愚者と弱者のミックスアップー8ー
それからというもの。
東雲だがいう男は何かにつけて家に来るようになった。流石に毎日ということはないが、多いときで週に3日、少なくとも週に1日は必ずやってくる。その都度追い返そうとはするのだが、毎回持ってこられる甘味には恥ずかしながら抗いがたいものを感じるようになっていた。普段の食事は鹿島という名のハウスキーパーが用意してくれるのだが、やや高齢であり如何に美味かつ栄養価も考え抜かれているとは言えその古めかしさに若干の物足りなさを感じないでもなかった。そこに来て持ってこられる和洋を問わない様々な名店の”スイーツ”は出不精な俺にとって新鮮味があり、かつ不足していた糖分そのものであったからだ。
勿論それだけ貰って追い返すということも考えはしたが、奴は何かと口が上手く、気づけばズルズルと侵入を許してしまっている自分が居た。そのことに気づいた時には愕然としたものであるが、既に後の祭りであった。何せ更に時間が経った頃にしれっと合鍵まで作られていたのだから。
これは恐ろしいことだ。
そして俺はついに俺自身が抱えていたはずのプライドや怒り、他人を簡単に受け入れてなどたまるものかというテーゼの元に殴りつけてでも出入り禁止にしてやろうかと試みた。それに対して奴は覆面芸術家としての世間で売れている貴方の正体を公表するぞという脅迫を仕掛けてくる。そのようなことをすれば俺の実の息子であり今は奴が保護者となっている竜之介の生活にも当然影響が出ることなど分かっているのだから、言って見ればそれは冗句の範疇にすぎない。
ただそれは一方で俺の心の中で奴を受け入れざるを得ないという名目が成り立つロジックでもあった。
それを見越して仕掛けられたのかはわからない。
だが確かなことはあの単独訪問から3ヶ月にして、俺はスイーツにより餌付けされ、合鍵を作られ、それを心の中で許さざるを得ないロジックまで喰らわされてしまったということだ。
不愉快ではある。不快。全くもって堪え難いものがあると俺は俺のこれまでの生き方を踏まえれば考えなくてはならないはずだった。
排除しなくてはならない異物だ。あの黒髪の、ニヤけた面を絶やさない、いかがわしいオーラを身に纏い、暑苦しいジャケットとパンツのくせに汗ひとつかくことのない人間離れした怪人もどきの東雲一馬という男を俺は排除しなくてはならないはずだ。
自分が自分でなくなるような戸惑いはすぐに作品にも現れるようになる。
怒りを源泉、原液、いや塊としてキャンパスにぶつける。
それこそが俺の創作活動であったはずだが、いかんせん、奴が当然のような顔をしていやあ営業回りはやっぱり疲れますね最近のお客さんと来たら何処に行っても景気の悪い顔をされているんですから中々売り込むのも難しいものがありますよまあこうして大蘭堂のプティングさえあればすぐに復活というものですが、あ、抹茶の方は僕が食べますからね、一人一個ですよなどと言われタバコまでじっくり味わう有様にごく自然に付き合ってしまうようになった頃からどこかキレを失いつつあった。他の作家がやるような習作、手習いで小品を作るような真似もせず、覆面作家故に講演会などもやるはずもない俺にとって創作活動の他は本当の意味でやることがないのだ。
延々とキャンパスの前でああでもないこうでもないと試行錯誤する。
インスピレーションが降りてくるまで寝る。
東雲とお茶をするという。
最近ではこの三つしか行えていない。契約上、出来上がったら報告するというかなりラフなやり方になってはいる。それはこれまでの実績を踏まえ、勝ち取った条件だ。ただそれはそれとしておおよそ数ヶ月に一作ペースでなにがしか報告するようにとは言われていた。それは当然だろうと分かってはいる。だがこれまでであればふとした瞬間、何気ない一時に訪れる衝動に身を任せていればどうとでもなった創作意欲が訪れないのだ。
俺の中で何かが渇れ始めている。
それを認識した瞬間、ぞっとするものがあった。心の一部がすっぱりと抜け落ちるかのような恐怖。
こうなったのも全てあの東雲一馬という存在を置いて他にない。もとい、あるはずがない。
スイーツなどに踊らされた俺が浅はかという他なかった。今すぐにでも関係を断ち切るべきだろう。直接的な証拠はないが、俺のここ数年の変わらぬ生活の中での変化要因は奴一人であるのも事実だ。
だから、断ち切るべきだ。
それは分かっている。未練があるとすればスイーツがやってこなくなるだけだ。
いやそんなものネットでも使って注文すればいい。本質はそこにない。したがって未練などない。
ないはずだ。
ないはずなのに。
ただ奴が全く来なくなる日々というのも、ほんの僅か、僅かだ。本当に僅かではあるが。
どこか、寂しい。




