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破局と結実のエンタイトル

「腕相撲をしないか?」

「…」

思い切って切り出しはしたものの、想像の十倍ほど冷たい視線を浴びせられた。

何もそんな床に落ちた大量の羽虫を見るような目をしなくてもいいだろうと少しばかり怯みそうになる。

だが退いてはならない。

これは西条との関係を進める為の革新的にして不可避にしてようよう捻り出した渾身の一歩なのだから。



俺は悩んだ。悩んでいた。この上なく悩んでいたと言って良いだろうほどに悩んでいた。

これほど悩んだことがかつてあっただろうか?いや無い。

例えば大学受験はどうだっただろうか。

そんなものは極めて簡単だ。

勉強し、勉強して、勉強しまくってトップクラスの大学の商学部でも入れば良いだろう。

そう割り切って一直線に打ち込み、あっさりと結果を手にした。

正直人生の機転のように戸惑いながら無駄な時間を使い上手くいかなくなる奴らの気が知れなかった。

他の男と付き合った時はどうだっただろうか。やはり簡単だ。

大抵が俺自身に惹かれてくれていたのだから少しばかり頭を回してやればコロコロと手のひらで転がってくれた。常にお前を気にかけているというメッセージに人は弱い。ただの定時連絡と大差なかろうとどいつもこいつも抱えている寂しく感じているだろう瞬間を狙えば一発だった。

そんな調子で就職活動も引き手数多だったし、誰が相手でも望むところなんて安易に想像できた。

それに加えて愚直に学ぶことを忘れなければ欲しいものは手に入る。

例え努力を重ねたところでツキがなく、諦めざるを得ない選択もあったとしてもだ。

それならそれと諦めて、代わりの物を探せば良い。

そういう考えで生きてきたので、迷いなどなかった。

結局は全て自分の思いのままになると確信して生きてきたのだ。


だが今回ばかりは違う。

西条彩人にという偏屈曲がりの芸術家なんてプライドの高さが顕現したような厄介な男に認めてもらうという俺の希望を通すにはこれまでの方程式は通用しない。

最悪なことに気がつけば四六時中想わない時はないというレベルで惚れてしまった相手だ。

だからもしも、もし、もしも万が一にでも本気で嫌われるようなことがあれば、それは決して替えの効かない致命的な損失へとつながることとなる。


そんな敗北は俺のアイデンティティーからいっても認めない。もとい、認めるわけにはいかない。


その為に考え、考え抜き…考え抜いた末に思いついたのが腕相撲である。

相手のアドバンテージに合わせることはない。

全く別の評価軸を用意した方が手っ取り早い。

そこでやはり男が男を認める分かりやすいベンチマークといえば腕力である。

武力である。生物的な面におけるマウンティングをかますのだ。

只のお茶友達から俺はまず男…いやこの場合は漢として認められるべくステップアップするのである。

一周回って小学生みたいなアイデアになっているような気がしなくもなかったがとにかくまずはやってみることが大事だ。この提案なら例え上手くいかずとも大した損失も引き起こすまい。

まさしくローリスクハイリターンの素晴らしい戦略だ…。


そう思い、ある秋晴れの日のティータイムがてら提案したのだが死ぬほど嫌そうな顔を向けられ、加えて冒頭の冷たい視線を送られる羽目となった。

「大体お前、良い年こいてやることでもないだろ。鏡でも見てきたらどうだ中堅サボリーマン」

さながら追い討ちをかけるが如く辛辣な言葉が飛んでくる。キツイ。心が削られるようだ。

「別に大したことじゃないだろ?単なるお遊びだよ西条。これは遊び。最近ジムでの調子もいいから少し自分の筋肉って奴を試したくなっただけなんだ」

さりげなく視線を逸らし、表情を悟られまいとする。声も別段震えてはいなかったよな?

