転生王女の結婚。(2)
※二話連続更新ですので、お気をつけください。
あれから大変だった。
メイクを直そうにも、目元が腫れてしまっているのでまず冷やす必要があった。どうにか赤みが引いた頃には目の充血も落ち着き、ようやくメイク直し。余裕を持って組まれていたスケジュールは既に押し気味だったが、プロ根性を発揮した侍女の皆さんが総出で取り掛かり、どうにか間に合わせてくれた。感謝しかない。
どうやら両親の後に色んな人が会いに来てくれたらしいけれど、申し訳ないが断るしかない。兄様とヨハンが事のあらましを聞き、父様を遠回しに責めていたと、付き添ってくれた母様が教えてくれた。
でも父様はノーダメージだろう。どこ吹く風と聞き流している様子が、容易に想像出来た。
それから今日に合わせて召喚された花音ちゃんも、到着しているらしい。
私の結婚式に、本当に出席してもらえるなんて夢のようだ。きっと、凄く綺麗になっているんだろうな。
会いたいけれど、会ったらまた泣いちゃいそうなので、式の後にゆっくり話をしたいと思う。
時間が来て、式場へと向かう。
入口付近で待っていたのは、子供が二人。華やかなドレスで着飾った十歳前後の女の子達は、ぎこちなく礼をする。初々しさがとても可愛らしい。
長く伸びたウェディングドレスの裾は、介添人から子供達へと受け渡される。地球だとトレーンベアラー、もしくはベールガールと呼ぶ役割だ。
肩越しに振り返って様子を窺うと、かなり緊張しているのか、子供達の表情は硬い。特に一人は顔色が悪く、このままでは倒れてしまうのではと心配になる。
じっと見つめていると一人と目が合った。
まんまるになった目が、数度瞬く。その子の様子に気付いたのか、もう一人も顔を上げる。蒼褪めて強張っていた顔が、同じく驚き顔になった。
こっそりと寄り目の変顔を披露すると、同時に吹き出す。何事かと介添人達の視線が子供達に向いているうちに、唇に人差し指を当てて『内緒ね』とジェスチャーすると、満面の笑みで頷いた。
よしよし、一生に一度の晴れ舞台でやらかした甲斐があった。
花嫁がこんな事をしているんだから、ちょっとくらい失敗しても大丈夫だって伝わっただろう。
「お時間です」
重厚な両開き扉の脇に立つ騎士二人が、同時にノブに手をかける。
ギィ、と重く軋む音と共に扉が開き、眩い光が差し込んだ。
等間隔に並ぶ大理石の柱と、アーケード状になった高い天井。高窓には青ベースのステンドグラスが嵌っており、太陽の光を受けて美しく輝く。高い位置の壁には天使、トリフォリウムにはアーチ状の彫刻が施され、見る者の目を楽しませる。
長く伸びる主身廊の両脇には招待客が並び、扉が開くと一斉に視線が集まった。
ウエディングアイルを、ゆっくりと進む。
一人一人の顔を確認する余裕はないけれど、花音ちゃんがいるのはチラリと見えた。アイボリーのドレスに身を包んだ彼女は、長く伸びた髪を編み込みでハーフアップにしている。可憐さはそのままで、美しい女性へと成長していた。
やばい、鼻の奥がツンとする。顔見ただけで、やっぱり泣きそう。
どうにか涙の衝動をやり過ごし、前へと集中する。
前方中央に据え置かれた祭壇の前には、白い祭服に金のストラを掛けた三人の司祭。中央に立つ大司教様はミトラに似た背の高い帽子を着用している。
そして彼等の前に立つ人の姿を視界にいれた瞬間、息が止まる。
「……!」
身に纏うのは、近衛騎士団の礼服。
上衣は紺の生地に金糸の刺繍。丈はいつもの団服よりも短い。赤いサッシュを斜めに掛け、胸元は数多くの勲章が彩る。
その上から羽織っているのは、ペリースと呼ばれるマント。上衣と揃えの紺に金の刺繍、長い裾には金と赤の縁取り、首回りには豪奢なファー。
トラウザーズは白で、ブーツは黒。こちらも金縁で装飾されている。
いつもは下ろしている前髪を後ろに流しているので、ストイックな印象を受けるのに、何故か壮絶に色っぽい。
三十二歳となっても、精悍な美貌は一向に衰えを見せず。寧ろ、落ち着いた色気が加わり、より魅力的になっている。
か、恰好良い……‼
正装のレオンハルト様があまりにも素敵過ぎて、私は卒倒しそうになる。
膝から崩れ落ちなかったのを誰か誉めてほしい。そんな花嫁見たら子供達のトラウマになるだろうから、頑張った。
レオンハルト様はいつだってイケメンだけど、今日はいつにも増して輝いている気がする。正直、直視出来ない。
平静を保とうと努力している私の心境を知ってか、知らずか、レオンハルト様の視線が私を捉える。
いつもは鋭い眼光を放つ黒い瞳が、驚きを表すように瞠られた。
じっと見つめられて、居心地が悪い。
何か変だろうかと不安になりかけた時、レオンハルト様の眦が緩む。うっすらと頬を赤らめた彼は、とても幸せそうに微笑んだ。
音もなく唇が、「綺麗だ」と綴る。
「…………っ」
やめて、死ぬ。
シンプルに死ぬ。
既に過剰摂取で吐血しそうなのに、これ以上は止めて。死んでしまいます。
式はまだ始まったばかりなのに、私は既に息も絶え絶えだ。
婚約して二年も経つのに、私は未だレオンハルト様への免疫が出来ていない。割とスキンシップ多めな方だと知ったのに、その度に死にそうになっている。
今日からお嫁さんになるなんて、未だに信じられない。
慣れるとか、飽きるとか、そんな言葉とは無縁。日を追うごとに『好き』が増していて、心臓が壊れそう。
なんとか薄い微笑みを張り付けたまま、レオンハルト様の隣まで辿り着く。
厳かな空気の中、大司教様による祈祷が始まる。
聖書の一節を朗読する声が、広い空間に響き渡った。平坦でありながらリズミカルな声の調子は、読経みたいで落ち着く。
ようやく呼吸が整ってきた頃、祈祷から誓いの言葉へと移り変わる。
「健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も……」
文面は地球式と変わりない。
小さい頃に親戚の結婚式に参加した時も、こんな感じだった。意味は分からないのに、何故か感動した記憶がある。それはたぶん、二人が幸せそうだったから。
世界で一番幸せだと、目が、表情が語る。
とびっきりの笑顔の花嫁さんは、間違いなく世界で一番綺麗に見えた。
「富める時も、貧しい時も」
私も、あんな風になれるかな。
ずっと追いかけ続けてきた人の隣で、私は今、どんな顔をしている?
