転生公爵の交流。(2)
ヴォルフさんとの話し合いを終えて退室すると、扉の外で待機していたクラウスの視線がこちらを向く。
「待たせてしまって、ごめんなさい」
声をかけるとクラウスは、端整な顔を綻ばせる。
「いいえ、至福の時間でございました」
思わず顔が引き攣った。
護衛任務に遣り甲斐を見出してくれるのはいいけど、廊下で待機しているだけで幸せにならないでほしい。
これ、放置プレイとかじゃないから。
少し話し込んじゃっただけだから。
たまたま通りかかった若い女性がうっかり笑顔を見てしまったらしく、顔を赤らめて見惚れているけれど、目を覚ましてと言いたい。
確かに容姿は一級品だけど、中身は取扱注意物件だからね?
近衛騎士団を辞職し、公爵家の騎士団へと入団してから一年。
クラウスも三十路となって、年相応に落ち着いた男性となった。
私の事も賛美するだけではなく、駄目な部分は諫めたりもする。忠誠を誓い、全力で支えてくれながらもイエスマンではない。自分の意見を持った有能な部下だ。
ただ、コレだけはどうしても治らない。
ジジ馬鹿なお爺ちゃんみたいに私の存在をまるっと肯定するのと、ちょいちょい見過ごせない変態発言をするのは健在だ。
「貴方様の下で働ける事自体が幸福であると理解はしておりますが、敬愛する御方を、直接この手でお守り出来る栄誉は、やはり格別」
レオンハルト様が傍にいる時は彼が、補佐だけでなく、私の護衛も務めてくれる。
そして屋敷にいる時は殆ど一緒にいるので、クラウスの出番は少ない。
その反動なのか、今日はやたらと楽しそうだ。
キラキラし過ぎていて、エフェクトかかっているようにすら見える。目に痛い。
「クラウス、貴方、またマリーちゃんを困らせているの?」
溜息交じりの声が聞こえた。
振り返るとそこにいたのは、見覚えのある美女。
襟の詰まったグレーのシンプルなワンピースに、白いエプロン。体の線が出難い看護師の制服でも、素晴らしいプロポーションは隠しきれない。
波打つ豊かな黒髪と長い睫毛に縁どられた吊り上がり気味の瞳。赤い唇と、そのすぐ下にある黒子が色っぽい妙齢の女性は、私を見て微笑む。
「ビアンカさん」
「久しぶりね、マリーちゃん」
ミハイルのお姉さんであり、私の友人でもあるビアンカ姐さんは、実家の子爵家を出て、医療施設で働き始めた。
船旅の時に船員さんやクラウスの治療を手伝った事で、医療分野に興味が出たらしい。あれから、こっそり医学の勉強をしていたそうだ。
「お仕事は慣れましたか?」
「まだまだ未熟者だから、教わる事がいっぱいよ」
ビアンカ姐さんはそう言いながらも、生き生きとした表情で笑った。
昔から綺麗な人だったけれど、今は更に輝いて見える。ミハイルと同じく、医療関連の仕事はビアンカ姐さんの性に合っているんだと思う。
「マリーちゃんに頼ってもらえるくらい成長してみせるから、待っていて」
「はい、楽しみにしています」
嬉しくなって、つい笑み崩れる。
するとビアンカ姐さんは驚いたように目を丸くして、マジマジと私を見た。
「?」
「マリーちゃん……貴方」
「え、何かありました?」
ビアンカ姐さんは私の頬に両手を当てて、覗き込む。
私の顔がどうかしたのだろうか。
糸くずでもついていた?
