転生公爵の交流。(3)
ガラガラと車輪の音を響かせながら、馬車が進む。
街中を通り抜けると車窓から見える風景は変わり、広大な畑や草原が広がる牧歌的な景色が広がる。
元王家直轄領、そして現在は公爵領となったプレリエ地方。
王都からさほど離れていない距離にあるが、街並みもそこに暮らす住人の気質も、どこかのんびりとしている。
程よく田舎で、程よく発展している、現代日本においての地方都市のようなここが、私の治める土地だ。
ちなみに臣籍降下した私の姓も地名から取り、現在の名は、ローゼマリー・フォン・プレリエとなった。可愛らしい語感が、とても気に入っている。ヴェルファルトという仰々しい響きより、こっちの方が好きだ。
なんといっても、レオンハルト様とお揃いだし。
夫婦なんだから当たり前だけれど、書類にサインする度に結婚した事を噛み締めてしまう。未だに私の心境は、妻というよりガチ恋勢のオタクだ。
毎朝、「おはよう」と挨拶を交わすだけで胸がいっぱいになる。
凛々しくも麗しいお顔に毎日のように見惚れ、優しくされる度に胸を高鳴らせている。
美人は三日で飽きるなんて聞いた事があるが、とんでもない。寧ろ、どうやったら落ち着けるのかを教えてほしいくらいだ。
しかも最近、色気が凄い。
年を重ねて尚、美貌に陰りがないどころか、より一層魅力的になっている。少し目を細め、口角を上げる笑い方のなんと罪深い事か。
あの甘い微笑みを向けられると、それだけで腰が砕けそうになる。
レオンハルト様の事はいつ何時も、まるっと全部好きなんだけど、容姿だけで言うなら今が一番好きかもしれない。
穏やかな笑みと落ち着いた立ち居振る舞い、それでいて隙のない立ち姿。大人の男性の完成された美しさが、今の彼にはある。
それでいて、彼の美しさはここが天井ではないとも確信している。
たぶん来年は来年のレオンハルト様が、一番好きになる自信があった。十年、二十年経ってナイスミドルとなったレオンハルト様を思えば、それだけで興奮する。
ごめんなさい、レオンハルト様。落ち着くのは今後も無理かもしれない。
たぶん貴方の妻は一生、同担拒否ガチ恋勢オタクのままです。
くだらない事をつらつらと考えているうちに、家へと帰って来ていた。
馬車を下りて屋敷へと入ると、広い吹き抜けのエントランスにレオンハルト様の姿があった。
仕事の話をしていたのか、傍らには騎士団長の姿がある。
私の存在に気付いた彼の表情は、仕事モードの凛々しいものから柔らかな笑みへと変わった。
「ローゼ」
はぁ……しゅきぃ……。
夫のファンサが今日も神懸かってる。
目にハートマークを浮かべる勢いで笑顔を返す。
腕を広げて出迎えてくれたレオンハルト様の胸に遠慮なく飛び込み、そっと抱き着いた。ああ、良い匂い。
「ただいま」
「おかえりなさい。病院の様子はどうでしたか?」
「相変わらず忙しいようですが、皆、元気そうでした。あ、視察の件も了承して貰えましたよ」
「それは良かった。こちらも今、その視察の警備について話をしていたところです」
レオンハルト様の匂いを堪能し終え、名残惜しいながらも体を離す。
私が視線を向けると、騎士団長は胸に手をあてて礼をする。
「お帰りなさいませ、公爵様」
そう言って笑う彼は、ギュンター・フォン・コルベ。
肩に届くくらいの長さの柔らかそうな栗色の髪と、目尻の少し下がった同色の瞳。目鼻立ちは程よく整い、若い女性に好まれそうな甘い顔立ちをしている。
話し上手で雰囲気も明るいせいか、申し訳ないが第一印象は『チャラい』だった。少し話してみて、すぐに真面目で良い方だと分かったけれど。
実はレオンハルト様の同期で、古い友人らしい。
剣の腕も確かで、近衛ではなく王都の警護を任された第三騎士団の副団長を務めていたのだが辞職し、公爵家の騎士団へと移ってきてくれた。
現在は、領内の警備を担当するプレリエ第二騎士団の団長である。
「ただいま帰りました、コルベ団長。視察団が滞在する一週間、大変でしょうが宜しくお願いしますね」
