表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/395

護衛騎士の鍛錬。

※護衛騎士クラウス視点です。



「あっ」


 少女の声と共に、籐製の籠が落ちる。

 真っ白なシーツが、廊下にばらまかれた。


「も、申し訳ありません」


 緊張か、羞恥ゆえか。顔を強張らせた年若い侍女は、か細い声で謝罪する。広がったシーツを慌てて畳もうとしているが、手が震えてもう一度、取り落とした。

 足元へと転がってきた籠を拾い上げ、侍女の横へと置く。顔をあげた彼女に手を差し出せば、榛色の瞳が大きく見開かれた。


「え、……あの」


「立って下さい。汚れます」


 躊躇する侍女の手を、少々強引に手をとり、立ち上がらせる。

 息を詰めて固まった侍女から手を離し、洗濯物を拾い集めた。軽く叩いて汚れを落とし、籠へと戻す。


「どうぞ」


 籠を押し付けるように、侍女へと渡す。


「あ、あり……ありがとう、ございます」


 侍女は戸惑いながらも、籠を受け取った。

 怯えた小動物みたいな目で見上げられ、思わず苦笑が浮かぶ。


「どういたしまして。怪我をしないように、気をつけて下さいね」


「っ!! ……し、失礼します!」


 ぼん、と音がしそうなくらい、侍女の顔が瞬時に赤く染まった。勢い良く頭を下げて、侍女は踵を返す。良家の子女とは思えない慌ただしさで去っていく後ろ姿を眺め、オレは頬をかいた。

 いったい何だというのか。化物か、オレは。


「よお、色男」


 憮然とした面持ちで佇んでいると、背後から声がかけられる。

 振り返れば、同期の近衛騎士であるデニスが立っていた。


「その気もないのに、初心な女の子を惑わせてやるなよ。可哀想だろ」


「人聞きの悪いことを言うな。洗濯物を拾っただけだろ」


「拾っただけ、ね。お前がそんな行動をすること自体、珍しいと思うんだが」


 揶揄されて、眉間に皺が寄る。

 だが反論も出来なかった。普段だったら、一瞥して横を通り過ぎていただろう。

 では何故、そんな事をしたか。理由は、単純。


「なんでお前、そんなご機嫌なの?」


 デニスが言う通り、オレは機嫌がすこぶる良かった。もっと言えば、浮かれていた。


「別に」


「嘘吐くなよ。いつも素っ気ないお前が愛嬌を振りまいているから、若い侍女達が色めき立っていたぞ。あと、お前を嫌っている上官も、ついに頭がおかしくなったって戦々恐々としていたな」


 凄い言われようだが、自覚があるだけに反論し辛い。

 上官とすれ違った際に嫌味を言われたのはいつもの事だが、反応を間違えた。普段は冷めた目で無言を貫く男に、満面の笑顔で『精進します』などと返されれば、正気を疑うのも致し方無いだろう。


