転生公爵の歓迎。
「まぁ……」
形の良い唇から、感嘆の声が洩れる。
その声に引き寄せられるように、カーペットの中央でお座りしていたフェリクスがこちらを向いた。
キョトンとした表情は非常に可愛らしい。毎日見ている母親の私でもそう思うのだから、耐性のない人が衝撃を受けるのは無理もない。
ひゅっと短く息を呑んだ彼女の頬が、薔薇色に色付いた。
「まぁ……、まぁまぁまぁ! なんって愛らしいのっ‼」
「!?」
悲鳴の如き歓声に驚き、フェリクスの小さな体がビクリと跳ねる。何が起こっているのか理解出来ていないかのように、息子は目を見開いたまま固まっていた。
「あの。フェリクスが驚いているから、もう少し声を落として、ね?」
「そ、そうね。ごめんなさい。私ったら」
私が声を掛けると、彼女は慌てた様子で口元を押さえる。恥じ入るような表情は、身内の私から見ても、艶やかで美しい。
「気持ちが抑えきれなくて、つい。淑女にあるまじき振る舞いだったわ」
こほんと咳払いをした後、彼女は深呼吸を繰り返す。
さり気なく髪を整えてから、ゆっくりとフェリクスに歩み寄る。一メートルほど空けた位置で立ち止まり、目線を合わせるようにしゃがんだ。
その一つ一つの動作を、フェリクスはじっと観察している。
警戒している猫のように凝視している息子へ、彼女は笑いかけた。
「はじめまして、フェリクス。おばあちゃんよ」
おばあちゃん、という言葉から最も遠いところにいそうな年齢不詳の美女は、間違いなくフェリクスのおばあちゃんで。
そしてこの王国の王妃でもあり、私の母親でもある。
王都にいるはずの母様が何故、ここにいるのか。原因というか発端は、私が父様へと宛てた手紙だ。
フェリクスの遊び場を作ると思い立った私は、まず資金援助を求める為に、父様を頼ることにした。
この時点で、かなり胃が痛かった。
だって、相手はあの父様だ。『孫の玩具を祖父に強請る』と聞くと、ほのぼのとした光景が思い浮かぶけれど、そんな心温まるシーンではない。心情的には、大企業との取引獲得に挑む中小企業のサラリーマンに近い。
レオンハルト様は大丈夫だと太鼓判を押してくれたけれど、私自身は半信半疑の状態で、恐る恐る手紙を書いた。
ところが私の予想とは裏腹に、あっさりと了承を得てしまった。
突き返されることを想定して、プレゼンも色々と考えていたのに。
図面や概算の見積書も要求せず、目的や将来的な展望を問われることもなく、手紙は『支払いはこちらに回すように』という簡潔な文言で締め括られていた。
つい疑心暗鬼になり、手紙を裏返して光に透かし、縦読み、斜め読みで暗号を探し、最終的にコンガリ炙ろうとしてレオンハルト様に止められた私は悪くないと思う。
心外だと言うのなら、父様は自分の胸に手を当てて、己の日ごろの行いを振り返ってほしい。
その後も手紙の遣り取りは緩く続き、私はフェリクスの成長や家族の近況を報告するついでに、自分の体調についても少し触れた。
体は殆ど元に戻り、すっかり元気であると。
すると数日後に手紙が届き、訪問しても迷惑ではないかと聞かれた。父様らしからぬ遠回しな文体や、迷いを感じさせる筆致から、気を遣われているのが伝わってきた。
ここ半年は確かに、来客に対応出来る状態ではなかった。
私は産後に体調を崩しがちだったし、レオンハルト様は当主代理のお仕事で多忙。初めての子供ということで夫婦共に気を張っていた部分もあり、かなり慌ただしい日々だった。
だからこそ、訪問を避けてくれていた家族の気遣いはとても嬉しい。
今もまだ完全に落ち着いたとは言い難く、キチンとしたおもてなしは出来ないかもしれないけれど、それでも良いのなら孫の顔を見に来てほしいと正直に伝えた。
