている。そして再びまどろんだ。更に十分後に母親が起こしに来てくれた……ところも覚えていた
だが、気がつけば三十分以上が経過していたのだ。明らかに自分が悪いとわかっている少女は母親との会話を無理やり終わらせると立ち上がり玄関を飛び出す
「今日は遅くならないんでしょ!?」
背後から母親の叫ぶような声が聞こえて来る
「うん!!」
それに叫ぶように応じると道路へと飛び出した
朝比奈陽奈は今年で十六歳になる高校二年生の少女だ。ごく普通の家庭で育った陽奈は明るく活発で容姿も整っており、近所の住民や学校の男子生徒からも人気が高い
多少活発すぎる為、母親からはよく怒られる事もあるのだが、本人はあまり気にしていない
昨日も部活であるクリケットをした後、友達とお茶をしながら暗くなるまで話をし、帰ってからは間近に迫った中間テストの為の勉強をする。青春を謳歌する真っ盛りである
部活で忙しかった為に勉強がサボり気味だった陽奈はそれを取り戻そうと夜遅くまで勉強に集中してしまっていた。その為に寝坊をしてしまったのだ
口にくわえたパンを左手で器用に食べながらいつものバス停へと向かう
陽奈の家から高校まではバスに乗って行くか、もしくは駅まで向かい、そこから二駅ほど隣にある駅まで行くかのどちらかだ。陽奈はバスで登校している
「あ、陽奈ー! 早く早く!」
バス停が見えてくると、その近くに立つ一人の少女が陽奈に向かって手を振ってきた
「はあ、はあ、まだ、バス来てない?」
「うん! セーフだね!」
にっこりと柔らかい笑顔で陽奈を迎えたのは同じ高校に通う松田絵里だった
物腰が柔らかくおっとりとした性格で男子からも人気が高いのだが、本人はそれが嫌で仕方がなかった。というのも常に男子の目線は彼女の胸元へと注がれているのだ。絵里の胸元には他の女子と比べてもかなり大きな膨らみがあった
「よかったぁ〜。また遅刻したら今度こそ居残りだよぉ」
「ふふ、昨日も遅くまで起きてたの?」
「うん」
他愛もない話をしていると、バスが到着する。バスへと乗り込むと陽奈の視線は一点に釘付けになった
「陽奈。よかったね」
絵里が小声で陽奈に伝えてくる。二人の視線の先には一人の少年——小鳥遊陽平の姿があった
眉目秀麗、文武両道と非の打ち所がない美少年で、男女から慕われている。かくいう陽奈も陰ながら想いを寄せていた
これほどまでに容姿端麗、スポーツ万能な彼には当然取り巻きがいる。今朝もバスの中は彼とその取り巻きで占領されていた。興味のない学生からすればいい迷惑なのだが。
「相変わらず、すごい人だね」
バスの中は熱気でむわっとする空気が充満していた。二人は隙間を縫ってバスの奥の方へと移動する
「相変わらず、ちゃんと起きれないんだな。口にジャムついてるぜ? ちょっとは松田みたいに女らしくしろよ」
移動した先ではうんざりするほど、よく見知った顔が陽奈達を出迎えた
「え!? うそ!?」
慌てて、口元を手のひらで擦るがそれらしき感触はない
「ははは、嘘だよ」
「っな!?」
「角を曲がるときに押し込んでたのが見えたんだよ」
不特定多数の生徒の前で朝から自分の食事風景を見せる趣味はない。陽奈は道路に出る前に慌ててパンを口に押し込んだのだ
「さいてー……そんなんだから万年彼女も出来ないサッカー馬鹿になるのよ! ちょっとは小鳥遊君を見習ったら? ねー? 絵里?」
そう言いながら絵里の顔を見て同意を得る
「え? え? えーっと……そう? なのかな……?」
「なんでそこで陽平が出てくんだよ!」
突然の大声でバスの視線が陽奈達に集まる
「ば、ばか! 何、大声出してんのよ!」
「くそ……」
「何をいきなりムキになってんのよ。健太は……」
「うっせぇ!」
神崎健太は陽奈と同じ高校に通う同級生であり、クラスメートでもあった
先ほどから女子に囲まれている陽平とは小学生からの付き合いで幼馴染だ。スポーツ少年でもある健太はサッカー部に所属しており、キャプテン……とまではいかないが、部のムードメーカーとして男友達からの好感が高い。学力に関しては……推して知るべしといったところだ
