総帥閣下の和み。
※旦那さんことレオンハルト視点となります。
カロッサ家の当主からプレリエ公爵家に謝罪の手紙が届いた。
当事者であるミハイル宛にも届いているようだが、彼の上司であるローゼにも礼儀を通したのだろう。
丁寧な筆致で綴られた手紙には事の経緯や対応が整然と纏められており、一見、義務的にも見えるが、定型文ではない謝罪には誠意が感じられた。
謝罪文にありがちな自己弁護や同情を煽る卑屈さが一切ないのも清々しい。
だからこそ、『改めて直接、謝罪に伺いたい』という一文も、穿った見方をせずに済んだ。
ミハイルが受け入れるのならば、私に異存はないとローゼは言った。オレも同意見だ。
そう、異存はないのだが……。
「……会いたくないのなら、無理に会わなくてもいいんだぞ?」
医療施設の研究棟。
その一角にある応接室にて。
待ち合わせ時間の三十分前に現れたミハイルは、緊張しているのか、酷い顔色をしていた。目の下にも薄っすら隈があり、昨夜はまともに眠れたかすら怪しい。
視線も落ち着きがなく、時計とドアとを忙しなく行き来している。
どこからどう見ても、謝罪を受ける立場の人間の挙動とは思えなかった。
「そうよ。謝られる方が嫌な思いをするなんて、本末転倒だわ」
付き添うビアンカ嬢は、心配そうな表情でミハイルの背を擦る。
「大丈夫、姉さん。ちょっと緊張しているだけだから」
青い顔のミハイルは、眉を下げて笑った。
「レオンハルト様も、ご心配をおかけしてすみません」
「いや、それはいいんだが。本当に大丈夫か?」
「はい。こんな顔をしていたら説得力ないですけど、本当に、無理はしていないんです。……ただオレは自分の考えを言葉にする事が苦手なので、上手く話せるかなとか、どう言えば誤解なく伝えられるかなとか、色々考えているうちに夜が明けていました」
なるほど。考え込んでしまって、眠れなかったワケだ。
ミハイルらしいと思うのと同時に、ここにいるのが、図太い自分で申し訳なくなる。
ローゼならきっと同じ目線で気にかけてやれただろうに。しかし、身重の妻を立会人にする訳にはいかないので、我慢してもらう他ない。
「貴方がそんな風に気にかける必要なんてないわ。どういうつもりだか知らないけれど、あのマルセルが謝罪したいだなんて、何か別の思惑があるはずよ」
ビアンカ嬢は苦虫を噛み潰したような顔をした。
どうやら彼女は、今回の謝罪に関して懐疑的らしい。正直、気持ちは分かる。
ビアンカ嬢もオレも、そしてローゼも、後からヴォルフ経由で話を伝え聞いた立場だ。その場にいなかった故に、実感が乏しい。
あれほどの暴言を吐いた男が簡単に改心出来るのかと、疑う気持ちはある。
ただ、カロッサ商会長からの手紙という物理的な証拠がある事もまた事実。ヴォルフが聞いた通り、自分の過ちを妻や義両親に話したのは間違いない。
その点だけでも、確実に変化は感じる。
「姉さん、違うよ。義兄さんは本気で謝罪したいんだと思う」
「信じられないわ」
宥めようとするミハイルから、ビアンカ嬢は顔を逸らす。
困り顔のミハイルがオロオロとしていると、扉が鳴った。時計は計ったように、約束の時間、十分前を指していた。
受付の人間に案内され、入室したのはカロッサ商会の商会長とマルセルの二人。
彼等は扉が閉まるのと同時に、深く頭を下げた。
「ご多忙の中、貴重なお時間を賜り、誠にありがとうございます」
商会長は低い声で、淀みなく続ける。
「この度は我が家の婿が魔導師様に、あってはならぬ無礼を働きました。今更、顔を出すのは恥知らずと重々承知しておりますが、それでも謝罪の機会をいただけるのならと、こうして参上した次第でございます」
商会長の隣で、マルセルも頭を下げたままだ。
こちらが動かなければ、二人は一時間でも二時間でもそのままの姿勢でいるだろう。謝罪を受ける立場のミハイルを見ると、彼は困惑しつつも声を掛けた。
「あの、頭を上げてください。座って、お話ししましょう」
「ありがとうございます。失礼致します」
席について簡単な自己紹介を済ませる間、ビアンカ嬢は訝しむような目でマルセルを見ていた。その視線には疑心と嫌悪と、それを上回る戸惑いが見てとれた。
「まずは、魔導師様。先日は娘の命を救ってくださり、ありがとうございます」
「どういたしまして。その後、如何ですか?」
「お陰様で順調に回復しているようで、もう食事も通常のものに戻りました。孫も元気いっぱいで、本当に、魔導師様には感謝してもしきれません」
