総帥閣下の反省。
※元近衛騎士団長、現旦那様のレオンハルト視点となります。
真新しいシーツの上に、細い体を下ろす。
なるべく衝撃が少ないよう注意を払ったとはいえ、ある程度の揺れを感じても目覚める気配はない。
静かな寝息は乱れる事無く、瞼は閉じたまま。
くったりと四肢を投げ出して深い眠りに落ちている妻を見ると、心底、申し訳なくなってくる。
布団を掛けて、肩口まで引き上げる。
ベッドの端に腰掛けて、寝顔をじっと見つめた。頬が薄く色づいているのに気付き、額に手を当てて確認する。
発熱はしていない事に、ほっと安堵の息を吐く。
肌にほんのり残る熱は、風呂場で清めた時の名残りだろう。
「……ごめん、ローゼ」
柔らかな頬を手の甲で、すりと撫でる。
零れ落ちた謝罪は、ただの自己満足でしかない。
謝るくらいなら、日付を跨ぐ前に離すべきだった。
いや、それ以前の話だ。明日に差し支えないよう、ただ抱き締めて、ゆっくりと眠らせてあげるのが正解。
頭では分かっていても、どうしても触れたくなる夜がある。
他の誰も踏み込めない距離まで許されているのだと、確かめたくなってしまう。
ローゼの愛情を、疑っている訳ではない。
真っ直ぐな彼女は言葉を惜しまず、全力で愛を伝えてくれる。それなのに嫉妬してしまうのは、オレの心が狭いだけだ。
誰からも愛されるローゼを誇らしく思う気持ちは嘘ではないのに、同時に、この方の愛らしい笑顔を知るのがオレだけならいいのにと考えるのもまた事実。
「狭量な夫で、ごめん」
身を屈め、こつんと額を合わせた。
「……どうか、愛想を尽かさないでくれ」
祈るように、独り言を呟く。
するとローゼの体が、ピクリと身じろいだ。
固く閉じていた瞼がゆっくりと開く。半分くらい目を開けたローゼは、まだ夢の中にいるのか、ぼんやりとしている。
「……レオン、さま?」
とろんと蕩けた声で呼ばれた。
眠気に勝てず、閉じかけた瞼がまた、半分だけ開く。昔の呼び方に戻っているのは、たぶん寝ぼけているんだろう。
「まだ夜明けは先です。ゆっくり眠って」
掌で頬を包み込み、額に口付けを落とす。
するとローゼは、ふにゃりと緩んだ顔で笑った。
全てを明け渡してくれているような無防備な笑顔に、胸が締め付けられる。愛おし過ぎて、頭がおかしくなりそうだ。
ローゼはいつも、そうだ。
意図せずにオレを救う。自然体でオレを受け入れ、心の底に溜まった澱を吐き出させてくれる。
「……ローゼ」
瞼が自然に下り、また安らかな寝息が聞こえ始めた。
安心しきった寝顔を眺めるオレは今、きっと相当にだらしなく緩んだ顔をしている。
「情けないオレを、受け入れてくれてありがとう」
愛しているよと静かな声で告げて、花弁のような唇にそっと口付けた。
いつまでも寝顔を眺めていたい気持ちはあるが、明日の予定を考えて、眠っておくべきだと判断する。
名残惜しさを振り払い、布団に入ろうとして動きを止める。
ベッドの横に立てかけた剣を掴み、閉めたカーテン越しのバルコニーへと視線を向けた。
人の気配を感じ、息を殺す。
けれど窓の外の存在は忍ぶ様子もなく、あからさまに「いる」と主張する。駄目押しのように、コツンと窓が小さな音をたてた。
そういえば視察団の様子を見るよう頼んだと、妻から報告があったなと、ある人物の顔が脳裏に浮かんだ。
ベッドを下り、足音を消す事なく普通に窓辺へ近付く。
躊躇いなくカーテンを開けると、想像通り、そこにいたのはラーテだった。
暗闇の中に立つ彼は薄っぺらい顔で笑って、右手を上げる。
オレはローゼを起こさないよう、音を立てずにドアを開けた。するりと外に出て、即座に閉める。
