次期族長の緊迫。(2)
※引き続きヴォルフ視点となります。
普段ならば、安請け合いするなと叱る場面だ。
医療に絶対などない。安易に『助ける』などと約束して叶わなければ、自らの首を絞めるだけでなく、患者の家族の絶望をより深いものにしてしまうと。
しかしミハイルの顔を見れば、それが安請け合いでない事は一目瞭然だった。
だからオレもつまらない小言は言わず、「行くわよ」と先を促すだけに留めた。
慌ただしく動いていた使用人は、オレ達の姿を見るなり道を開ける。南向きの部屋の前に辿り着くと、当主は蹴破る勢いで扉を開けた。
「魔導師様と薬師様が来てくださったぞ!」
室内にいた人間の目が、一斉にこちらを向く。
縋るような眼差しには、圧し潰されそうな重さがあった。しかし動揺は見せず、足早に寝台へと向かう。
寝台には、小柄な女性が横たわっていた。
顔色は悪く、あえかな呼吸を繰り返す唇も血の気がない。ただ、辛うじて意識は保てているらしく、オレ達が近付くと、薄く目が開いた。
「リンダ、もう少しだけ頑張って」
リンダ夫人の母親らしき女性は、細い彼女の手を両手で握りながら語り掛ける。その言葉にコクリと頷く様子も、酷く頼りなく見えた。
ギリギリだなと、胸中で苦く呟く。
お産で体力を消耗している事を考慮すると、魔法に耐えられる可能性は高くない。
「状況は?」
平常を装いながら、先に来ていた女医に問いかける。
「胎盤は排出されたと産婆が言っておりましたので、胎盤残留の線は薄いと思われます。触診したところ、下腹部が柔らかく、子宮の収縮が遅れている可能性が高いです」
「処置は?」
「下腹部へのマッサージを終え、薬の経口投与を行ったところです。ただ、吐いてしまう可能性があるので、少量ずつですが」
「それでいいわ。無理に飲ませても、吐いたら逆効果だもの」
今は少しでも体力を保つ事が優先だ。
「時間をかけて一回分は飲んでいただけました。ですが、未だ出血は止まっておりません」
「そう」
女医はきちんと、正しい手順を踏んでくれている。
それでも血が止まらないのであれば、いよいよミハイルの出番だ。
視線をミハイルへ向けると、彼は真剣な顔で頷く。
ミハイルは枕元に移動し、リンダ夫人を覗き込む。
「リンダさん、聞こえていますか?」
ミハイルは優しく話しかけた。
リンダ夫人は今にもくっつきそうな瞼をどうにか押し上げ、小さく頷く。
「こんにちは、ミハイルと申します。病院で何度かお見掛けしましたが、お話しするのは初めてですね。私は魔導師という特殊な職に就いているのですが、ご存じですか?」
リンダ夫人はもう一度、頷いた。
「今回、リンダさんの処置を担当致します。リンダさんは今、出産の影響で子宮からの出血が止まっていません。その為、私が魔力を注いで、貴方の治癒力を引き出します」
ミハイルはいつもよりも静かに、落ち着いたトーンで話す。
患者の不安を取り除くように、呼吸を合わせて、ゆっくりと。
「私の能力はあくまでも補助でしかなく、大事なのは貴方の生きる意志です。出産を終えたばかりで辛いでしょうが、どうか意識を保って、生きたいと願い続けてください」
冷静な話し方とは裏腹に、ミハイルの手は微かに震えている。人命のかかった治療は、クラウス以来なのだから、緊張していて当然だろう。
しかしそれを患者に悟らせないよう、努めていた。
「せんせ……」
リンダ夫人はミハイルを見上げながら、口を開く。
「わたしの子は……、赤ちゃんは?」
「お子さんは?」
「隣室に。今、軽く汚れを落とさせています」
リンダ夫人の言葉を伝言するようにミハイルが訊ねると、女医はすぐに答える。
「げんき?」
「ええ、元気な声で泣いてらっしゃいましたよ。少し早めの出産でしたが、呼吸も異常なさそうでした」
リンダ夫人は女医の言葉に安堵したように、ふわりと微笑む。
「よかった……」
「お会いになりますか?」
ミハイルがそう問いかけると、リンダ夫人はゆっくりと首を横に振る。
「いま、あったら、満足しちゃいそうだから。元気になって、ちゃんとこの腕に抱くわ。嫌がられるくらい傍にいて、何万回も名前を呼ぶの。ママ、うるさいって呆れられちゃうくらい」
「いいですね」
「でしょう?」
ミハイルが相槌を打つと、リンダ夫人は、ふふ、と楽しそうに笑う。
「だから、せんせ。おねがいします」
リンダ夫人が重たげに上げた右手を、ミハイルはしっかりと握る。
「はい。一緒に頑張りましょう」
ミハイルのその言葉を皮切りに、オレ達はリンダ夫人を救うべく、動き出した。
とん、という軽い衝撃と共に肩に重みが掛かる。
