転生公爵の反省。
不安だ。
棒立ちする青年を眺めながら、私はそう胸中で呟いた。
精悍な顔立ちの異国の青年……おそらくは、オステン王国第三王子、ハクト殿下とお見受けする。ユリウス様との会話を聞いていた限り、真面目でしっかりした方だという印象を受けた。
ところが、さっきから様子がおかしい。
体調を崩した方でも食べやすいよう、料理にひと手間加える説明をしていた時も、ソワソワと落ち着きがない感じではあった。でも説明は聞いていたようだし、特に問題は無かったのだが、何故か途中から反応が無くなった。
話をしている最中、唐突にフレーメン反応を起こした猫みたいな顔でハクト殿下は固まった。その後、じわじわと顔色が悪くなり、ついには俯いて喋らなくなってしまった。
具合が悪くなったのか、はたまた、私が何か気に障る事でも言ってしまったのか。
遠回しに聞いてみたが、彼はどちらも違うと否定した。泣きそうな顔で無理やり笑って、頭を振る姿は酷く痛々しい。
小さい子を虐めてしまったかのような罪悪感に、胸がきゅっとなった。実際には確か、私の一、二歳下くらいだったと思うけれど。あと身長は私より大分大きいけども。
当たり障りのない世間話をしていたつもりで、もしや、とんでもない事を言ってしまったのだろうか。
土地によって文化は変わる。京都のぶぶ漬けみたいに、オステン国では『お茶漬けを出す』イコール『帰れ』という意味だったらどうしよう。
ふらふらと足元が覚束ない様子を見ていると、不安になってくる。
彼の仲間である視察団の方々の病状も心配だし……。
ユリウス様に付き添われて店の方へ行くハクト殿下を見送ってから、私は裏口に向かった。
扉を開けると、高い建物と建物に挟まれた路地裏へと繋がっている。細長く切り取られた空は晴れ渡っているが、時間の関係で陽が差し込まず、少し薄暗い。
「いる?」
主語もなく、短い言葉で問いかける。
人の気配が一切なかった路地の暗がりから、するりと長身の影が現れた。
「やぁ、お嬢さん。今日も綺麗だね」
端整な顔立ちの青年は、人当たりのよい笑みを浮かべて片手を上げる。
いつ見ても、見事なものだ。
今まで誰もいなかった筈の場所に、当たり前の顔をして立っているラーテを見て感心した。
気配を消すのが上手なのはもちろんだが、彼の凄いところはそれだけではない。かなりの美形なのに何故か目立たず、自然と景色に馴染む。
人混みでも、賑やかな酒場でも、貴族御用達の店でも、まるでずっとその土地で暮らしていたかのように、周囲に溶け込む。
今も、正体を知らなければ、近隣の店の従業員かと思ってしまうくらいだ。
凄腕の暗殺者だった過去は、伊達ではない。
「頼みたい事があるんだけど、いいかしら?」
「ああ、あの黒い仔犬の事かな?」
用件を切り出すと、ラーテは軽い口調でそう言った。
黒い仔犬って、もしかしなくともハクト殿下の事だよね。
名前は白いウサギだけど、素直で生真面目なところは確かに犬っぽいと言えなくもない、なんて王族相手に失礼過ぎる事を考えてしまった。
「お仲間も含めて、少し様子を見ておこうか?」
「お願い。ちょっと心配だし」
「了解」
薄い唇が、にんまりと弧を描く。
面倒ごとを頼んでいるにも拘らず、やけに機嫌が良い様子のラーテが不思議だった。
疑問が顔に出ていたのか、彼は「お嬢さんのお願いは貴重だから」と片目を瞑った。
貴重どころか、いつも仕事を大量に押し付けてしまって申し訳ないくらいなんだけど。命令とお願いではモチベーションが違うって事?
