転生王女の奮闘。(2)
「母様の食事、ですか?」
ゲオルクは、不思議そうに首を傾げる。エマさんそっくりの顔は、女の子と見紛う程に可愛らしい。
「そう。野菜中心にして欲しいの」
「でも……お母様は野菜が……」
ゲオルクは、言い辛そうに言葉を途切れさせる。お母様が野菜嫌いなのは知ってるよ。うん。
「だから、野菜嫌いでも美味しく食べれるような料理を考えたいと思っているんだけれど……何か良い案はありませんか?ユリウス様」
私に話を振られ、ユリウス様は考え込むように、顎に手をあてた。
彼は、ゲオルクのように中性的な容姿ではなく、理想的な大人の男性だ。整った目鼻立ちに、薄い唇、後ろへ撫でつけたライトブラウンの髪。硬質な美貌の中で、少し眠たげな翠の瞳が印象を和らげている。
「小食な方だからね。スープが一番とりやすいとは思うんだが……義姉上はそれすら、あまり好まれないんだよ」
「味付けは、どんなものを?」
「おそらく、薄い塩味だけだと思います」
苦笑を浮かべたユリウス様に問うと、彼が返すよりも早く、隣のゲオルクが答える。
薄い塩味だけか……確かに、野菜嫌いにはキツいかも。
コンソメスープ、と思い立つも、この世界にコンソメがあるとは思えない。手作りするとなると、相当時間かかるしなぁ……。昔一度だけチャレンジしてみたけれど、大量の材料と手間暇がかかる。二度とやるまいと、灰汁抜きしながら思ったっけ。
この世界で同じ材料が揃うとも思えないし。
「……あ!」
ぽん、と私は手を打つ。隣のゲオルクが興味津々に覗き込んでいるが無視して、私は脳内でレシピを思い起こした。
ポタージュはどうだろう。
あれなら野菜嫌いのお子様でも、食べてくれる可能性が高い。
コンソメ無くても作れるし。本当はミキサーがあった方がいいけれど、裏ごしすれば作れなくもない。何より、種類が豊富だ。
カボチャにジャガイモ、カブに人参。慣れてきたらトマトのガスパチョとか、冷製スープもいいかもしれない。
オリーブオイルとか、ワインビネガーってあるのかな。
豆乳はどうだろう。調味料ってどの程度あるんだ?
「ユリウス様!」
「何でしょう」
大きな声で名を呼ばれ、目を丸くしたユリウス様に、私は詰め寄る。
「他国の調味料を、扱っていますか?」
ユリウス様は、貿易商を営んでいる。
貴族の家に生まれても、爵位を継げるのは長男だけ。彼は自分の力を試すべく商いの道を進み、才能を開花させた。東方の小国の発酵食品や、西方の一部族のみに受け継がれている織物とその糸など、まだこの国では注目されていない商品に目をつけ、着々と顧客を増やしている。
私たちの世界で言う、新進気鋭の若手実業家といったところか。
「勿論です。馴染みのある塩や砂糖も各種、酢や油も様々な物を取り扱っています。魚を原料とした発酵調味料も最近取扱いを始めました」
なにそれ、もしやナンプラー!?
やばい……ワクワクする。大豆醤油もあるのかな。マスタードは?カレー粉は?
