或る王女の笑顔。
※ラプター王国第一王女 ユリア・フォン・メルクル視点となります。
私が笑うと、ローゼマリー様も笑う。
表情を緩める彼女が、心から安堵している事が分かる。ここまで他人の為に心を砕く人がいるのかと、不思議な心地になった。
私とは何から何まで違う人。
その感想は数分前と同じなのに、もう心は痛まなかった。
「そういえば、ユリア様はどれくらい滞在されるご予定ですか?」
「あと一日、二日でしょうか。もう少しプレリエ領を見て回ってから、王都に向けて出発しようかと」
日程を考えながら答えると、ローゼマリー様の目がキラリと光る。
「目的地とか、決めていたりします?」
「いいえ。まだ特には……」
頭を振る。
大成したローゼマリー様への嫉妬から、街の粗探しをしてやろうという小姑みたいな気持ちは既に消え失せた。
残った時間は、純粋に楽しむ事に費やしたい。
良い場所はあるかと訊ねると、ローゼマリー様は悪戯を企む子供みたいな顔で笑った。
「では、私にお時間をいただけますか?」
「……え?」
そんな会話をした翌日。
私とローゼマリー様はお忍びで街に繰り出す事となった。
「晴れて良かったですね」
赤毛に染めた髪を高い位置で結っているローゼマリー様は、白のブラウス、暗い赤のスカートに同系色のブーツと、一般的な庶民の服装だ。
髪型のせいか、服装のせいか、昨日より幼く見える。
着飾った姿は美貌の女公爵といった風情だったが、今日の彼女は活発な美少女だ。にこにこと機嫌良く笑う姿は太陽よりも眩くて、通り過ぎる人の目を悉く惹きつけていた。
私も一応、髪は栗色に変えているものの、ローゼマリー様ほどの変化はない。
彼女の旦那様はさぞ苦労されているのだろうなと、元近衛騎士団長である美丈夫の顔を思い浮かべた。
「さて、まずは何処へ行きましょうか」
キラキラと目を輝かせて周囲を見回すローゼマリー様に、私は唖然とする。
勝手な想像で、目的地は既に決まっていると思っていたからだ。
「道沿いの気になるお店、端からひやかして行きます?」
「えっ」
「あ。あれ、ユリさんに似合いそうですね」
ローゼマリー様は店の一角を指差し、近付いていく。
髪飾りを手に取った彼女は私を振り返り、笑顔で手招いた。
戸惑いながらも傍に寄ると、髪飾りを手渡される。
布細工で出来た白い花が目を引く、可愛らしい品だ。職人の腕が良いのか、細部までしっかり作り込まれた良品だと感じる。材料である布自体の質も良い。
しかし値段は想像の半分以下で、驚いた。
「嘘でしょう? ネーベルの……、いえ、プレリエの経済は一体どうなって……」
「これ、お願いします。包んでくださいね」
ぶつぶつと独り言を呟く私の手から髪飾りを取り上げ、ローゼマリー様はさっさと会計を済ませてしまった。
「次行きますよー」
「待って。あのお店は、ちゃんと儲けは出ているの?」
「大丈夫。服飾店と提携していて、端切れが安く手に入るらしいです」
「それは興味深いわ。ぜひお話を……」
「それはまた次の機会にしましょうね。今日は遊びに来ているんですから」
背中を軽く押されて、言葉に詰まる。
昨夜の雑談中、ヨハン様と共に街歩きをしたという話をした。
訊ねられ、何処で何をしたのかを大まかに話していると、だんだんとローゼマリー様の表情が曇り、ついには黙ってしまった。
複雑な表情の彼女曰く、『それは街歩きではなく視察です』との事。
そういえば、値段や品質にばかり気を取られていて、欲しいかどうかは考えていなかったと思い至った。
その後もローゼマリー様は、あちらの店、こちらの店と目についたままに入って行く。
人の頭くらいの大きさのガラス玉や、木彫りの熊の人形など、用途がまるで分からないものばかり見せてくるので、金額の事などどうでもよくなってきた。
「ちょっと小腹空きましたね。甘いものってお好きですか?」
「嫌いではないわ」
「じゃあ、広場へ行きましょうか。出店がいっぱいあるので」
「ええ」
広場は相変わらず、人で賑わっていた。昨日より屋台の数が増えているので、曜日によって出店数が変わるのかもしれない。
宝石みたいに色とりどりの飴玉、こんがり美味しそうな焼き菓子、香ばしい匂いの揚げ菓子に、瑞々しい果物のジュース。
