或る薬師の悩み。(2)
※前回に続き、ヴォルフ視点です。
雑談に興じる程、仲良くなったのかと微笑ましい気持ちで通り過ぎようとした。
けれど聞こえてきた、ロルフのやや硬い声に足を止める。
「どのような意図で、それを訊ねられているのですか?」
オレとリリーは顔を見合わせた。
勤務中のロルフは基本、とても真面目だ。それにオレ達やマリーには砕けた態度でも、他所の人間には丁寧に接する。相手が客人であれば、尚更。
リリーとオレは視線で互いの意図を読み取って、物陰に隠れた。
気配を消して、そっと様子を窺う。
立ち聞きは誉められた行為ではないが、普段と様子の違うロルフが気にかかった。
それと、いくら温厚な国民が多いとはいえ、王子殿下に無礼な態度を取れば、罰せられてもおかしくない。
いざという時にはロルフの上司として、立ち会わなくては。
「不躾な質問をして、申し訳ない」
幸いにも、王子殿下は気分を害した様子はない。
寧ろ、声音には申し訳なさが滲んでいる気がした。
「この国に来てから、色んな人に話を聞いた。その過程で、私が持っていた先入観が誤りであると気付きつつあった」
先入観とは、何の事だろう。
オレは首を傾げるが、黙り込んだロルフが聞き返す素振りはない。
「私が間違っていたと判断する為の質問だったが、貴方がたの気持ちを一切配慮していなかった。すまない」
王子殿下の素直な謝罪に驚く。
やんごとなき生まれの方が、あっさりと自分の非を認められるとは。
昔の俺には、王侯貴族という存在は、傲慢で横暴で己の利益しか考えていない人間ばかりに見えていた。
実際、高位の人間の多くに当てはまる。しかし、マリーに会って、例外もいるのだと知った。
どころか、類は友を呼ぶのか、マリーの周囲にいる王侯貴族は彼女のような例外ばかり。オレの知らないうちに世の中は綺麗に洗浄されたのかと、悩んだくらいだ。
病院の視察に来た他国の貴族の横暴さを見て、『ああ、マリーの周りが特殊なんだな』と妙に納得してしまったが。
「尊敬する方を疑われて、さぞ不快だったろう」
違う方向に逸れていたオレの意識を、王子殿下の声が引き戻す。
こちらからは彼の顔は見えないが、表情も声と同じく真摯なものだろう。
難しい顔付きで黙り込んでいたロルフは、目を伏せ、短く息を吐き出した。
「……我らが主、プレリエ公爵は、貴方が耳にしたという噂からはかけ離れた方です。あの方ほど誠実な人を、私は他に知らない」
静かな声でロルフは、王子殿下に語り掛ける。
「クーア族は頑固者の集まり、故に、金にも脅しにも屈したりしない。私達を動かせるのは、己の意志とそれを尊重してくれた我らの主だけ」
伏せていた目を開け、ロルフは真っ直ぐに王子殿下を見た。
「私がここに居るのは、私自身がそうありたいと望んだからです。それ以外の理由なんて無い」
決然とした瞳で告げたロルフに、王子殿下は「そうか」と短く返す。表情こそ見えないものの、その声には羨望に似た響きがあった。
そして立ち聞きしてしまったオレとリリーは、顔を見合わせる。
リリーは目を丸くしているが、おそらくオレも似たような顔をしているはず。
ロルフがマリーを認めているのは、仲間全員が知っている事だ。
しかし思春期特有の天邪鬼を発揮し、未だにマリーにだけ素直になれない彼が、ここまで言うとは思わなかった。
微笑ましさと共に、身内の告白を覗き見してしまったような気まずさがある。
こっそり立ち去った方が、どちらにとっても傷が浅くて済むか。
「あくまで、私個人の意見です」
ところが、ロルフのこの言葉に黙っていられなかったのはリリーだ。
私だって! と悔しそうに歯噛みしている。そこは張り合うところではないと思うが、リリーはマリーの事に関してのみ冷静さを欠くからな。
「他の者の気持ちを代弁する事は出来ませんので、そちらにも聞いてみたら如何でしょう?」
飛び出して行きそうなリリーを宥めていると、ロルフの視線がこちらを向く。
どうやら、立ち聞きしていたのはバレていたようだ。
逃げるのは諦めて、意気揚々と近付いていくリリーの後ろに続いた。
「私も自分の意志で、ここにおります。主人であるプレリエ公爵様の役に立つ事が、私の生き甲斐であり喜びなんです」
