或る密偵の見解。
※国王の密偵、カラスの視点となります。
冬の日没は早い。
時計の針はまだギリギリ夕刻を指しているのに、辺りは既に真っ暗だ。日中に温められた空気も冷え切っており、吐き出した呼気は白く凍った。
今夜は冷え込むらしい。とはいえ、ネーベル王国は他国に比べて温かい方だ。
北に位置するラプター王国は言わずもがなだが、古巣であったスケルツ王国も、冬は雪が積もる日も多かった。
それに比べれば、プレリエは天国だ。
雪は滅多に降らず、気温も氷点下になる日は少ない。
それに……。
「…………」
木陰から、室内を覗き込む。
明るい部屋の中から穏やかな笑い声が、時折、漏れ聞こえた。
王太子と姫さんが談笑している。
王太子は普段の無表情が幻であったかのように、柔らかな表情をしていた。それこそ、凍える月すら溶けてしまいそうなほどに。
完全無欠の王太子は、何処へ行ったのやら。
デロデロに崩れた顔は、冷徹な王太子とはもはや別人。妹に甘い兄を通り越して、孫馬鹿の祖父だ。
高位貴族の古狸共や、夜会で群がるご令嬢方が見れば、目を疑う事だろう。
今朝までは、余裕のない顔をしていたくせにと呆れる。
しかし同時に、王太子の気持ちも少し分かる気がした。
姫さんの傍は温かい。
彼女の笑顔を見ているだけで、凝り固まった心が解けていくようだ。ここでは、呼吸が出来る。肩肘を張らずに済む。
ただゆっくりと、素の自分に返れる。
もしかしたら王太子も、その為に来たのだろうか。
理想と現実の狭間で揺れながらも、自分の足場を見失わないように。姫さんと話す事で、初心を思い出そうとしたのかもしれないな。
王太子の顔からは、出立前にあった妙な焦りや緊張が消えている。
もう大丈夫だろうと、根拠なく思えた。
温かな光景を見守っていると、ふいに隣から人の気配を感じる。
さっきまで誰もいなかった場所に、唐突に細身の男が現れた。
「やぁ、カラス。お疲れ様」
「……」
ひらりと手を振る男を、半目で睨む。
「今日は寒いね。凍死しそう」
身を縮め、腕を擦る仕草をしているが、そんな訳がない。
スケルツ王国で働き、その後はラプター王国に拠点を移した男だ。オレ以上に寒さに耐性があるはず。
しかし、それを指摘するのすら面倒だった。
「どこで油を売っていた?」
姫さんの傍から、コイツが離れるのは珍しい。
代わりの護衛がいた事には気付いていたが、ラーテが姫さんを人任せにするとは思えなかった。
「別に怠けていた訳じゃないよ。ちょっとお客さんの相手をしていただけ」
ラーテが言うのだから、通常の意味ではないだろう。
招かざる、という枕詞がつく方だ。
「標的は誰だ?」
この屋敷には現在、ネーベル王国の重要人物が複数いる。
王太子か、姫さんか。それとも旦那か。
殺気立つオレを尻目に、ラーテは気の抜けた表情のまま頭を振った。
「いや、ただの情報収集だったみたい」
拍子抜けだと言わんばかりに、ラーテは溜息を吐き出した。
「回りくどい手段を選んだ割に、色々雑過ぎる」
愚痴交じりのラーテの話を整理すると、どうやら定期的に食材を運んでくる業者の中に、初めて見る男がいたらしい。
商人夫婦の身内ではなく、人伝の紹介で最近、雇い入れたのだそうだ。
念の為、使用人に紛れてラーテが接触を試みると、話し方にやや違和感を覚えたらしい。訛りとまではいかないものの、いくつかの単語の抑揚が違うとか何とか。
その時点では、まだ白寄りのグレー。
しかしその後、ラーテが雑談に見せかけた揺さぶりをかけると、男はまんまと反応してしまい、自らグレーを黒に塗り替えてしまったようだ。
尋問の結果、男はグルント王国の貴族が雇った人間だと判明。
暗殺などという大それた事は考えておらず、プレリエ公爵家の情報を得る事が目的だった模様。
「本当なら、使用人希望だったらしいよ」
「いや、無理だろ」
紹介状もなしに、公爵家に雇用されるのは不可能に近い。
庭師や洗濯婦の中には平民もいるが、当然ながら雇用前に身辺調査はされている。伝手もない、身元保証人もいない他国の人間など、入れるはずもなかった。
「それだけ必死だったんじゃない?」
「だとしても、配達人に何が出来るんだか」
食材の配達人が関われるのは、門番と料理人くらいのものだ。
荷下ろしの間に世間話くらいはするかもしれないが、せいぜい天気や食材関連の話くらいだろう。
「お嬢さんの功績には、料理関連もあるからね。『何か情報を拾えたらラッキー』くらいの感覚で挑戦したのかも」
「その結果、成果はゼロ。おまけに一番厄介な男に捕まったと」
「ね、可哀想」
ここまで心の籠っていない『可哀想』は初めて聞いたかもしれない。
実際に男は、犯した罪に見合わぬ対価を払わされている事だろう。しかし、同情心は湧かなかった。
「暫くは姫さんの周辺も、騒がしくなりそうだな」
「今更になって、お嬢さんの価値に気付いた盆暗共のせいでね」
ラーテは軽薄な笑みを引っ込め、苦々しく毒づく。
姫さんの功績は、何年も前から周知されていた。
しかし男尊女卑の風潮の強い国では、その功績の半分以上はまやかしだと思われていたらしい。
王族への忖度か、彼女の美貌に心酔した男達からの捧げものだろう。公爵位などと過ぎたものを得ても、いずれ化けの皮が剝がれると。
ところが、予想を裏切り、女公爵となった姫さんは大躍進を遂げた。
今やプレリエ公爵領は、世界で最も注目される都市の一つ。
その最大の功労者であるローゼマリー・フォン・プレリエ公爵の実力は、疑うべくもない。
血筋と容姿だけが取り柄の人形だと侮っていた奴らも、ようやく、姫さんが得難い人物だと理解したようだ。
「まぁ、躍起になる奴らの気持ちも分からなくはないが」
姫さんと王太子の密談を思い返しながら、ぽつりと呟く。
和気あいあいとした雰囲気で、政治の話で盛り上がっていた兄と妹の図は、中々に衝撃的だった。
優秀な王太子と同じ水準で討論出来る人間が、どれほどいようか。姫さんの知識量と発想力は、間違いなく非凡だ。
「羽虫共の事情なんて知った事じゃないな」
ラーテは肩を竦め、吐き捨てる。
「お嬢さんは今、大事な時期だ。静かな環境が必要なんだよ」
細めた目で、ラーテはオレを睨んだ。
何故か責める目を向けられ、居心地が悪い。
「……何が言いたい?」
「お前んとこの主人と息子、連続で寄越すの止めてくれないかな」
オレに言われても困る。
あの自由人な国王と、頑固な王太子を止める事なんて、オレでなくても不可能だ。
理不尽な要求を『無理』の一言で撥ね除ける事は出来るが、謎の罪悪感が発言を躊躇わせる。
オレのせいではない。
オレのせいではないが、姫さん大変そうだなと気の毒には思っていたからだ。
「……」
無言でそっと目を逸らすが、暫くの間、非難の視線がオレの横顔に突き刺さっていた。




