転生王女の変事。
「もう残り少なくなってきたなぁ……」
ベッドの上に並べた荷物を指差し確認していた私は、独り言を洩らした。
何かあった時のためにと持ってきていた薬が、大分減っている。まぁ、人にあげているので当たり前か。
酔い止めはまだあるけれど、止瀉薬や整腸薬がきれた。逆に止血など手付かずで残っているものもある。
一つ一つ丁寧に確認し、再び袋へと収めていると、視線を感じた。
顔をあげると、こちらを見つめる護衛騎士と視線がかち合う。毎度のことながら、逸らそうとする素振りもない。
気まずさとか感じないのか。感じないか。感じていたらクラウスはクラウスをやってないよな、うん。
「……なにか言いたげね」
「いいえ、特には」
「穴が開きそうなほど凝視しておいて、よく言えるわ」
薬をしまい終えた袋をポンと叩き、私は溜息を吐き出す。
するとクラウスは目を丸くした後、顎に手をあてて考える素振りをした。
「貴方様を見つめてしまうのは、クセとも言えますが……」
そんな傍迷惑なクセは今すぐ治して欲しい。切実に。
「考えていた事はあります。ただ、お伝えするつもりはありませんでした」
だから、言いたいことは『ない』と?
真っ直ぐなのか、ねじ曲がっているのか分からん思考回路だな……。
「それで? 何を考えていたの?」
なんとなく、流れで聞いた。特に興味があった訳ではない。
クラウスは、『大したことではないのですが』と前置きをして口を開く。
「私の主は、息を吸うように人助けをするのだなぁと」
ぽつり、と呟いた言葉に、私は目を丸くした。
「そんな事ないわよ」
「貴方様がご自分の行動を『人助け』だと認識していない辺りも含め、そう判断致しました。貧乏くじを引いても止めないのですから本物ですね」
クラウスの声に、からかう色はない。呆れや嫌悪もなく、平坦だった。
しかし私は、なんとなく面白くなくて、眉を顰めつつ反論した。
「貧乏くじなんて引いてないわ」
「『海のしずく』が沢山の人の命を救ったとしても、侍女が『マリー』に命を救われても、『殿下』の功績にはならないのです」
「!」
真っ直ぐに見つめてくるクラウスの視線に射抜かれ、私は息を詰めた。
脳裏に思い浮かぶのは、ヴォルフさんとパウルさんとの会話。
世間知らずで我侭な姫様が、ローゼマリーへの評価。好意的に見てくれる人もいるけれど、それはあくまで、父様や兄様の功績から、彼等の血縁者として推測される人物像。私個人の実績を認めてくれたからではない。
クラウスの言葉は、気遣いや遠慮などによる濁りが一切ない。シンプルな事実だけを突き付けられて、私は俯く。握りしめた手が、シーツにシワを作った。
「それでも、困っている人を放っておけない。それが貴方様なのだと納得致しました」
「……へ?」
間の抜けた声が、洩れた。
顔をあげると、クラウスと目が合った。呆然としている私を見て、彼は不思議そうに首を傾げる。
「それだけ?」
「はい。それだけですが?」
てっきり、説教になる流れだとばかり思っていた。
もっと要領よく、器用に生きろと。そう言われるんじゃないかと、勝手に身構えていたのに。
もう話は終わったのだと告げるクラウスの顔に、嘘は見つけられない。
「そう」
肩の力が抜けた。
そういえば、クラウスはこういう人だった。突飛な行動と言動に驚かされることは多いけれど、基本、正直なんだ。
言うつもりはなかった、というのは、ありふれた前置きなんかじゃなくて事実。だから私に対しての要求もない。クラウスの中で、この話は完結しているのだから。
「如何されましたか?」
「ううん、……わっ?」
会話の途中、船が揺れ、私は驚きに声をあげた。
ベッドから転がり落ちないように、咄嗟にシーツを掴む。クラウスも手を差し伸べてくれたが、大した揺れではなかったので、掴まるまでもなかった。
「高波かしら」
「今日は風が強いですからね」
クラウスの言う通り、ここ何日か風が強い。そして風向きが良いのか、操舵の腕が良いのかは分からないけど、予定より速く進んでいるようだ。
「この分だと、フランメに着くのも大分早まりそうね」
いくら三半規管が丈夫だとはいえ、流石にそろそろ陸が恋しい。
新鮮な野菜も食べたいし、早く到着すると嬉しいなぁ。そう、自然と笑顔を浮かべた私とは対照的に、クラウスの顔付きは厳しいものだった。
「クラウス?」
「早すぎるのも、問題があります」
え? 早く着く分にはいいんじゃないの?
「この先は、小島が多い海域になる筈です。このままでは、そこを通る時には夜になってしまう」
「座礁してしまう恐れがあるってこと?」
「それだけではありませんが……」
クラウスは、言葉尻を濁らせた。
彼らしくもない歯切れの悪さに、私は戸惑う。
言葉の続きを待つ私を一瞥し、クラウスは逡巡しているようだった。
「少し、上を見て参ります。帆を小さくするなり、なんらかの対策は講じているでしょうから」
言うなりクラウスは、ドアへと向かう。
一度だけ私を振り返り、ここで大人しくしているように釘を刺した彼は、そのまま部屋を出ていった。
「なんだったんだろう……」
取り残された私は、独り言を洩らす。
頭の中で地図を思い浮かべ、事前に見た航海ルートを辿る。
たぶん、クラウスの言う小島とは、フランメの南南西に位置する諸島の事だろう。この船が目指す港町に行くには、避けては通れない場所だ。
小さな無人島が多く、見通しの悪い夜間には座礁の危険性があると認識している。けれどクラウスの態度を見る限り、心配事はそれだけではないらしい。
海で怖いもの。嵐、雷、高波、サメ……幽霊? そんな訳ないか。
うーん、と小さく唸りながら、頭をひねるが答えは出ない。
ゴロリとベッドに横になり、目を瞑った。
私は、平和ボケしていたんだと思う。
自国を離れ、緊張していたのは最初だけ。ミアさんが熱中症になった以外は、平穏な日が続いていたから、いつの間にか警戒心も薄れていた。
忘れてはいけなかったのに。海は怖いものだと。――道を踏み外した人間は、亡霊なんかよりもずっと恐ろしいのだと。
その日の夜、私は思い知る事となった。
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