30.
「ねえ、リーザ。」
馬車のガタゴト言う音の中、ルーのその声は異様にはっきり聞こえました。
「何ですか?」
私は下手にルーを刺激しないように、いつもと同じトーンを意識して返事しました。
ええ、いつもと違うなんて一つも感じていませんよ。
「どうして貴女は私の知らないところばかり行くのですか?」
「え?」
知らないところ…と、言われても、心当たりがないのですが。
私は今日、チェブリアンヌ公爵令嬢の邸にしか行っていませんよ?
「ルーはチェブリアンヌ公爵邸の場所を知らなかったのですか?」
私がそう聞き返すと、
「…そうではありませんよ。」
と、疲れたようにルーが答えてくれました。
「私が仕事をしている間、貴女は図書館に行き、その隣のカフェに行き、新たな友達を得てだんだん私から離れて行く。
結局、魔法の本を調べているということは知っていますが、何を調べているのかまでは教えてくれない。
私たちは婚約者ですよね?」
「ええ、そうですわね。」
「皆の前で正式に発表しましたよね?」
「確かにしましたわね。」
「それなのに、貴女は邸に行ってもいない。マリーとレイラに居場所を聞いても教えてもらえない。そして、貴女の父と兄が私を認めてくれていない。まあ、それは追々で良いのです。…ですが、リーザ、貴女にはその自覚がありますか?」
「というと…?」
「貴女は、私と過ごすよりも他の人たちと過ごす方が楽しいのではないですか?」
えーっと?これは…
「もしかして、嫉妬というものでしょうか?」
しまった!!ついつい心の声が口から出てしまった!
「…嫉妬…?」
ルーも呆然としながらその言葉を繰り返しています。そして、
「私は、リーザだけが居れば良いのです。他の誰も些末な問題です。
リーザさえ、私に笑ってくれていれば、傍に居てくれればそれだけで幸せなのです。でも、貴女は私よりも他の人と楽しそうに過ごしている。
私は婚約者なのに…。」
続けてそう言い出しました。
それはまるで、親とはぐれた迷子のような、そんな寂しそうな声でした。
まさか、ルーがそんなことを言い出すとは!!
私の知っているゲームのルーは、リーザのことが嫌いで早く婚約を解消したくて、ヒロインの子と幸せそうに笑っている男の子なのです。
彼は、リーザに泣き言など言わず、弱いところなど見せませんでした。
いいえ、ヒロインにだって見せていないと思います。
何せ、彼はヒーローですからね!!
私はふと、目の前のルーが知らない人のように思えました。
いいえ、初めてゲームのルーを通さず、目の前のルーを一人の人間として認識した気がしました。
「ルー、ごめんなさい。」
私は、前に座るルーの隣に移動して、ルーの手を握りました。
ルーの手はびっくりするくらい冷たくて、それだけに心が痛くなりました。
彼は5歳で、周りの期待に応えようと日々必死に頑張っている子です。
「リーザ!!」
ルーは、びっくりした顔をしてこちらを見ています。
そう言えば、私から手を握ったことなどあったでしょうか?
しかし、ルーが驚いていたのはそちらではなかったようで、私が握っていない方の手で私の頬を撫でてきます。
濡れた感触に、私はやっと泣いていたことに気付きました。
しかし、止めようと思っても止まりません。
…涙腺が壊れたようです。
「すみません、リーザ。そんなつもりはなかったのです。ああ、どうしたら…」
「いいえ。こちらこそ、ごめんなさい、ルー。私、もう間違えませんわ。」
その言葉に決意をこめて―。
ここは、確かにゲームの世界かもしれない。私も殺される運命かもしれない。
けれど、ここに居る人たちをゲームの中の人だと決めつけるのはやめよう。
私と同じように体温を持つこの人たちは、私と同じように自分の意思を持つ人たちだから。
この世界に居る時点で、私は部外者ではなく、この世界に存在する一人の人間なのだと唐突に理解したのです。
ここからどう進むのかはまだわかりませんが、私は私としてこの世界で頑張って生きてやろうと決めました。
「私はルーが大事ですけれど、新しく出来たお友達も大事なのですわ。」
「それは、リーザにとって、私と彼女たちの大事は同じだということですか?」
「さあ、どうでしょう。ルーもいつか、私よりずっと大事だと感じる人に会うかもしれませんよ?」
それまでは、私精一杯頑張りますから!
終わり…みたいになってますが、まだ続きます。
とりあえず、一区切りつきました。長い…長かった30話。
これから、成長してゲームの年齢に早く到達させたいな…と思っています。
これからもお付き合いいただければ幸いです。