「ほう、それでこうして俺のような筆より重いものは持たないような芸術家相手であれば自らの腕力も誇示しやすいと踏んだのか?悪辣にして浅薄、短慮も甚だしい考えだな」

「いや違う、そ、それは違うぞ西条。ただ今日は何とは無しにだな。お前とちょっとその…」

手を握ってみたくなった…と口走るのはなんとか我慢した。

「フン、ま、いいさ。だが俺はその辺のアーチストとか言う連中とは違う。時にはキャンバスを殴りつけるのも躊躇わないようなやり方をしているのはお前も知ってのとおりだ。簡単に俺を倒せるとは思わないことだな」

そう言ってタバコをくわえながら袖をまくる西条。どうやらやる気になってくれたらしい。

初めて見る白い手首から上腕二頭筋までの腕の部分は一切シミの一つない綺麗な褐色。指先と同じく絹のような滑らかさだ。最も万年引きこもりのような生活をしているのだから早々太陽光も浴びることはないのだろう。ただそれほど鍛えているようにも見えないが…ハーフということでポテンシャルそのものが違うからこそやや自信満面な態度なのだろうか。

ともあれ付き合ってもらえることは素直に嬉しい。こちらもワイシャツの袖をめくり、ぐっと腕を突き出すようにする。ジムにてウェイトリフティングも平均以上は持てるように鍛えている。高校生の頃よりもひと回りは太い。正直こちらも自信はある。

「ほう、ジム通いというのもあながち嘘という訳でもなさそうだな…?」

ニヤリと笑う西条。うむ…不敵な面構えも似合うじゃないか…。などとくらっと来ている場合ではない。

「それはそうさ。早速始めよう」

口にしてギュッと西条の手を握る。俺の手よりも少し小さく、こちらが包み込むようになる。意外とじんわりと温かく、しっとりとしており心地よい。まるで女性のような手の感触に心がじんわりと熱くなる。

もっと激しいことも繰り返してきた俺がなんということだ。顔まで赤くなっているんじゃないか?

「おい何をぼーっとしているんだ。やらないのか」

「あ、ああすまない。それじゃ二人しかいないから…いち、にの、さんで始めよう」

「良いぞ。それじゃ…いち」

「にの」

「「さん!」」

掛け声が合わさると同時に右腕に思い切り力を込めた。

あれだけ得意気にしていたということはある程度勝算もあってのことだろう。ここは気を抜かずにかからねば当初のマウンティングをかまし、距離を縮める計画がパアだ。


そう思って全力を出したのだが…。


バチン!という音と共に叩きつけられたのは…西条の右手の甲であった。

圧勝だった。

「…。あれ?さ、西条?」

勝ったはずのこちらの方が驚いてしまう。

西条は顔を伏せ、こちらを見ようとせずに震えている。

「あー…ええと、その、西条…悪い。痛かったか?」

ちょっと力を出しすぎた?いやでもかなり抵抗されるものだと思ってしまっていたので…完全に誤算だった。

「…」

声を掛けても帰ってくる気配はない。

ただただプルプルと震えているばかりだ。

普段の天使然とした、どこか神秘的な雰囲気は消え失せ、悔しくて何も言えずにいる小学生のような西条がそこに居た。

「違う…」

「え?なんて?」

「違う…、そのあれだ。甘いものの…食べ過ぎのせいだ」

「別段そんなことで筋力が衰えるなんて話は聞いたことはないが…」

「う、うるさい!とにかくお前がしょっちゅう持ってくるあのスイーツやらのせいで今日はちょっと調子が悪かったんだ!」

ムキになって声をあらげる西条。その様子に笑みがこぼれそうになるのを必死でこらえながら言葉を返す。

「スイーツは俺も食べているんだから条件は一緒じゃないか…」

「いいやそれは違う。お前はいつも少しばかり苦味の入ったものを食べているじゃないか。ビターチョコ風味だの、なんだの…だから要するにフルーツや生クリームが多い奴を食べる俺の方が糖分は多かった。その影響でほんの少しばかり今日は調子が今ひとつだった。いわゆるノーカンだ。ノーカン!」

いくつか用意するケーキから率先して激甘な方を選ぶのはお前じゃないか。

そうツッコミたくなったがますますムキになる西条の様子が面白く、からかえるのが楽しくなってきた。

「そうか?じゃこれからは甘いものはやめて、唐辛子せんべいとかでも持ってくることにするか」

「それも違う。問題はだな、そもそもお前がしょっちゅうやってくることがおかしいんだ!帰れ!とっとと帰れテメーは!」


…西条は怒ったまま自分の離れであるアトリエに引き返してしまった。

どうやら当初の目的とはややズレたが…まあ距離は近づいたかもしれない。


すこしばかり嬉しくなり、次はどんなスイーツを持ってきてやろうか…そう考えながら車に戻る。


翳りの差し始めた雲行きのことなど、浮かれて気づきもしなかった。







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