転生公爵の相談。
父様との面談を終え、部屋を出る。
無意識のまま、深く息を吐き出す。目的を果たした安堵とともに、調子を崩された事による疲労感も感じていた。
「ローゼマリー様」
廊下で待たせていたクラウスは、疲れた様子の私を見て顔を曇らせる。
言葉なく体調を心配してくれる眼差しに、「大丈夫よ」と苦笑した。
「一度、お屋敷に戻られますか?」
「本当に大丈夫よ。せっかく城まで来たのだから、用事を済ませてしまいましょう」
私は慌てて、背筋を正す。咳一つしただけでも、このまま馬車に詰め込まれて帰宅させられてしまいそうだ。
プレリエ領は旦那様を筆頭に、過保護な人が多い。普段も頼りない私を見かねてか、皆が何くれと無く世話を焼いてくれる。有難いけれど、駄目な人間になりそうで怖い。
「ですが、お顔の色が」
「お話し中、失礼致します」
食い下がるクラウスの言葉を遮ったのは、父様の部屋の前に控えていた近衛騎士だった。顔は見覚えがあるけれど、名前が出てこない。
確か、クラウスの友人だったような……。
クラウスと同年代の近衛騎士は、恭しい仕草で首を垂れる。
「差し出がましい事とは存じますが、提案させていただきます。近くの部屋を用意させますので、少しご休憩されては如何でしょう?」
「デニス。魔導師長殿か、お弟子の方をこちらにお呼びする事は可能か?」
私ではなく、何故かクラウスが話を進める。
確かに私の用は希少な薬草に関する事だったので、イリーネ様かルッツが適任だ。とはいえ、呼びつけるつもりは無かったのだけれど。
相談する側の人間が足を運ぶ、それが道理だろう。
そこまで考えて、はたと我に返る。
そもそも、私自身は別に体調が悪いと感じていないのだった。
「あの……」
「魔導師塔に伝言を頼む。あとは、お茶の準備を」
声を掛けたつもりだが、小さすぎて届かなかったらしい。
デニスと呼ばれた近衛騎士は、近くにいた若い騎士に指示を飛ばす。私がもじもじしている間にも、彼等は即座に行動に移してしまった。
今更、気遣いを無駄にするのも申し訳ない。
少し疲れているのも確かだし、素直に甘える事にしよう。
イリーネ様とルッツには改めてお詫びしようと考えながら、案内に従う。
でも、それとなく『具合は悪くない』という主張はしておいた。巡り巡って心配性な母様達の耳にでも入ったら大変だ。
やっぱり城に住む方がいいだろう、と押し切られかねない。
殆どの貴族は領地のカントリーハウスとは別に、王都にタウンハウスを持っている。
例に漏れず我がプレリエ公爵家も一等地に一軒、所有している。ちなみに結婚祝いとして両親が贈ってくれたものだ。
社交シーズン中は、そちらに滞在するつもりで使用人に整えてもらっていた。
ところが王都に向かうと決まった途端、母様とヨハンが揃って『城に滞在すればいい』とか言い出した。
王城は広いし、空いている部屋も沢山ある。
以前、使っていた私の私室はそのままになっているし、それが嫌なら離宮でもいいと。
いやいやいや。貴方が贈ってくれた家ですよ?
あと、私だけならともかく、レオンハルト様も一緒だからね?
一日二日ならともかく、一か月以上。最長なら三か月もあるのに、嫁の実家に滞在させるとか可哀想でしょうが。
それに私はもう王族ではない。
我が物顔で城に入り浸っているのは、世間体を考えると望ましくないだろう。
こまめに会いに来るという条件を提示して、どうにかタウンハウスをシーズン中の本拠地にする事が許された。
それなのに今、大ごとにされたら、元の木阿弥になりかねない。
大人しく休んで、そっと帰ろう。
そう決めた私が待っていると、ほどなくしてルッツがやって来た。
「姫!」
急ぎで駆け付けてくれたのか、肩で息をしている。
いったい、どんな説明を受けたのか。
「呼びつけてごめんなさい」
立ち上がろうとすると、手で制された。
「そんなのはいいよ。それより体調は……」
「悪くないのよ。少し疲れただけなの」
何か、方々に心配と迷惑を掛けている気がする。
体調不良とは別の意味の頭痛を感じながら、先回りをして告げた。
「色々とやる事があって落ち着かなかったから、ちょっと疲れが溜まったみたい。でも別に具合は悪くないのよ。気分は寧ろ、良いくらいだし」
「本当に?」
疑り深いルッツに、手振りで元気な事をアピールする。どうにか納得してもらえたのか、彼は「良かった」と安堵の息を零した。
長い前髪の奥、透明度の高い宝石のような青い瞳が優しく細められる。
少女のようだった美貌は、年を重ねて青年のものへと変化した。相変わらず、『絶世の』という枕詞は健在だろうが、今の彼を見て性別を間違える人は少ないだろう。
身長が伸びた事で仕立て直したローブの胸元には、魔法石を使ったブローチが輝く。つい先日、魔導師長補佐、という役職を与えられたのだと聞いた。
テオやミハイルは感心していたけれど、当の本人が不満そうという、何とも不思議な反応だった。
「ルッツも元気そうで良かった。イリーネ様はお元気?」
「元気も元気。オレより体力あるし、魔力も一切衰えてない。師匠はたぶん、不老の薬飲んでると思う」
私が座るソファーの向かいに腰掛けたルッツは、悪びれずに言う。
「怒られるわよ」
「平気。今は来客の対応をしているから」
「あら、残念だわ」
アポを取ってから来るべきだったなと、心の中で反省した。
「師匠も会いたがると思うから、また改めて来て」
「そのつもりよ。用事も今日だけでは終わらないと思うし」
「ああ、薬草の件だっけ?」
希少な薬草を育てるにあたり、文献を取り寄せた。
しかし方言的なものが混ざっているのか、古いのか。それとも両方か。言い回しが独特で理解出来ない部分がある。
イリーネ様は古代魔法の研究をしている為、語学の造詣が深い。
テオも魔法の研究に携わっていたけれど、イリーネ様やルッツには敵わないから、そちらを頼った方がいいと助言を受けた。
本を渡すと、ルッツは途端に凛々しい顔付きになった。
真剣な顔でページを捲った彼は、暫くして顔を上げる。
「師匠を頼った方がいいね。オレも読めるけれど、テオと同じく自信がない」
「じゃあ、改めて依頼をする為に来るわ」
「伝言するよ。このまま預かって、オレが渡すし」
「駄目」
親しき中にも礼儀あり。
そこはハッキリさせておきたい。仲がいいからって知識を無償で提供させる気もないし、必要な手間を省きたくもない。
「師匠、この手の文献大好きだから、喜んでやると思うけどなぁ」
「駄目よ」
ルッツの手から本を取り戻すと、彼は目を丸くしてから嬉しげに顔を綻ばせる。
「じゃあ、待ってるね」
また来る時の話をしているのだろう。
くしゃりと笑う顔は昔のままで、ちょっと安心した。