「ご覧になりますか?」
気持ちが抑え切れず、うずうずとしている私を、ユリウス様は楽しそうな表情で覗き込んだ。
悠然とした大人の男の人そのものだった彼は、悪戯を思い浮かんだ子供みたいな目で笑う。なにそれ。この一家、私をギャップ萌えで殺す気か。
「是非!」
それから私はユリウス様と、アイゲル家の料理人を巻き込んでのレシピ作りに励んだ。
連日通い詰める私に、当主のモーリッツさんは驚いていたけれど、エマさんの健康作りの為だと知ると、快く受け入れてくれた。この人かなりの愛妻家だからね。
自分は何をすればいいのでしょうかと、泣きそうな顔をしていたゲオルクには別任務を与えた。
出来るだけ毎日、少しの時間だけでもいいから、エマさんを散歩に連れ出すという重要な任務だ。
可愛い息子のお願いとあらば、エマさんも邪険にはしないだろう。いや、元々凄く優しい人だから、私が誘っても邪険にはしないだろうけどね。
ただ、親子水入らずの時間は、お互いの為に良いと思うんだ。
天気やその日のエマさんの体調を配慮しながら、散歩の時間は少しずつ長くなっていった。花や鳥を愛でながら、のんびりと歩く母と子の姿は、見守る当主と使用人らの目を癒した。
段々と花や彫刻が増え、庭が充実して行くのは、当主の仕業だと思う。どんだけ奥さん好きなんだ。あの人。
そして苦労を重ねに重ね、出来上がったポタージュは、エマさんの口に合ったらしい。思わず洩れた『美味しい』の一言を聞いた時には、涙がこみ上げた。
一緒に頑張ってくれた料理人と手を取り合って喜び、感極まったユリウスさんに、抱き上げられてクルクル回された。はしゃぎすぎですね私ら。
だんだん食事量も増え、エマさんの顔色は、目に見えて良くなった。
最近では、庭の一角にある東屋で、私やユリウス様も交え、お茶する事も多くなった。
季節が移り変わっても、寝込む事は殆ど無い。
ゲオルクが8歳になる一年後まで、まだ気は抜けないけれど……きっと大丈夫。
頬を薄紅色に染め、少しふっくらとしたエマさんを見て、私は嬉しい気持ちのままに笑った。
……が。
少女のように微笑む佳人は、私に向かって爆弾を投げ付けてきた。
「それでマリー様は、いつ頃、我が家のお嫁さんになって下さるのかしら?」
「…………え?」
「ちょ……母様っ!!」
真っ赤になったゲオルクの隣で、真っ青になる私。
……ヤバい。忘れてた……婚約者としてのフラグ折るの、忘れてたぁああああ!!
それどころか、婚約者候補の家に入り浸っていたらもう、未来は確定したようなものだ。馬鹿過ぎる私は、自分の首を自分で絞めていたらしい。
エマさんの死亡フラグ折るのに、必死だったんだよ……。
「可愛い娘が出来る日が待ち遠しいって、モーリッツと良く話すんです。あの人もマリー様の事を自分の娘のように思っているから、マリー様に似合う素晴らしい男になるよう、ゲオルクを鍛え直さなければならないって、最近張り切っているんですよ」
どうしよう。期待に満ちた目で見つめてくるエマさんに、お宅の息子さんと結婚する気は全くありませんとか、凄く言い辛い。
王家との繋がりがどうのとか、打算や思惑が少しでも見えたなら、ここまで心苦しくはならなかったと思うんだけど、エマさんの笑顔からは、そういった薄暗いものが一切見つけられない。
エマさんの娘になれるのは凄く魅力的だけれど……。
駄目。私の全ては、まだ見ぬ騎士団長に捧げると決めているんです。と言うか、正直、精神年齢二十歳超えの私が、現在7歳のゲオルクを恋愛対象として見ろとか無茶ぶり過ぎだと思うんだ。
悩み過ぎて掌にじっとりと汗が滲み始めた頃、救いの手は思わぬ場所から差し出された。
「気が早いですよ。義姉上」
今まで傍観していたユリウス様は、ティーカップを置き、苦笑を浮かべる。
「あら、そうかしら?」
「そうですよ。王女殿下は聡明でいらっしゃるが、まだ6歳。結婚など、ずっと先の話を持ち出しても、困らせてしまうだけでしょう」
「……そうね。ごめんなさい、マリー様。困らせてしまうつもりは無かったのだけれど、急ぎすぎてしまいましたね」
「いいえ。おば様に娘のようと言っていただけて、凄く嬉しいです」
ユリウス様に窘められ、エマさんはしゅんと萎れる。
慌ててフォローを入れた私だったが、暫し躊躇ってから、思い切って口を開いた。言うとしたら、今しかないと覚悟を決めて。
「ただ、私……その、憧れている方が、」
「えっ!?」
「えっ!」
「おやおや」
私の言葉に、一番に反応したのは、ゲオルク、次にエマさん、最後がユリウス様だった。ゲオルクは蒼白な顔で立ち上がり、エマさんは瞳を輝かせ、ユリウスさんは興味深そうに笑う。
「まぁ!一体どんな方?」
がっかりさせてしまうかと思ったが、エマさんは興味津々で食い付いてきた。女子の恋バナ好きは、何処の世界でも共通らしい。
男子二人を追い払ったエマさんに根掘り葉掘り聞かれ、私は困り果てた。
騎士団長とはまだ会えていないので、濁しながら伝えるしかない。でもそんな曖昧情報でも、彼女は納得してくれた。
帰り際に、応援するわ、と笑顔で言ってくれたので、何とかフラグは折れた事になる……と思いたい。
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