その後、家族でどのような話し合いが行われたのかは分からない。
ただ熾烈な戦いがあったことは、ヨハンから届いた長文の手紙から察せられた。どこのご家庭でも、やはり母は強いらしい。
閑話休題。
そういった理由で今日の昼過ぎに、母様はプレリエ領に到着した。
まずはお茶でもしながらゆっくり体を休めてもらおうと思ったけれど、ソワソワと落ち着きのない様子を見て、急遽、予定を変更。
念願のフェリクスとの対面を果たした母様は、見たこともないくらい興奮している。普段、物怖じしない息子が怯むくらいには、テンションが高い。
今もフェリクスは、腕を広げた母様と私とを見比べている。
明らかに困惑している息子に、助け船を出すべく歩み寄った。
「フェリちゃん」
「まー!」
私が呼び掛けると、フェリクスは安堵したような顔で返事をしてくれた。輝くような笑みを浮かべ、高速ハイハイで私の足元へとやって来る。抱き上げるとコアラみたいに両手両足でしがみ付かれた。握力が強くて、ちょっと痛い。
元々スキンシップを好む子ではあるが、いつもはここまでベッタリではない。意外と人見知りする子だったのか、もしくは母様の勢いが怖かったのか。
乳母のノーラだけでなく、侍女や護衛にも普通に接するので、おそらく後者だろう。
母様は孫に逃げられたことに落ち込み、しょぼんと萎れていたものの、すぐに元気を取り戻す。私にしがみ付くフェリクスを、慈愛の籠った目で見つめた。
「可愛い子。お母様のことが大好きなのね」
母様、丸くなったなぁ……。
改めて、しみじみとそう思った。
相手が幼子とはいえ、逃げられていい気はしないはずなのに。苛立つこともなく、ただ温かな眼差しを向けるなんて、中々出来ることではない。
幼い頃は、ヒステリックで身勝手な人という印象しかなかったけれど、あの頃の母様の挙動は、たぶん精神的に追い詰められていたせいでもあったのだろう。
若くして後妻として嫁ぎ、夫は家庭を顧みず、実家を頼ることも出来ない。社交界は、表向きは友好的に接していても、裏では何を考えているか分からない人ばかり。
心休まる暇なんて、なかったんじゃないかな。
今が本来の母様……と判断出来るほど、母様のことを知らないけれど。少しずつ、こうして一緒に過ごす時間を増やし、思い出を増やしていけたらいいなと思う。
その第一歩として、孫との交流を少しだけお手伝いしてみよう。
「フェリちゃん」
宥めるように背を擦りながら、ゆらゆらと揺らす。
「ばぁばがフェリちゃんに会いに来てくれたのよ」
「……う?」
しがみ付いていた手の力が緩み、フェリクスは、私の肩に押し付けていた顔を上げる。
「ばぁばよ、ばぁば。フェリちゃんのばぁばで、ママのママ」
「まぁ」
「うん、まぁのまぁね。お利口さん、凄いわ」
「きゃあ!」
褒められたことが分かったのか、フェリクスは歓声を上げながらはしゃぐ。その動きが激しくて、取り落としそうで怖い。活きが良過ぎる。
謎の屈伸運動を始めた我が子が落ち着くのを待ち、見守ってくれていた母様の方へ体の向きを変える。
フェリクスはまん丸な目で、じっと母様を見つめた。
「フェリちゃん、ばぁばよ。ご挨拶しよっか」
「ぁう」
「ばぁば、はじめましてーって」
「んばっ!」
「!」
今度は怯えることなく、フェリクスは母様に笑いかける。
満面の笑みを向けられ、母様の目が涙で潤んだ。きゅっと唇を噛み締め、眉を下げた彼女は、両手で顔を覆った。
「そう、そうよ。わたしがばぁばよ……っ!」
感情が高ぶって掠れた声でそう言う母様は、なんだかとても可愛らしかった。