「女神さまになったの?」
「……は?」
ビアンカ姐さんの言葉を理解するまで、脳が数秒を要した。言葉は分かっても意図がまるで理解出来ない。
分かり難い冗談かと思ったけれど、顔は真剣そのもの。
真顔でそんな事言われて、私はいったいどう返せばいいのか。
「可愛いのはもちろん知っていたけれど、こんなにも綺麗になるなんて……。あ、今の笑顔は簡単に振り撒いちゃ駄目よ。下手したら死人が出るわ。ある程度、耐性があるはずの私でも心臓止まるかと思ったんだから」
「え」
「ああ、その顔もいけないわ。可愛らし過ぎて、悪い虫が寄ってきてしまうもの」
「あの」
「昔は天使様だったけれど、結婚して女神様になったのね。尊い……尊いわ。こうして成長して女神様になったマリーちゃんに会えるだなんて、この職場は天国よ」
ビアンカ姐さんの恍惚とした表情は、それこそ女神のソレ。誰もが振り返らずにいられない麗しいお顔なのに、捲し立てている言葉は残念過ぎる。
あと病院で天国とか不吉なので止めて頂きたい。
私が固まっていると、見かねたクラウスが間に割って入った。
「困らせているのは、そちらだろう」
呆れたように言うと我に返ったビアンカ姐さんは、きまり悪そうに視線を逸らす。
「久しぶりに会えて、興奮しちゃったのよ。……ごめんなさいね、マリーちゃん」
「は、はい。大丈夫です」
「嫌いになってない?」
勢いに気圧されてはいたものの、特に嫌な思いはしていない。
しゅんと萎れたビアンカ姐さんの可愛らしい質問に、私は笑って頷いた。
「はい、大好きです」
「……尊い」
異口同音。ビアンカ姐さんだけでなく、何故か、クラウスまで同じ言葉を呟いた。
二人して両手を組んで、私を拝むのは止めていただきたい。
通りかかった人達が何事かと驚いているから、早急に。ほんと、止めて。
どうにか止めてもらえたのはいいけれど、二人はじっと互いの顔を見つめてから、がっちりと固い握手を交わした。
妙齢の男女でありながら、色気は一切無い。河原で殴り合った後の少年らのような顔で頷き合っている。
この二人、寄ると触ると喧嘩しているイメージだけど、実は気が合うんじゃないかな。
言ったら怒られそうなので、口には出せないけれど。
「姉さん」
パタパタと少し急いだ足音が聞こえたかと思うと、声がかかる。ビアンカ姐さんは彼の姿を見て、軽く手を挙げた。
「ミハイル」
「時間あれば、少し手伝って欲しいんだけど……って、あれ。王女様」
青みがかった黒髪と優しげな印象を与える同色の瞳が印象的な美青年、ミハイルは、私の存在に気付いて目を瞬かせる。
次いで、柔らかな笑みを浮かべた。
「お久しぶりです。元気でしたか?」
「うん、元気よ。ミハイルは忙しそうね」
「王女様こそお忙しいでしょうし、体に気を付けて……って、また呼び方戻っちゃいました。マリー様、ですね」
途中で気付いたのか、照れ笑いを浮かべる。成人男性には嬉しくない表現だろうけど、相変わらず可愛い人だなと思う。
「皆のお蔭で病院も軌道に乗ってきたし、随分休めるようになってきたわ」
笑って答えると、ミハイルは「良かった」と笑みを深める。
「ところで、何か急いでいたのではない?」
「あ、そうでした。姉さん、手を借りてもいい? 今日は患者さんが多いから、リリーさんの補佐をしてあげて欲しいんだけど」
「リリーちゃんの? もちろんよ」
任せて、とビアンカ姐さんは目を輝かせる。
年下の女の子が大好きなビアンカ姐さんにとって、リリーさんとのお仕事はご褒美なんだろう。私の手を握って、「また来てね」と笑顔で言ってから、うきうきした足取りで去っていった。
最近、リリーさんとミハイルの距離が更に縮まっているようだが、この分だとお嫁さんと小姑さんのバトルは一切心配なさそうだ。
「嵐のようでした」
クラウスは疲れたように、溜息を吐く。
「いつも元気よね。病院の雰囲気も明るくなりそう」
「元気というか、常軌を逸しているというか……」
何とも言い難い顔で、クラウスは呟く。
いや、君も大概だと思うよ。