「健太は何を騒いでるんだ?」
ふと陽奈の後方から声が上がる。その声に陽奈は心臓が飛び出しそうなぐらいドキリとした。もちろん声の主は陽平だった
「うるせぇな。陽平には関係ないだろ。いいからあっちで女子に囲まれてこいよ」
健太が皮肉たっぷりに言う
「なんでそんなに機嫌が悪いんだよ」
苦笑しながら陽平が言い返す。もちろん健太が嫌味で言った訳ではない事を陽平はわかっていた。腐れ縁だからこそできるやりとりだ
「いいよなぁ。陽平は運動もできるし、勉強もできるし……ちょっと俺に分けてくれよ」
「そういえば、もう中間だけど、大丈夫なのか?」
「それは言うなよ……せっかく忘れてたのに……」
「忘れてちゃダメだろ……ねぇ? 朝比奈さん?」
「……っえ!?」
横にいるだけでドキドキしてしまう相手が突如として声をかけてきたので、陽奈は声が裏返りそうになる
「ん? あれ? 朝比奈さんだよね……?」
「あ! う、うん! ……私の名前知ってたんだ」
「あはは、同じクラスなんだから当然だよ。それにいつも健太と話ししているからね」
こんな奴でもたまには役に立つなと思いながら陽奈は健太を見る
「なんだよ」
「別にぃ? せいぜい赤点とらないようにねって思っただけ」
「そういうお前はどうなんだよ! お前だって前回英語で赤点取ったの知ってるんだからな!」
「なっ!? なんで知ってるの!?」
「お前も松田さんの爪の垢でも煎じて飲ませて貰えばいいんじゃね?」
「ほらほら、二人とも学校着くよ?」
二人のやりとりを見かねた絵里がなだめるように言う。バスは最後の曲がり角を抜ける所だった。前方には見慣れた校舎が飛び込んでくる。そして、残念なことに他の女子からの冷たい視線も飛び込んできていた
授業の終わりを知らせるチャイムはなぜこのように心地の良いものなのだろうか。まるですべてから解放されたような気持ちにさせてくれる。陽奈はチャイムが鳴り終わるよりも早く、大きく伸びをし、それ以上に大きな口で欠伸をした。陽奈だけでなく数人の生徒も同じような行動を取っていた
「なんだ、随分余裕そうな奴らがいるな。これは中間が楽しみだ」
それを見ていた先生が笑いながら、そう言い放つ。それを聞いた陽奈は慌てて口に手を当てるがもはや後の祭りだ
「来週、楽しみにしておけよ?」
そういうと先生は教室を後にした
「今日も部活?」
授業が終わると、絵里がすぐに陽奈の机へとやってくる
「ううん、今日から部活も休み」
「中間近いもんね」
「別にいいのにねぇ……」
なぜ、どこもかしこも中間試験の話しばかりなのか。いっその事なくなってくれないかと思いながら、陽奈は机に突っ伏す
「おい、お前ら」
恐らく、自分達に放たれたであろう声の方向を見る。すでに朝に聞いた声なので、もう今日は満腹なのだが、何事かと顔を上げると、そこには健太がいた
「なによ? また嫌味でもいいに来たの?」
陽奈はそっけない態度で健太に言った。それでなくても、中間テストのことで気分が落ち込んでいるのだ。健太に構っている時間はない
「なんだよ……その態度。せっかく誘ってやろうと思ったのによぉ」
「はいはい」
興味のない人間から誘われても何も嬉しくないとばかりに陽奈は手を振りそっぽを向く
「この野郎。せっかく、陽平と一緒に勉強会やるから誘ってやろうと思ったのに……」
「うそ!?」
健太の口からで「陽平」というキーワードに陽奈は驚きながら立ち上がる
「現金な奴だな。お前、バレバレだぞ……?」
「えっ!? い、いや……別に……それで? 小鳥遊君とどうしたのよ?」
「だから、これから俺んちで勉強会する約束になってんだよ。男二人でって言うのもなんだからさ。お前らもよかったら……」
「行く行く! 絵里も行くよね?」
隣に立つ絵里に捲し立てる。是が非でも来てもらわねば困る
「え……? あ、うん……でもいいの?」
絵里は申し訳なさそうに健太を見た
「おう、遠慮しないで来いよ。正直、松田さんなら色々教われるし」
「なによ……私も教えてあげられるけど?」
まるで自分は役立たずのような言い回しをされた陽奈はムッとしながら健太に言った