「美しい公爵閣下のお役に立てるのでしたら、喜んで。粉骨砕身の覚悟で任務に当たりましょう」
男臭さを感じさせない柔らかな顔立ちには、気障な仕草と言葉が似合う。
女性全般に紳士な彼にとってはただの挨拶だが、あんまり軽口を叩くのは感心しないなぁと苦笑した。
ギュンターさんは独身だけど、想い人がいる。
王都で働いている年上の美女で、何度も振られているとの事。その方が第一線を退いたら、こちらに居を構えたいと話していたのを小耳に挟み、颯爽と引っ越して来たらしい。なんて思い切りがよくて行動力のあるストーカーなんだ。
実害のあるストーカーではない、というか、こう見えて純情で相手に嫌われるような行動は怖くて出来ないタイプのようなので、今のところは見守っている。
想い人さんが嫌がったら、その時は全力で引き離そう。
私の手を掬い上げ、指先に口付ける真似をしたギュンターさんをレオンハルト様が押し退ける。
私の腰に腕を回し、抱き寄せた。
「妻に馴れ馴れしく触るな」
「ひょわ」
予想外のデレに、おかしな鳴き声が洩れた。
不機嫌そうな横顔に、トキメキが止まらない。私の旦那様、かっこ良……。
「ただの挨拶でしょうが。この程度に一々反応していたら、夜会とかどうすんだよ」
「家でまで我慢する必要はないだろう」
「なるほど。公式の場では一応、我慢していると」
ニヤニヤと笑うギュンターさんから、レオンハルト様はふいと視線を逸らした。
何事もスマートな彼らしからぬ子供じみた態度は、言葉よりも雄弁に肯定の意を示している。
ええー……マジか。マジですか。
挨拶であっても、他の男性が触れるのは嫌だったりするの? 澄ました顔しているから、全然気が付かなかったけれど、実はこっそりヤキモチ妬いてるとか?
何ソレ最高かよ。
にやけそうになる口元を手で隠しながらも、レオンハルト様を見上げていると、チラと視線がこちらを向く。
照れたように頬を薄っすら赤らめながら、手で私の視線を遮った。
「あまり見ないでください」
情けない顔をしているので、と掻き消えそうな声で付け加えられて死にそうだ。
「レオンはいつでも恰好良いですよ」
今日は可愛いけど、と心の中だけで呟いたのは内緒だ。たぶん拗ねちゃうからね。
それが伝わったのかどうかは分からないけれど、少し複雑そうな顔でレオンハルト様は苦笑した。
「奥さん相手だと、お前もそんな風になるんだなぁ」
私達の様子を見守っていたギュンターさんが、しみじみと言う。
「いいなぁ、新婚。オレも『情けない貴方も素敵』とか言われてみたい」
「……ギュンター」
ギロリと睨まれて、ギュンターさんは降参とばかりに両手を軽く上げた。
「ごめんて」
からりと笑いながら謝罪する姿からは、反省は伝わってこない。でも『しょうがないな』と思わせるのは彼の人徳か。
「お詫びじゃないけど、今からでも本当に恰好良いとこ見てもらったら?」
「は?」
「久々に打ち合いしようぜ。騎士団の連中もお前に稽古つけてもらいたいみたいだし」
その言葉に、私は目を輝かせる。
レオンハルト様はいつでも素敵な最高の旦那様だけど、剣を振るう姿は一際恰好良いから。
「何故、今……」
レオンハルト様は嫌そうな顔を向ける。
しかしギュンターさんは怯んだ様子もなく、視線で私の方を示した。
「今でなくちゃ意味ないだろ。惚れ直してもらえる絶好の機会を棒に振る気ですか? 総帥閣下」
「…………」
レオンハルト様は、苦虫を嚙み潰したような顔で黙り込む。けれど本当に嫌という訳ではないのか、顔は少し赤い。
ちなみに総帥閣下と呼ばれているのは、公爵領の軍部の指揮をレオンハルト様にお任せしているからだ。
最高司令官……良い響きだよね。決して趣味で、その地位に就いてもらったんじゃないけど。……いや、本当だよ。たぶん。
「ローゼ。……見ていてくれる?」
「もちろんです!」
意気込んで答えると、レオンハルト様は照れたように笑う。
それから一時間程、私は至福の時間を手に入れた。
本当、最高でした……。




