転生王女の衝撃。
「ねえさまっ!!」
「ふぎゃっ」
エマさんの体調が大分良くなり、アイゲル家へ通うのを控え、自分の勉強に本腰を入れ始めた、とある日の午後。
図書館を目指し、庭に面した回廊を進んでいた私の腹目がけ、金色の弾丸が突っ込んできた。
「姉様姉様姉様っ!!」
弾丸の正体は、弟だった。私よりも明るい金色の髪が、ぐりぐりと私の腹に押し付けられる。
弟よ。頼むから手加減してくれ。姉様今、口から内臓出るかと思ったんだけど。
「ローゼマリー様、お怪我は?」
「大丈夫よ」
私の後ろに立つ護衛騎士が、困惑している。ああ、突っ込んでくる弾丸が王子殿下だと分かっていたから、弾き返せなかったんだね……。
「……ヨハン」
「!」
子犬みたいに懐く弟に、どうしようかと悩んでいると、私ではない声が、弟を呼ぶ。ヨハンは小さな体を、ビクリと強張らせた。
現れたのは、鍛錬用の木製の剣を持った、怜悧な美貌の少年……兄、クリストフだ。
「鍛錬の途中だ。戻りなさい」
無表情のまま冷たい声音で告げるクリス兄様は、迫力満点だ。私に向かって言った訳ではないと分かっていても、背筋が伸びる。
当然ヨハンは怯え、私に益々しがみ付いた。何で幼子って手の力が強いんだろう。姉様、そろそろ本気で内臓リバースしそうなんだけど。
長い睫に飾られたアイスブルーの瞳を伏せ、兄様は嘆息する。ヨハンの体は再び跳ねた。兄様の一挙一動に怯えている。どんな鍛錬されているんだろうか……。
「ごきげんよう、クリス兄様。鍛錬の邪魔をしてしまったようで、申し訳ありません」
全然ご機嫌良くないのは知っているけれど、一応挨拶してみる。
兄様はいいや、と頭を振る。無表情のままだが、向けられる目は優しかった。
「お前のせいではないよ。ヨハンは、暫くお前に会えなくて大層沈んでいたからな」
どうやら偶然私の姿を見つけた弟が、鍛錬を放棄し駆け出してしまったようだ。
迂闊だった。通るルートと時間帯には気を付けなきゃ。
「ヨハン」
「姉様っ」
膝を曲げ、私より少し背の低い弟を覗き込む。吊り上がり気味の大きな目を潤ませ、ヨハンは私を呼んだ。
懐いてくれる弟が、可愛くない訳ではない。それが例え、甘えん坊で泣き虫で、嫉妬深くて面倒臭い弟だとしてもだ。
でもここで甘やかしていては、何も変わらない。
「ヨハン。お兄様に謝りなさい」
「えっ……」
呆然と瞠られる青い瞳に、厳しい表情の私が映る。
ああ、ごめんね。ヨハン。
でも姉様は、心を鬼にするって決めたんだ。二人きりで寄り添って生きていた時とは、もう違う。私は私の、貴方は貴方の世界を、もっと広げなきゃいけない。
甘いだけの駄目な姉は、もういないの。
「クリス兄様は、お忙しい中、時間を割いて貴方と共に鍛錬して下さっていたの。それを貴方は投げ出したのよ」
謝りなさい。もう一度繰り返すと、ヨハンの可愛らしい顔が、くしゃりと歪んだ。
私の服を掴んでいた手が離れ、代わりに自分のズボンを握りしめる。涙を堪えているのか鼻の頭を真っ赤にした弟は、俯いたまま、小さな声で呟いた。
「……ご、め……なさ……」
「聞こえません。ちゃんと顔を上げて、兄様の方を向いて、もう一度」
「っ……」
身を固くするヨハンの傍らに立っていた護衛騎士の顔が、強張った。兄様も目を丸くしている。
恐らく怖い姉だと思われているんだろう。上等だ。
私は、甘い姉から鬼怖い姉へシフトチェンジすると決めたのだから。
「ごめ、なさ……」
「もう一度」
「……ごめんなさいっ!!」
びしっと背筋を伸ばし、大きな声で叫んだ弟に、私は漸く表情を緩める。
よしよし。良い子だ。
「………?……!!!」
満足げに頷いていた私だったが、兄の方に向き直って、ぴしりと固まった。
大声の謝罪を受け、苦笑を浮かべたクリス兄様に、驚いた訳じゃない。
その後ろに、いつの間にか立っていた人がいた。
動きやすそうな服装の彼の手には兄と同じ、木製の剣。おそらく兄と弟に剣の扱い方を指南していたのだろう。そういえば彼は、国一番の剣の使い手だった。
クセが強く堅そうな黒髪に、鋭い眼光を放つ黒い瞳。
精悍な頬から顎のラインは同じだが、無精ひげがない分、若く見える。否、実際若いんだけれど。
見上げる長身に、程よく筋肉の乗った引き締まった体躯。ワイルドな美貌の男性は、面白い生き物を見るような目で、私を見た。
「……にい、さま」
「?……どうした、ローゼ」
どうしたもこうしたも、無い。
どうか兄様よ。否定してくれ。私は今、別人を、彼と勘違いしているんだと。
「その方、は……」
「ああ。彼は、私達の剣の師で、近衛隊に所属している騎士だ」
クリス兄様に話を振られ、彼は私の前に跪く。
恭しく手を掬い、唇が触れる寸前で止める。指先を息が掠め、私は思わず固まった。
「このような姿でご挨拶するご無礼をお許しください。近衛騎士団所属、レオンハルト・フォン・オルセインと申します。御尊顔を拝謁する栄誉に浴しましたる事、身に余る光栄に存じます」
私が焦がれていた、低く甘い声音が告げる。
漸く出会えた歓喜と、彼にとんだ姿を見せてしまった羞恥で、震えながら私は思う。恐らく彼の中で、私の印象は最悪だろうと。
(一番大事な出会いのシーンで、やらかした……)
待ち焦がれていた、未来の近衛騎士団長との邂逅は、最悪な形で成し遂げられた。
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