「愛し、敬い、慰め、助け」
女性として見てもらえない事が辛くて、泣いた日もあった。
心が折れそうになって、止めたいと思った瞬間もある。けれど好きって気持ちは、どうやっても止められなかった。
正直、好きになってもらえるなんて楽観的な気持ちにはなれなくて、いつでも必死だった。思いが通じ合った今でも、夢なんじゃないかなって時々思う。
――でも、
「その命ある限り真心を尽くす事を誓いますか?」
「誓います」
真摯な声が、告げる。
レオンハルト様の秀麗な横顔に、迷いは一切ない。
うん、大丈夫。
これは現実。
私はちゃんと、レオンハルト様の隣に辿り着いたよ、と。
幼い頃の私に、心の中で語り掛けた。
今日、私の夢が叶う。
「誓います」
胸がいっぱいで、少し声が震えた。
やがてベルベットのリングピローが運ばれてきて、レオンハルト様と向き合う。
彼は白い手袋を外した。節くれだった大きな手が、銀色のリングを取る。そっと左手を持ち上げられ、薬指にするりと嵌った。
同じようにリングを手に取るが、緊張しているせいで取り落としそう。
でも重ねた彼の左手が励ますみたいにキュッと指を握るから、そちらに気を取られて、震えは緩和される。どうにか指の付け根まで押し込めた。
出来た、と顔を上げる。
安堵のあまり、子供みたいな顔していたと思う。
そしたら、酷く優しい目と視線がかち合った。
慈しみと、庇護欲とを目一杯詰め込んだような眼差し。けれど、それだけでない熱量も込められている。
墨色の瞳は、愛しているのだと、言葉よりも雄弁に語りかけた。
そんな目で見られていたのかと思うと、一気に顔が熱くなる。
レオンハルト様はベールを捲って、後ろへと流す。
焦っている私の頬に、するりと指を滑らせる。添えた手に上向かされた。
あ、あれ? このタイミングでするんだっけ?
頭が上手く働かずに混乱している間にも、綺麗な顔が近付いてくる。
耐えきれなくて目を思いっきり瞑ると、額に柔らかな感触。
すぐに離れたのでほっと息をついて目を開けると、焦点が合わない至近距離に、まだレオンハルト様の顔があった。
ぱちくりと、瞬きをする。
脳が理解する前に、唇に唇が重なった。
「……っ?」
驚きに思わず固まった。
頭が真っ白で何も考えられない。
たぶん余裕で十秒以上経ってから、唇がようやく離れる。
「大変、仲睦まじいご夫婦ですね」
大司教様は微笑ましいものを見るような目で、私達に笑顔を向ける。
からかう意図は全く感じなかったけれど、私は恥ずかしくて顔を上げられなかった。
その後に結婚証明書にサイン。
祝福されながら式を終え、レオンハルト様にエスコートされながら馬車へと移動する。
まだ顔の赤みが引かない私は、優しい目で見つめる彼をちょっと睨む。
「心の準備くらいさせてください」
打ち合わせでは指輪交換の後、大司教様が『誓いの口付けを』と言う筈だった。
その過程をすっ飛ばして、しかも額にキスで終わると思っていたのに。
恨みがましい目で見ても、レオンハルト様はニコニコと笑うばかり。
「貴方があまりにも綺麗だから、我慢が利きませんでした」
しかもそんな言葉をしれっと告げる。
更に赤くなっている私の頬を、愛しげに撫でる手付きに絆されそうになった。
「あと、牽制の意味もありますね。会場にいた男性の殆どは、貴方に見惚れていましたから」
『殆ど』はあきらかに言い過ぎだと思う。
呆れながらも、嬉しいのはやっぱり隠せなくて、口元が勝手に緩む。
「心配しなくても、私には貴方だけです」
「ずっと?」
「ええ、一生」
迷いなく頷くと、レオンハルト様は嬉しげに笑う。少年みたいに屈託のない笑顔は、私が一番好きな笑い方だ。
「オレも貴方を愛し続けます。死が二人を分かつとも、ずっと」
当たり前みたいに、生涯だけでなく、その先も誓ってくれる。
深い愛情が嬉しくて、私はそっと身を寄せた。
今日から、この人の隣をずっと歩いて行きたい。
健やかなる時も、病める時も、死が二人を分かつとも。




