第三王子の失恋。
※オステン王国第三王子、ハクト殿下視点になります。
水平線の向こうに、陸地が見え始めた。
甲板から景色を眺めていた皆は、安堵の表情を浮かべる。
「ようやく、帰ってきましたね」
「そうだな」
故郷へ戻ってきた喜びよりも、寂しさが上回った。
長い旅が、今日で終わる。
オステン王国、第三王子として生まれたオレは、何不自由なく暮らしてきた。
王族という立場であっても家族仲は良く、また臣下や民は温厚な人間が多い。とても恵まれた立場だという事は理解している。
けれど、どうしても外の世界への憧れは捨てられなかった。
勉強や鍛錬の傍ら、語学や大陸の文化を率先して学んだ。
将来、他国との交易が盛んになった時、父や兄の力になれると言い訳をしながらも、好奇心が最大の原動力であった事は否めない。
そうして義務の範疇を大きく逸脱したオレの知識は、思わぬ形で実を結んだ。
大陸の中央に位置する大国、ネーベルで医学界に革命を起こす画期的な取り組みが為されているらしい。
その医療施設の視察団の一員として、同行する事が許された。
長い旅は、決して楽しいばかりではない。特に船での移動は過酷を極め、嵐に見舞われて高波を被った時は、死を覚悟もした。
けれど、後悔はない。
小さな島国で生まれ育ち、外の世界を殆ど知らずに生きたオレにとって、目に映る全てが新鮮な喜びを与えてくれた。
途中に立ち寄った小さな島や大陸のグルント王国にも、それぞれ違った魅力があった。けれど、やはりネーベル王国は別格だった。
交易の要所である大きな街だけでなく、辺境の小さな村でさえ豊かな暮らしをしている。道は綺麗に整備され、馬車での移動もネーベルに入ってから、かなり楽になった。大国の名は伊達ではない。
街道だけでなく建物や設備、全てが興味深い。我が国よりも進んだ技術は是非、参考にしたいものだ。
けれど一つ、かの国の文化で……否、大陸の文化で受け入れ難いものがある。
食事だ。
不味いのではない。
食べ慣れない味ではあるものの、ネーベル王国の料理は美味い。ただ、毎日食べたい味ではないのだ。
オステン王国の料理は、米や野菜、魚を中心としたもので、且つ、素材本来の風味を大事にする薄い味付け。
毎日それを食べてきた我らからすると、大陸の食事は味が濃すぎた。
しかも船旅の最中、嵐で備蓄の米の半分を失っている。大陸に辿り着くまでは保たせられたものの、既に在庫はない。
自炊する事も出来ずに、食べ慣れない食事を続けていた結果、数人が体調を崩した。長旅でかなり体力を消耗していたので、精神的な負担が駄目押しとなったのだろう。
ようやく目的地であるプレリエ領に辿り着いたが、半数は寝込んでしまった。
領主であるプレリエ公爵閣下が歓迎の為に開いてくれる予定だった晩餐会を、欠席せざるを得ない。
正直、機嫌を損ねやしないかヒヤヒヤした。
いくらオレが王族の一員とはいえ、殆ど知られていない小さな島国の王子など、さしたる脅威にはならない。対するあちらは、大陸で最も影響力のある大国。しかも公爵閣下は元王族。
医療施設設立の要であり、他にも数々の華々しい功績を残す御方だ。
怒りを買い、視察の予定を白紙に戻されても、黙って受け入れるほかない。
戦々恐々としていたが、公爵閣下はオレが思うよりもずっと出来た方だった。
晩餐会の中止をあっさりと決めただけでなく、病人を気遣い、見舞いの品まで届けてくださった。
道中でとある人物から、気難しい方だと聞いていただけに驚きを隠せない。
もしや噂は誤りなのか。それとも、小国とはいえ王族であるオレの手前、取り繕っているだけなのか。まだ情報が少なすぎて、判断が付かない。
もし問題のある人物だったら、病院の関係者もさぞ苦労をしている事だろう。
一個人として何か出来なくとも、王族として力になれるかもしれない。失礼な話だと分かっているが、オレはプレリエ公爵閣下に関する情報を集める事にした。
米を探す傍ら街で聞き込みをする。しかし公爵閣下を悪く言う人間は一人もいない。
老若男女問わず、身分も問わず、誰も彼もが良い話しかしないので、逆に疑わしくなってきた。
判子を押したように皆、『優しく美しい方だ』と言う。そんな事があり得るのだろうか。
人の美醜には好みがあるように、万人に好かれる人間などいない。
もしや、悪口一つ許されない程の暴君なのかと勘繰りたくなる。
高潔な英雄として名が知れ渡る元近衛騎士団長、レオンハルト・フォン・オルセインの伴侶が悪人であってほしくないと願いながらも、疑いは捨てきれなかった。
プレリエ公爵閣下は、どんな方なのだろう。
恐怖で人々を押さえ付けているのではないとしたら、どれ程の美貌、どれ程の能力があれば、あんなにも大勢の人間に支持されるのだろうか。
幼い頃に読んだ、異国の絵本が脳裏に浮かぶ。
我が国の絵とは全く違う、繊細な筆使いと色彩に夢中になり、擦り切れる程に読んだ。その本の表紙に描かれた、触れたら消えてしまいそうな姫君の姿を思い出して、自分の浅はかさに苦笑した。
御伽噺と現実を混同する程、幼くはない。
そう自嘲したオレの目の前に、正に思い描いた通りの……否、それ以上に美しい女性が現れた。
柔らかに波打つ白金色の髪と、澄んだ青い瞳。肌は抜けるように白く、形の良い唇は咲き初めの花のような薄紅色。
はっきりとした目鼻立ちなのに、キツい印象はまるで受けない。上品で穏やかな人柄を表すような、優しい顔立ちをしている。
