護衛騎士の鍛錬。
※護衛騎士クラウス視点です。
「あっ」
少女の声と共に、籐製の籠が落ちる。
真っ白なシーツが、廊下にばらまかれた。
「も、申し訳ありません」
緊張か、羞恥ゆえか。顔を強張らせた年若い侍女は、か細い声で謝罪する。広がったシーツを慌てて畳もうとしているが、手が震えてもう一度、取り落とした。
足元へと転がってきた籠を拾い上げ、侍女の横へと置く。顔をあげた彼女に手を差し出せば、榛色の瞳が大きく見開かれた。
「え、……あの」
「立って下さい。汚れます」
躊躇する侍女の手を、少々強引に手をとり、立ち上がらせる。
息を詰めて固まった侍女から手を離し、洗濯物を拾い集めた。軽く叩いて汚れを落とし、籠へと戻す。
「どうぞ」
籠を押し付けるように、侍女へと渡す。
「あ、あり……ありがとう、ございます」
侍女は戸惑いながらも、籠を受け取った。
怯えた小動物みたいな目で見上げられ、思わず苦笑が浮かぶ。
「どういたしまして。怪我をしないように、気をつけて下さいね」
「っ!! ……し、失礼します!」
ぼん、と音がしそうなくらい、侍女の顔が瞬時に赤く染まった。勢い良く頭を下げて、侍女は踵を返す。良家の子女とは思えない慌ただしさで去っていく後ろ姿を眺め、オレは頬をかいた。
いったい何だというのか。化物か、オレは。
「よお、色男」
憮然とした面持ちで佇んでいると、背後から声がかけられる。
振り返れば、同期の近衛騎士であるデニスが立っていた。
「その気もないのに、初心な女の子を惑わせてやるなよ。可哀想だろ」
「人聞きの悪いことを言うな。洗濯物を拾っただけだろ」
「拾っただけ、ね。お前がそんな行動をすること自体、珍しいと思うんだが」
揶揄されて、眉間に皺が寄る。
だが反論も出来なかった。普段だったら、一瞥して横を通り過ぎていただろう。
では何故、そんな事をしたか。理由は、単純。
「なんでお前、そんなご機嫌なの?」
デニスが言う通り、オレは機嫌がすこぶる良かった。もっと言えば、浮かれていた。
「別に」
「嘘吐くなよ。いつも素っ気ないお前が愛嬌を振りまいているから、若い侍女達が色めき立っていたぞ。あと、お前を嫌っている上官も、ついに頭がおかしくなったって戦々恐々としていたな」
凄い言われようだが、自覚があるだけに反論し辛い。
上官とすれ違った際に嫌味を言われたのはいつもの事だが、反応を間違えた。普段は冷めた目で無言を貫く男に、満面の笑顔で『精進します』などと返されれば、正気を疑うのも致し方無いだろう。
「マジで何があったんだよ。お前の大切なご主人様に、誉められでもしたのか?」
「違う。だとしたら、こんなものでは済まない」
「あっそ。引くわー」
デニスは大仰な仕草で肩を竦めた。
馬鹿にするような薄笑いに、苛立ちを感じる。
「用がないなら、もう行くぞ」
言い捨てて歩き出すが、引き止める声はない。
「浮かれるのもいいが、ご主人様にあんまり迷惑をかけるんじゃねえぞー」
緊張感のない間延びした声が後ろからかけられたが、振り向くことはなかった。
心外だと思った。
浮かれているのは確かだが、気を抜いているつもりはない。ローゼマリー様に迷惑など、かけてたまるか。
内心で憤慨しながらも顔には出さずに、仕事を淡々とこなした。
気付けば時間は過ぎ、夜。
当面の仕事の引き継ぎをある程度終えたオレは、自室へは戻らずに、別の場所へ向かった。
等間隔に灯りが灯り、夜尚明るい城内を抜け、外れにある鍛錬場を目指す。
だんだんと人気はなくなり、遠く夜行性の鳥が鳴く。生ぬるい風がそよぎ、見張り用の篝火がパチリと弾けた。
じゃり、と靴裏で踏みしめた小石が音を鳴らす。
辿り着いた鍛錬場は、昼の喧騒が嘘のように静まり返っていた。真っ暗な闇の中に、背後の篝火に照らされたオレの影が長く伸びる。
「来たか」
低い声が端的に呟いた。
壁に凭れていた長身の影が動く。それと同時に、辺りが淡く照らされた。雲が晴れて、隠されていた月が顔を出したらしい。
闇に慣れ始めていた目には、眩しいくらいの光だ。
咄嗟に瞑った目を、ゆっくりと開く。
