或る商人の困惑。(2)
※引き続き、ユリウス視点となります。
もう、どうにでもなれと放り投げてしまいたい気持ちもあるが、そうもいかない。
気を取り直した私は、一先ず、マリー様を先程までいた部屋にエスコートした。ハクト殿下とどのような話し合いになるにせよ、同席しない方がいい。
「あの、ユリウス様……?」
ソファに腰掛けたマリー様は、不安げな面持ちで私を見る。
おそらく、さっきの会話の流れについていけてなかった彼女は、自分が何かをしたのではと心配しているんだろう。
「先方と少しお話をしてきます。申し訳ございませんが、もう少々、こちらでお待ちいただけますか?」
「それは構いませんが、私、あちら様に何か失礼を……」
「いいえ。貴方様は何も」
実際に、マリー様は何もしていない。あちらが勝手に転がり落ちただけだ。
気にするマリー様を笑顔で宥め、それから気になっていた点を確認する。
ハクト殿下に、マリー様をプレリエ公爵として紹介しても構わないかを問うと、マリー様は暫し悩んでおられた。
招待をした側と断った側が鉢合わせるのは、かなり気まずい。しかも宴を断っておいて、食糧を求めているのだから尚更。
マリー様が理性的な方だからこそ、相手の事情を酌んで気遣っておられるが、気位が高い人間だったら侮辱だと取られかねない。
下手したら国家間の不和のきっかけにすらなり得る。
以上の理由から、ここで『公爵』と『オステン王国視察団』が会ったという事実は消しておいた方が無難だ。
今後、滞在中に公の場で会うとしても、それはそれ。お互いに飲み込んでしまえば、無かった事になる。
マリー様もそう考えたのだろう。
頭を振った彼女は、「ご挨拶は止めておきます」と告げた。
「もし私について訊ねられたら、お忍びとだけ」
『お忍び』は『それ以上、詮索はするな』と同義。
いくら押しの強い方でも、流石に引いてくれるはず。
「かしこまりました」
その他の情報共有を軽くしてから、店の方へと戻った。
ハクト殿下はこちらに背を向け、出入り口付近で佇んでいる。
頬を薄く染めて虚空をぼんやり眺める姿は、まるで恋する乙女のよう。
ぶり返してきた頭痛に、つい額を押さえた。
「……お待たせ致しました」
声を掛けると、ハクト殿下は軽く肩を揺らす。
店内の端にある応接用のソファへと案内し、些か落ち着きのない様子の彼と視線を合わせて、話を切り出した。
「まず商品ですが、先方様のご厚意で、こちらまで届けてくださるそうです。よろしければ、受け取り後に私の方で、ご指定の場所までお届け致しますが」
「い、いや。そこまで迷惑はかけられない。私が運ぶ」
おそらく、マリー様の事で頭がいっぱいだったのだろう。
本題を切り出すと一瞬、言葉に詰まった。
「何から何まで、申し訳ない。恩に着る」
神妙な顔付きに戻り、ハクト殿下は頭を下げる。
しかし凛々しい表情は、ほんの数秒でほろりと崩れた。
「……その、やはり、先ほどの美しい方が、オレを助けてくださったのだろうか……?」
恥ずかしげに俯き、小さな声で呟く。
節くれ立った指を何度か組み替えて、ちらりと窺うように廊下へと続く扉を見る。
初々しい少女のような仕草と表情、それに一人称まで変わるという分かり易さ。
王族なのに、ここまで色恋沙汰に弱くて大丈夫だろうかと、他人事ながら心配になった。
「あちらのお客様は、お忍びでご来店頂いております。どうかご容赦を」
笑顔で跳ね除けると、切れ長な目が軽く瞠られる。
眉を下げたハクト殿下の薄い唇から、「そうか」と吐息めいた言葉が零れた。
落胆し、萎れた様子も美青年ならば絵になる。若い婦女子が見たら母性を擽られ、新たなロマンスが生まれた事だろう。
まぁ実際見ているのは、三十代半ばのおっさんである私だけなので、何も生まれない、ただただ不毛な時間が過ぎている訳だが。
さっさと帰ってくれ、と願いながらも笑顔で見守る。
