総帥閣下の密談。
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
※レオンハルト視点となります。
夜も更け、多くの人が寝静まる時刻。
オレは義理の兄である方と二人、晩酌をしていた。
「本当にローゼは、幼い頃から可愛くて、可愛くてなぁ」
いつもは硬質な響きを持つ声が、酒精に溶けたように緩く言葉を紡ぐ。
眼差しや表情も同じく、最早、原形を留めていない。ワイングラスの中身が減るのに比例して、完全無欠と謳われた王太子の姿も崩れていった。
「レオンハルト、聞いているか?」
長年、護衛としてお傍にいたが、思えば酒を酌み交わすのは初めてだ。
酔うとこうなるのだなと、興味本位で観察していると、咎める視線を向けられた。
「はい、聞いておりますよ」
「そうか。それで、その時のローゼはまだ舌足らずで……」
そもそも、仮に聞き逃していたとしても、内容は分かっている。さっきからクリストフ様の話は、同じ道筋を何度も辿っているからだ。
ちなみに今話している、幼少期のローゼがクリストフ様を、初めて『兄様』と呼んだ時の話は既に三回は聞いた。
「本人は『兄様』と呼んでいるつもりでも、『にいたま』となってしまうんだ」
「それは可愛いですね」
「だろう? しかも、上手く言えない事が恥ずかしいらしくて、丸い頬が真っ赤になる。それがまた、可愛くてな」
クリストフ様は得意げに言って、笑み崩れた。
表情も姿勢も崩れているのに、不思議とだらしなくは感じない。長い指でステムを支え、ゆらりとグラスを揺らす仕草は、優美にさえ見えた。
そういえば国王陛下も同じだったと、数か月前の記憶を辿る。
ただ、かの方はボトルを何本空けても、酔う気配すらなかったが。
クリストフ様も、酒に弱いという印象はなかった。
夜会や祝宴など、酒席には何度も参加されていたが、顔色一つ変えていなかったような気がする。ご自身で酒量を調整されていたか、単に今日はお疲れで酒の回りが早いのか。もしくは、ここなら気を抜いていいと判断されたのかもしれない。
最後だったら、きっとローゼが喜ぶだろうな。
「……お前は相変わらず真面目な男だな」
緩やかな会話が途切れ、クリストフ様はそんな事を言い出した。
意図を汲み取れず、オレは首を傾げる。
「酔っ払いに絡まれても、嫌な顔一つしない。私だったら、適当に話を切り上げているところだ」
「私も楽しんでおりますが?」
「同じ話を何回も聞かされてもか?」
どうやら自分でも気付いていたらしい。
見かけよりも、酔いは浅いのかもしれないな。
「私の知らないローゼの話が聞けて、大変、有益です。それに、自分が好きなものの話は、何度聞いても楽しいですよ」
忖度でも配慮でもなく、心の底からそう思う。
オレが本音で話していると察したらしいクリストフ様は、呆れ交じりの苦笑いを浮かべた。
「物好きだな」
「趣味が妻な男ですから」
何を今更と言外に告げると、クリストフ様は笑みを深める。
「そんなお前が、ローゼの夫で良かった」
クリストフ様は噛み締めるように呟いてから、ワインを飲み干す。
注ごうとボトルに手を伸ばすと、手で制される。クリストフ様は手酌でグラスに注ぎかけて、ふとラベルに目を留めた。
「そういえば、このワインはトロッケン地方のものか? 甘過ぎず、程よい渋みもあって私好みだ」
「いえ、ヴィント産ではなく、フランメ産のフルボディです。これはヴィーゼ地方で作られたものですね」
「フランメ?」
「はい。ヴィント王国ほど有名ではありませんが、フランメも広い地域で葡萄の栽培を行っているそうですよ。馴染みの商人から、たまたま何本か購入したのですが、ローゼの勧めで、商品として取り扱うようになりました」
「ローゼは酒を飲まないだろう」