「お前は俺と同じで教わる側だろーが!」
健太の言葉を受けた陽奈は拗ねたようにそっぽを向く
「そうと決まればさっさと行こうぜ。陽平も校門の所で待ってるだろうし」
いつもより軽やかに帰宅の準備をした三人は急ぐように校門へと向かう。そこには陽平が手持ち無沙汰に門に寄りかかる姿があった。下校する他の生徒もチラチラと陽平を気にかけているようだった
「お待たせ!」
そんな陽平に健太が走り寄る
「あれ? 朝比奈さんと松田さんも一緒?」
陽平が健太に聞く
「おう、さっき教室で誘ったんだよ」
「ごめんね? お邪魔かな……?」
聞き方を間違えたと思いながらも陽奈は陽平の顔を見る。ここで拒絶されでもしたらどうすればいいのか
「いやいや、邪魔なんてとんでもない。みんなでやったほうが楽しいしね」
「帰る前に買い出ししてこーぜ!」
「おい、勉強するんだぞ?」
突然、楽しげに健太が言うので、陽平が嗜めるように言った
「わかってるよ! 勉強には甘い物がないとダメだって習ったろ!?」
そう言いながら前を歩き始める健太の後を三人は苦笑しながらついていった
昼下がりの午後、駅前にある大型スーパーは閑散としており、見て回るには最適の時間だった。これが数時間後ともなれば、夕飯の買い物目当てで主婦達が訪れ、それなりの活気になる
ここ、西本市は陽平と健太が住む町だ。隣には陽奈と絵里が住む凰巣市が隣接しており、その先の来田市を挟んで、陽奈達の通う高校がある吸下市と続いている。いずれも低沖線という電車の沿線上にある。電車だけでなく、学校の送迎バス、市の巡回バスもそれなりに走っており交通の便は良い
特にレジで待たされることもなく、飲み物とお菓子を購入した陽奈達は他愛もない話をしながら出口へと向かった
—ゥウウウウウウウゥゥゥ……!!
突如、けたたましくサイレンの音が鳴り響く
『緊急警報発令。西本市全域にて緊急待機警報が発動されました。屋外にいる方は至急最寄りの屋内へと避難してください。繰り返します……』
「うお!? まじかよ!」
健太が驚きながらも店の出口にあるガラスに顔を押し付けて外を眺める
「おい、健太。危ないぞ」
それを見た陽平が健太を咎めた
「ばか! 魔法少女が見れるチャンスだぜ!? 黄色の乙女が来てくれねぇかなぁ」
「なんだそれ?」
「はあ!? お前、黄色の乙女知らないとか嘘だろ!?」
「知らないよ」
「まじかよ……MG5の中でもダントツで可愛い黄色の乙女を知らないとか……」
「ああ、あの魔法少女の集団か。可愛いって……顔見えないだろうが」
「見えなくてもわかるんだよ! あのぷっくりした唇。なめらかな髪。あれは絶対に超絶美少女なんだよ! あんな子と付き合えたら最高だろうなぁ」
そう言いながら健太はどこか遠くを見つめる
「……きもっ」
そんな健太の様子を見ていた陽奈はドン引きしながら言うが、健太には聞こえていないようだった
「最近多いよね」
陽奈の後ろに居た絵里が言う
「うん、前は都心で頻繁に起きてたらしいけど、今はこっちの方に移動してるのかな?」
陽奈は先日、テレビで見た報道を思い出しながら言った
と言うのも、こう言った事件は主に都心が中心だった。それが最近では都心から離れた場所で起こることが多いのだと報道されていたのだ
今までは、ここ西本市でこう言った警報が鳴ることはなかったのだが、今月に入って既に五度目となる
「いくら魔法で危険はないとは言え、こう頻繁だと迷惑だよな」
と、陽平は腕組みをする
「安全っていってもそこまで完璧じゃないみたいだし……」
「え!? そうなの!?」
絵里の言葉に陽奈が驚く
「うん、魔法で私たちとは別の次元で戦ってるみたいだけど、姿は見えてるでしょ? 確かに流れ弾とか直接的な被害はないみたいだけど……突然、目の前に飛んできてびっくりして倒れて足の骨を折ったとか、車の事故とかもあるみたい」
「あー……たしかにあんなのが目の前に飛び出してきたらびっくりして転んじゃうよね。音も普通に聞こえるから爆発音とかすれば見ちゃうし」
「うおおおぉぉぉぉ!! キター! 黄色の乙女だ! よっしゃぁぁぁ!!」
