転生王女の考察。(6)
悩んだ末、私は、お二人の好意に甘える事にした。
戸惑いはある。けれど今一番大事なのは、私の小さな葛藤より、確実に薬を手に入れられる方法だ。
迷っている場合ではないと覚悟を決めた。
お二人に協力をお願いし、私はユリウス様のお屋敷を後にした。
帰りの馬車の中、私は今度こそミハイルを説得しようと意気込んでいた。が、肝心のミハイルは上の空。
話しかければ返事はしてくれるものの、心ここに在らず。俯いて黙り込んだ彼の顔は、何かを考え込んでいるように見えた。
膝の上に乗せた黒猫を撫でる手付きは優しいが、ぼんやりしている。時々、猫の毛並を逆立ててしまい、その度黒猫の尻尾が不機嫌そうにパシンと揺れた。
行きにミハイルが助けた黒猫は、獣に足を噛まれて動けなくなり、道の真ん中に蹲っていたらしい。取り敢えず応急処置をして連れ帰る事にしたが、野良だろうに随分大人しい子だ。
撫でる手が目測を誤り、尻尾を触ってしまっても噛み付かない。なぁ、と抗議の声をあげるだけに止めた。
「……ミハイル?」
「……っ、は、はい」
「適当に撫でては嫌だって、猫が言っているわ」
「え!あ、……ごめんなさい」
弾かれたように顔をあげたミハイルに、やんわりと告げる。
彼は私と猫を見比べた後、きまり悪そうな顔で謝罪した。『お前もごめん』と優しく撫でると、黒猫は目を細め、許してあげると言っているかのように、なーんと一声鳴いた。
「なにか悩み事でもあるの?私で良かったら聞くけれど」
「王女様……」
沈み込んだミハイルの顔を見ているうちに、私の口からは、そんな言葉が滑り落ちる。
彼と話が出来るのは、大神殿に着くまでの短い時間だ。別の話をしている余裕なんてない。
私がここでミハイルを説得しなければ、近い将来、彼は国内を巡る旅に出てしまう可能性がある。そして途中で立ち寄った神殿で命を落とし、魔王に躯を乗っ取られてしまうかもしれないんだ。
分かっていても、ミハイルの悩みを取るに足りないものだとは、思えなかった。
魔王復活に比べれば些末な事だと、切り捨てたくはない。だって私は、彼の事を何も知らないのだ。ゲーム内では殆ど語られずに終わってしまった、ミハイル・フォン・ディーボルトの生涯を。
沈黙が落ちる。石畳の上を走る車輪の音だけが、ガラガラと響いた。
戦慄いた唇が、逡巡し、噛み締められる。急かす事はせずに見守っているとミハイルは、暫し間をあけてから、口を開いた。
「…………おうじょ、さまは…………王女様は、どうしてそんなに、強いんですか」
ミハイルの言葉に、私は目を丸くする。
どうして強いかって……。そもそも私って、強いの?
女性への褒め言葉としては、とても微妙だが、不愉快だとは思わない。
けれど疑問は浮かぶ。私は自分を、強いと感じた事はなかったから。
「私は、強いかしら」
問うとミハイルは、コクリと頷いた。その様は、まるで稚い子供のようだ。
ついつい保護欲が湧いて、幼子に接するような態度になってしまう。
「どうしてそう思うのか、聞いてもいい?」
頼りなげな瞳で彼は、もう一度頷く。
「……さっき王女様は、力やお金があっても、人助けは義務じゃないって、言ってました。それぞれに守りたいものがあるんだから、恥ずかしいと思わなくてもいいって」
「そうね」
相槌を打って、話の続きを促す。
「他の人には、貴方は何も強要しないのに。持っているんだから、持たない人に分けてあげなさいとか、強いんだから弱い人を護ってあげなさいとか、言わないのに。……貴方自身は自然に、王女としての役目を果たそうとしている」
ミハイルは滔々と語る。数時間前のコミュ障ぶりが、演技だったのかと思ってしまうくらい流暢だ。
きっと意識しなければ普通に話せるんだろう。悩みに意識をとられているから、緊張せずに済んでいるんだろうな。
俯き気味だった彼は顔を上げる。切ないまでの必死な瞳が、私を映した。
「貴方は好きで、王女に生まれたわけじゃないのに、なんでそんな、当たり前みたいに受け止められるんですか?逃げたいとか、投げ出したいとか、思わないんですか?」
「あら、思うわよ」
「なんで迷わな…………え?」