「ええ、飲めません。ローゼが興味を惹かれたのは酒ではなく、原材料と風土です。フランメは国土が広く、地域によって気候が大きく変わるので、ワインも多様性があるのではないかと考えたようですね」
「それで、どうだったんだ?」
「当たりでした。面白いくらい、バラバラでしたよ」
ローゼの予想通り、フランメのワインは味も香りも多種多様。甘味の強いフルーティーなものもあれば、深い渋みの濃厚なワインもある。
その分、好みのワインを探すのは手間が掛かりそうだと思ったが、ローゼはそれさえも商機に変えてしまった。
「その特性を利用して、飲み比べられるようセットでも販売しております」
「売れているのか?」
「お陰様で」
「ワイン通の人間は、ヴィント産のワインしか飲まないのかと思っていたが……」
「ワイン愛好家にも、色んな方がおりますから。伝統を重んじるヴィント産のワインを好まれる方は確かに多いですが、新しいものに惹かれる方も少なくないです。フランメ産のワインはヴィント産に比べると知名度は低いですが、その分安価ですし、それぞれのワインの特徴と合う料理を纏めた冊子を付けて販売したところ、かなりの好評を得ておりますね」
「……」
クリストフ様は呆気に取られたように、言葉を失くしていた。
「ローゼは名実ともに、プレリエ領の宝です」
「本当だな……」
クリストフ様は呟くような声で肯定する。
その響きが想像よりも硬い事に違和感を覚えると、彼の表情からも、さっきまであった柔らかさが失われていた。
「……クリストフ様?」
「ローゼが才能を発揮出来ている事は、喜ばしい。だが、ローゼの価値が高まれば高まるほど、余計なものも引き寄せてしまうだろう」
最近のプレリエ公爵家の周辺が騒がしい事を、憂慮されているらしい。
神妙な面持ちのクリストフ様の言葉に、オレも表情を引き締めた。
「今日も鼠が忍び込もうとしていたようです」
「許し難いな。ローゼの価値に気付きもしなかった愚物どもが、今になってワラワラと……鬱陶しい事この上ない」
クリストフ様の細めた目に殺気が宿る。
「大掃除を決行するのなら、手を貸すぞ?」
冗談……ではないだろうな。
無表情で物騒な事を言い出すクリストフ様に、オレは苦笑する。
「今のところ、殆ど無害に近いですし、まだ事を荒立てるつもりはありません。ローゼの出産も近付いておりますから、余計な心労をかけたくないんです」
「それはそうだな……」
クリストフ様は同意しつつも、納得しきれていない顔をしていた。
おそらく、ローゼと生まれてくる子の事を心配されているのだろう。
そうでなければ、こんな攻撃的な発言をするような方ではない。
「ローゼも、我が子も、私が必ず守ると誓います」
「!」
「私の言葉だけでは頼りないでしょうが、もう少しだけ見守っていただけますか?」
「……嫌味か?」
クリストフ様はふっと表情を緩め、口角を上げる。
「そうだった。私の妹は、我が国最強の夫を得ていたのだったな」
ワインボトルを持ったクリストフ様は、私に向けた。グラスを置くと、軽快な音を立てて液体が注がれる。
「だが、気を抜くなよ? お前の後釜を狙っている人間も、少なくはないぞ」
「……ええ、そうでしょうね」
我が妻を狙う不届き者は、増える事はあっても、減る事が中々ない。
普通ならば結婚を機に落ち着くものだが、残念ながらローゼは当て嵌まらなかった。
夜会で見惚れるだけなら、まだ可愛げがある。商談や社交を利用し、どうにかしてローゼに近付こうとする男は掃いて捨てるほどにいた。
「ですが、誰にも譲る気はありませんよ」
「だろうな」
クリストフ様は可笑しそうに喉を鳴らす。
殺しても死にそうにない、という、誉め言葉なのか否かを迷いそうな評価をもらった。