健太の叫び声に陽奈達だけでなく周りの人々もそちらを見る
「ちょっと……健太、声が大きいから……」
陽奈は健太を窘めるが、気になりつつ、窓際へと近づく。そこには巨大なゴーレムと宙を舞う可憐な少女がいた
軽やかに宙を舞う少女は美しく妖精のように飛び回り、ゴーレムの動きを翻弄していた。ゴーレムと言うから動きが遅いと想像していたのだが、思っている以上に機敏に動く。だが、少女はそれを嘲笑うように攻撃を掻い潜っている
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」。その言葉がしっくりと来る
「あぁ……黄色の乙女……可憐だ……」
お前は誰だとツッコミを入れたくなる陽奈だが、少し健太の気持ちがわかるような気がした。黄色の乙女と呼ばれた少女は顔を仮面で覆ってはいるものの、その容姿は容易に想像ができる。スラリと伸びた足。同性でもうらやむプロポーション。少女の動きに合わせて踊るようにたなびく黒髪。これでかわいくなかったら詐欺だ。訴えてもいい
その場合どこに訴えればいいのだろうかと、くだらないことを陽奈は考えていた
「こっちに来るぞ!」
怒鳴り声に、考え事をしていた陽奈ははっとし、外を見る。そこには自分を押しつぶそうとゴーレムの巨体が目前に迫っていた
——ッ!?
突然の出来事に陽奈の体は強張る。まるで地面に足が根付いたかのように体が動かない
「朝比奈さん!」
自分の名前が呼ばれると同時に体がふわりと浮く。柔らかい何かに包み込まれ強く抱きしめられる
衝撃と共に視界は真っ暗になる。倒れ込んだようだが、その衝撃はさほど感じなかった
それもそのはずで、冷たい床から自分の体を庇うように陽平の体があったのだ
「……え?」
陽奈は自分がどういう状況にあるのか一瞬わからなかった。徐々に冷静になっていく頭がその体勢の意味を理解する。まるで覆いかぶさるように陽平に乗り、そして目の前には痛みで顔を歪めてはいるが、多くの女子を魅了する憧れの男子の顔があった
「ご、ご、ごめんなさい!!」
陽奈は慌ててその場を離れようとするが、腰に回された手がそれを許さなかった
「いてて……大丈夫?」
目の前の陽平がこちらを気遣う。陽奈はもはや混乱の極みで無言で頷くしかなかった
「そっか、なら良かった」
解放された陽奈は立ち上がり、倒れ込んでいる陽平に手を差し伸べる
「あ……ほ、本当にありがとう」
「いや、気にしないで、咄嗟に体が動いちゃって。そもそも危なくもないのにね」
「ううん、ちょっと怖かったし」
「あはは、そっか」
魔法少女達は魔法の力を使って、別次元で戦闘を行う。その為、目の前で行われている戦闘は周りに影響を与えないのだ。ただ、見えてはいるので、先ほどのように目の前に現れると条件反射で身構えてしまう
「なにやってんだよ……」
振り返ると機嫌の悪そうな健太が腕組みをしていた
「なんともないとはわかってても、つい庇っちゃったよ。あはは」
「あははじゃねーよ!」
いつもと違う剣幕で怒鳴る健太に陽平は動きを止める
「ど、どうしたんだよ」
「別に……」
健太はふいっと顔を背けてしまった
「ちょっと! 私の事を心配して庇ってくれようとしただけなんだから、健太がどうこう言う話じゃないでしょ!」
「そもそも、怪我なんかしねーだろ! むしろ庇った反動で頭打ったらどうすんだ!」
「だからってそう言う言い方しなくたっていいでしょ!」
「ふ、二人とも……落ち着いて……健太の言う事も一理あるよ。僕が庇ったせいで朝比奈さんが怪我した可能性もあるんだし。僕が浅はかだったよ」
ヒートアップする二人をみた陽平がフォローを入れる
「小鳥遊君は悪くないじゃない! 健太が勝手に突っかかってきてるだけなんだから!」
「み、みんな……」
「「……え?」」
目の前の問題に対してではない。明らかに困惑したような言葉に三人は一斉に絵里を見る
「う、後ろ……」
青褪めた表情で絵里は陽奈達の後ろを指差した
「どうしたの……っ!?」
絵里の不可解な行動を確かめるように陽奈は振り向いた。そこには三人を見下ろすもう一体のゴーレムがいた——