18.さてこれから
「お腹空いた…」
それは口に出ていたのか、夢の中での出来事だったのか…。
兎にも角にもお腹が空いたことには変わりがなく、私はパチリと目を開けました。
目の前に広がる天井は、アルフバルド侯爵家の私の部屋のもの。
いつの間にか私は私の部屋に戻ってきていたようです。
それにしても、ここまでお腹が空くなんて…。一応、夜は披露の場で軽く摘んだはずですが、全然足りなかったということでしょうか…?
「お嬢様、今日こそは起きてくださ…」
扉を開けながらマリーが部屋に入ってきました。
言葉が止まったのは、私と目が合ったから…ですよね?
その瞳に涙が浮かんだかと思うと、マリーは手に持っていた花瓶(花入り)を投げ捨てて私のところに走ってきました。
「お、お嬢様ああああああああああっ!!」
ひしっと抱き付いてくるマリー。
私はこの状況で、どうしたら良いのかパニックに陥りました。
だって、私の記憶の中のマリーは、このような行動に出ることなんて一度もなかったのですよ!!
「マリー。…あの、どうしたの?」
とりあえず、落ち着いてもらわなければ…。そう思って、マリーの背中を叩いてみますが、全くの無視。
ええっと…。これはどういう状況でしょうか?
いつもなら冷静に答えをくれるマリーがこの調子では、私は誰に聞いたら良いのでしょうかね?
「お嬢様ー。今日は良い天気ですよー?
こんな日に寝てるなんて損ですよー。…あれ?マリー?お嬢様に覆いかぶさって何して…」
「レイラ、ちょっとレイラ!!マリーを起こしてちょうだい!!」
天の助け!と、やって来たレイラの言葉に被せ気味に言葉を発します。
このままだと、私のお腹が鳴ってしまう。
いくら、昔からの付き合いだからって、お腹の音を聞かせるわけにはいかないじゃないですか!!
「…お嬢様…?」
マリーの背中越しにレイラに手を振ります。
気分は救助を待つ遭難者…だったのですが…。
「お、お嬢様あああ!!」
ちょ、ちょっと!!天の助けだと思ってたレイラまで上に被さってきちゃいましたよ!!重い、重い!!誰か!
「ぎ、ギブ…」
そう言うのが精いっぱいでした。
「まあ!!どうしたの、マリーもレイラも。リーザに覆いかぶさったりして。」
その声はお母様!!今度こそ!の思いを込めて、私は手をお母様に向けて振りました!
「あら、リーザ、起きたのね。…んもう、心配かけさせるんだから。
さあ、レイラ、起きて頂戴。リーザが潰れちゃうわ!そして、マリー。
花瓶を拾って頂戴。これじゃあ、せっかく王太子殿下にいただいた花が枯れちゃうわ。」
お母様に言われたレイラとマリーは、それでもしばらく私に引っ付いていたけれど、納得したのかやっと起きてくれました。
「いくら下がベッドだからって、死んじゃうところだった…。」
ぼそりと呟けば、先ほどまで可愛らしく私に引っ付いていたマリーが、いつもの顔で、
「お嬢様がそんな簡単に死ぬわけないじゃないですか。」
と、言っちゃってくれましたよ!!ちょっと!
「まあ、でも起きてくださって良かったですよー。これ以上意識が戻らなかったら、大変なことになるところでした。」
レイラはにっこり笑ってそう言ってくれますが、その言葉に引っ掛かりを覚えました。
「これ以上…ってどういうこと?私、どれだけ寝ていたの?」
「えーっと、昨日の朝にお屋敷に戻って来られてからですから、既に丸一日以上は寝ておられたかと…。」
「丸一日…以上…?」
「そうですわ。お食事の時間になっても起きられなかったのは初めてでしたわ。」
マリーってば、そんな人を食い意地が張ってるみたいに言わなくてもいいのに。
「それにしても、あの王太子殿下ときたら、お嬢様と婚約した途端に、何を考えているのかしら。」
「素敵なお花と宝飾品などが届いておりますよー。」
「お花と…宝飾品!?しかも、など!?」
「ええ。お嬢様が寝ておられる間にたくさん届きました。ご覧になります?」
「もちろん、すぐに確認するわ。」
お花は、さっき花瓶と一緒に転がったアレだと思うのだけれど、宝飾品っていう響きがもう恐ろしいわー。
普通、5歳児が5歳児に宝飾品なんて贈らないと思うんですよねー。
だからこそ、早く確認しておかないと怖すぎる。
私はお腹が空いていたことなど忘れて、贈り物を確認しに部屋を出ました。
応接室に置いてあると聞いて、向かったのは良いのですが…。
「何、これ?」
見たことないくらいの花束と箱が、応接室からはみ出しているのが目に入りました。
幾らなんでも贈って来すぎですよ。ルーは一体何を考えているんでしょうかね!
