転生王女の衝撃。(2)
ヤバい……真剣に泣きたい……。
いつか会える日まで、私は自分を磨こうと決めていた。
私が小さい頃から既に近衛隊に所属しているであろう彼を、意欲的に探さなかったのは、それが理由でもある。
そもそも、こんな小さい女の子が、猛烈にアプローチしたところで、効果はゼロだ。
ゲーム開始時のローゼマリーは、おそらく15~6で、レオンハルト様は31歳。その時でも相手にしてもらえるか怪しいのに、今なんて問題外。
会えたところで切なくなるだけだと、思っていたのに……。
偶然にも会ってしまったばかりか、般若のような顔を見られてしまうとか……終わった。私の恋は始まる前に砕け散った。
「王女殿下……?如何なされましたか」
「い、……いえ。何でもありません」
零れ落ちそうになった涙を必死に堪え、私は頭を振る。大きな掌の上から手を引き、一歩下がった。
不審げな視線が痛い。
「姉様?何処か痛いのですかっ?」
さっき辛く当たってしまったというのに、ヨハンは心配そうに私を覗き込む。大丈夫よと微笑むと、安心したのか、ほにゃりと表情が緩んだ。
純真で優しい弟に、私の良心が痛む。
ごめんよ……。
姉様ちょっと揺らいだ。ヨハンを厳しく育てる怖い姉に、シフトチェンジしようとしたばかりなのに。
好きな人の前だけ取り繕おうとするなんて、格好悪いし卑怯だよね。
今から姉様は、誰の前でも取り繕わない鬼な姉になるよ……!
「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。第一王女、ローゼマリーでございます。兄、弟ともども、どうぞよろしくお願いいたします」
強張りそうな表情筋を叱咤し、笑みを浮かべる。自分では見られないけれど、引き攣っていなければ上出来だ。
「見苦しい……?」
レオンハルト様は、何故か不思議そうな表情を浮かべた。意外に長い睫が、数度瞬く。独り言のような呟きは、私の言葉の一部分を拾い出したものだった。
「……オルセイン様?」
「失礼。……ですがそれは、先程の勇姿の事を仰っておられるのですか?」
勇姿、と言われ私は、うぐ、と思わず息を詰めた。
どういう気持ちでそう表現したのかは分からないが、出来れば揶揄であって欲しく無い。私の心が折れて、立ち直れなくなりそうだから。
「…………」
黙り込んでしまった私に答えを見つけたのか、レオンハルト様は、切れ長な目を優しく細める。予想外な反応に唖然としている私を見て、柔らかな笑みを浮かべた。
「申し訳ございません。レディに恥をかかせるなど、騎士にあるまじき行為。……ですが、一つだけ、御無礼を承知で申し上げます」
「……?」
「先程の貴方様を見て、自分はこう思いました。――何て格好良い姫君だろう、と」
「……!!」
レオンハルト様の言葉を理解した私は、ボンっと音が鳴りそうな位、瞬時に沸騰した。自分で見なくとも、顔が真っ赤になっているのが分かる。だって耳まで熱い。
どうしよう。さっき決意したばっかりなのに。
怖い姉は、赤面しないのに。鬼な姉は、恋愛に浮かれてだらしなく笑み崩れたりもしないのに。
どんなに自分自身に言い聞かせようとしても、体は正直だった。
私の意志とは裏腹に、顔の赤みは引かないし、少しでも気を抜けば、表情筋が崩壊してしまいそうだ。
唇を戦慄かせ、俯くしか出来無い。
レオンハルト様、恐るべし。
彼にかかれば私なんて簡単に、掌でごろんごろん転がされてしまう。
「……姉様」
「っ!!……ヨハン」
隣に居た事をすっかり忘れていた弟が、私を呼ぶ。
バッと弾かれるようにそちらを見ると、酷く冷たい光を宿す青い瞳が私を見ていた。背筋をヒヤリと冷たいものが伝う。
もしかしなくても、軽蔑されただろうか。
そうだよね。弟を叱りつけておきながら、別の男性の前では真っ赤になるとか……馬鹿にしてるとしか思えないよね。とんだ悪女だ。尻軽だ!ビッチだ……!!
私の馬鹿!!
「…………何故赤くなるのですか。姉様」
「そ、れは……」
「ヨハン」
可愛らしい弟のものとは思えない、冷たい声で問われ、私は言葉に詰まる。ごめんなさいと謝ってしまいたかったが、それも許されない。
もごもごと口ごもる私を見かねたのか、兄様が割って入る。
「ローゼを苛めるのは止めなさい」
「ですが……兄様!」
「気持ちは分からなくも無いが、ローゼを責めるのはお門違いだろう」
「……はい」
兄様に窘められたヨハンは、悔しそうに俯く。
ご、ごめん……。浮ついていた姉様が悪いよね。納得いかないのに、堪えさせてしまって、本当にごめんよ。
「ここで駄々をこねてローゼを閉じ込めても意味は無いと、今のお前なら分かるな?」
「はい」
「ならば鍛錬に戻るぞ。学ぶ事は、沢山ある」
……ん?何の話?
何故私が恋愛脳を拗らせたからって、閉じ込められなきゃならないの?
兄様の言っている事が、全く理解出来無い。だがヨハンには通じているようで、彼は凛々しい顔付きで兄の問いかけに頷いた。
何か私、置いてきぼりにされているような……。
「待たせてしまってすまなかったな。戻ろう、レオンハルト」
「はっ」
「では、またな。ローゼ。騒がせてすまなかった」
「あ、はい。……鍛錬、頑張って下さいね」
話についていけない私を放置し、兄様とヨハンは踵を返す。
兄は私に一言かけてから立ち去ったが、弟は一礼のみ。本格的に嫌われてしまったかな。シスコンは治したいとは思ったが、嫌われたいとまでは思わなかったのに。……まぁ、自業自得か。
ヨハンは何故か、レオンハルト様の前で、立ち止まる。
大きな瞳が、挑むようにレオンハルト様を見上げた。
「…………」
流れる、数秒の沈黙。
結局ヨハンは、何も言わないまま、再び鍛錬場に向け歩き始めた。
その後ろ姿が少し大きくなったように見えたのは、気のせいだろうか。
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