どう捉えていいか分からず、困惑してしまう。
困り顔の私を見て、ラーテは目を眇める。意地悪そうな顔付きで見つめられ、ついビクリと肩が跳ねた。
彼は可愛らしく小首を傾げてみせたが、私の警戒心は解けるどころか跳ね上がった。
「その顔でもう一回、『お願い』って言ってくれる?」
どういう要望なんだ、それ。
意味は分からない。分からないけど。
「なんかイヤ」
半目で軽く睨んで言う。
するとラーテは「残念」と、全く思ってなさそうな顔で肩を竦めた。
少々不安が過る遣り取りではあるけれど、ラーテに任せておけば大丈夫だろう。
「……お帰りなさいませ」
帰宅した私を待ち構えていたのは、忠犬ハチ公……ではなく、しょんぼりと萎れたクラウスだった。
仕事中だからと気を利かせたつもりだったが、別の護衛を連れて外出したのがショックだったらしい。あと、おむすびと唐揚げ等は瞬殺されて、クラウスの口には入らなかったそうだ。
あんなに山盛りにしてきたのに、まさかそんな事になるとは。騎士の食欲舐めてた。
お米は食べ慣れてないから余ると思ったんだけど、割と好評だった。そして唐揚げは大好評だった。「また作ってください」と忖度無しの笑顔で言われたら、私も悪い気はしない。
どうせユリウス様に改めて、差し入れを持っていくつもりだ。今度はちゃんとクラウスが食べ損ねないよう、更に山盛りで作ろう。
「おかえりなさい」
自室で一息ついてから執務室に向かうと、レオンハルト様が出迎えてくれた。
自然に抱き寄せてくれた腕に逆らわず、抱擁を交わしながら頬に口付ける。「ただいま」と返すと、口の横辺りに唇が落とされた。
会釈して隣を通り抜けていったのは、さっきまで私を護衛してくれていた方だ。
たぶん今日の報告に来ていたんだろう。
「お弁当は大丈夫でした?」
恐る恐る聞くと、レオンハルト様は笑顔で「残さず全て、美味しく頂きました」と言ってくれた。
「卵料理も鶏肉の揚げ物もオレ好みの味でしたよ。冷めても凄く美味くて、驚きました。米も初めての食感でしたが、美味しかったです。噛むと仄かな甘みがあって、中に入っていた焼き魚と良く合う」
「! ……良かった」
お世辞だったら、ここまで具体的な感想は出ないだろう。
自分の料理……しかも好物を好きな人にも美味しいと思ってもらえて、凄く嬉しい。
ほっと安堵の息を吐いてから、逞しい胸に顔を埋める。
すり、と懐くみたいに擦り寄ると、大きな手が頭を撫でてくれた。
「……貴方は本当に、可愛らしい」
「え」
「美しい貴方に、傾倒する男が後を絶たないのは当然の事。ですが」
愛しむような声が、耳に直接注ぎ込まれた。
私の髪を梳いて、絡めていた指先が、耳の後ろを通って顎へと滑る。
添える程度の力で、クイと上向かされた。
視線がかち合う。
濁りのない黒曜石の瞳は、じっと見つめていると吸い込まれてしまいそうだ。
愁いを帯びた表情は壮絶に色っぽくて、至近距離で覗き込まれているのかと思うと呼吸が止まる。
「愛らしい一面を見られるのは、オレだけでいい」
息を呑むのを失敗した私の喉が、きゅう、と仔犬みたいに鳴いた。
「そう思いませんか?」
危うい色気を引っ込めて、にっこりと笑う。
腰が抜けた私は、真っ赤な顔でレオンハルト様にしがみ付いた。
「……ひゃい」
情けない声で返事をする私を、レオンハルト様は抱え直す。
「おそらく貴方は分かっていない」
「え、いえ、分かっ……」
「分かってもらえないのは、オレの怠慢でもあります」
「え、十分……」
「いいえ」
腕の中に囲われたまま、私は慌てて否定する。
けれど言い訳は遮られて、聞いてもらえない。
普段はどちらかと言うと聞き役で、相槌を打ちながら楽しそうに話を聞いてくれるレオンハルト様がこうなるのは、私が何かやらかした時だ。
たぶん今回も私が、知らず知らずのうちに獅子の尻尾を踏んだのだと思う。
そして経験上、この後の流れも知っている。
「今夜、もう少しお話ししましょうね?」
「……ハイ」
明日の……否、今夜の我が身を憂いながらも、それ以外の返事など出来る筈もなく。
私は、小さくなって頷く事しか出来なかった。




