転生王女の結婚。
「お美しいです……」
鏡越しに目が合った女性は、熱い吐息を零しながら賛辞をくれた。
「ありがとう」
照れくささを感じながら、鏡の中の自分を見つめる。
シミのない白い肌に薄く色付いた頬、蒼い瞳を縁どる睫毛は長く、くるりと曲線を描く。綺麗な形に整えられた眉、陰影を作るブラウンのアイシャドウ。リップは血色を良く見せる明るいコーラルピンク。
王城の侍女達の技術をこれでもかと発揮したブライダルメイクは、素晴らしい仕上がりだった。
いつも鏡で見る自分よりずっと綺麗に見える。改めて、私って母様の娘なんだなって実感できた。
「お手をどうぞ」
手を借りて、ドレスを崩さないよう気を付けながら椅子からゆっくり立ち上がる。
王都でも人気の高い仕立屋で、二年かけて制作されたのは純白のウエディングドレス。殆ど体が空かない私に代わり、母様が主体となって取り仕切ってくれた。
私の好みをちゃんと聞いて、デザインに反映してくれた母様には心の底から感謝している。
全体はAライン。主流はパニエを沢山重ねたプリンセスラインらしいけれど、敢えてシンプルなシルエットに仕上げてもらった。
ビスチェタイプのシルク素材のドレスの上にハイネック丈のレースを重ねているので、デコルテや腕はうっすらと肌が透ける。けれど全く下品に見えないのは、職人が手掛けたレースの美しさによるものだろう。首元から手首まで覆うソレは、雪の結晶に似た幾何学模様が緻密に描かれていた。
胸元には小さなくるみボタンが並び、清楚な印象を与える。
トレーンは少し長めで、ふわりと広がる様は美しい。
私の『好き』をぎゅっと集めたようなドレスで、結婚式を迎えられるのかと思うと自然と顔が綻ぶ。
「どこか不具合はございませんか?」
「ないわ」
そっと腕を持ち上げ、体を捻ってみても、引っ掛かりはない。
十五歳から十七歳という成長期の真っ只中で、何度も採寸と調整を繰り返させてしまっただけあって、全てがぴったり。首、胸、ウエストのサイズ、腰の位置まで全て、きちんと私仕様。
「こんなにもお美しい花嫁様は、見た事がありません」
「まるで花の女神様のよう……。オルセイン騎士団長様は、国一番の幸せ者ですね」
今日の主役とあってか、皆が口々に誉め称す。
恥ずかしいけれど、有難い。今日は自信を持って、レオンハルト様の隣に立ちたいと思っていたから。
綺麗だって、レオンハルト様も思ってくれるかな……?
もうすぐ旦那様となる人の顔を思い浮かべ、そっと頬を赤らめる。
一人でにまにまと笑み崩れていると、扉が控え目に鳴った。侍女の一人が応対し、「王妃陛下がお見えです」と私に取り次ぐ。
入ってもらうよう促すと、いつもより更に麗しい母様が現れた。
私を見た母様は立ち止まり、感極まったような表情になる。
「綺麗よ、ローゼ」
うっとりと告げられた言葉に、思わずはにかむ。
「母様のお蔭です」
「娘の役に立てたのなら良かったわ」
母様はそう言って、嬉しそうに目を細める。
それからお付きの侍女を呼んだ。恭しい手付きで侍女が持ってきたのはティアラ。ベルベットの上に鎮座するそれは、決して派手ではないものの、一目で高価と分かる。
惜しげもなく散りばめられた宝石一つ一つの透明度が高く、上質。中央に配置されたサファイアは一際大きく、美しく輝く。
「貴方のお祖母様が、結婚式で付けたティアラよ」
「お祖母様の……」
絵画でしか見た事がないけれど、品の良さそうな美人だった。
「貴方が使ってくれたら、きっとお祖母様も喜ぶわ」
「ありがとうございます」
国宝級のティアラを付けるのは少し怖いけれど、有難く使わせてもらおう。
腰まで伸びた長い髪は、襟足の辺りでローシニヨンに結ってもらってある。
ティアラで留めたベールは、縁の部分に細かく花の刺繍が施されたコードレース。
少し背伸びした大人っぽいコーデは、ちゃんと私に似合っているだろうか。
年を重ねて、どんどん魅力的になっているレオンハルト様の隣に並んでも、不自然でないと良いなと願う。
「入るぞ」
鏡の中の自分を見つめていると、再び扉が鳴る。
尊大な声と共に入ってきたのは父様だった。許可してから入ってほしいと呆れたが、言っても無駄か。
「淑女が支度をしている部屋に、応答も待たずに踏み込むなんて……」