返事なんて求めていないかのように早口で捲し立てていたミハイルだが、私の答えを理解したのか、言葉を止めた。
唖然とした表情が、申し訳ないが何だかおかしくて、笑いながら私は、もう一度告げた。
「投げ出したいと思うときもあるわ。当たり前でしょう」
「え、あ……あたりまえ、ですか」
「ええ」
切れ長な一重の目が、ぱちぱちと何度も瞬く。
ミハイルにとっては、かなり意外だったらしい。戸惑いを隠さず伝えてくる素直な目に、私は笑みを深くする。
「私は、不完全な人間だもの。どれだけ自分が恵まれているか分かっていても、今の生活をとても窮屈に感じる日もあるわ。勉強やレッスンを放り出して、日当たりの良い場所で一日中本を読んでいたいとか。肩の凝るドレスを脱ぎ捨てて、綿のワンピースで草原を裸足で駆けまわってみたいとかね」
「王女様が……」
ミハイルは呆然と呟いた。
「思うだけで実行に移さないのは、私が立派な姫だからではないわ。望む未来の為には必要な事だから逃げないで向き合っているだけよ」
自由には、それなりの代償がある。
目先の欲と、未来の安定。どちらを選ぶかは、その人次第だ。アリとキリギリスのように、教訓としては堅実に生きる人が正しいと判断されがちだが、本当の正解なんてきっと無い。
「もし貴方が何かから逃げたいと思っているなら、想像してみるといいわ。逃げた先で得るものと失うもの、どちらを選ぶのか」
ミハイルの目を正面から見据え、告げる。選ぶのは貴方だ、と。
コクリと頷いたミハイルは黙り込み、馬車が大神殿につくまで何かを考えこんでいた。
別れ際、何か言いたげな目が私をじっと見つめていたけれど、ミハイルが口に出したのは、ありきたりな別れの挨拶だけだった。
結局、説得は全く出来なかったなぁ。
でも、あんなに悩んでいる子に、こうしなさい、あれは駄目だとは言えなかった。
「いいと思いますよ」
大神殿から城への、短い時間。馬車の中に二人きり。
反省している私を見て、レオンハルト様はそう言った。
「気弱そうに見えるが、おそらく彼は頑固だ。適当な理由で止めようとしても、頷かなかったでしょう」
レオンハルト様の言葉に、私は頷いて同意を示す。
ゲーム中でも、人助けのために大神殿を飛び出すくらいの行動力があった訳だし。流されやすそうに思えても、芯は強い人だ。
「それに、彼が抱えている悩みが全くの無関係とは限らない。人助けをしたいという意志に偽りはないでしょうが、迷いがある。具体的にどうしたいかも決まっていないまま、飛び出したりしない筈です」
「それなら、いいんですけど……」
落ち着かない気持ちのまま、私は曖昧な返事をした。
膝の上に乗った黒い毛並を、指先で撫でる。神殿暮らしのミハイルに代わり、私が引き取る事にした黒猫は、機嫌良さげに喉を鳴らした。
「大丈夫です」
「!」
静かな声が告げる。
思わず顔を上げるとレオンハルト様と視線が合う。静かな目をした彼は、私の不安を払拭するように優しく笑んだ。
「男ってのは、貴方が思うよりずっと見栄っ張りで単純だ。自分より年下の可愛らしい少女が、強い信念と目標を持って進んでいるというのに、向かう道さえ曖昧なままフラフラと歩き出すような無様な真似はしませんよ」
「レオンハルト様……」
「大丈夫。貴方は間違っていません」
大丈夫だと繰り返され、強張っていた体から力が抜ける。
私の怯えは、レオンハルト様に筒抜けだったらしい。ほぅ、と細い息を吐き出した私を見て、彼は更に目を細めた。
この人は本当に、私の扱いが上手いな。
掌で転がされている気がしないでもない、が、そんなのどうでも良くなる。
大丈夫だと言って貰えて、ようやく、一人じゃないんだって実感出来た。
今まで誰にも相談できなかったから、不安でも、進む他なかった。大丈夫、間違っていないと繰り返しても、所詮は独り言。
同じ言葉なのに、他の人……ううん。レオンハルト様が言ってくれるだけで、こんなにも安心出来るものなんだ。
「ありがとうございます」
胸の奥に灯りをともしたような幸福感を噛み締めながら、私は呟く。はい、と返したレオンハルト様の声は、とても柔らかいものだった。
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