良かった、とミハイルは含みなく笑う。
その顔を見た商会長とマルセルは、苦しそうに顔を歪める。
「だというのに、まさか、恩を仇で返す事になるとは……。なんとお詫びすればいいのか、言葉も見つかりません」
マルセルは意を決したように、ミハイルを見る。
「僕は貴方に、数えきれないほどの無礼を働きました。自分の中に長年溜め込んだ鬱憤を、罪のない貴方に一方的にぶつけた。善良な貴方が言い返してこないと分かっていながら、身勝手に八つ当たりをした。とても幼稚で、恥ずべき行為です」
声は僅かに震えていた。
身の置き所のないような顔で、それでもマルセルは視線を逸らさず話し続ける。
「貴方を心配した姉君にも、酷い態度をとりました。当時の僕は己の過ちを認めるどころか、何が悪いのだと開き直る始末。……僕はどうしようもなく弱虫で、卑怯な男です。傷付けられるのが嫌で、何の落ち度もない貴方がたを責め、傷付けた……」
声を詰まらせたマルセルは、再び、深く頭を下げる。
膝に頭がぶつかりそうなほどに首を垂れ、息を吐く。
「もうしわけ、ありませんでした」
そっと寄り添うように、商会長も頭を下げる。
誰も何も言えず、応接室はシンと静まり返った。
ビアンカ嬢はただただ驚き、絶句している。
マルセルの変化に対応できず、怒りよりも困惑が勝っているらしかった。
一方、ミハイルは比較的冷静だった。
緊張した面持ちながらも、取り乱している様子はない。マルセルの変化を事前に知っていた彼は、この後、どうするかも決めてあったのだろう。
ほんの数分前の再現のように、「顔を上げてください」と告げる。
「お二人の謝罪は受け取りました。……それで、お返事、なんですけど」
静かで落ち着いた声がやや乱れる。同時に言葉選びも少し、崩れた気がした。
謝罪に『お返事』だなんておかしな表現だが、真面目なミハイルらしいといえばらしいのかもしれない。
『許します。もう気にしないでいいですよ』
そう続くのだと、オレは思っていた。少しばかり不満げな顔をしたビアンカ嬢も、きっと同じ。
ミハイルの優しさが搾取されているようで歯痒く思いながらも、そんな彼に好感を持っているから。仕方ないなと、僅かな不満を飲み込む準備をしていたというのに。
予想外のことが起きた。
「許しませんから」
「……!?」
オレとビアンカ嬢は、同時にミハイルを凝視した。
その後に互いの顔を見る。『今の言葉、もしかして貴方が言った?』と目で問うて、違うと頭を振って否定した。
ちなみにマルセルも、呆気にとられた顔をしている。
緊張で倒れてしまいそうな顔色のミハイルは、心臓の辺りを手で押さえて長い息を吐く。「言えた」という呟きには、どういう意図が込められているのだろうか。
視線が自分に集中していると気付き、ミハイルは困り顔で笑った。
「夕べ、色々考えたんです。オレは怒るのが苦手で、人と争うのも好きではありません。だから今回の事も、『もういいよ』って言ってしまおうと思いました。それはオレが優しいからとかではなくて、一番、楽だから」
自嘲ともとれる言い方だったが、どこか吹っ切れたような清々しい語り口でミハイルは言う。
「でも、それでは駄目なんです。オレという魔導師が軽んじられる事を容認してしまえば、別の魔導師もその扱いをされる可能性がある。これから生まれるかもしれない魔力持ちの子供達の為にも、オレは貴方を許しません」
真剣な顔のミハイルは、一拍置いて「すぐには」と付け加えた。
沈痛な面持ちだったマルセルは、瞠目する。
「今は許しません。でも、いつか許せるように、反省が嘘ではないと、言葉ではなく、今後の貴方の生き方で証明してみてください」
「……っ」
マルセルはくしゃりと顔を歪め、口を引き結ぶ。
泣きそうな顔で頷いた。
「ありがとうございます。バカ息子が、ご迷惑をおかけしました」
商会長はやや乱暴にマルセルの頭を掴み、一緒に頭を下げる。
許さないと撥ね除けたにも拘わらず、お礼を言われてしまったミハイルは目を白黒させていた。
「あ! ゆ、許さないと言ったのはオレ個人の話なので! 病院には遠慮せず来てくださいね!? 奥様の症状にも何か不安があれば、すぐに呼んでください!」
許さないとは、どういう意味なのか。
改めて言葉の意味を考えてしまうくらいお人よしの医者を眺めながら、オレはつい笑み崩れた。




