総帥閣下の煩悶。(2)
※引き続き、旦那様ことレオンハルト視点です。
背後で扉が閉まる。
その音がやけに大きく感じて、振り返った。
扉の向こう側からは、忙しない物音や話し声に混ざって、時折、ローゼの声が聞こえてくる。痛みを堪えるようなソレは、オレを酷く落ち着かない心地にさせた。
焦燥感に駆られ、つい扉に手を伸ばしそうになる。
しかし、邪魔をしてはいけないと自分に言い聞かせて、拳を固く握り締めた。
「お茶をご用意致しますか?」
声を掛けられ、ノロノロと顔を上げる。
傍に控えていた侍女長の言葉は、オレへの気遣いのようにも聞こえるが、立ったまま茶を飲む事は出来ない。即ち、『邪魔だから別室へ移動しろ』という意味だ。
室内から室外へ。
更には別室まで追いやられるらしい。
不満がないと言ったら嘘になる。
しかし、同時に納得も出来た。
これから、侍女達も慌ただしくなる。何度も出入りする扉の前に、体の大きな男が棒立ちしていては、さぞかし邪魔だろう。
しかも身分が身分なだけに、横に押しやる訳にもいかないのだから。
部下達の為に率先して損な役回りを引き受けている侍女長を、これ以上、困らせてはいけない。
「……クリストフ様は?」
「居室にて、お待ちいただいております」
「では、そちらに用意してくれ」
「かしこまりました」
落ち着いた侍女長の声に、少しだけ安堵が混ざった気がした。
居室の前には、厳格な門番のような顔をしたクラウスが立っていた。
いくらクリストフ様でも、この状態のクラウスを退けるのは容易ではなかろう。
オレに気付いたクラウスは数歩横に移動し、頭を下げる。
「ご苦労だった」
「いえ。……ローゼマリー様のお加減は如何です?」
「これから出産の準備に入るらしい。分娩まではまだ時間がかかると思うが……、オレがいても邪魔になるだけだからな。こちらで待つ事にした」
「……そうですか」
珍しくも殊勝な態度で、クラウスは頷く。
「こういう時、男は無力だと痛感したよ」
苦笑しながら呟く。
クラウスは口を開きかけて、結局は何も言わずにそのまま閉じる。横を通り過ぎて中に入ると、クリストフ様はソファに座っていた。
テーブルの上には紙とペン、それからインク壺などが用意されている。何か、書き物をしていたらしい。
「レオンハルト! 産まれたか!?」
「まだです」
「そうか……」
勢いよく立ち上がったクリストフ様は、萎れるように腰を下ろす。
「お仕事でしたら、私は席を外した方が宜しいですか?」
「いや、問題ない。正式な報告書ではなく、準備の為に要点を纏めようとしていただけだ。……それも別に今やる必要はないんだが、つい、手持ち無沙汰でな。しかも、全く捗っていない」
そう言って、クリストフ様はペンを置いた。
向かいの席に座ると、自然と紙が目に入る。報告書作成用のメモと聞いていたソレは、彼の言葉通り、殆ど真っ白だった。
いくつか書かれた単語も、普段の整然とした美しい筆致とは違い、乱れて滲んでいる。
しかも端の方に小さく書かれているのは、見間違いでなければ妻の名だ。仕事に適した精神状態とは言い難い。
「落ち着かない気持ちは、よく分かります」
オレの言葉に、クリストフ様は自嘲するような笑みを浮かべる。
彼の意図を汲み、控えていた侍従が筆記用具を片付けたところで、丁度、侍女がお茶を持って現れた。
紅茶を飲みながら、クリストフ様とオレはポツポツと言葉を交わす。
とりとめのない雑談だが、話していると少しは気が紛れる。
「そういえば、王都への報告はされたのですか?」
「ああ、早馬を出した。今日中には着くだろう」
クリストフ様の視線が、窓の外へと向く。
「まぁ、父上の元には別の経路から文が届くだろうがな」
その言葉を聞いて、黒髪の密偵の姿が頭に浮かぶ。彼と同じ名を持つ黒い鳥が、馬よりも早く、国王陛下の元へと辿り着いている事だろう。
「少しは動揺しているだろうか」