母様がぶつぶつと文句を呟いているが、父様に直接噛み付かないのは、今日という目出度い日に喧嘩したくないという配慮だろう。
父様と母様も、大分距離が縮まってきたと思う。
昔のように一方的でなく、遠慮もない。
微笑ましい気持ちになって、つい口元が緩む。
そんな私の姿を見て、父様は動きを止めた。ふむ、と腕組みをしてから、頭のてっぺんから爪先までをじっくり眺める。
しかし特に感想はないのか、無言のままだ。
「……何かないんですか?」
沈黙が居た堪れなくて、私の方から問いかける。
「何かとは?」
「綺麗だとか、見違えたとか」
もちろん、父様がそんな事を言うはずがない。
鼻で嗤われるところまでセットで想定済み。しかし父様の反応は、考えていたものとは違った。
「今更だろう」
「?」
今更とはどういう意味だろう。
首を傾げる私を見て、父様は溜息を吐き出す。
「私達の娘だ。美しくない訳がない」
驚きに固まる私と同じく、母様も愕然としている。もちろん、控えていた侍女らも呆気に取られた顔をしていた。
自分が美形だという自覚があったんだとか、遠回しに惚気てないかとか、色々と気になって何処に突っ込めばいいか分からない。
皆が皆、混乱しているので、室内に気まずい沈黙が落ちる。
少し頬を染めながらも、母様は呆れ顔で目を伏せた。
「……貴方達、少し席を外しましょう」
戸惑っている侍女に、母様は部屋を出るよう促す。
どうやら父様が私に話があると、考えたのだろう。
二人きりにしないで、せめて母様は残ってほしかった……。
まさか、こんな日に駄目出しをしないと思いたいけれど、父様だしな。油断出来ない。
身構える私に対し、父様は通常運転。平時の無表情のまま、じっと私を見つめた。
「確かにお前は美しい」
「は?」
どストレートな賛辞に思わず真顔で返す。
しかし父様は気にする様子もなく、言葉を続ける。
「だがお前の本当の価値は、容姿ではない」
「え?」
「私は、幼いお前に何の期待もしていなかった。故に何もしなかった。しかし、お前は自分の頭で考え、動き、結果をもぎ取ってきたな」
初めてまともに相対した日の、父様の目を思い出す。
私が食ってかかるまでは、まるで道端の石ころでも見るような無機質な眼差しだった。たぶん何もせずに諦めていたのなら、今も変わらずあの目で見られていたのだろう。
不器用な私は何度も失敗して呆れられてきたけれど、それでも、少しは認めてくれるんだろうか。
そう仄かに期待する私の目を見据え、父様は口を開く。
「賞賛に値する」
「……」
すぐには、言葉の意味が理解出来なかった。
薄く唇を開いたまま、呆けてしまう。
「今日のお前があるのは、他の誰の手柄でもない。お前自身がたゆまぬ努力を積み重ねてきた事の結果だ。誇っていい」
なにそれ。
今まで駄目出しばっかりで、まともに誉めてくれた事なんてないくせに。急にそんな事言われても、どんな反応をしていいのか分からない。
素直に受け止めるのが癪で、撥ね除けてしまいたいのに。
声は喉の奥で閊えて、まともに出せない。目頭が熱くなって、涙の衝動を訴えた。
肩を震わせて立ち尽くすしか出来ない私に、父様は目を細める。
見たこともない柔らかな顔で、微笑んだ。
「幸せになれ」
「…………っ」
今度こそ、堪えきれなかった。
視界が滲む。目尻から涙が零れて、頬を伝い落ちる。押し殺せなかった嗚咽が口から洩れた。
「泣くな。化粧が崩れるぞ」
「誰のせいですか……っ」
ぼやける視界の中、父様が私の頬に手を伸ばし、涙を掬い上げる。
ついいつもの調子で噛み付くが、「私のせいか」と返す声も笑いを含んでいて、もうどうしたらいいか分からない。
ついでに涙の止め方も分からない。
私は父様が、ずっと苦手だった。
でも同時に誰より認めて欲しかったのも、この人だったんだと思う。
ぼろぼろと泣き続ける私の顔は、当たり前だけど大変な事になった。
時間を見計らって帰ってきた母様は、私の惨状を見て悲鳴を上げ、傍にいた父様を叱り飛ばす。強制的に退室させられた父様が『解せぬ』という顔をしていたのが可笑しくて、可笑しくて。笑ってしまった事により、更に化粧が崩れるという悪循環。
大切な日になにやってるんだかと思わなくもないが、どうしようもなく幸せだ。