目に映る全てが新鮮で、つい目移りしてしまう。
するとローゼマリー様は、私が気になっていた物を、端から全て買ってしまった。
「大量だけど、どうするの?」
「もちろん、食べます!」
細腕に荷物を抱えて朗らかに笑うローゼマリー様に、呆気に取られた。
「ぜ、全部?」
「全部」
自信満々に頷く彼女の細腰を、思わず二度見した。
「何処で食べましょうか」
ぐるりと周囲を見渡すと、噴水の付近は一際混み合っている。
音楽が聞こえるので、吟遊詩人か大道芸人が来ているのだろう。そちらに気を取られていると、ローゼマリー様が軽く肩を叩いた。
「こっちへ」
示された方へと歩こうとするが、周囲に人が増えていて上手く進めない。
人混みに流されそうになって焦る私に、ローゼマリー様は手を差し伸べた。
一瞬、動きを止める。
意図が分からないのではない。ただ、社交以外で人と触れ合う機会なんて滅多にないから、戸惑ってしまった。
躊躇った私の手を、ローゼマリー様が繋ぐ。
柔らかな感触と温かさに、胸が騒いだ。
人混みを抜けた先、噴水を挟んで反対側のベンチまで辿り着くと、ローゼマリー様は荷物を下ろした。
重かっただろうに疲れた素振りも見せない彼女は、とても楽しそうだ。
「どれから食べます?」
包みを広げると、良い香りが漂う。
改めて見ても、とんでもない量だ。
「全部食べたら、流石に太るわね」
「そういうのは全部、明日考えましょう」
呆れつつも、なんだか私も楽しくなってきた。
太陽の色をした飴玉を摘まんで、口の中に放り込む。歯が溶けてしまいそうな甘さが咥内に広がった。
甘いものは嫌いではないが、特に好きでもない。
砂糖の塊みたいなお菓子は、苦手ですらあった。
でも、不思議と今は悪くないと感じる。
隣で美味しそうに菓子を頬張る人の影響かもしれない。
「美味し……あっ!?」
笑顔で食べていたローゼマリー様の手から、欠片が転がり落ちる。
どうやら、鳥にちょっかいをかけられたらしい。彼女が取り落とした菓子を美味しそうに啄んでいるのは、丸々とした鳩だ。
トウモロコシの種を炒って爆ぜさせたという菓子は、香ばしい良い匂いがしていたので、そのせいか。気が付けば足元には、数十羽の鳩が溜まっていた。
「狙われている……」
「っ……」
菓子の袋をきゅっと握り締めて、蒼褪めたローゼマリー様が震える声で呟く。
その深刻な顔が面白すぎて、私は思わず吹き出しそうになった。どうにか押し殺そうとしても、笑いの衝動が治まらない。
当人は真剣だと分かっているから、尚更おかしかった。
ローゼマリー様と鳩の戦いが佳境へと差し掛かろうかという、その時。
広場に大きな音が響いた。
石造りの鐘塔の天辺から、鐘の音が鳴り響く。
昼の十二時の知らせと共に、鳩は一斉に飛び立った。
晴れ渡る青空と、舞い散る白い羽根。
噴水の水しぶきも太陽を弾いて、キラキラと輝く。
あまりにも美しい光景に胸を打たれた。
「……凄かったですね」
「……ええ、凄いわ」
感動を言葉にしようとすると、途端に稚拙になる。
感情に頭が支配されて、語彙が消え失せたかのようだ。あの一瞬を、脳が永遠に焼き付けようとしている。
「こんな光景、初めて見た」
金銀財宝も、白亜の城も比べ物にならない。
生まれて初めて、心が震えた。
「私も初めてですよ。あんなに大量の鳩に囲まれたのは」
「……鳩?」
数秒遅れて、言葉が頭に届く。
繰り返すと、ローゼマリー様は至極真面目な顔で頷いた。
「ええ、鳩」
その表情に、さっきの修羅場が蘇った。
鳩に囲まれて蒼褪めていたローゼマリー様の姿を克明に思い起こしてしまい、笑いの衝動まで戻ってくる。
「っ、ふ、あははっ!」
一旦は飲み込んだけれど、もう駄目だ。
弾けるように笑いだした私に、ローゼマリー様は呆気に取られた様子だった。
だんだんと恥ずかしくなってきたのか、頬が薄っすらと色付いている。
「そこまで笑わなくても……」
「だって、そんな真剣な顔で……ふふ、」
拗ねたような表情になっているけれど、たぶん優しい彼女は謝罪一つで許してくれるんだろう。
「はぁー……、楽しい」
笑い過ぎて滲んだ涙を拭いながら、ぽつりと呟く。
振り仰いだ空のように、心が晴々としていた。