主語がなくても、誰の事を指しているのかは分かった。
正直、あの方が冷静さを欠く姿は思い浮かばない。
「……想像出来ません」
「ああ」
「ただ、心配はしていらっしゃると思います。いつもと変わりない様子でも、お顔に出ずとも、きっと」
「……私達と、同じだな」
「はい」
オレもクリストフ様も、おそらく陛下も。
今だけは皆、同じ。大切な人の命が失われる可能性に怯え、無力感に苛まれるただの男だ。
「私もお前も父上も、皆、平等に役立たずという訳か」
クリストフ様は眉を下げ、呟く。
「悔しいですが、私達に出来る事はありません」
クリストフ様への言葉は、半分、自分に言い聞かせる為のものだった。
「頭では理解しているんだが、落ち着かない。せめて痛みだけでも、肩代わりしてやれたらいいのに」
血は繋がっていないのに、どうやらオレと義兄君は考え方が似てきたらしい。
オレが思わず笑うと、クリストフ様はムッと顔を顰めた。
「笑うな。馬鹿な事を言っている自覚はある」
「いえ、私も同じような事をローゼに言いました」
「……そうか」
クリストフ様はばつの悪そうな顔で、目を逸らす。
カップの中の水面を、じっと見つめた。
「ローゼのあの細い体で、本当に出産の痛みに耐えられるのかと不安になる」
「分かります」
ローゼは小柄で細身だ。
当人は平均的な体形だと言い張っているが、そうは見えない。どこもかしこも華奢で、少しでも力加減を誤れば壊してしまいそうで、たまに怖くなる。
だが、実際の彼女はそれほど弱くない。――寧ろ。
「でも、ローゼは強いですよ」
「!」
「臆病者の私などより、ずっと」
自分が辛い時に他人を思い遣る事は、ただ優しいだけでは出来ない。
陣痛で苦しんでいる最中でもオレを気遣ってくれたローゼは、オレよりもずっと、ずっと強い。
「だから、大丈夫。信じて待ちましょう」
「…………」
クリストフ様は、真っ直ぐにオレを見る。
視線を合わせたまま、数秒の沈黙が流れた後、彼はふっと息を吐き出した。
「……そうだな」
やや緊張が解けたのか、幾分、柔らかくなった表情でクリストフ様はカップを傾けた。オレも彼に倣い、少し温くなった紅茶で喉を潤す。
息を潜めてオレ達の遣り取りを見守っていた使用人達の空気も緩んだ。
新しく注がれた紅茶を一口含む。ソレが食道を伝っていく感覚が、ゆっくりと気持ちを落ち着かせてくれた。
「……?」
クリストフ様も紅茶を楽しんでいる、と思いきや、どうも様子がおかしい。
熱湯ではないものの、それなりに熱い紅茶を、何故だか急いで飲み干している。しかも、空にした傍から、お代わりを要求しているのだから、猶更、意味が分からない。
ついには動きを止め、カップを凝視しだした。
「……クリストフ様? どうされました?」
「東方では、『茶柱が立つと縁起が良い』と言われているらしい」
「チャバシラ……?」
「何でも、茎の部分がこう……縦に浮く現象をそう呼ぶらしいと文献にあったのだが」
こう、と言いながら、クリストフ様は手振りで説明する。
言葉の意味は分かったが、クリストフ様の意図が分からない。
「私のカップでは、一向に茶柱が立たないのだ」
「……でしょうね?」
さてはこの人、全く落ち着いていないな?
王太子殿下にお出しする紅茶に、何か浮かんでいるなどあり得ない。茎だかチャバシラだか知らないが、要はゴミ。不敬だ。
そして、そもそも東方の茶とは違い、我が国の紅茶は、茎の部分は殆ど使われていない。つまり、紛れ込みようがないのだ。
言いたい事が多過ぎて、まず何から指摘すればいいのやら。
オレは思わず、頭を抱えたくなった。
「あのですね……、!?」
溜息を吐き出し、説明しようとしたオレの耳に声が届く。
扉を隔てた向こう側。廊下の奥から上がった、一際高い泣き声。
それが誰のものか。
頭で考えるよりも早く立ち上がり、オレは駆け出した。