「マジで何があったんだよ。お前の大切なご主人様に、誉められでもしたのか?」


「違う。だとしたら、こんなものでは済まない」


「あっそ。引くわー」


 デニスは大仰な仕草で肩を竦めた。

 馬鹿にするような薄笑いに、苛立ちを感じる。


「用がないなら、もう行くぞ」


 言い捨てて歩き出すが、引き止める声はない。


「浮かれるのもいいが、ご主人様にあんまり迷惑をかけるんじゃねえぞー」


 緊張感のない間延びした声が後ろからかけられたが、振り向くことはなかった。


 心外だと思った。

 浮かれているのは確かだが、気を抜いているつもりはない。ローゼマリー様に迷惑など、かけてたまるか。


 内心で憤慨しながらも顔には出さずに、仕事を淡々とこなした。




 気付けば時間は過ぎ、夜。


 当面の仕事の引き継ぎをある程度終えたオレは、自室へは戻らずに、別の場所へ向かった。


 等間隔に灯りが灯り、夜尚明るい城内を抜け、外れにある鍛錬場を目指す。

 だんだんと人気(ひとけ)はなくなり、遠く夜行性の鳥が鳴く。生ぬるい風がそよぎ、見張り用の篝火がパチリと弾けた。


 じゃり、と靴裏で踏みしめた小石が音を鳴らす。

 辿り着いた鍛錬場は、昼の喧騒が嘘のように静まり返っていた。真っ暗な闇の中に、背後の篝火に照らされたオレの影が長く伸びる。


「来たか」


 低い声が端的に呟いた。

 壁に凭れていた長身の影が動く。それと同時に、辺りが淡く照らされた。雲が晴れて、隠されていた月が顔を出したらしい。


 闇に慣れ始めていた目には、眩しいくらいの光だ。

 咄嗟に瞑った目を、ゆっくりと開く。


 蒼い月を背後に、黒い影が立つ。

 ざあ、と通り過ぎた風が、団服の裾と、男の黒髪を揺らす。月光に照らされて輪郭が浮かび上がり、闇を映す瞳がオレを捉えた。


「……っ」


 表情は見えない。が、喉元に剣を突き付けられたかのような感覚に、思わず息を呑んだ。眼差し一つで、気圧される。


「……御用は何でしょうか。団長」


 動揺を押し隠し、口を開く。

 すると男……レオンハルト・フォン・オルセインは、無言のまま、何かを放ってきた。


「!」


 放物線を描き、落ちてきたものを左手で受け止める。それは刃を潰した訓練用の剣だった。


「まさか、呼びだされたのは……」


「見ての通り、訓練だ。これから出立の前々日まで、毎日やるぞ」


「はぁ!? 聞いてませんが!」


 咄嗟に噛み付くが、団長は聞く耳を持たないとばかりに、団服の上着を脱ぐ。


「こう見えても、忙しい身なんですけど」


「奇遇だな。オレもだ」


 肩を回しながら、団長は飄々と言ってのけた。

 確かにオレと団長では、仕事量がそもそも違う。前倒しにした仕事が山積みになっているとはいえ、それでも役職持ちには敵うまい。

 ぐ、と口を噤む。


「言いたいことがそれだけなら、さっさと用意しろ」


 言いたいことは他にもある。が、団長はやると言ったらやる人だ。反論などしても意味がないと悟り、オレは渋々ながら団服の襟に指をかけた。


「なんでこんな唐突に……」


 ブツブツと愚痴をこぼす。

 すると、独り言のつもりだった言葉に答えが返ってきた。


「ここ最近のお前を見ていて、今日思い立ったからな」


「!」


 思わず、肩が揺れた。

 昼間、同期に言われた言葉が脳裏を過ぎる。


「その反応からすると、自覚はあるようだな」


「…………」


「無言は是と見なすぞ」


「……別に、誰にも迷惑はかけていないじゃないですか」


「かけかねないから言っているんだ。そんな浮ついた男に、殿下をお任せする訳にはいかない」


「それは……、っ!?」


 ヒュ、と空気を切る音がした。

 目にも留まらぬ速さで、オレの喉元に剣が突き付けられる。鈍色を放つ刃と同じ……否、それ以上に鋭い瞳が、オレを睥睨した。

 細く眇められた目が、闇の中の獣の如く月光を弾いて光る。


 殺気を真正面からぶつけられ、冷たい汗が背筋を伝い落ちた。

 突き付けられたのは殺傷能力のない剣にも関わらず、息をするのも辛い。身動ぎ一つで噛み殺される。


 かつて戦場で畏れられた『漆黒の獅子』が、目の前にいた。


「王女殿下は、この国の宝。決して失われてはならない珠玉だ。こんな(のろ)い剣の動きすら読めないような男に、預けるなんて冗談ではない」


 いつ動いたかも分からないというのに、言うに事欠いて『鈍い』とは!


 吐き捨てられた言葉を聞き、オレは愕然とした。

 しかし言われて見てみれば、団長が剣を持つ手は利き手と逆。左手でもそんな動きが出来るのかと、感嘆を通り越して呆れた。


「利き手を封じたオレの攻撃くらい、防いで見せろ」


 団長は剣先を引き、くるりと回して下ろす。

 同時に威圧感も消え、オレは肺の中身を全て出す勢いで息を吐いた。耳障りなほどに、心臓が早鐘を打つ。


「もし無理だと思うなら、早めに言え。別の人間を見繕う」


「いいえっ!」


 息を乱しながらも、即座に否定した。

 ローゼマリー様をお護りする役目を、誰かに譲るなど、それこそ冗談ではない!


「私が頂いた役目です。誰にも譲りはしません」


 腹に力を込める。挑むように()()けるが、団長の表情は僅か足りとも崩れなかった。


「無理はするな。適任は他にもいる」


「……その言葉、取り消させて見せますよ」


 さらりと吐かれた聞き捨てならない言葉に、オレは獰猛な笑みを浮かべる。

 分かり易い挑発に乗ってしまった自覚はあるが、ここまで言われて引き下がれるはずもない。


 剣を構えたオレを見て、団長はニヤリと口角を吊り上げた。


「やってみろ」


 余裕綽々たる態度に、余計に苛立ちが込み上げる。

 一度くらい膝をつかせて、旅立ちの(はなむけ)にしてやる、と胸中で吐き捨てた。


.



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] クラウス浮かれてる!相変わらずローゼマリーへの愛が重い、と思っていたらなんかもっと重そうな方が・・・。クラウスを応援したくなりました(笑)。
[一言] クラウス格好いいです!
2022/02/08 00:07 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