見ると、目を瞑ったミハイルが寄り掛かっていた。どうやら、眠ったらしい。疲労が色濃く残る顔は酷いものだったが、表情は安らかで、どこか満足気でもあった。
「あの、宜しければお部屋をご用意致しますが」
使用人が声を潜めながら申し出てくれたが、頭を振って辞退する。
「ありがとう。でも、彼、たぶん恐縮しちゃうから、帰ってから寝かせるわ」
やんわり断ると、使用人は何か言いたげな顔をしていた。
おそらく、主人に最高のもてなしをしろと命じられているのだろう。
しかし肝心のオレ達は食事も湯浴みも断り、更には宿泊も蹴って、さっさと帰ろうとしているのだから、そんな顔になるのも無理はない。
「彼は私が運ぶから、馬車を玄関前まで呼んでくれるかしら」
「……かしこまりました」
困り顔の使用人はオレの要望に従い、部屋を出て行く。
しかし、それから殆ど間を置かずに扉が鳴る。何かあったのかと身構えていると、入ってきたのはミハイルの義兄、マルセルだった。
泣き腫らした顔で現れたマルセルは、何かを言いかけて止める。疲労困憊な様子で眠っているミハイルに気付いたらしい。
「こんな訳だから、さっさとお暇するつもりだけど。何か用?」
マルセルはぐっと口を引き結んでから、深く頭を下げる。
「妻を救ってくださって、ありがとうございました」
「……感謝は当人が起きている時にしなさいよ」
はい、と小さな声でマルセルは答えた。
「奥様とお子さんの様子の具合はどう?」
「今は二人とも、休んでいます。リンダは絶対安静だそうですが、山は越えたと」
優秀な女医が付き添っているので、おそらく大丈夫だろう。
「そう、良かった。また暫くは貧血の薬を処方する予定だけど、前の薬は合わなかった? 途中で通院を止めた原因はソレ?」
「いえ、合わないという事はなさそうでした。ただ、症状も改善したようなので、子供に影響があると怖いからと、リンダは飲むのを止めたようです」
「気持ちは分かるわ」
貧血やむくみの薬は流産の危険性があるものが多い。
影響は微々たるものだし、医者も様子を見ながら処方しているとはいえ、母親としては心配だろう。
「妊婦も安心して飲める薬があったらいいのにね。二人目の子を授かるまでには、開発が間に合うといいんだけれど」
テオや爺様達の頑張り次第だ。
「まぁ、薬についても追々、相談していきましょう」
「……ありがとうございます」
居た堪れなさそうな様子で身を縮めるマルセルに、オレは溜息を一つ吐き出す。
「それで? 他に何か用があったんじゃないの?」
「……ミハイルに、謝罪をしたくて」
「ふぅん? 一言謝ったら終わり?」
オレが問いかけると、マルセルは顔を上げる。
「この子は稀に見るお人よしだから、アンタが謝ればきっと許すわ。何事もなかったかのように関係を築いても、文句なんて一言も言わないでしょうね」
マルセルをじっと見つめると、彼の瞳は頼りなく揺れていた。
「でも、私達は違うわよ。アンタの所業も、ミハイルがどれだけ傷付いたかも全部覚えている。なかった事になんて、絶対にさせない」
「はい。なかった事には、しません。今更ですが、僕のした事を全部、妻と義両親に話すつもりです」
「そう」
カロッサ商会の商会長も夫人も義理堅い方で、ミハイルに恩義を感じているようだった。婿養子がその人に無礼を働いたとなれば、それなりに揉める事が予想される。
見捨てられはしないだろうが、暫く肩身の狭い思いをするだろう。それだって、罰にしちゃ、甘すぎるくらいだとは思うけれど。
「ついでにアンタの不安も、全部打ち明けてみたら? 秘密なんて長く抱えれば抱えるほど、辛くなるものよ」
「僕の不安、ですか」
「アンタ達の子供が魔力を持っていたとしたら、また同じ過ちを繰り返すつもり?」
「……っ!」
マルセルは息を呑む。
「それとも、魔力を持っていたら捨てるの?」
「そんな事はしません‼」
マルセルの大声に反応して、ミハイルが身動ぐ。
即座に否定した事に安堵しつつも、「煩い」とマルセルを睨んだ。
「すみません……」
「返事は合格だけれどね。ただ今のアンタの信用度はゼロだから、行動で示しなさい」
「はい」
「幸いにも、アンタの義両親は魔導師にそれほど悪い印象は持ってなさそうだった。奥さんも気丈な方のようだから、しっかり話し合うといいわ。子供の為にも、アンタ自身の為にも」
「はい……っ」
涙声のマルセルは何度も頷いた後、部屋を出て行った。
カロッサ家の人々が、どういう結論に至るかは分からない。
けれど、きっと大丈夫だと思う。リンダ夫人を生かそうと必死になっていたミハイルの献身は、確かに彼らの胸に響いたはずだ。
「……お疲れ様」
そう呟きながら、隣で健やかな寝息を立てるミハイルの頭に手を乗せた。