突然、話に加わってきたオレ達に対しても、王子殿下は寛容だった。
主人であるマリーが如何に素晴らしい人物か、熱弁を振るうリリーに呆れず、耳を傾けてくれる辺り、人格者だと思う。
そのうち、通りかかった病院関係者が話に加わり、皆で代わる代わる、プレリエ公爵に関する良い話を披露していく。
どいつもこいつも我が事のように自慢げだ。
人の良い王子様と真面目な側近らが嫌な顔一つしないものだから、止める人間がいやしない。
……呆れながらも混ざっているオレに、ぼやく権利はないか。
マリー本人がこの場にいたら、真っ赤な顔で「止めて」と懇願しただろうな。
約三十分後。
かなり盛り上がっていたのをどうにか解散させた。各々が仕事に戻るのを見送ってから、気になっていた事を切り出す。
「殿下が耳にした噂とは、どのようなものですか?」
ロルフとの会話で薄々察せたが、良い噂ではないのだろう。
さっきロルフを怒らせた事もあってか、王子殿下は迷う素振りを見せた。
しかしオレとリリーが黙って言葉を待つと、引く気がないと理解したのか、話してくださった。
曰く、プレリエ公爵は権力を盾にして下々の者を虐げる横暴な人間だと。
少しでも意に沿わぬ言動を取れば、元王族の力を行使して罰を与えてくるのだとか。
怒るよりも先に、呆気に取られた。
いったいそれは、誰の話だ。
そこそこ長い付き合いになってきたが、マリーが私事で権力を行使しているのを、見た記憶がない。
彼女が王女である自らの立場を利用するのは、いつだって下々の者達の為だ。部下や仲間を守ろうとする時だけ、とても強くなる。
逆に自分の事は割となおざりで、嫌味や陰口の類は聞き流す。
もっと怒れと周囲がやきもきするくらいだ。
それに意に沿わぬ言動が、どの程度を指すのかは知らないけれど、それならオレ達クーア族はとっくに処刑されているはずだ。
なんならオレは今から、マリーに予算案に関して文句をつけに行くところだし、ロルフなんか百回は処刑されていてもおかしくない言葉を、つい先日もぶつけていた。
あまりにも主人の人物像からかけ離れている為か、苛立ちよりも戸惑いが勝る。
マリーに信仰めいた敬愛を捧げるリリーですら、怒れずにいた。
「……人違いでは?」
困惑しきった顔でリリーが呟く。
その場にいたクーア族全員が同じような顔をしているので、王子殿下は端整な顔に苦笑いを浮かべる。
「私もそんな気がしてきた。この国に入ってから、プレリエ公爵を悪く言う人間に会った事がない。老若男女問わず、身分も関係なく、皆がかの方を尊敬しているのが、余所者の私にも分かった」
王子殿下の言葉に、リリーがご満悦な様子で頷く。
そうでしょう、そうでしょうと言いたげな顔が、更に王子殿下の苦笑を深めた。
しかし微笑ましそうな表情だった王子殿下は、ふと真剣な顔付きになる。
「……いや、この国に限った事ではないな。道中の船乗りや旅人も好意的な意見が多かった。悪し様に言ったのは、その噂を私に教えた人物だけだ」
つまり、そいつが故意に悪意ある噂を流していた可能性がある、と。
「……名前をお聞きしても?」
オレが問うと、王子殿下は「内密に」と前置きした後に教えてくれた。
そしてその名が、以前この病院を視察目的で訪れ、尊大に振る舞い、滅多に怒らないマリーを激怒させた横暴貴族のものだと気付いたオレは、漸く色んなものが腑に落ちた。
そういえば、領地没収された阿呆貴族はグルント王国の貴族。
東方にある島国オステンから渡ってきた王子殿下一行は、陸路でネーベルを目指す際に、グルントを経由してきた。
そしてその途中で歓待した領主が、アレだったのだろう。
領地没収程度で済んだのは、マリーの温情あっての事。
現在は王籍を抜けたとはいえ、マリーは公爵家当主。しかも各国から注目されている医療施設計画の要だ。
そんな人物に無礼を働き、その程度で許された幸運を噛み締めて細々と生きればいいものを、逆恨みして貶めるとは。
マリーが許しても、周りの人間が許す筈がない。
「馬鹿につける薬がないって本当ね」
呆れ混じりに吐き出したオレの言葉に、リリーとロルフが深く頷いた。