蒼い月を背後に、黒い影が立つ。
ざあ、と通り過ぎた風が、団服の裾と、男の黒髪を揺らす。月光に照らされて輪郭が浮かび上がり、闇を映す瞳がオレを捉えた。
「……っ」
表情は見えない。が、喉元に剣を突き付けられたかのような感覚に、思わず息を呑んだ。眼差し一つで、気圧される。
「……御用は何でしょうか。団長」
動揺を押し隠し、口を開く。
すると男……レオンハルト・フォン・オルセインは、無言のまま、何かを放ってきた。
「!」
放物線を描き、落ちてきたものを左手で受け止める。それは刃を潰した訓練用の剣だった。
「まさか、呼びだされたのは……」
「見ての通り、訓練だ。これから出立の前々日まで、毎日やるぞ」
「はぁ!? 聞いてませんが!」
咄嗟に噛み付くが、団長は聞く耳を持たないとばかりに、団服の上着を脱ぐ。
「こう見えても、忙しい身なんですけど」
「奇遇だな。オレもだ」
肩を回しながら、団長は飄々と言ってのけた。
確かにオレと団長では、仕事量がそもそも違う。前倒しにした仕事が山積みになっているとはいえ、それでも役職持ちには敵うまい。
ぐ、と口を噤む。
「言いたいことがそれだけなら、さっさと用意しろ」
言いたいことは他にもある。が、団長はやると言ったらやる人だ。反論などしても意味がないと悟り、オレは渋々ながら団服の襟に指をかけた。
「なんでこんな唐突に……」
ブツブツと愚痴をこぼす。
すると、独り言のつもりだった言葉に答えが返ってきた。
「ここ最近のお前を見ていて、今日思い立ったからな」
「!」
思わず、肩が揺れた。
昼間、同期に言われた言葉が脳裏を過ぎる。
「その反応からすると、自覚はあるようだな」
「…………」
「無言は是と見なすぞ」
「……別に、誰にも迷惑はかけていないじゃないですか」
「かけかねないから言っているんだ。そんな浮ついた男に、殿下をお任せする訳にはいかない」
「それは……、っ!?」
ヒュ、と空気を切る音がした。
目にも留まらぬ速さで、オレの喉元に剣が突き付けられる。鈍色を放つ刃と同じ……否、それ以上に鋭い瞳が、オレを睥睨した。
細く眇められた目が、闇の中の獣の如く月光を弾いて光る。
殺気を真正面からぶつけられ、冷たい汗が背筋を伝い落ちた。
突き付けられたのは殺傷能力のない剣にも関わらず、息をするのも辛い。身動ぎ一つで噛み殺される。
かつて戦場で畏れられた『漆黒の獅子』が、目の前にいた。
「王女殿下は、この国の宝。決して失われてはならない珠玉だ。こんな鈍い剣の動きすら読めないような男に、預けるなんて冗談ではない」
いつ動いたかも分からないというのに、言うに事欠いて『鈍い』とは!
吐き捨てられた言葉を聞き、オレは愕然とした。
しかし言われて見てみれば、団長が剣を持つ手は利き手と逆。左手でもそんな動きが出来るのかと、感嘆を通り越して呆れた。
「利き手を封じたオレの攻撃くらい、防いで見せろ」
団長は剣先を引き、くるりと回して下ろす。
同時に威圧感も消え、オレは肺の中身を全て出す勢いで息を吐いた。耳障りなほどに、心臓が早鐘を打つ。
「もし無理だと思うなら、早めに言え。別の人間を見繕う」
「いいえっ!」
息を乱しながらも、即座に否定した。
ローゼマリー様をお護りする役目を、誰かに譲るなど、それこそ冗談ではない!
「私が頂いた役目です。誰にも譲りはしません」
腹に力を込める。挑むように睨め付けるが、団長の表情は僅か足りとも崩れなかった。
「無理はするな。適任は他にもいる」
「……その言葉、取り消させて見せますよ」
さらりと吐かれた聞き捨てならない言葉に、オレは獰猛な笑みを浮かべる。
分かり易い挑発に乗ってしまった自覚はあるが、ここまで言われて引き下がれるはずもない。
剣を構えたオレを見て、団長はニヤリと口角を吊り上げた。
「やってみろ」
余裕綽々たる態度に、余計に苛立ちが込み上げる。
一度くらい膝をつかせて、旅立ちの餞にしてやる、と胸中で吐き捨てた。
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