贈り物を持ってきた王宮からの使者さんが、やって来た私に気付き、声をかけてきます。
「お嬢様、こちらは王太子殿下からの贈り物でございます。ぜひご確認ください。」
「お嬢様、こちらは宝飾品となります。」
「こちらには、ドレスがご用意してございます。」
な・ん・だ・こ・れ!?
私は開いてしまいそうになる口を閉じるのに必死でした。
ドレスやら靴やら帽子やら、髪飾りに化粧品まであるじゃないですか!?
しかも、ドレスの下に着るタイツやコルセットまで…。
ルー、まさか自分の婚約者には自分好みの恰好をさせたい人でしたか…?
そして、パッと見ですが、着るものは全て今の私の体型に合わせたものにしか見えないのですが、いつから用意させていたのでしょう…。
有難いですけれど、迷惑としか感じないのですが…?
「皆様、ありがとうございます。これらはこのままにしておいていただけますか?
私、少し王太子殿下とお話を済ませて参りますわ。」
「それには及びませんよ、リーザ。」
使者さんに向かって喋っていると、部屋の外から声が掛けられました。振り返ると、なぜか、今ちょうど話をしに行こうとしていた相手がそこに立っていました。
「リーザ。貴女が起きたと聞いて、居ても立っても居られず来てしまいました。」
「まあ、ルー。ようこそいらっしゃいました。私、今ちょうど貴方にお話がありましたの。」
「そう。何の話でしょうか?」
「こちらで『2人っきりで』お話しましょう。」
「2人っきり」を強調して、ルーを応接室の隣の部屋に通します。
使者さんたちは私の強調に気付いたのか、そのままその場に留まってくれました。
「どうしたのですか?リーザ。さっきの部屋では出来ない話?」
「ええ。ルー…いえ、王太子殿下。」
「ルーと呼んでと言ったと思うのだけれど?」
「いいえ、王太子殿下。私の要求を聞いていただくまでは、このままの呼び方にさせていただきますわ。」
「…要求?一体何でしょう?」
「あれらを全て持って帰ってくださいな。」
「あれらと言うと、私が持って来させたものですか?」
「ええ。ドレスも宝石も靴も私別に欲しくありませんの。」
「気に入らなかったのなら、今度一緒に…」
「違いますわ。…王太子殿下、あれは誰のお金で買ったのですか?」
「誰のだろう?私のだと思うけれど…?」
「ご自分のお金は、必要なものにお使いになるべきですわ。それに、私先ほども言いましたが、特に欲しいとは思っておりませんの。」
「折角用意したのに…。」
「そのお気持ちだけで十分ですわ。私あんなにいただいても、恐れ多くて使えませんもの。」
「でも、国王陛下も妃殿下もリーザにお礼をしたいとおっしゃっておられたから、あれらを用意させたのだけれど…。」
「お二人にもそうお伝えくださいませ。」
そう言った途端、目に見えてシュンとしたルーに声をかける。
「お花は嬉しかったですわ。でも、特別な日に1本だけで十分です。」
あんなにあると、全部見る前に枯れてしまいます。
苦笑して私がそう言うと、ルーは私の手を握って応接室に向かって歩き始めました。
「リーザは何の花が一番好きですか?」
歩きながら聞かれたので、私は記憶を思い出しながら言いました。
「桜が好きです。」
「サクラ…?」
この世界にもある、日本人なら誰しも知っているあの花。
春になると白やピンクの花を咲かせて、あっという間に散ってしまう桜。
あの凛とした潔い存在がとても好きだ、と。
「そう。リーザはサクラが好きなのですね。」
ではこれを。
そう言って、ルーは目の前の花束から花を抜き取って私の薬指に巻き始めました。
器用にクルクル巻いて出来たそれは、桜の花で出来た指輪。
それに指を当てて、言霊を囁いた途端、一瞬でプリザーブドフラワーのようにしてくれました。
先ほどの感じは、水の属性でしょうかね!
「婚約指輪が出来るまでこれで我慢してくれますか?」
「我慢なんて…。十分素敵です。ありがとうございます。大事にしますね。」
そう言った私に満足したのか、ルーは私をギュッとした後、王宮に帰って行きました。
もちろん、荷物も全部持たせましたよ!
それから数日後、桜をモチーフにした指輪が私の手元に来ることを、私はまだ知りませんでした。




