転生公爵の送別。
鳥の囀りと、瞼越しの光に意識が浮かび上がる。
眠気を振り払うように、ゆっくりと瞬きを繰り返す。薄明るい室内をぼんやりと眺めているうちに、頭が覚醒してきた。
寝台に手をついて身を起こそうとしたが、腰に回された腕に動きを阻害された。
「よいしょ」
振り返ろうにも、お腹が重い。ごろんと仰向けになると、離れるなと言わんばかりに太い腕が巻き付いてきた。
閉じ込められた腕の中は温かく、一旦は覚醒した頭が再び睡眠を促してくる。朝晩は冷え込む時期になってきただけに、余計に離れがたい。
心地よさに身を委ねてしまいそうになった私だが、ふと鼻を掠めた酒気に意識を引き戻された。
自分を抱き込んでくる腕から抜け出して、すん、と鼻を鳴らす。
「珍しい」
レオンハルト様が酒臭い。
特に嫌悪感はないけれど、驚いた。
夜会の後でも、祝賀会の翌日でも、飲酒の名残を殆ど見せない人なのに。
たまに酔っても、ほんのり赤くなるくらいの変化しかなくて、ちょっと残念に思ったくらいだ。
「どれだけ飲まされたの?」
レオンハルト様はおそらく、お酒に強い。ワクとまではいかなくとも、ザルレベル。
そんな彼が翌朝まで余韻を残すくらいなのだから、一杯や二杯では済まなかったはずだ。
「父様のペースに引き摺られたのかな……」
父様のスンとした顔が、頭に思い浮かぶ。
水のようにワインをガバガバ呷りながらも、顔色一つ変えない父様の様子に、昔の自分も度肝を抜かれたものだ。
あれに付き合っていたら、常人は肝臓をぶっ壊す。
心なしかいつもよりも顔色が悪いレオンハルト様の頭を、よしよしと撫でる。
元上司で現舅、その上、ペースが合わない相手とのサシ飲みは、さぞ気を遣った事だろう。可哀想に。
「……ん」
硬めの黒髪を指で梳いていると、レオンハルト様が目を開ける。
腰に響くような低音で唸った彼の眉間に、深い皺が寄った。頭が痛いのか、それ以外の不調があるのか。はたまた、ただ眠いだけなのか。
再び目を閉じたレオンハルト様は、私を抱き寄せて、肩口に顔を埋める。夢うつつの状態でも、お腹の子と私を傷付けないよう、力加減が為されているのは流石だと思う。
「レオン、体調悪いの? お医者様を呼ぶ?」
「……」
返事はないが、首を横に振っているのは感触で伝わってくる。
「……まだ早い時間だから、もう少し寝ようか」
幼子にするみたいに、背中を一定のリズムで叩く。
すると、腕の力がだんだんと抜けてきた。
「……テ……の」
「うん?」
眠りに落ちる寸前、レオンハルト様が何事かを呟く。
不明瞭な言葉が理解出来ずに聞き返すと、途切れ途切れながらも、単語が返ってきた。『テーブル』と『ワイン』と『高い』が示す意味を、私は考えた。
「テーブルの上に、高価なワインがあるって事?」
確かにサイドテーブルの上には、昨夜、寝入るまでは無かった長方形の箱がある。厳重に梱包されているので中身までは分からないが、おそらくコレの事だろう。
「私へのプレゼントって線は絶対にないし、……父様へのお土産かな?」
妊娠云々を差し引いても、私がお酒を飲まない事をレオンハルト様は知っている。ならば、今日帰る予定の父様へのお土産かもしれないと当たりを付けた。
「だとしても何で、わざわざ今言うの?」
私が飲むはずがないと分かっているのに、何を心配しているのだろう。
そんな風に首を傾げていた私が、ワインの価値を知って蒼褪めるまで、あと一時間と少し。
「持って帰ってください」
「断る」
見送りの為に集まった玄関先。
私と相対する父様は不愉快そうな表情で、そっぽを向いた。
機械仕掛けの人形のようだった過去を思えば、随分と人間臭くなったものだと感慨深くもあるが、今の私の心情はそれどころではない。
「一度渡した手土産を持って帰れと?」
「マナー違反は重々承知の上です」
私だって、普通の手土産ならば素直に受け取る。仮に好みの品ではなかったとしても、笑顔でお礼を言うくらいの礼儀は弁えているとも。
でもこれは、手土産の域を超えているでしょうが。
二日酔いで、ややぐったりしたレオンハルト様の説明によると、父様が気軽に持ってきたワインは、どうやら国宝レベルの希少品らしい。
特級畑でごく少量だけ生産され、当時の情勢や虫害の影響で、市場に殆ど出回らなかった五十年前のワイン。
知ってる、わたし、ソレ知ってる。
いや、厳密に言うとそのヴィンテージワイン自体は知らないけれど、前世で言うところの、1945年のロ〇ネ・コンティでしょ。
テレビ番組で特集されていたのを見て、ワインが一本で十億とか一生縁のない話だなって思っていたのに。まさか、ソレの異世界版を手土産に寄越されるとは。
「帰る途中で落としたらどうする?」
「ご安心ください。落としても割れないよう、厳重に梱包しましたので。レオンが」
ワインをしこたま飲まされた後に、箱やら緩衝材やらをせっせと用意したらしいレオンハルト様の苦労と努力に免じて、大人しく持ち帰ってほしい。
「人の厚意を無下にするとは、酷い娘だ」
「なんとでもどうぞ」
笑顔で返すと、父様の眉間に皺が寄った。
「お前のせいで傷心の私は、今夜もまた酒を飲んでしまうかもしれないな?」
「……!?」
好きにすればいいと言いかけて、呑み込む。
父様の意図を遅れて理解した私は蒼褪めた。
お、脅されてる? もしやコレ、『お前のせいで国宝級のワイン開けちゃうかもしれないな』って脅されてる!?
「……ローゼ、オレ達の負けです。素直に頂きましょう」
ワインの入った箱を持ち、隣に立っていたレオンハルト様が溜息交じりに零す。
抵抗したかったが、結局は諦めた。この人ならやりかねないという私達の共通認識が、撤退の決め手だった。
「で、どうする?」
「……有難く、頂戴します」
『思い切り不服です』という態度を隠しもせずに言うと、父様は満足げに目を細める。
「お前の子が成人した時にでも、祝いで開けてやれ」
まだ生まれてもいない子の成人の話をされても、全くピンと来ない。
微妙な顔をした私を放置し、話は終わったとばかりに、父様は鐙に足をかけて、ひらりと馬に跨った。
「暫くは来られないが、無理はするなよ」
寧ろ、また来るつもりだったのか。
嫌ではないが、国主たる父様にそんな暇があるとは思えない。
娘として父の背中をずっと見てきたから、忙しいのは知っている。プライベートなんて、寝る前の僅かな時間だけ。
今回だって随分、無理をしたはずだ。
「もし何か困りごとがあれば、手紙を寄越せ。まぁ、大抵の事は、お前の夫がどうにかしてくれるだろうがな」
離れて暮らす普通の親みたいに、気遣いとお小言が混ざったような言葉に、むず痒さを感じた。
「父様も、お元気で。困りごとは起こらないと思いますが、手紙は出しますね」
薄く口角を上げた父様は、手綱を引く。門の方向に馬首を巡らせてから、ひらりと手を振った。
「またな、ローゼマリー」
「は、い……?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
ゆっくりと染み込むように理解した時には、既に父様と護衛の姿はなく。遠くに見える小さくなった後ろ姿を茫然と見送った。