立ちはだかるが如くドアに凭れると、ラーテの笑みが、何を考えているのか分からない不気味なものから、苦笑いに変わった。
相変わらず嫉妬深いと思っているのだろうが、事実なので特に気にならない。ローゼの寝姿を他の男に見せるなんて、絶対に嫌だ。
「報告は」
短く用件を問うと、ラーテは嘆息した。
「珍しく、お嬢さんに直接頼まれた案件なのに」
「残念だが、お前の直属の上司はオレとなっているからな」
ラーテが主人と認めて仕えているのはローゼだが、組織としては、軍部を統括しているオレの下となる。
それはもちろん、ローゼもラーテも納得しての事。
緊急性が無い限りローゼはオレを通すので、直接命令する機会は殆ど無い。
突っ撥ねると、ラーテは軽く肩を竦めた。
残念だと態度で示してくるが、本気ではない。夜に夫婦の寝室を訪れた時点で、対応するのは十割オレだと彼は理解している。
「じゃあ、報告ね」
そう切り出して、ラーテは詳細を語り始める。
オステン王国視察団の現状、病気の症状や経過、王子殿下の様子など。この短時間に必要な情報を拾ってくるのは、流石だと感心した。
「視察団に同行している医者の見立てでは、栄養不足と疲労。お嬢さんが持たせた果物で、少し落ち着いたみたい。昨日の昼に王子殿下が持ち帰った料理も、ちゃんと食べたようだし、数日休ませれば回復すると思うよ」
「そうか。なら滞在日数と視察予定日は、延ばした方がいいな」
病人が出たという時点で、ローゼもオレも延期は視野に入れている。
病院の方にも一報は入れてあるので、臨機応変に対応するのは可能だろう。
「それから王子なんだけど」
無言で目を眇めると、ラーテは面白がるような顔付きになった。
「お嬢さんの料理、かなりお気に召したみたい。赤い顔で呆けたり、蒼褪めながら悩んだりと忙しい様子だったけど、拗らせてないといいね。まぁ、一目惚れした相手が理想の料理を作るんだから、運命感じても仕方ないと思うけど」
「ラーテ」
低い声で呼ぶとラーテは、「怖い、怖い」と呟く。
「若いオスっていうか、仔犬でしょ、アレ。お嬢さんは異性として意識すらしてないし。アンタが焦る意味がまるで分からない」
「揺らぐかもなんて、欠片も疑ってない」
ローゼは余所見などしないと、自惚れるだけの理由は沢山貰った。
それでももやっとするのは、もっとガキ臭い感情。
「へぇ。なら、何で?」
「……単に、面白くないだけだ」
それこそ不貞腐れたガキのような顔で吐き捨てると、ラーテは目を丸くする。次いで、耐え兼ねたかのように、喉を鳴らして笑った。
「妻を信用しているかどうかと、余計な虫がつくのを面白くないと感じるのは、別の話だと思っている」
開き直って言い切ると、「確かに矛盾してはいないな」と返ってくる。
「ま、オレはお嬢さんが幸せなら、別に何だっていいんだけどね」
ようやく笑いを治めたラーテは、軽く言ってのけた。
それから何かを思いだしたように、表情を変える。
「ああ、そうだ。もう一点、耳に入れておきたい」
「何だ?」
「王子は、プレリエ公爵について気になっているみたい」
その言葉に、オレは眉を顰めた。
「……ローゼが公爵だと、薄々気付いている?」
「っていう訳でも無さそうなんだよね。ただの情報収集って感じだけど、宿の人間や食堂の客にさり気なく、評判を聞いて回ってる」
一目惚れした相手を探しているのでは無い。
となると、会食を断った事で交易に支障が出ないかと、心配しているのか?
ローゼの噂を少し聞いていれば、そんな不安など持ちそうにもないが。
腑に落ちないながらも、情報が少ないので結論は出せない。もう暫く、様子を見てくれと伝えると、ラーテは頷いてから暗闇に消えていった。