国や地域で美醜の定義は変わるけれど、おそらく百人中九十九人は、この方を『美人』と評するだろう。
事実、我が国の美人の定義からは外れているにも拘らず、オレは見惚れた。
ただこの時点ではまだ、感心していただけだった。美しいものへの感嘆、素晴らしい美術品を眺める感覚に近い。
けれどオレの不躾な視線に美女が戸惑い、稚い少女のように小首を傾げた瞬間、オレは恋に落ちた。
美しいと感じている段階では踏み止まれたのに、可愛らしいと思ってしまったら駄目だった。手が届かない事に変わりはないのに、生身の人間だと実感してしまったらもう止められない。
オレは本当に愚か者だ。
米の入手という本来の目的を思い出せと自分を叱咤しても、気を抜けば、美しい方の姿を目で追ってしまう。
彼女の身元どころか名前すら知らないが、店主が『お忍びで来店した』と言うのだから、高位貴族である事は間違いない。
駄目押しのように本人から、既婚であるとアッサリ告げられ、この恋に未来は無い事が決定した。
それなのに諦めようと思えば思う程、重症化するのが恋の厄介なところだ。
彼女が振舞ってくれた料理は、馴染みのない調理法にも拘わらず、何処か懐かしい味がした。
異国料理に辟易としていた仲間達は久しぶりの米と美味い料理に歓喜し、涙を流していた者もいる。
美人で気立てが良く、料理上手。
身勝手にも幻滅したいと思っていたのに、良いところばかりを知ってしまい、日に日に思いは募るばかり。もう手の施しようがない。
いったいオレは、こんな遠方の国まで何をしに来たのか。
どうにか本来の責務を思い出し、視察当日となった。
研究施設や学び舎はまだ運営前だった為に視察は叶わなかったが、医療施設だけでも十分に有意義だった。
医者と薬師が連携して治療に当たると事前に聞いてはいたが、実際に見るとその有用性に驚かされる。情報を共有するだけで格段に、治療の精度は上がった。ここに研究や育成が加われば、どうなるのか。
ネーベルの医療水準は、数年以内に格段に進歩する。素人のオレでさえ、その未来は予測出来た。
こんな構想を思い付く公爵閣下は、非凡と言わざるを得ない。賞賛に値する。
不安のあった人柄についても、やはり噂が誤りであったと確信した。
病院で働く薬師らに、公爵閣下に関する悪い噂について話した時、彼らは怒るでも怯えるでもなく、ポカンと呆れていた。
あり得ないと、その反応が物語っている。
絶対的な信頼が、そこにはあった。
つまり、『万人に好かれる優しく美しい方』という領民の証言こそ正しいものという事になった。
病院関係者の話もその説を後押ししている。
義憤や正義感抜きで、初めて純粋に、公爵閣下とお会いしてみたいと思った。
憂いが晴れ、有意義な視察を終え、オレはとても満ち足りた気分だった。
おまけに憧れであった剣の達人、レオンハルト殿との手合わせが叶い、最高の旅の締めくくりになる。
そんな風に浮かれていたオレをどん底へと突き落としたのは、件の公爵閣下との邂逅。
初めて恋した相手こそ、かの方だった。
確かに彼女は美しい。堅物と呼ばれたオレを、一目で恋に落とした方だ。
確かに彼女は優しい。面識のないオレや仲間達を気遣い、損得抜きで米を譲ってくれた方だ。その上、手料理まで振舞ってくれた。
人柄、容姿に加え、画期的な医療施設を発案し、実現する能力の高さを持つ。
そんな彼女が万人に愛されていると聞いたら、もう「だろうな」しか感想がない。英雄の愛を一身に受けているのも頷ける。
彼女の正体を知るだけで、全ての疑問の答えが出た。御伽噺よりも出来過ぎた現実。納得できない、否、したくないと反抗しているのは、取り残されたオレの恋心だけ。
「道中は母国に帰りたいとばかり思っていましたが、いざ旅が終わるとなると寂しいものですね」
ぼんやりと景色を眺めながら物思いに耽っていると、仲間の一人が話しかけてきた。
「そうだな」
「辛い思い出も多いですが、楽しい事も沢山ありました。特にネーベルは素晴らしい。叶うならまた訪ねてみたいです。今度は視察ではなく、ゆっくり観光をしてみたい」
「私は留学したいです。プレリエ領の学び舎で、一から医学を学びたい」
「オレは研究施設が気になっている。病院で働いていた薬師の方々の能力の高さを考えると、生半可な努力では採用されるのは難しいだろうが、試すだけの価値がある」
目を輝かせて仲間達は夢を語る。皆、プレリエ領で過ごした短い時間が忘れられないらしい。それ位、鮮烈で充実した日々だった。
「ネーベル王国も医療施設も素晴らしいですが、何と言っても一番の衝撃だったのは、公爵閣下、ご本人です」
「ネーベル王国の第一王女殿下の美貌は噂に聞いていましたが、まさかあれ程の方とは」
仲間達は口々に、プレリエ公爵閣下を褒め称える。
壮年と呼べる年頃の男達が頬を染め、まるで贔屓の舞台役者を間近で見たかのように高揚する様は正直、滑稽。けれど同時に、羨ましくもあった。
オレも、そうであったら良かった。
旅先で美しい方と会ったんだと、土産話に出来る程度の想いでありたかった。
生傷だらけの初恋は、未だジクジクと痛みを訴えている。
いつか、綺麗な思い出として昇華できる日が来るのだろうか。
故郷とは反対方向、大陸がある方向を見やる。もう陸地などとっくに見えなくなった水平線を見つめ、そっと溜息を零した。