ハクト殿下は名残惜しげに扉を一瞥した後、表情を変えた。
「それと、店主。もう一点、訊ねたい」
「はい」
「炊事場を借りたいのだが、何処か心当たりはあるか?」
「炊事場、ですか」
表通りに食堂は沢山ある。
食材を渡して調理を頼むのは出来るが、厨房そのものを借りるのはあまり聞いた事がない。食事時以外なら可能性はあるが、だとしても謎の食材を扱うと知って、果たして貸してくれるのか。
かといって、街中で焚火をされても困る。
後は勝手にやってくれと放り出したいが、それでは、マリー様の気遣いをも踏み躙る事になりやしないか。
それに病人がいるのなら、一刻も早く欲しいはず。
「…………」
大きな溜息をどうにか飲み込んだ。
客の前では出来ないし、やらないが、心の中で吐き出すのだけは許してほしい。
この建物は住居でもあった為、狭いながらも厨房はある。
明日からはそこを貸すとして、今日も食事は必要だろう。マリー様に相談するまでもなく、彼女も同じ考えに至っていたらしい。
マリー様が私に持ってきてくださった差し入れを、そのまま渡す事にした。
彼女は私に対して申し訳ないと言っていたが、逆だ。せっかく作って来てくださったのに、まさか一口も食べないまま、人に譲らねばならないとは。
ここまでする必要は無かったかと内心で愚痴る私とは違い、根っから善良なマリー様は、ここで終わらない。
病人食なら、もうひと手間加えた方が良いと、自ら厨房に立った。
仕入れた私も使い道を理解しきれていない材料……乾燥した魚や海藻の下処理を手早く行う。
「後は煮出すだけなんですが、そこまでやってしまっても平気ですか?」
「はい」
「少し冷ましてから容器に入れますが、持ち運ぶ時はお気を付けて」
「はい」
「握ったお米にこの液体をかけて、解してから召し上がってください。あ、中に焼いた魚が入っています。骨は全て取り除いたつもりですが、念のため注意を」
「はい」
手際良く調理しながら、同時に説明も熟す。
好きな料理をして、生き生きとしているマリー様の横顔はとても美しい。恋を自覚したばかりの若者には目の毒な程。
うっとりとしたハクト殿下の目には、きっとマリー様しか見えていない。
どうしよう。他国の王子殿下が物凄い勢いで壊れていく。
さっきから、首だけ稼働する人形みたいになっている。『はい』以外の言葉を忘れているんじゃないかという疑惑すら出てきた。
ハクト殿下の様子がおかしい事に気付いたのか、マリー様も困惑気味だ。
「あの……?」
「はい…………。あ、いや、その、……り、料理がお上手ですね」
見惚れていたハクト殿下は、マリー様に覗き込まれた事でようやく我に返る。人語を思い出したらしい彼は、慌てて話題を探す。
無難な言葉だが、マリー様はほっとしていた。
「上手かどうかは分かりませんが、好きなんです」
「すっ……」
ただの世間話の流れにさえ、過剰反応を示す。
この方、もしや童て……ではなく、想像以上に女性に不慣れなのでは。
見ているこちらが恥ずかしくなるが、幸いにも、マリー様には伝わっていない。
「あくまで趣味だったんですが、夫も美味しいと言ってくれるので、つい熱中してしまうんですよね」
佳人は一切の悪気なく、若者に止めを刺した。
はにかむような笑顔は、文句なしに美しい。故に残酷だ。
「…………おっと?」
生まれて初めて聞いたかのように、ハクト殿下は平坦な声で繰り返す。
呆けた顔で呟く彼には申し訳ないが、早めに釘を刺せた事は幸いでもある。
やきもきしながら控えていた侍女と護衛の表情は、とても晴れやかだ。
今にも拍手喝采しそうな二人とは反対に、ハクト殿下は次第に蒼褪めていく。
「夫君が……?」
いらっしゃるのか、とは続かなかった。
認めたくないのだろうな、と哀れに思う。
「はい。誉め上手の、優しい夫なんです」
しかしそんな男心など知らず、マリー様は幸せそうに微笑んだ。




